滋岡県のある場所の妙な家に住む「××× ××」について
以下に記す内容は、私が滋岡県内で採集した複数の証言、住宅地図、録音記録、ならびに現地取材の記録をもとに構成したものである。
ただし、対象者の氏名については伏せる。
理由は、単純だ。
書けないのである。
仮に便宜上、ここではその人物を「××× ××」と表記する。
「滋岡県のある場所に、妙な家がある。」
そう聞いたのは、今年の六月のことだった。
最初に連絡をくれたのは、大学時代の後輩である。彼は地方紙の整理部に勤めており、地域欄の小さな投書やお悔やみ欄、催し物情報などを扱っている。
その彼が、深夜に短いメッセージを送ってきた。
> 滋岡県の山寄りの町に、変な家があるそうです。
> 住んでいる人の名前が、どの資料でも伏せられているんです。
> ただ、地元ではその正体を知っている者もいる。
> 「××× ××」の家だ、と。
私は最初、よくある都市伝説だと思った。
地方。妙な家。伏せ字の住人。近所の噂。
あまりにも揃いすぎている。
怪談記事を書く人間としては、むしろ警戒すべき類型だった。出来過ぎている話には、たいてい後から作られた輪郭がある。
しかし、後輩は続けた。
> その家の間取りもおかしいそうなんです。
> それだけじゃない。
> その家に関わると、話の筋が変わるらしいんです。
ありがちな――作られた都市伝説や怪異の噂を少しずつ集めた、出来の悪いまがい物。そんな印象だった話のなかに、不思議な表現が混じっていた。
話の筋が変わる?
その表現が、妙に引っかかった。
私は後輩から、近辺の地図の画像を送ってもらった。
問題の家は、滋岡県草松市の外れにあった。
画像の家屋には、後輩が書き加えてくれたのだろう。手書きでこう記されていた。
> ××× ××邸
私は、滋岡県立図書館の郷土資料室に連絡し、同じ年代の住宅地図を確認してもらった。
返ってきた答えは、奇妙なものだった。
「該当する住所の記載はあります。ただし、所有者名は確認できません」
なぜ確認できないのかと尋ねると、司書は少し黙った後で、こう言った。
「その欄が、空白です」
空白。
黒塗りではなく、空白。
私はさらに古い地籍図を取り寄せた。
そこには、所有者名らしき文字があった。
しかし、コピーを取ると、その箇所だけが薄く潰れた。
スキャンしても同じだった。
スマートフォンで撮影しても、その名前だけピントが合わない。
私はその時点で、取材を決めた。
現地に入り、証言を集めようとした。
意外にも……市内では、その家の主と接触したことがあるという人物と、出会うことが出来た。
男性は、神宮寺と名乗った。医者をしているらしい。
> ああ……あの家の住人……見たことがありますよ
> きちんと話したのは、一度だけですがね
> それ以降も、たまに……見かけます
> え?なんでそれきり声を掛けないかって?
> ま、なんというか――
> 私の立場だったら、みんなそうするんじゃないですかね
誠実で真面目そうな人柄や外見と裏腹に、全く要領を得ない発言。
そして、怪異や恐怖について話しているとすると、その男の表情や語り口は、不自然なほど穏やかだった。
なにも、わからない。
私は、現地に向かった。
問題の家は、雑木林に半分隠れるように建っていた。
第一印象は、普通だった。
白い外壁。洋館風の、だが庶民にも十分手が届きそうな、一軒家。
青みがかった屋根。
小さな庭。
玄関脇には整えられた植栽があり、郵便受けも清潔に保たれている。
妙な家。
そう呼ぶには、あまりにも整っていた。
私は家の写真を撮った。
そして、満を持して、玄関の呼び鈴を押した。
中から、足音は聞こえなかった。
背後から声がした。
「取材の方ですか」
振り返ると、女性が立っていた。
青い縁の眼鏡。きっちりまとめた黒髪。青いスーツ。膝丈のタイトスカート。
どこか企業の秘書か、役所の担当者のような印象を受けた。
「私は――」
名乗ろうか、いやしかし……と逡巡した瞬間、彼女は先に言った。
「うふふ、怪談記事を書かれているのに、怪異相手に名乗りたくはないのでは?」
「どうして、それを」
「ほら、そこ」
彼女は、私の足元を指差した。
私は……鞄から、書類を落としてしまっていたらしい。
"滋岡県のある場所の妙な家に住む「××× ××」について"とはっきり書かれた書類が、地面の上に広がっていた。
そのとき、玄関の内側から、銀髪の青年が顔を出した。
黒いパーカー。左目の下のほくろ。手には、古びた黒い箱。
「おキョウさん、その人、すごく怖がってるよ」
女性は青年を見た。
「パンドラ。これも……あなたの仕業では?」
「あはは。どうかなー。」
パンドラ、と呼ばれた青年は、笑いながら箱を背中に隠した。
私は、取材の趣旨を説明した。
滋岡県のある場所の妙な家に住む「××× ××」について調べていること。
住人の名前が記録できないこと。
家にまつわる噂が複数あること。
女性は最後まで黙って聞いていた。
そして、静かに、笑いながら言った。
「まず⋯⋯、滋岡県のある場所、ですか。」
「え?」
「舐められてますね。滋岡県。」
「はぁ。」
「『都会と違って滋岡県なら、なんか、そーいう意味わかんない場所とか、呪いとか。ありそーじゃーん。題材にしちゃれ』みたいな。驕りを感じます。」
私は返答に詰まった。
彼女は続けた。
「次に、妙な家、という表現についてですが」
「はい」
「現在は、私がこうして住んでいます……。それに、この家を建てるためには、きっと、図面を書いたり、材料を調達したり、建設作業に勤しんでくださったりと、関係した多くの方々がいる。そんな、様々な美しい仕事の結晶なのに、『妙な家』だなんて。」
私は、なぜか謝りそうになった。
「それから」
彼女は、私のメモ帳を指差した。
そこには、例の伏せ字が書かれていた。
> ××× ××
「なぜ、私の名前が禁則事項のように扱われているのでしょうか」
「それは、書けないからで……」
「漢字が難しいんですかね」
「いえ、たぶんそういうことでは」
「では、まず確認してください」
「お名前を、伺っても?」
女性は、まっすぐ私を見た。
「××× ××です」
私はメモ帳に書いた。
書けた。
否、そのときは確かに《《書けたと認識していた》》。
何の異常もなかった。
と、思ってしまった。
私は、……書けたと思ったから、その字を見て、しばらく固まっていた。
彼女は少し首を傾げた。
「書けますね」
「……書けます」
「では、伏せ字にする必要はありません」
「ですが、これまでの資料では」
「個人情報保護、あるいは資料の劣化、あるいは管理上の都合ではないでしょうか。あるいは個人のいたずらかも」
「そんなことで」
「ねぇ、そんなことで私自身を怪異にされてしまったらね、たまらないですよね。うふふ。」
言っていることは、正しい。
そして、極めて平凡、当たり前のことでもある。
正しいのだが……妙な気分になった。
「話の筋が変わる」とは、まさにこのことではないのか?
インチキに踊らされるにせよ、煮え切らずに終わるにせよ、恐怖の渦に叩き込まれるにせよ。私が事前にイメージしていた怪異とは、こういうものでは無かったはずだ。
パンドラが横でくすくす笑っていた。
「おキョウさん、今度は怪談を壊してる」
「世間話をしているんです」
「ほら~。それを怪談界隈では、壊してるって言うんだよ」
「ホラー?パンドラ、なかなか気の利いたダジャレを言えますね。座布団一枚。」
「勝手に人を滑らせないでくれる?」
軽口を叩く二人に丁重に挨拶をし、私はその場を去った。
◇◇◇
……話がこれだけなら、私はわざわざこの件を文書に起こすこともなかったのだが。
帰ってから、荷物を整理していて、気付いたことがあった。
医者の神宮寺は、後に役に立つかもと、持っていたメモ用紙に連絡先を書いて私に渡してくれていた。改めて良く見ると、そこにはこんなことが書かれていた。
『貴方が探している"それ"は、おそらく"本物"だ。だが、私が保証する。それは悪いものではない。貴方の気が済んだなら、あとは放っておくといい。』
あぁ、私の気は済んだ。
――妙な怪異もあるものだ。




