↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/10

第9話 最終ラウンド【渾身のアッパーカット】

ゴングが鳴ると、体育館の空気は一変した。


猛田の息はすでに限界に近く、額から汗が滝のように流れ落ち、黒いグローブをはめた両拳は疲労でわずかに震えていた。


対する私は、全身が悲鳴を上げるほど痛んでいた。それでも足はまだ動く。


胸の奥では、この二ヶ月間積み重ねてきた努力と、絶対に負けられないという想いが、炎のように燃え続けていた。


猛田が歯を食いしばり、低く唸る。


「はあっ……はあっ……てめえ……ここまでするか……! 女子の分際で、俺をここまで追い詰めやがって……!」


照明を受けた黒いグローブが鈍く光る。


その黒は、暴力と傲慢さ、そして猛田自身のプライドの象徴のようだった。


私は真っ赤なグローブを静かに握り締める。


鮮やかな赤は、リングのライトを浴びて力強く輝いていた。


この拳には、怒りだけではない。


桃子を守りたいという願い。


佐藤先生との特訓。


何度倒れても立ち上がってきた二ヶ月間。


そのすべてが、この赤い拳に宿っている。


赤と黒。


正反対の色が、リングの中央で最後の決着を迎えようとしていた。


「終わりだぁっ!!」


猛田が雄叫びを上げ、最後の力を振り絞って突進してくる。


豪快な右フックが私の頭を狙って唸りを上げた。


重い一撃。


だが疲労のせいで軌道は大きい。


私は腰を深く落とし、紙一重でかわした。


「逃げるなぁっ!!」


続けざまに左フック。


その拳が空を切る瞬間、私は一気に懐へ踏み込む。


「私は……ただ、桃子を守りたかっただけ!」


左ストレートが一直線に走った。


ガンッ!!


拳が猛田の顔面を正確に捉える。


「ぐぉぉぉぉ、、」


頭が大きくのけぞり、鼻から鮮血が飛び散った。


観客席から高い声の歓声が響く。


「茜ちゃん、いける!」


「やっつけて!!」


しかし猛田は倒れない。


血走った目で私を睨みつけ、荒い呼吸のまま叫んだ。


「男が……女に負けるなんて……絶対認めねえ……! 俺はボクシング部の部長なんだ……! 女に……負けるはずがない……!」


その言葉を聞いた瞬間だった。


胸の奥で何かが弾けた。


桃子の涙。


佐藤先生の厳しい指導。


流した汗。


流した涙。


そして、女を見下す男。


二ヶ月間のすべてが、一つの拳へと集まっていく。


私は静かに踏み込んだ。


腰を深く沈める。


地面を力強く蹴る。


脚の力が腰へ、腰から背中へ、そして肩を伝い、真っ赤な拳へと一直線に流れ込んでいく。


赤いグローブが、眩しいほど鮮烈に輝いた。


「てぇぇぇぇえええいっ!!」


魂を震わせる高い叫びとともに、渾身のアッパーカットが放たれる。


真っ赤な拳は黒いグローブの隙間を突き抜けるように、猛田の顎を完璧に捉えた。


ゴォォォォォンッ!!


凄まじい衝撃がリングを震わせる。


猛田の巨体が大きく反り返り、一瞬、宙に浮いた。


「ひぎゃぁぁぁぁぁ、、、」


「女に負けるなんてぇぇぇ、、」


そのまま身体は後方へ吹き飛び、激しい音を立ててキャンバスへ叩きつけられる。


リングが揺れた。


猛田は動かない。


レフェリーが駆け寄り、カウントを始める。


「……七!」

観客席は息を呑む。


「……八!」

猛田の身体がわずかに震える。


「……九!」

立ち上がれない。


「……テン!」

リングに高らかな声が響く。


「ノックアウト! 勝者、茜!!」


一瞬の静寂。


そして次の瞬間。


体育館中が歓声に包まれた。


「やったぁぁぁ!!」


「茜ちゃん、おめでとう!」


「すごい!」


拍手と歓声が鳴り止まない。


私は荒い息を整えながら、真っ赤なグローブを天高く掲げた。


汗も涙も、この勝利のために流してきた。


その赤は、決して怒りの色ではない。


大切な人を守り抜いた証の色だった。


桃子がリングへ駆け上がり、涙を流しながら私に抱きつく。


「茜……! 本当に勝ったんだね……!」


私は優しく抱き返し、小さく頷いた。


そして倒れた猛田へ静かに視線を向ける。


「これが女の本気よ!」


「もう二度と桃子に近づくなよ!」


「ぅぅぅ、、」


猛田は低い声でただ頷くだけだった。


体育館は再び大きな拍手に包まれた。


リングの中央で掲げられた真っ赤なグローブは、暴力と傲慢さを象徴する黒を打ち破り、最後まで守るべきものを守り抜いた証として、ひときわ鮮やかに輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。