第1話 嘆願
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
それは、加害者である中山芳樹が『本懐法の対象者』に認定された、まさにその瞬間から始まった。
ドンドンドンッ!
ピンポンピンポンピンポンッ!
我が家の玄関ドアが、壊れんばかりの勢いで乱暴に叩かれ、チャイムの電子音が耳障りに連打される。
「野村さん!野村さん!お願いだから、そこにいるんでしょう!?」
狂気を含んだ大声が、冷たい夜の空気をつん裂いて、家の外から容赦なく室内にまで響いてくる。
俺は妻の知子と2人、明かりを消したリビングのソファの片隅で身を寄せ合いながら、ただ、その外から押し寄せる恐怖と必死に闘っていた。
電気をつければ、外の人間に行動がバレてしまう。
だから、息を殺して耐えるしかなかった。
「どうして………どうして死んだのは、うちの隼人なのに……」
知子が膝を抱え、声を震わせながら暗闇の中でぽつりと呟いた。
その瞳には、涙と、行き場のない絶望が湛えられていた。
一年半前、息子の隼人は、昔からの大親友である中山芳樹の運転する車に同乗し、夜中の山道で悲惨な事故に遭った。
隼人と芳樹は、小学校に上がる前からの付き合いだった。
2人が泥だらけになって泥遊びをしていた頃からの長い絆。
もちろん、俺たち夫婦と中山夫婦も家族ぐるみの長い付き合いで、お互いの家を行き来しては酒を酌み交わす、親しい間柄だったのだ。
あの事故が起きるまでは。
助手席に乗っていた隼人は、激突の衝撃でフロントガラスを突き破って車外へと投げ出され、固いアスファルトに頭を強く打ちつけて、ほぼ即死だったという。
薄暗い霊安室での対面。
出迎えた年配の警察官からは、深く深く頭を下げられながら、
『……お父さん、お母さん。できれば、お顔は見ないほうがよろしいかと思います』
と、静かに制止された。
しかし、現実を受け入れられなかった俺は、警察官の手を振り払うようにして、隼人の顔にかけられた白い布を、勢いよくめくってしまったのだ。
「う、あ…………っ」
そこにあったのは、俺の知っている自慢の息子の顔ではなかった。
額から右頬にかけて、顔の輪郭が酷く歪み、顎の骨が外れて口がうまく閉まらなくなった、血の気の失せた白い顔の隼人が横たわっていた。
直視することすらできない異形に、知子は短い悲鳴を上げて顔を背け、俺の胸に顔を埋めて狂ったように泣いた。
俺の脳裏にも、その死に顔が消えないトラウマとして深く焼き付いた。
あれから、長い長い一年半という時間をかけて、果てしない裁判がようやく結審した。
「野村さん!お願い!ドアを開けてよ!いるんでしょ!?」
今も外で激しく騒ぎ立て、狂ったようにチャイムを鳴らし続けているのは、中山沙知――。
あの芳樹の母親だ。
あの夜の悲惨な事故は、今思えば、起こるべくして起きた事故だったのかもしれない。
事故の捜査が進む過程で、警察から告げられた事実の数々は、俺たち夫婦の心を粉々に打ち砕いた。
警察の取り調べによると、運転していた芳樹のアルコール検査の数値は、基準値を遥かに超えていた。
さらに、その後の尿検査からは、違法薬物の陽性反応までもが検出されたというのだ。
その話を警察署の取調室で聞いた時、俺は怒りで目の前が真っ暗になり、頭が狂いそうだった。
あいつが、我が子を薬物運転の巻き添えにして殺したのだと、芳樹への激しい殺意が脳髄を駆け巡った。
しかし、その直後、警察官から告げられた言葉に、俺は頭から冷水を浴びせられたように凍りついた。
『……あの、野村さん。非常に申し上げにくいのですが。……亡くなられた息子さん、隼人さんのご遺体からも、同様の違法薬物の成分と、高い数値のアルコールが検出されています』
『……え?』
わけがわからなかった。
耳が言葉を拒絶していた。
警察の捜査によって明らかになったのは、あまりにも信じがたい真実だった。
二人はその夜、お互いに違法薬物を使用し、酒を煽りながら深夜のドライブに出かけたのだ。
そして夜中の山道で、スピードを上げすぎた芳樹がハンドル操作を誤り、側壁にノーブレーキで突っ込んだ。
その際、助手席でシートベルトをしていなかった隼人だけが車外へと放り出され、帰らぬ人となった。
運転していた芳樹もまた、重傷を負ったが、一命を取り留めて生きていた。
「野村さん!野村さんってば!」
まだ外では、沙知が狂ったように玄関のドアを叩き続けている。
その後の裁判では、加害者である芳樹だけでなく、被害者である隼人の側にも、多大な過失があるように何度も言われ続けた。
一緒に薬をやり、一緒に酒を飲み、シートベルトすらしていなかったのだから、当然の法解釈だった。
だから俺は、国が提供する「本懐実行者アプリ」の国民投票にかけられたとしても、絶対に『否認』されるだろうと思い込んでいた。
それが――何を間違ったのか、世間の狂った正義感の歯車が噛み合ったのか、芳樹は『本懐対象者』として正式に認定されてしまった。
画面の向こうの人間にはどうでもいい娯楽だったのかもしれない。
「野村さん!お願いだから!本懐の申請だけはしないで!芳樹を殺さないで!」
沙知は、息子が認定されたあの日から、来る日も来る日も我が家の前にやってきては、近所中へ響き渡る声でそう叫んでいた。
我が子を合法的に殺される親の、狂気の嘆願だった。
しかし、この本懐法において、世論というか、近所の古くからの顔なじみたちまでもが、俺たち夫婦の元へやってきては、冷たい目でこう囁くのだ。
「野村さん、申請はしないほうがいい。あの中山くんは、隼人くんの親友だったんでしょう?それに、隼人くん自身も同じ薬をやっていたんだから、お宅が復讐なんてしたら、それこそ世間体が悪いよ」と。
「野村さん!お願いだから!」
外からの絶叫と、鳴り止まないチャイムの音が、野村家のリビングを地獄のように支配していく。
一体、いつまでこれは続くんだ。
〜本懐法 第15条〜
本懐対象者の定義
本法律において「本懐対象者」とは、次の各号のいずれかに該当する者をいい、その者の年齢、行為時における責任能力の程度、認知能力その他の適用の有無を問わない。
一 当該事件を審判した裁判員裁判の有罪判決により死刑の刑が確定した者
二 当該事件を審判した裁判員裁判の有罪判決(死刑の刑を言い渡すものを除く。)を受けた者のうち、第17条の規定により本懐対象者として認定された者




