第4話 落望
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「どうしたの?今日はあなたがついてくるなんて、珍しいじゃない」
「いや、昨日の話し合いで、お前が大崎さんに胸ぐら掴まれたんだろ?流石にそんな場所に、お前を一人で行かせるわけにはいかないからな」
普段は仕事人間でこうした集まりに顔を出さない夫の伸浩が、少し心配そうな顔で歩調を合わせる。
坂田夫婦は、風に吹かれながら、いつものファミリーレストランへと向かって歩いていた。
「しかし、どうなるだろうな。もう一ヶ月も揉めているんだ。このままいつまでも決まらないのか、それとも、誰かが折れて決まるのか……」
「さあねぇ、全然わからないよね」
今後の見通しは、あまり良くない。
遺族たちの感情は日を追うごとに鋭利になり、話し合いはただの罵り合いに変わっていた。
やがて目的のファミリーレストランに到着し、自動ドアをくぐったその瞬間、店内の奥の一角が異様な熱量で騒がしくなっていることに二人は気づいた。
一般の客たちが怯えたように遠巻きに見つめ、店内の空気は完全に凍りついている。
「また、あの人たちか……」
インカムをつけた若い店員が、奥のテーブルを忌々しそうに見つめて立ち尽くしていた。
警察を呼ぶべきか迷っているような、限界の表情。
「あの、すみません。私、あそこの席の人たちと待ち合わせなんです。今すぐあそこへ行って注意しておきますから」
千絵が慌てて店員に声をかけ、伸浩を促しながら、急ぎ足で問題のボックス席へと向かった。
近づくにつれて、女性の金切り声が鼓膜を突き刺すように響いてくる。
「どうしてくれんのよ!!!このクソババア!!!」
大崎美和子が、髪を振り乱して鬼のような形相になり、津山の妻である早紀の胸ぐらを両手で激しく掴みかかっていた。
テーブルの上のスプーンや伝票が床へ大きな音を立てて落ちる。
「ごめんなさい………っ」
掴まれたままの早紀は、抵抗する気力すら失ったように、ただ涙を流しながら弱々しく謝罪の言葉を繰り返していた。
「……な、何があったんですか!?どうしたんですか!?」
これまで何度も起きていた小競り合いとは、明らかに「一線を超えている」異様な様子に、千絵が震える声で尋ねた。
美和子を止めようともせず、ただ顔を青ざめさせて立ち尽くしている若槻歩が、乾いた唇を震わせて答えた。
「津山さんの旦那さん……昨日、あの話し合いのあと、一人で本懐の申請を出しちゃったらしいんだ」
「……え?」
「それだけじゃないんだ」
歩の喉がヒクリと動き、さらに絶望的な事実を続けた。
「大崎さんの旦那さんも、今日、午前中に裁判所へ申請に行ったらしい」
「………え?」
千絵は、一瞬何を言われたのか理解できず、その場に硬直した。
「……それって、通るの?だって、申請できるのは一人だけなんじゃ……」
千絵は震える声で疑問を口にした。
ひとつの事件につき、復讐を許されるのはたった一人の「実行者」のみ。
それがこの法律の大原則のはずだった。
「違う……」
歩は、諦めと恐怖が入り混じった顔で吐き捨てるように言った。
「申請できる人数は一つの家族から一人………」
視線が歩に集まる。
「でも……誰かが本懐を遂げると他の人は本懐の資格を失う」
ファミレスの陽気な音楽がただ響いている。
歩は一呼吸おいてからまくし立てた。
「俺たちはそれぞれ親族じゃない!別の家族が、別々に、同時に実行者として申請することは……法律上、できるんだよ!」
バンッ!!
歩は突如として大きな声を出し、激しくテーブルを叩いた。
あまりの音に、つかみ合っていた美和子と早紀の動きが止まる。
歩の肩は、激しい苛立ちで上下に揺れていた。
「うるさい!!今までずっと傍観者ヅラで、他人事みたいに眺めてたくせに!」
美和子が今度は歩に向けて、狂犬のようにくってかかった。
美和子の瞳からは、怒りとともに、堰を切ったように涙が溢れ出していた。
「お前も!お前も!お前も!全員今まで、自分の手を汚すのが怖くて見てるだけだったのに!……どうして、どうして……」
美和子は早紀の服から手を離すと、その場に崩れ落ちるようにして激しく泣き崩れた。
ファミリーレストランの冷たい床に両手を突き、声を震わせる。
「どうして……どうして、みんな今になって……!」
お互いに「自分が人殺しになりたくない」と中途半端な覚悟のまま、押し付け合っていた一ヶ月。
だが、何も決まらない焦燥感から、最悪のタイミングで二人が行動を起こしていた。
泣き叫ぶ美和子の姿を、坂田夫婦はただ言葉もなく見つめることしかできなかった。
同時に走り出してしまった二人の父親。
しかし、本懐法の冷徹な条文は、彼らに「どちらか一方は確実に破滅する」という現実を突きつけている。
〜本懐法 第13条〜
資格の失効
次に掲げる場合には、本懐実行者の資格は失効する。
本懐実行者の資格の失効は、当該事件について再び申請することができないものとする。
一 本懐申請書に申請者自ら記載した期間内に達成しなかったとき。
二 本懐申請書に故意に虚偽を記載をして資格を得たとき。
三 本懐実行者が申請した本懐の内容の変更又は撤回を申し出たとき。
四 本懐を達成する前に本懐対象者が死亡したとき。
五 本懐を達成する前に本懐実行者が死亡したとき。
六 その本懐の対象となる事件について、他の者が本懐を遂げたとき。




