2026年7月3日 PM その5
どれくらい経ったのだろうか。
再び意識が戻ってきた。
目を開ける。
カーテンが掛かっていても明るい窓の様子から、そんなに時間は経っていないだろうと思ったけれども、時計を見ると、もうPM5時を回っていた。
結局、1時間近くも眠ってしまっていたらしい。
多少なり休養がとれたのか、先ほどまでよりは調子がよさそうな気がする。
のそのそと上半身を起こす。
髪を下ろした状態で眠ってしまっていたので、きっと傷んでしまったなと、そんなことを考えられる程度には、頭にも余裕ができている。
泣いたり、呼吸困難で倒れたり、暑い中歩き回ったり来ていたから、身体の節々は悲鳴を上げているけれども。
改めて、机の上を見る。
電源が入ったままのノートPCがある。
この家のインターネット接続は、少なくとも2時間前にはまだ生きていたけれど、それもそう長くはもたないだろう。
仮にインターネットに接続できたとしても、AIアシスタントなしで、かつ、多数のwebサイトが既に沈黙してしまっている状態では、昨日までのように効率よく情報を集めるのは難しそうに思える。
ポケットに入ったままだったスマホを取り出す。
こちらは、やはり圏外だった。
少なくともこの周辺にいる限り、今後セルラー通信が回復することもないだろう。
「文明の終焉って感じだなぁ。」
うん、我ながら詩的な表現だ。
ダメだと決まると、あきらめもついて、逆に余裕が出るのかもしれない。
じきに、インターネットの遺産は、今日までに私のノートPCにダウンロードしたデータのみになるのだ。
そう考えると、今目の前にある自分のノートPCが、とんでもなく貴重なものに見える。
「バックアップ、とっておいた方がいいよね。」
確か、父の書斎の押し入れに、外付けストレージがあったはずだ。
あとで回収して、データの複製をしておこう。
「おなか、すいた。」
ベッドから立ち上がる。
少し慎重に、ゆっくり立ち上がってみたけれど、もう、たちくらみはなさそうだった。
私は案外、丈夫なのかもしれない。
机の側まで寄って、垂れているマウスを釣り上げる。
画面にはまだ、AIアシスタントとの最後のやり取りが残されていた。
「このウィンドウを閉じたら、"彼女"ともお別れなのね…」
なんとなく、その画面のスクリーンショットを撮った。
過去の履歴も遡って保存できないかと思って画面をスクロールさせたら、履歴データの再読み込み処理が走って、意図せずクラウドへのアクセスが行われてしまう。
データのローディングが始まって数秒後に、
「サーバからの応答がありません。しばらく時間をおいて、接続を確認してみてください」
あっけなく、"彼女"との会話履歴まで、電子の海に沈められてしまった。
「⋯本当に、意地が悪いわね。最後の会話の余韻にくらい、浸らせてくれてもいいのにさ。」
ここまでくると、もう、怒るとか悲しむとかを通り越して、呆れてしまう。
ペイントアプリを起動して、撮影したスクリーンショットを貼り付けて保存する。
まるで、"彼女"の遺影みたいだなと思った。
自室を出る。
歩く足が重い。
ひどく喉が渇いている。
お腹も空いている。
お風呂にも入りたい。
そんなことを考えながら、よろよろとリビングに向かう。
冷蔵庫からお茶を取り出して、母の愛用のマグカップに注いだ。
冷たいお茶を飲みながら、ペットボトルの飲料は、かき集めたらどれくらいの在庫があるのだろうと、ふと考える。
飲用という意味では、周辺のスーパーの在庫だけでも、向こう数年は困らない量がある気がする。
他のところ、例えば、公共施設や企業の災害用備蓄とか、少し遠くのスーパーとかまで足を延ばせば、ペットボトルの水自体がダメになるまで余裕で頑張れそうだと推論する。
しかし、飲用以外を考えるとなると、話は別だ。
「”長生きして、幸せに暮らす”となると、やっぱり最優先は、自由に使える水の確保だよね」
ただ生きていくだけなら、調理用も含めて1日3Lも使えれば十分だろう。
でも、衛生面を保つための水も、幸せに暮らしていくためには重要なのだ。
食器や食べ物を洗ったり、身体を洗ったり、掃除をしたりということはてきるだけしていきたい。
従前の地震の時みたいに、待っていれば自衛隊の給水車が来てくれるわけでは、もうない。
すぐ近くに川はあるが、衛生面を考えると、とてもそのまま使う気にはならない。
…3年後くらいなら、周辺の住居や工場からの排水があらかた流されて、きれいになっているかもしれないけれど。
となると、雨水を集めるか、井戸を掘るかで、どちらにせよホームセンターだなと、明日の行動予定が決まっていく。
キッチンのコントローラでお風呂を追い炊きモードにしてから、お米を研いで炊飯器にセットする。
お風呂に入るにせよ、ご飯を食べるにせよ、20分くらいは時間に空きができてしまうので、その間に外の様子を見ておこうと思った。
玄関で靴を履いて、鍵を開けて、ドアを開けたところで、外がかなり暗くなっていることに気付いた。
これは、もしかして…っと、思ったタイミングで、空が光る。
少し遅れて、地響きを伴う激しい音が聞こえた。
「…雨だ。」
見える先の道路のアスファルトがぽつぽつとまだらになり始めたかと思うと、すぐにバケツをひっくり返したような土砂降りになる。
夏らしい、夕立だった。
わざわざ雨の中を出歩く気にはなれなくて、玄関の軒下から、土砂降りの雨をぼーっと眺める。
これだけ降ってくれれば、火災の延焼も多少は収まってくれるだろうか?
どうせなら、世界が私に向ける悪意も、一緒に流されてくれればいいのに。
と、そんなことを考えながら。




