2026年7月1日 AM8:03
どれくらいそうしていただろうか。
時間の感覚がわからなくなる。
心が落ち着いてきたのがわかる。
顔を上げる。
長く目を覆っていたから、日の光がまぶしい。
開けた視界の先は、先程までと変わらない。
人の気配だけがない、現実の世界が広がっている。
目尻を拭う。
急に初夏の暑さを不快に感じた。
ふらふらと電車の中に入って、手近なシートに座る。
汗で濡れた衣服に冷房の風があたって、急激に身体と頭が冷却されていくのがわかった。
あんなにうるさかった心臓も、乱れていた呼吸も、今は落ち着きを取り戻している。
スマホを取り出す。
時刻はAM8:03と表示されている。
どうやら30分近くもうずくまっていたようだった。
試しにブラウザを開いてみる。
ホームに設定されている、この国ではメジャーなニュースサイトが表示される。
でも、
「やっぱり…」
これだけの異常事態が起こっているのに、火災や電車の運休といったニュースの記事がまったくなかった。
投稿のタイムスタンプを確認すると、つい先程の、AM8:00に更新された記事もあったが、内容は猫の気持ちの読み方とかビジネスマナーの本の紹介とか、そんな記事ばかりなので、おそらく予約投稿されたものだろうと結論づける。
鉄道会社のwebページも開いてみたけれど、こちらもやはり、運休情報は出ていなかった。
"平常通り運行"の文字が目に入って、また少しめまいがする。
SNSも開いてみる。
グローバルの投稿はそれなりに更新されているようだったけれど、ここまで大規模な火災や列車遅延があって、その情報が全く見つからないのは普通ではないだろう。
botか予約投稿か、当たり障りのない投稿ばかりが"平常通り"に流れていることに気味の悪さを覚える。
世界から、拒絶されているような感覚。
スマホから目を離して、窓ガラスにもたれかかる。
窓の向こうには、夏の青空に似つかわしくない幾筋もの黒い雲が朦々と立ち上っているのが見えた。
おかしくなっているのは自分なのかもしれないと思う。
むしろ、おかしくなってしまったのが自分だけであれば良いと思った。
お父さんもお母さんも"平常通り"の日常を過ごしていて、私だけが"平常通り"でないなら良いなって。
夢なら、早く覚めてほしい。
けれど、こんなにも冷房が効いている車内なのに、もたれかかった窓ガラスから伝わってくる初夏の熱気がどうしようもなく現実で、私が夢を見ることは、赦されていないようだった。
次回は7/31(金)00:30に投稿する予定です。




