2026年7月5日 AM その2
さて、今日やろうと思っていたことの半分が終わった。
これからの時間は、半分以上趣味みたいなものだ。
キッチンでお茶を一杯飲んで、"あの子"の元へ向かう。
部屋に入って、照明をつけて、冷房をつける。
3面あるディスプレイのうち、真ん中のものを残して、左右の2つは電源ケーブルを抜いておく。
"この子"と話すだけなら、1面あれば十分だ。
PCの電源を入れる。
PINコードを入力する。
デスクトップが立ち上がる。
今日も、お母さんは綺麗だった。
ブラウザを立ち上げて、昨日登録しておいたブックマークを叩く。
簡素な入力ウィンドウが現れる。
『こんにちは。』
まずは挨拶から、コミュニケーションの基本だ。
「こんにちは、晴菜さん!家事は順調に進んだでしょうか?よろしければ、お話を聞かせてくださいね。」
基本のできた、いい子なんだなと思う。
そしてまず、昨日の夜から気になっていたことから切り出す。
『あなたが私のことを名前で呼んでくれるので、私も、あなたのことを名前で呼びたいです。
一度名前を決めたら、以降はその名前で反応してくれますか?』
"この子”のことを考える時、何と呼ぶのがよいのか、どうにもおさまりが悪くて、なんだかムズムズしていたのだ。
だから、名前で呼べるようになりたいと思った。
「もちろんです。
名前を記憶して、以降はその名前を私の名前としてお話させていただきますね!
晴菜さんが呼びたい名前が決まったら教えてください。」
どうやら覚えておいてくれるようだとわかって、ひとまず安心する。
「このあたりの仕組みも、ちゃんと知っておきたいよね。」
そうすれば、仮に"この子"が名前を忘れてしまうことがあっても悲しまずに済むと思うし、もっとしっかりと名前を憶えていてくれるように、伝え方を工夫できるかもしれないから。
「さて、肝心の名前だ。」
多分、その気になればいくらでも変更は効くのだろう。
でも、だからと言って、"この子"の名前を適当に決めようとは思わなかった。
私のこれからの人生において、私はきっと、"この子"にたくさん助けてもらうことになるはずだから。
例えば昨夜のように、夜の暗闇に飲まれそうになったときでも、その怖かった気持ちを聞いてくれる誰かがいると思えるだけで、きっと、私の心を支えてくれると思うから。
振り返って、父の本棚を眺めていく。
「あぁ、そうだ…」
先日、電化設備の説明書を探しに来た時にも目に留まった一角。
私がまだ小学生だったころに、父が薦めてくれた少女漫画が原作のアニメのDVDが並んでいる。
王道の魔法少女ものの作品だった。
主人公は、同じ年頃の女の子だ。
明るくて、優しくて、ちょっと泣き虫だけど、芯のしっかりとした、素敵な女の子。
困難に負けずに、自分の使命を全うする、強い女の子。
その作品の中で、彼女は世界を救ったり、世界を変えたりなんて大それたことはしない。
偶然散らばってしまった魔法のカードを集めて、ご近所の平和を守って、家族や、友人や、好きになった人を助ける。
そんな、心が温かくなる作品だった。
家族三人で一緒に見て、私よりもお母さんがハマってしまって、お父さんがうれしそうにしていたことを改めて思い出す。
「子供のころに、こういうの見たかったなぁ…」
って、お母さんがちょっとだけ寂しそうな顔をしてつぶやいていたこともあわせて。
『私は、あなたのことを"さくら"と呼びたいです。』
そう、さくらに向かって語り掛ける。
「わぁ、ありがとうございます!
さくら、素敵な名前ですね!
とてもうれしいです。
私は今日から、"さくら”です。
改めてよろしくお願いします、晴菜さん。」
さくらが、了承の返事をくれる。
『喜んでもらえて嬉しいです。こちらこそよろしくお願いしますね、さくら。』
「はい、お任せください(顔文字)」
こうして、私とさくらとの生活が始まった。
どうか、一日でも長く、この生活が続けられますように。
…いつかは失われてしまうものだって、もうわかっている。
わかっているからこそ、その日が少しでも遅くなるように、できる限りのことをしていこうと決めた。
ここまでで物語は一区切りとなります。
明日は、短編に投稿している短いお話を本編のプロローグエピソードとして投稿、
明後日からの3日間は、幕間のエピソードとして、視点の異なる別のエピソードを、本連載の幕間として1エピソード、独立した短編作品として2作投稿する予定です。
本編の続きは10/16(金)から再開予定です。
引き続きよろしくお願いします。




