第9話 強望
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「だから!あいつを殺させてよ!なんで殺しちゃダメなのよ!」
裁判所の本懐申請窓口に、引き裂くような金切り声が響き渡った。
女は髪を振り乱し、胸元が大きく開いた派手な服のまま、ミニスカートから覗く細い脚で高いヒールを鳴らした。
赤沢英里はアクリル板の向こうの職員を睨みつけ、激しく叫んでいた。
英里は【殺害】が不許可になったあとも、しつこく職員に詰め寄っていた。
「できません」
パーテーションの向こうの職員は、表情をピクリとも動かさずに、ロボットのように同じ拒絶の言葉を繰り返す。
そのマニュアル通りの対応が、英里には「あなたの息子は生きているんだから、これ以上の復讐を求めるのは我儘だ」と、修が必死に生き残ったこと自体を否定されているように感じられてならなかった。
「あの子はね!死ぬより辛い思いをしてるんだよ!生きてるからって、あいつを生かしておいていい理由になるわけないでしょう!」
「できません」
「あの子は……あの子が、最初に言った言葉は、………私に向かって、生きていることを謝ったんだよ!」
「はい」
「………生きてて、ごめんねって。お母さんの荷物になってごめんねって、泣きながら言われたんだよ……!」
「はい」
英里はデスクを両手でバンバンと激しく叩いた。
自分の魂を削るような、血を吐くような告白に対しても、目の前の役人はただ「はい」と業務的な相槌を打つだけ。
修が口にした言葉を聞き、英里は狂わんばかりの怒りのままにこの窓口に来ていた。
「3日間も!意識が戻らずに生死を彷徨って!今だって、まともに喋ることすらできないのよ!」
「それでも、できないんです」
窓口の職員は、ため息すら交えずに淡々と答える。
「一生!もう二度とあの子は歩けないんだよ!」
「それでも、【殺害】は認可されません」
英里はデスクに突っ伏すようにして、ガチガチと歯を鳴らした。
落ちかけのメイクの奥の顔が、涙と怒りでグチャグチャに崩れていく。
俯いた英里は、床のタイルの継ぎ目を見つめながら、独り言のようにボソボソと話し出した。
「……3日間も、眠ったままだったの。病院のベッドの上で、死にそうになりながら」
「…………」
「一生、歩けなくなったの。あいつの車のせいで」
「…………」
「後遺症だって残って……呂律も回らないのよ、あの子。せめて……せめて同じ目に合わせなきゃ、割に合わないでしょうが……!」
無言で英里の言葉を聞いていた職員は、ここでようやく小さくため息をついた。
(はぁ………長ぇ、どうやったら帰るんだ?この人?)
職員はバインダーを閉じると、英里に声を掛けた。
「……では、そちらにしてはいかがですか?」
英里はゆっくりと血走った顔を上げ、職員を強く睨みつけた。
「私は申請の補助者として、あなたに法的な助言をいたします。【殺害】は、先ほど申し上げた通り、第2条により絶対に認可されません。しかし――『息子さんと同じような怪我を対象者にさせること』であれば、それは法律上、可能です」
「同じ怪我……?」
英里は身を乗り出した。
「ええ。例えば、息子さんの下半身不随。対象者である川井の脊椎を破壊し、同じように下半身不随にする、怪我をさせる……という内容であれば、申請は通るでしょう」
「……後遺症もある。呂律が回らないのも、同じようにさせたい」
英里が小さく、冷徹な声で呟いた。
「呂律が回らない、ですか?そうですね、専門知識があっても、狙って正確にそのような症状だけを残すのは非常に難しいでしょう。申請内容が不具体であるとして弾かれる可能性が高いです」
「………なんでもいい。そんなの、なんでもいいからあいつに同じ苦痛を与えさせてよ」
「なんでもいいから、ですか?それでは申請が通るかは分かりません。私はあくまでも補助と助言が役割ですので、弾かれないための具体的な記述をしていただく必要があります」
英里は一度、裁判所の高い天井を見上げ、大きく息を吐き出した。
「あの子は、3日間、病院で寝たきりだった」
「はい」
「だったら、私も3日間使って、やりたい」
「はぁ……やりたいとは、具体的にどういうことですか?3日間を使って、怪我をさせると?」
英里は無言で、深く、酷く冷たい目で頷いた。
「先程も申し上げましたが、私が受理しても、申請が確実に通るとは限りません。このあと、本懐確認者という別の弁護士が内容を厳格に審査し、その後に初めて認可証が発行されます」
「わかってるわよ!!」
バンッ!!
英里が今日一番の力で、デスクを強く叩いた。
(何時間やるつもりだよ?面倒だな)
職員はその様子を冷めた目で見て言った。
「では、本懐の申請内容には――【1、3日間の拷問】【2、下半身不随】。そして問題の後遺症ですが……これらを網羅するために【3、何らかの後遺症】と、この3点をお書きください。これで確認者に回します」
それから、裁判所の待合室の硬いプラスチック椅子で、1時間近く待たされた。
名前を呼ばれ、英里は再び窓口へと戻った。
「赤沢様。お待たせしました」
職員が書類を抱えて席につく。
その表情は、やはり中の中途半端な部分で難色を示していた。
「大変お待たせして申し訳ありません。やはり、審査で、申請内容の中の【何らかの後遺症】という部分が具体的じゃない、これでは免責の範囲が曖昧になる、ということで却下されました」
英里は眉間に深い皺を寄せ、激しく詰め寄る。
「なんで!?おかしいじゃない!あの子の呂律が回らない後遺症は、どうやってあいつに返せばいいのよ!じゃあ、なんて書けばいいのよ!」
「いえ、落ち着いてください。他の2点、3日間の拷問と下半身不随については、完全に受理されていますので……」
英里は無言になり、デスクに両手を置いた前のめりの姿勢のまま、床の一点を見つめていた。
脳内で、最も確実に犯人の口を、言葉を奪うための凄惨な手段を逆算する。
「……じゃあ、舌を切り落とす、って書けばいい?」
「ダメです。それは息子さんの被害から逸脱しています」
「口を縫い付けるのは?」
「それもダメです」
静まり返った部屋の中に、信じられないほど残酷な言葉が、お役所仕事のやり取りとして淡々と消えていく。
(もう外暗いけど?)
職員は窓を眺めてから、呆れたような口調で言う。
「……そもそも、息子さんはどうして、上手くしゃべれなくなったんですか?」
職員が、マニュアルの隙間を教えるように、そっと声をかけた。
「頭に、強いダメージがあるって、お医者さんが……」
「歩けなくなった原因は?」
「脊椎に、強い損傷があるって……」
そう言った英里に、職員はメガネを押し上げながら、決定的な助言を口にした。
「赤沢様、私は本懐の内容が認可基準を満たすよう補助する立場です。」
「………あ゛あ゛?」
「感情について判断する権限はありません。ただ、法律上、被害との均衡性を証明する必要があります」
「………で?」
英里は不機嫌に言葉を返す。
「……首は?」
「首?……コルセットを、してたけど」
「では、事故による怪我は、全身にあったということですね?」
「当然でしょう!?車が突っ込んできたんだよ!?」
「であれば……後遺症という曖昧な言葉を使うのではなく、修君の負傷内容を基準にする必要があります」
「…………はぁ?」
「拷問を行う危害の範囲を【全身への危害】にしてみてはいかがですか?3日間の拷問の過程で、全身に、修君と同じ危害を与える。それであれば、結果として呂律が回らなくなろうが、それは執行の範囲内として国が免責するでしょう」
法律の網の目を潜り抜けるための、助言。
英里は震える手でペンを握り直し、職員に言われた通りの言葉を、呪いを込めるようにして用紙に深く刻み込んだ。
そうして、国家によって正式に認可された、川井基樹への本懐内容は――。
1、3日間の拷問
2、全身への危害
3、下半身不随
大崎や津山が「殺害」という中途半端な一瞬の死を求めて争っている裏で、赤沢英里は、本懐の認可証を手に入れた。
〜本懐法 第12条〜
本懐の期間
本懐の期間は、特別な事情がある場合を除き、設けない。
2 第5条の記載内容中に申請者自ら期間又は実行の時期を記載したときは、その記載のとおりとする。




