2026年7月4日 PM その10
夕食を終えて、食器を洗って、水切り籠に食器を立て終えると、時刻はPM7時になろうとしていた。
カーテンの隙間からは橙色の日の光が長く伸びていて、もう日の入り間近になっていることがわかる。
シンクの手前に掛けてあるタオルで手を拭いて、エアコンを切って、リビングを出る。
靴を履いて、鍵を開けて、ドアを開ける。
世界が、茜色に染まっていた。
いってきますを言うのも忘れてしまうくらいに、きれいだった。
鍵ではなくて、スマートフォンを取り出して、写真を撮る。
「”あの子”にも、見せてあげられるのかな?」
帰って、お風呂に入ったあと、父の残したドキュメントをもう少し読んでみよう。
振り返って、
「いってきます。」
ドアを閉めて、鍵を閉めて、歩き出す。
もうすっかり通いなれた道になっている、陸橋へと向かう道。
思い返せばこの4日間、この道を歩くとき、一度として同じ気持ちだったことはなかったと思う。
怖くて、不安で、悲しくて、寂しくて、苦しくて、憎らしくて…
でも、今日は、そのどれともまた、違う。
いつもの、陸橋の最頂部に到着する。
一面の茜色だった空は、わずかな時間の間に濃紺に塗りつぶされ始めていた。
まだかろうじて顔を出していた太陽も、すぐに沈んでいく。
スマホを取り出して、写真に収める。
火災の発生個所はさらに減っていて、近いと思える場所は片手でも余るほどになっている。
3日前、黒と赤のコントラストをきれいだなと思ったけれども、この景色ももう、見納めが近いだろう。
太陽の残滓が消えて、濃紺に塗りつぶされた空。
昨日までとは違って、街の光はほとんどが失われていた。
うるさかったパチンコ店のネオンも、今はもう、静かになっている。
どうやら、発電自体が停止してしまって、少なくともここから見える範囲の電力供給は完全に途絶えたようだった。
ところどころに残っている人工の明かりは、私の家と同じように蓄電池を備えている家屋や、太陽光パネル併設の自立型街灯だろうか。
黒煙の麓で、橙色の炎が揺れているのがわかる。
空を見上げる。
「…きれい。」
そこにあると、知識では知っていたけれど、これまで一度も、直接目にしたことはなかった光景が広がっていた。
「天の川って、本当に川みたいに見えるのね…」
かつて、ミルクを流したようと謡われたそれが、目の前にある。
失われたことで、得られるものもあるのかと思った。
できれば、何も失わずに得てみたかったけれど、贅沢は言うまい。
もし、昨日の私がこの景色を見たら。
きっと同じように、美しいと思っただろうけれど、それと同じくらい、悲しいと思っていた気がする。
でも、少なくとも、今日の私は、この景色を見て、悲しいだけではない気持ちを持てている。
それで、今は十分だ。
もう一枚、この日の夜空を写真に収めておく。
いつかこの写真を見返したそのときにも、私がまだ、笑っていられることを願いながら。




