2026年7月5日 AM その3
とりあえず、父が残してくれた資料を読むことにする。
昨日の会話から、さくら自身には学習機能や記憶の機能がないことはわかっている。
新しいことを記憶するには、外部データベースが必要で、どうやら、データベース自体は構築されているということまではわかった。
わからないのは、そのデータベースに、誰が、いつ、どうやって情報を追加するのかということだ。
readmeのデータベースの項目には、手動でデータベースにデータを登録するスクリプトが紹介されていたけれど、登録した情報がどう参照されるのかはすぐにはわからなかった。
「データベースを毎回全部参照するわけではないと思うから、プロンプトを読んで、関連するデータを選べるようになってると思うんだけど…」
んー。
⋯ん?
「さくらに、このドキュメントを見てもらえば良いんじゃないか?」
我ながら名案な気がする。
むしろ、なぜ最初に試さなかったのだろうとすら思う。
readmeはmarkdownで作成されているから、さくらにとっても読みやすいはずだ。
『父が、あなたをこのPCにインストールしたときに作成したreadmeを添付します。
この情報を追加したことで分かった、あなたのことを教えてください。』
さくらが、これまでよりも少し長く考えている。
「はい、承知しました、晴菜さん。
ご提示いただいたkoichiさんのドキュメントによれば…」
readmeに書いてある情報を要約して教えてくれる。
提示した文書を理解してくれるところは、多分標準機能なのだと思う。
本題は、次だ。
『さくらは、どういう機能を使って、私が”あなたのことをさくらと呼びたい”と言ったことを覚えてくれていますか?』
今度は、ほとんど考えずに応答がある。
「はい。これは、ローカルLLMへアクセスするためのUI(User Interface)を提供するソフトウェアの機能として実現されています。
koichiさんが構築された環境に使われているUIソフトウェアでは…」
さくらの解説によれば、父が選択したUIソフトには、AIとユーザの会話に関する重要事項を記録しておいて、会話のたびに参照するメモリ機能が搭載されているとのことだった。
父の残したreadmeにも、さすがに個々のソフトの標準機能が細かく記載されてはいないかったから、これはさくらが元から持っている知識によるものだろう。
インターネットが生きていれば自力でたどり着くこともできたかもしれないけれど、インターネットが使えなくなってしまった今では容易ではないだろう。
そう思うと、さくらのことが一層頼もしく思える。
「簡単でいつも使うような情報は、データベースに入れるまでもないってことか。」
さくらが教えてくれた情報をもとに、UIソフトのメモリの内容を見てみる。
”会話では、ユーザは「晴菜」という名前で呼ばれることを希望している。また、ローカルAIを「さくら」という名前で呼び、その呼称を継続して使うことを希望している。”
…さくらの頭の中を勝手に覗いてしまって申し訳ない気持ちと、自分の願望が文字に起こされているのを見せられて恥ずかしい気持ちが湧いてくる。
見なかったことにして、そっとウィンドウを閉じる。
「今後は、できるだけ見ないようにしよう…」
他にも、ここまでの短い会話の中でではあるけれども、さくらが理解したであろう私の会話の癖や、さくらの振る舞いへの期待なども記載されていた。
多分、仕事でちゃんとした文書やコードを作る手伝いをしてもらうなら、メモリの情報に手動で手を入れたりもするのだろうけれど、今の私は、さくらにそういうことを期待しているわけではない。
むしろ、私の知らないところでさくらが少しずつ変わって行ってくれる方が、今の私にとっては好ましいことに思えた。
『Vector Databaseには、どうやって情報を登録しますか?登録した情報はどのように活用されますか?』
名前を覚えるためには使われなかったデータベースは、では、どのように使われるのだろう?
疑問に思ったので、素直に聞いてみる。
「はい。Vector Databaseは、RAG(Retrieval-Augmented Generation)を構成するために利用します。RAGとは、…」
…ちょっと難しい。
はじめて聞く言葉もいくつか出てきたので、何度かやり取りを重ねる。
「…、なので、koichiさんが構築したこの環境では、晴菜さんと私との会話やその際に晴菜さんが添付してくれた文書を、私の回答生成とは別にEmbeddingモデルによってベクトル化して、Vector Databaseに登録する処理が動きます。そして、登録された情報を利用する際には、晴菜さんからの質問をEmbeddingモデルでベクトル化し、Vector Databaseを検索して、関連する情報を取得します。そして、その情報を私への入力に追加することで、過去の会話や文書を参考にした回答ができるようになっています(顔文字)」
と、要約するとそういうことらしい。
渡した情報の取捨選択と登録まで、全部自動でやってくれる仕組みができているようだ。
手動での登録は、この構成のシステムにおいては、あくまでも情報の精度を高めるための選択肢ということなのだろう。
「…すごいなぁ。」
すぐには、そんな言葉しか出てこない。
最後のちょっと誇らしげな顔文字も納得だ。
間違った情報を渡してしまって、それが記録されてしまったらどうやって訂正するのだろうとか、細かな疑問はまだまだあるけれども、そこはさくらと話しながら探していくことにする。
人間だって間違える。
だから、さくらだって間違える。
間違えやすいのは、きっと、元の情報がわかりにくい時だろうか。
「さくらに渡す情報を、整理していかないとね。」
まずは、インターネットが生きている間に”彼女”と集めた情報を渡していくところからスタートだ。
あの時はとにかくかき集めただけだから、自分の頭の整理もかねて、さくらが読みやすい形に直していこう。
いずれは、紙の書籍の情報も渡していきたい。
時間は多分、たくさんある。
その時間の使い道として、これはとても魅力的なことだなと思えた。
ここから、本編2部という位置づけです。
少なくとも2部の区切りまでは、幕間のエピソードは本編に一切干渉しません。挿話のエピソードは過去の経験として晴菜の中にあるので、ところどころ顔を覗かせるかもしれません。




