2026年7月1日 AM8:29
スマホと向き合っている間にも時間だけは進んでいた。
AM8:29。
待っていても、運転士のいない電車が動くことはない。
ここに居てもダメだ、一度家に戻ろう。
そう思って、とりあえず電車を降りた。
改札に向かって引き返す。
普段の通学経路とは違う、大通りの方へ迂回してみようと思った。
駅から大通りに向かう道、信号機のある交差点。
車が来る気配はまったくないけれど、習慣で待ってしまう赤信号。
大通りに出て、交差点をわたった先にコンビニがあるので立ち寄ってみる。
自動ドアが開いて、おなじみのメロディが流れる。
セルフレジも、冷蔵庫も、カウンターの奥のフライヤーも電源が入ったままだけれど、やはりここにも、人の気配はなかった。
冷蔵庫のコンプレッサーの音がいつもより大きく聞こえる気がする。
一度泣いたからだろうか?
少しだけ、この状況に慣れてきた自分がいる。
心がざわつかなくなっている。
とりあえず店内を歩いてみることにした。
飲料コーナーの前で喉がカラカラになっていることに気づいて、ペットボトルの水を手に取った。
そのまま店内をぐるりと回る。
コンビニの狭い外周は、2分とかからず一周できてしまう。
誰もいない店内で、セルフレジに向き合う。
「お支払い方法をタッチしてください。」
無機質な機械音声だけれど、ものすごく久しぶりに、”誰かの声"を聞いた気がした。
コンビニを出て、ペットボトルを開けて水を飲んだ。
冷たい水が喉を通って行く。
思考が少しだけクリアになる。
大通りの先に目を向けると、200mくらい先の、少しだけくの字になっている部分に数台の車がスタックしているのが見えた。
恐る恐る近づいてみると、どの車もエンジンはかかったままで、中には誰も乗っていないことがわかった。
正面からぶつかっているように見える車もあったのだが、不思議なことにどの車にも大きな損傷はなかった。
これはどういう状況だろう?
どの車も低速で衝突したということ?
どうしたらそんな状況になるのか?
わからないことが多すぎて発散していた頭に具体的な疑問が提示されたことで、急速に思考が深まっていく。
冷静に、論理的に、考える。
突然、何か固くて重いものを引きずるような不快な音がした。
驚いて、思考の海から引き戻される。
音源はスタックした車の塊だった。
スタックの最後尾に転倒したバイクを挟んで追突していたSUVが、バイクを押しながら微妙に動いているのが見えた。
引きずられるバイクから耳ざわりな音が続いている。
「動いてる!!」
無人でも、エンジンが掛かっていれば車は動くのか、ということに気づく。
SUVが、バイクを押しながらノロノロと動き出す。
よく見ると、SUVの後方の路面には、何かを引きずったような跡が伸びていた。
バイクのフレームと同じ色が見えるので、おそらくあのSUVは、転倒したバイクを押しながらここまで来たのだと思われた。
…まるで突然、人間だけが消えてしまったようだと思った。
運転手が消えて、アクセルとブレーキを踏む人がいなくなって、まっすぐな道をノロノロと走る車は、屈曲部で緩やかにガードレールに衝突する。
仮に正面からぶつかっても、大きくは壊れない。
あまりにも突飛で、にわかには信じがたいことで、どうすればそんなことができるのか皆目見当がつかないけれど。
よく見ると、SUVからの圧力がそれた結果か、他の車も微妙に動き始めていた。
そうだ、どの車もエンジンは掛かったままなのだ。
エンジンが掛かったままなので、力のバランスが崩れれば動くこともあるのかと、冷静に考えられたのはそこまでだった。
「つまり、まだどこかで事故に巻き込まれるかもしれないってことだ…」
これまで感じていたものとは違う、もっと現実的な恐怖を感じて思わず後ずさる。
視線を上げると、改めて青い空と黒い煙のコントラストが目に飛び込んでくる。
遠くに立ち上る火災の黒煙も、眼の前でスタックしている車たちも、すでに起こってしまったことで、自分はただの傍観者だと、今の今まで無意識に思いこんでいた。
でも、それが間違いだったことに気づいてしまった。
火災も事故も、まだ広がりうる余地があって、それらを止めてくれる人は見当たらない。
警察も、消防も、もはや電話をかけてみようとすら思えなかった。
未知の状況への不安だったものが、現実に迫っている脅威への不安に塗りかえられていく。
まずは自分の安全を確保しなければならない状況だということに、私はこのとき、ようやく気づいたのだった。
次回は8/2(日) 20:40に更新する予定です。




