第2話 真っ赤な決意
カフェの窓を激しい雨が容赦なく叩いていた。
外の景色が歪んで見える中、桃子はテーブルに突っ伏すように泣いていた。
その涙が止まらないのを見て、茜の胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
これまでずっと我慢してきたものが、一気に溢れ出した。
「私、強くなるよ。猛田をやっつける!」
茜の声は静かだったが、はっきりしていた。迷いも、迷いもなかった。
桃子が驚いた顔でゆっくり顔を上げた。
目が腫れ、頰が濡れている。
「茜……? どうやって……? そんな……」
「ボクシングを始めるよ。
鍛えて、あいつをノックアウトする」
桃子は目を丸くして、信じられないという表情を浮かべた。
「えっ……ボクシング? でも、茜って今までスポーツなんてほとんどやってこなかったよね……?」
「分かってる。すごく厳しいのも、きっと痛いのも、全部分かってる。
でも、あいつをやっつけるには、それしかないんだ」
茜は桃子の冷えた手を強く握った。
自分の手の温もりを、できるだけ伝えるように。
「だから、一緒に頑張ろう。桃子もサポートして。私一人じゃ絶対に無理だよ」
桃子は涙を拭いながら、震える声でゆっくり頷いた。
「……うん。私も、茜を全力で支えるよ。一緒に……頑張ろう」
その言葉を聞いた瞬間、茜の胸に熱いものが込み上げた。
二人はカフェのテーブルで、雨音を聞きながら固く手を握り合った。
まだ小さな決意だったが、それは確かに炎の種だった。
その夜、二人は近所のレンタルショップまで走っていった。
雨はまだ降り続いていたが、そんなことは気にならなかった。
ボクシングのDVDを10本近く借りて、茜の部屋に持ち帰った。
カーテンをしっかり閉め、電気を少し落として、二人はベッドに並んで座った。
画面に映るプロの試合は凄まじかった。
汗が飛び、激しいパンチの応酬、観客の歓声、倒れる選手……。
特に印象的だったのは、アッパーカットが決まる瞬間だった。
「アッパーカッコいいね……!」
桃子が目を輝かせて言った。
「いつか猛田の顔に、これをぶつけたい……」
茜は拳を強く握りしめ、静かに呟いた。
「絶対に決めてやる。あいつの顎に……」
二人はその夜遅くまでDVDを観続け、メモを取ったり、部屋の中で真似してシャドーボクシングをしたりした。
フォームはまだガタガタで、動きもぎこちなかったが、二人の目にはすでに熱い炎が灯っていた。
疲れ果てて床に倒れ込む頃には、窓の外の雨も少し弱くなっていた。
翌日、二人は行動を起こした。
新しく赴任してきたばかりの女性教師・佐藤先生のところへ、放課後に相談に行った。
他の先生には「危ない」「女子にボクシングは……」「部活として認められない」と次々に断られ続けた。
それでも佐藤先生だけは、静かに最後まで話を聞いてくれた。
「わかりました。女子ボクシング部を立ち上げましょう。私が顧問になります」
こうして、部員たった二人の女子ボクシング部が誕生した。
部室はなく、練習場所は校舎の屋上だけ。
それでも二人は嬉しかった。
放課後になると、二人はすぐに制服からジャージに着替え、屋上へ向かった。
最初は本当に何もできなかった。
「えいっ!」
茜がパンチを繰り出すが、フォームはガタガタで力も入っていない。
桃子も一緒にシャドーボクシングをしてみるが、すぐに息が上がって膝に手をついた。
「全然ダメだ……これで本当に猛田に勝てるの……?」
桃子が不安そうに呟いた。
茜も汗を拭きながら、歯を食いしばった。
「まだ始まったばかりだよ。諦めない。私たちは絶対に強くなる」
そんなある日の夕方。
遠くから二人の練習を見ていた佐藤先生が、静かに近づいてきた。
「猛田に勝ちたいんでしょ?」
二人がびっくりして振り向くと、佐藤先生は優しい笑顔で立っていた。
「先生……ボクシング、分かるんですか?」
「ちょっとだけね。先生、応援するよ」
それから本格的な指導が始まった。
「まずはシャドーボクシングから。基本がすべてよ」
先生の声は穏やかだったが、目は真剣そのものだった。
しかし数分後、先生はすぐに首を振った。
「これだと全然勝てないよ!」
「もっと腕を大きく伸ばして! 重心を意識して、後ろに残さない!」
佐藤先生の指導は驚くほど的確で、しかも厳しかった。
言われるままに動きを変えてみると、確かにパンチのキレが変わった。
フォームが整うと、打つたびに空気が裂けるような音がした。
「いいじゃん!」
茜が息を切らして褒められ、嬉しそうに笑うと、佐藤先生は少し照れくさそうに微笑んだ。
「あっ、私言い忘れたけど……実はわたし、全国大会3位なんだよね」
「えっ!? そんなにすごいんですか!?」
桃子が目を丸くした。
「そうだよ。皆には広めてないけどね。猛田をやっつけたいんでしょ? 先生、全力で応援するから」
その言葉が、二人の背中を強く押した。
屋上に吹く風が、その日だけ少し温かく感じられた。




