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醒ヶ井興子は狂ってる  作者: 不連続がと


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12/13

宇宙機兵譚

 宇宙に、英雄がいた。




 名を、レオ・トゥーエル。




 パンゲア平和連邦軍、独立機動艦隊所属。


 階級は少佐。


 搭乗機は、深紅の高機動試作機 《ジークフリード》。




 その名を知らぬ兵士は、両軍を通じてほとんどいなかった。




 彼が戦場に現れれば、戦況は変わる。




 十倍の敵を相手にしても、彼は退かなかった。


 複雑に交差する艦砲射線の隙間を抜け、敵機の死角へ滑り込み、指揮官機を一撃で落とす。


 罠を見抜き、伏兵を察知し、味方の崩れかけた戦線を、たった一機で縫い合わせる。




 彼には、見えていると言われていた。




 まだ撃たれていない弾の軌道が。


 まだ下されていない命令の意図が。


 そして、まだ出会っていない敵の気配が。




「まただ」




 戦闘宙域から帰還したレオは、ヘルメットを脱ぎながら呟いた。




 旗艦 《ウェベ=ノルブ》の格納庫では、整備兵たちが彼の機体へ駆け寄っている。




 深紅の機体は、傷だらけだった。


 それでも、致命傷は一つもなかった。




 整備主任が苦笑する。




「少佐。また無茶をしましたね」




「無茶ではない。読めていた」




「読めていた、で機雷原を真正面から抜けるのは、普通は無茶って言うんです」




 レオは答えなかった。




 彼は、別のものを見ていた。




 戦場の奥。


 敵軍――ケイオス立憲皇国の陣形の、さらに奥。




 そこに、何かがいる。




 自分と同じように、戦場を上から見ている誰か。


 ただし、その誰かは、決して前へ出てこない。




「なぜ現れない」




 レオは、誰に言うともなく呟いた。




「君も、こちらを見ているはずだ」




 パンゲア平和連邦とケイオス立憲皇国の戦争は、すでに七年目に入っていた。




 もともとは、辺境宙域の資源採掘権を巡る小競り合いだった。


 だが、国威、同盟、報復、戦死者への弔い、戦費回収、世論。


 そうしたものが積み重なり、戦争は国家の中心へ食い込んでいった。




 連邦は自由と平和を掲げた。


 皇国は秩序と伝統を掲げた。




 どちらの標語も美しかった。




 そして、美しい標語の下で、兵士たちは死んだ。




 その中で、レオ・トゥーエルは英雄になった。




 彼が勝つたび、連邦市民は歓声を上げた。


 彼が帰還するたび、報道局は深紅の機体を映した。


 彼の戦果が増えるたび、軍上層部は言った。




 この戦争は、終わらせられる。


 我々には、ジークフリードがいる。




 レオ自身も、そう思っていた。




 自分が戦争を終わらせる。




 そのためには、敵側にいるはずの「あの者」と戦わなければならない。




 彼はずっと、その瞬間を待っていた。




 決戦は、雨の名を持つ宙域で始まった。




 レインベルト宙域。




 小惑星帯と氷塵の雲が入り混じる、通信も索敵も不安定な空間である。


 連邦軍は、この宙域を突破し、皇国の要衝《クラウディア要塞》へ迫ろうとしていた。




 作戦の成否は、戦争の帰趨を決めると言われていた。




 連邦軍の総戦力、戦艦四十二隻、巡洋艦百十隻、機動兵器部隊三千八百機。


 その中央に、レオの《ジークフリード》がいた。




 出撃直前、司令官は彼に言った。




「トゥーエル少佐。君が先陣を切れ。敵の切り札が現れるなら、おそらくここだ」




「わかっています」




 レオは静かに答えた。




「ようやく、会える」




 カタパルトが開く。




 深紅の機体が、宇宙へ射出された。




 その瞬間、レオは感じた。




 いる。




 これまでとは違う。


 遠くから眺める気配ではない。


 明確な意志が、戦場全体に広がっている。




 彼は口元を緩めた。




「来たか」




 連邦軍の前方に、皇国軍の艦隊が展開していた。




 だが、その布陣は奇妙だった。




 主力艦が前に出ていない。


 エース機らしき反応もない。


 派手な陽動も、挑発もない。




 あるのは、無数の小さな機影だった。




 それは最初、氷塵の乱反射に見えた。




 だが、数秒後、レオは理解した。




 機体だ。




 新型機。




 同一規格の機体が、視界いっぱいに広がっていた。




 雨粒のように、戦場を覆い尽くしていく。




 通信士の悲鳴に近い声が、連邦艦隊に走った。




『敵新型機、多数!』


『数が多すぎる!』


『識別不能、同型機が……無数に!』


『こちらの正面だけではありません! 側面、後方、補給線にも出ています!』




 レオは、通信回線を開いた。




「敵の指揮官へ告ぐ。私は平和連邦軍、レオ・トゥーエル少佐だ」




 返答は、すぐに来た。




 女の声だった。




 静かで、澄んでいて、妙に事務的だった。




『存じています』




 レオは笑った。




「ようやく話せたな。君が、皇国の超人か」




『その表現は、あまり好みませんが』




「名を聞こう」




『キョウコ・サメガイ。立憲皇国軍、戦術生産運用局所属です』




「戦術生産運用局?」




 レオは、わずかに眉をひそめた。




 前線部隊ではない。


 親衛隊でもない。


 特務機関でもない。




「君ほどの力がありながら、なぜ戦場に出てこなかった」




『出ています』




「君自身が、だ」




『私自身が撃ち合う必要はありません』




 レオの目が細くなる。




「俺と戦うつもりはないのか。雌雄を決しようとはしないのか」




『ありません。雌雄という言葉からいけば……私は女ではありますが』




「……。」




 その一言は、あまりに淡々としていた。




 レオは、胸の奥に奇妙な空白を感じた。




 七年間、彼はこの相手を待っていた。


 自分と同じものを見ている敵。


 戦場の果てで相まみえるべき宿命の相手。




 しかし、その相手は、彼と戦うつもりがないと言った。




「では、この数は何だ」




『圧倒的量産性、運用性を持たせた新型量産機 《レインドロップ》です』




 氷塵の中で、無数の機体が展開する。




 一機一機は、レオの《ジークフリード》ほど速くない。


 装甲も薄い。


 火力も凡庸。


 外見も、英雄の搭乗機と呼ぶにはあまりに簡素だった。




 だが、動きが揃っていた。




 十機単位で視界を潰し、百機単位で退路を塞ぎ、別働隊が補給艦へ向かい、さらに後方では通信中継機が網を張っている。




 撃てば、下がる。


 追えば、別の群れが入る。


 突破すれば、補給線が切られる。




 個々の強さではない。




 運用だった。




『あなたが一騎当千ならば』




 キョウコ・サメガイの声が、戦場に響いた。




『こちらは、千機当一です』




 レオの呼吸が止まった。




『そして、余力であなた以外の部分を抑えます。否、抑(・)え(・)ま(・)し(・)た(・)。』




 その瞬間、連邦艦隊の各所で警告音が鳴った。




『第三補給艦隊、敵機に包囲されました!』


『左翼部隊、前進不能!』


『後方通信、妨害を受けています!』


『医療艦への航路が塞がれています!』


『ジークフリード機の周辺だけ、敵が厚い!』




 レオは《ジークフリード》を加速させた。




 目の前の《レインドロップ》を一機、二機、三機と撃墜する。


 深紅の機体は、やはり圧倒的だった。




 彼の動きに、量産機はついてこられない。




 だが。




 四機目を落とした瞬間、別の十機が距離を取る。


 七機目を斬った時には、すでに後方の味方艦が包囲されている。


 十二機目を撃墜した時には、補給路が一本消えている。




 レオは強かった。




 間違いなく、戦場で最も強かった。




 しかし、戦場は彼一人でできていなかった。




「なぜだ」




 彼は叫んだ。




「なぜ君は出てこない!君なら、俺と戦えるはずだ!」




『戦えるかもしれませんね』




「ならば!」




『ですが、それで戦争は終わりますか』




 レオは言葉を失った。




『あなたと私が一騎打ちをして、どちらかが勝つ。それは美しい場面になるでしょう。報道局は喜び、歴史家も見出しを得ます』




 キョウコの声は、冷たくはなかった。




 むしろ、丁寧だった。




『ですが、その間にも、左右翼は撃ち合い、補給艦は燃え、脱出艇は回収されず、医療艦は航路を失います』




 レオは歯を食いしばった。




『私は、あなたという「点」を消すために来たのではありません』




「では、何のために」




『戦場を終わらせるために』




 レオの《ジークフリード》が、さらに加速する。




 彼は包囲を破った。




 破れる。




 彼なら、どんな包囲も破れる。




 だが、そのたびに別の場所が閉じていく。




 自分の周囲は開ける。


 味方の周囲は閉じる。




 彼が勝つほど、彼以外が動けなくなっていく。




 レオは初めて、自分の強さが孤立に変わる感覚を味わった。




『あなたは強い』




 キョウコは言った。




『ですから、あなたを倒す必要はありません』




「何?」




『あなた以外の戦場を終わらせれば、あなたは戦争を続けられません』




 連邦艦隊の旗艦から、撤退要請が入る。




 しかし、後退路はすでに抑えられていた。


 撃滅ではない。


 包囲。


 遮断。


 降伏勧告。




 皇国軍は、無駄な砲撃をしていなかった。




 撃てるのに撃たない艦があった。


 落とせるのに落とさない機体があった。


 医療艦への通路だけは、なぜか開けられていた。




 レオは気づいた。




 これは殲滅戦ではない。




 戦争を終わらせるための、拘束だった。




「君は……」




 レオは、震える声で言った。




「君ほどの力があって、なぜ英雄になろうとしない」




 通信の向こうで、少しだけ沈黙があった。




 それから、キョウコ・サメガイは答えた。




『後方支援により、勝機を手繰り寄せることを、あなたは英雄と呼びませんか』




 レオは何も言えなかった。




『もう一つ。あなたの包囲に充てた機体は、無人自律機です。犠牲を最小限に相手の英雄を無力化することを……私は……独りよがりかもしれませんが、英雄と呼ぶに疑いないかと、そう思います』




 深紅の機体の周囲に、《レインドロップ》が円を描く。




 撃てば破れる。


 逃げようと思えば逃げられる。




 だが、逃げた先に、彼の艦隊はない。




 彼が守るべき兵士たちは、すでに包囲されている。




『レオ・トゥーエル少佐』




 キョウコの声が、少しだけ柔らかくなった。




『あなたは投降してください』




「俺に、負けを認めろと」




『違います』




 彼女は即答した。




『あなたに、生きていただきます』




「生きて、どうしろと」




『停戦交渉の席に出てください』


 レオは息を呑んだ。




『あなたが戦おうとすれば、連邦は戦争継続に希望を見ます。ですが、あなたが……停戦を飲み込んだと見れば、連邦市民は耳を傾ける可能性があります』




「俺を、利用するのか」




『はい』




 あまりに正直な返答だった。




『英雄とは、非常に危険な資源です。戦場で燃やせば、多くの命を巻き込みます。ですが、適切に管理すれば、戦争終結のための説得材料になります』




「俺は、資源か」




『少なくとも、消耗品であってはなりません。超人とはいえ……人間ですから』




 レオは、笑った。


 怒りではなかった。


 呆れでもなかった。




 七年間、自分を宿命の相手として待たせ続けた存在は、最後まで決闘に応じなかった。


 自分を殺すことすら、選ばなかった。


 英雄の敗北すら、劇的にはしてくれなかった。




 ただ、生かして、使うと言った。




「君は、とんでもない女だな」




『たまに言われます』




「名は、キョウコ・サメガイと言ったな」




『はい』




「覚えておく」




『記録に残していただけるなら、正確な表記でお願いします。どうも、私の名前は記録から落ちやすいようですから。』




 その返答に、レオは思わず笑ってしまった。




 深紅の機体 《ジークフリード》は、武装を解除した。




 平和連邦軍の英雄、レオ・トゥーエル少佐は、その日も、撃墜されることはなかった。


 


 彼は、無敗の英雄のまま、戦争を終えた。




 そして、戦争を続ける理由を奪われた。




◇◇◇




 後に、レインベルト宙域の戦いは、戦史上きわめて奇妙な会戦として記録されることになる。




 撃墜数において、レオ・トゥーエルはなお圧倒的だった。


 単独戦闘能力において、彼を超える者はいなかった。




 だが、会戦は皇国側の勝利に終わった。




 理由は単純である。




 彼以外が、すべて抑えられたからだ。




 戦艦は沈められず、拘束された。


 兵士は殺されず、降伏させられた。


 医療艦は守られ、補給路は遮断された。


 そして、英雄は生かされた。




 停戦交渉は、その三週間後に始まった。




 連邦代表団の席には、レオ・トゥーエルの姿があった。




 皇国代表団の後方には、青い縁の眼鏡をかけた女性が控えていた。




 彼女の名は、キョウコ・サメガイ。




 戦場に出なかった超人。


 英雄にならなかった天才。


 そして、戦場に、英雄の伝説に水を差す、雨を降らせた者。




 交渉の休憩中、レオは彼女に歩み寄った。




「一つ聞きたい」




「どうぞ」




「君は、本当に俺と戦いたいと思わなかったのか」




 キョウコは少し考えた。




「多少は」




「なら、なぜ」




「私情を優先するには、戦場は高価すぎます」




 レオは黙った。




 その答えは、あまりにもつまらなかった。




 つまらなく、正しかった。




「君が敵でよかったのか、味方でなくてよかったのか、俺にはまだわからない」




「どちらでも構いません」




「構わない?」




「戦争が終わるのであれば」




 レオは、彼女を見た。




 そこに、宿命のライバルはいなかった。


 運命の相手もいなかった。


 戦場で魂をぶつけ合う超人もいなかった。




 ただ、戦争を終わらせるために、最も効率のいい場所へ才能を置いた女がいた。




「キョウコ・サメガイ」




「はい」




「君は、英雄譚を台無しにしたな」




 彼女は、眼鏡の位置を直した。




「光栄です」




 その後、レインベルト宙域には、無数の残骸が漂うことはなかった。




 代わりに、《レインドロップ》が、停戦監視機として配備された。




 雨は、宇宙の英雄譚に水を差し、湿らせて、なお、降り続けていた。

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