2026年7月1日 PM11:12
目を開けて、席を立つ。
集中が解けると、静まり返った家の中の気配を感じる。
ドアを開ける。
廊下の照明がついたままだった。
階段を降りて、玄関に向かう。
「慌てすぎだよ、私。」
誰にともなくつぶやきながら、脱ぎ散らかしていた靴をそろえて、もう一度履く。
そのまま玄関を出て、鍵を締める。
外は明るかった。
街灯も、アパートの廊下の蛍光灯も、パチンコ店のうるさいネオンも、昨日までと変わらず点いたままだったから。
「もうすぐ、点かなくなってしまうのかな。」
また、誰にともなくつぶやく。
陸橋の坂を登る。
夜になって、立ち上る黒い煙は見えにくくなって、逆にその根本を照らすオレンジ色の光が目立つようになっている。
何かが小さく爆発しているのか、時折大きく明滅するのが見えて、生きているみたいだなと思った。
夕方に考えた通り、風は南から北へと変わっていた。
付近で新たに発火している地点もなさそうで、安心する。
少なくとも今夜は、寝てしまっても大丈夫だと自分に言い聞かせて、また坂を下る。
陸橋から降りると、他の建物の影に重なって、遠い火災現場の炎が見えなくなる。
よく見なければ、立ち上る煙も濃紺の夜空に溶け込んでしまってわからない。
ここだけを切り取れば、まだ昨日の夜と大差ない、いつもの道が続いていた。
少しだけ、遠回りをしてみようと思った。
いずれ見られなくなるだろう景色を眺めながら、いつもの道を歩く。
ところどころに、明かりがついたままの部屋がある。
線路沿いの道に出ると、遠くに駅の明かりも見える。
今朝から動いていないであろう、ホームに入線したままの電車が見える。
今朝はあんなにも不安で、あんなにも怖かったのに、今はそれほど、不安や恐怖は感じなかった。
代わりに、少しだけ、胸が苦しい。
「なんで、私だけなのかな…」
きっと、理由なんてない。
理由があったとしても、何も変わらない。
でも、いつもの道を歩きながら、いつもとは違っていく景色を見ながら、そんなことを、考えてしまった。
家に帰る。
ドアを閉めて、鍵を締めて、靴をそろえる。
リビングのドアを開けると、冷たい空気が漏れ出てきて、夕方からエアコンをつけたままだったことを思い出す。
目に入るリビングの時計は、PM11:12を指している。
ダイニングテーブルには、飲みかけのカップを置きっぱなしにしてしまっていた。
少しぬるくなってしまったお茶を飲み干したけれど、喉が潤った気がしなくて、結局冷蔵庫へ向かった。
もう一杯、冷たいお茶を飲む。
今夜はもう少し、頑張っておこうと思った。
やらずに後悔は、したくなかったから。




