第6話 驚望
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
第6話 驚望
『対象者・川井基樹に対する本懐が完遂されました』
ビジネスホテルの硬いベッドの上で目覚め、スマートフォンの画面を開いた津山隆行の目に飛び込んできたのは、そんな信じがたい一文だった。
政府から届いた「本懐実行者専用アプリ」の通知。
そこに表示されたシステム上の情報は、あまりにも冷徹で、まるで他人事のように無機質だった。
「………なんで?」
部屋の静寂の中に、隆行の掠れた声が虚しく落ちる。
画面を見つめる老いた目元が、恐怖と混乱で激しく泳いだ。
意味が分からなかった。
頭の理解が追いつかない。
昨日、あのファミレスで、繰り広げられていたあのふざけた話し合いは、一体何だったのか。
お互いに「自分が人殺しになりたくない」と中途半端な覚悟で押し付け合い、それに辟易したからこそ、自分は誰にも言わずに一番乗りで裁判所へ走り、申請を済ませたはずだった。
「誰が……一体、誰がやったんだ?」
隆行はベッドの上に跳ね起きると、昨日のファミレスの顔ぶれを脳内で思い浮かべた。
大崎……あそこは夫婦で来ていた。
美和子が狂ったように早紀に掴みかかっていたが、あいつが動いたのか?
若槻は……昨日は嫁さんはいなかった。
須貝……須貝のところは、隅の方で小さく縮こまって夫婦で怯えて座っていた。
持田……持田のところは、父子家庭だったな。
あいつは、いつも周囲の様子を窺っているだけだ。
あとは……坂田か?
いや、あそこの子はただの骨折。
我が子が生きている人間が、その程度の被害で?
あと………戸田?
あそこは軽傷だ。
そもそも、話し合いにすら一度も顔を出していない。
今更しゃしゃり出てくるはずがない。
赤沢……?
あの女、そもそも、話し合いに一度でも来たことがあったか?
「誰だ……誰が、先に……!」
♫~~~ッ!!
突如として、けたたましい電子音が静まり返ったホテルの部屋に鳴り響いた。
手元のスマートフォンが、激しく振動している。
液晶画面に映し出されたのは、今まで一度も見たこともない番号からの着信だった。
「………はい」
隆行は生唾を飲み込み、恐る恐る通話ボタンを押して耳に当てた。
『あ、津山隆行様のお電話番号で間違いないでしょうか?』
電話から聞こえてきたのは、コールセンターのオペレーターのような、少し声の高い、若い女の声だった。
あまりにも緊張感のない、軽薄なトーン。
「はい。そうです。津山ですが……」
『あ、はい。えーっとですね、申請していただいております「本懐」についてのご連絡になります。本日、午前6時42分をもちまして、対象者・川井基樹への本懐は別の実行者により完遂されました。……つきましては、津山様の本懐の認定証は「失効」となり……』
(現実だろうか?)
隆行の頭が、真っ白にフリーズした。
(一体……なにが起きている?)
「#\(=#@!?℃℉&@\)=%」
女の丁寧な声が何かを喋り続けているが、もう言語として全く理解できない。
ただのノイズとなって脳髄をかき乱す。
失効。
失敗。
ペナルティ。
加害者と同じ刑事罰。
死刑――。
本懐法の血も涙もないルールが脳裏を駆け巡る。
(逃げなければ………!)
世界が反転するような凄まじい恐怖に突き動かされ、隆行はホテルの部屋のドアに向かって死に物狂いで駆け出した。
(誰だろうと関係ない!ここにいたら殺される、国に殺される!!)
鍵も、財布も、上着すら持たず、ただ狂ったように部屋を飛び出して廊下へ出た。
壁にあるエレベーターのボタンを、カチカチカチカチと何度も激しく連打する。
「早く、早く来い……!早く!早くしろ!」
ボタンを押す指が恐怖でガタガタと震え、爪が割れそうになるほどに力がこもる。
だが、無機質なエレベーターは上層階で止まったまま、一向に動く気配がない。
「クソッ!!」
隆行はエレベーターを諦め、すぐ横にある重い防音扉を押し開けて、非常階段の暗がりに飛び込んだ。
普段なら息が上がるだけの階段が、その時だけは恐怖に押されてどこまでも続くように感じた。
激しい足音が不気味に響く。
(誰だ?一体どこのどいつがやった!?大崎か?若槻か!?)
脳内に渦巻く答えの出ない問いを振り払うようにして、ただ、捕まってたまるかと階段を一段、また一段と猛スピードで下り、ついに一階のロビーへと繋がる非常口のドアを、勢い良く両手で開け放った。
ハァ、ハァ、と激しい息を吐きながらロビーに飛び出す。
だが、そこは逃げ場所などではなかった。
朝の静かなホテルのロビー、ソファーの前に立っていたのは、数人の青い制服を着た警察官と、黒いスーツに身を包んだ役人風の男たちだった。
冷徹な視線が一斉に、汗だくの隆行へと注がれる。
その中の一人、体格のいい男が歩み出て、警察手帳を突きつけながら抑揚のない声で言った。
「津山隆行さんですね。……本懐法第18条の規定に基づき、ご同行願います」
隆行の膝から、完全に崩れるようにして力が抜けた。
すべてが、最初から仕組まれていたかのようにスムーズに、国家のシステムによって処理されていく。
隆行の手首に、冷たい手錠が鈍い音を立てて嵌められた。
〜本懐法 第18条〜
本懐を遂げなかった者の処分
本懐実行者が、第13条の規定により本懐実行者の資格を失効した場合は、本懐実行者は、本懐対象者と同一の刑事罰に処する。
本懐実行者が、資格を失効する前に死亡したことにより第13条に掲げる事由に該当して資格を失効したときは、当該事件について再び本懐の申請をすることはできない。
又、これは本来その実行者の責任に帰すべきでない事由により失効した場合においても、同様に処罰される。




