第10話 消えた加護
勇者視点です
こういちがいなくなって、二年が経った。
最初の数か月、何も変わらなかった。
それが、いちばん残酷だった。
勇者パーティーは変わらず勝った。
魔物を倒し、街を救い、王都に戻れば歓声を浴びた。
カイルは誇らしげに笑っていた。
「見ろよ。結局、あいつがいなくても何も困らなかっただろ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
セリアは黙って剣を拭いていた。
ロイドは報告書に目を落としたままだった。
そして私は、唇を結ぶことしかできなかった。
何も変わらないはずがないと、本当は思っていた。
あの日、私はこういちを庇わなかった。
裁きの場でも、目を逸らした。
最後まで、何も言えなかった。
それなのに、パーティーは以前と変わらない強さを保ち続けた。
だからこそ、私は自分の中の違和感を見ないふりをした。
こういちがいなくても勝ててしまうなら。
私があの日、黙ったことも。
私たちがやったことも。
全部、なかったことにできてしまいそうだったから。
それでも、小さな違和感は少しずつ増えていった。
最初に気づいたのは、本当に些細なことだった。
長距離射撃のあと、指先にわずかに痺れが残る。
夜の見張り明けに、集中が朝まで持たない。
浅い切り傷の治りが、前より少し遅い。
ほんの少しだ。
言葉にすれば笑われるくらいの変化だった。
カイルは「疲れてるだけだ」と言った。
ロイドは「気のせいだろう」と切り捨てた。
セリアも「年中遠征してれば、そういう日もある」と肩をすくめた。
私も、そう思うことにした。でも、本当は違った。
こういちがいた頃、私は毎朝、起きた時にはもう呼吸が整っていた。
弓を引く指は軽く、視界は澄んで、どんな遠距離でも狙える気がした。
戦いのあともそうだった。
肩が張っていても、少し休めば動けた。
毒のある魔物を相手にしても、ひどく体調を崩したことはなかった。
当たり前だと思っていた。
あまりにも自然で、そこに誰かの手があるなんて、考えもしなかった。
いや。。
考えないようにしていたのかもしれない。
朝、まだ薄暗いうちに起きて。
誰よりも早く祈っていた、小さな背中のことを。
カイルはこの二年で、ますます傲慢になった。
王都では英雄扱い。
貴族は媚び、役人は頭を下げる。
少し前まで隠していた醜さを、今は半分も隠そうとしない。
セリアが誰かと長く話していれば不機嫌になる。
私が単独行動を取ろうとすれば、「勝手なことをするな」と釘を刺す。
ロイドはそんなことに関心がないふりをしていた。
でも、本当に興味がないだけだ。
自分に火の粉が飛ばなければ、誰がどう扱われようと気にしない。
私たちは強かった。
だから、全部が許されていた。あの日こういちを切り捨てたことも。
その後に何が起きたのか、深く知ろうとしなかったことも。
そして今日もまた、私たちは討伐依頼の最中だった。
西方の断崖地帯に現れた、黒甲のキマイラ。
獅子の胴に、山羊の角、蛇の尾を持つ災禍級の魔獣。
普通の冒険者パーティーなら、見た瞬間に撤退を選ぶ相手だ。
でも、私たちは勇者パーティーだった。
王国最強と呼ばれている。
こんな相手、今までなら問題にもならなかった。
断崖の岩肌は黒く、乾いた風が吹きつけていた。
砂混じりの空気が頬に当たるたび、少しだけ喉がざらつく。
キマイラは崖の中腹にある巣を背にして、低く唸っていた。
金色の瞳が、こちらを順番になめる。
爪が岩をひっかくたび、耳障りな音が響いた。
「いつも通りだ」
カイルが聖剣を抜く。陽を受けた刃が白く光った。
「俺が正面を引く。セリアは右脚を削れ。ロイド、山羊頭が息を吐く前に口を潰せ。ミーナは蛇尾と目だ」
「了解」
声は出た。
でも、胸の奥が少しだけ重い。
嫌な感じがした。
理由はわからない。
ただ、今日は妙に指先が冷たかった。
「行くぞ!」
カイルが踏み込む。
セリアが風みたいに走る。
私は高台へ跳び、弓を引いた。
呼吸を落とす。
狙うのは蛇尾の付け根。
そこを止めれば、毒の連撃を防げる。
この距離なら外さない。
今までだって、外したことはない。
そう思って、弦を離しかけた、その時だった。
ぷつり、と。
何かが切れた。
音がしたわけじゃない。でも、たしかにそう感じた。
胸の奥に、ずっと薄く残っていた温もりみたいなものが、一瞬で消えた。
冷たい風が、いきなり身体の内側まで吹き抜けたみたいだった。
「……え」
息がぶれる。
指先の感覚が、ほんの一瞬だけわからなくなる。
視界の輪郭が揺れる。
矢は放たれた。
けれど、それは蛇尾の付け根ではなく、少し外れた鱗に弾かれた。
甲高い音が響く。
嘘。
今のを、外した?
キマイラの尾がうねる。
いつもなら、その一拍前に次の動きが読めた。
なのに今日は、読み切れない。
「ミーナ!」
セリアの鋭い声が飛ぶ。
はっとした時には、蛇尾がもうこちらへ迫っていた。
慌てて身を捻る。
かろうじて直撃は避けた。
でも、尾の先が左腕を掠める。
焼けるような痛みが走った。
「っ……!」
ただ擦っただけのはずなのに、傷口がじわりと熱を持つ。
嫌な熱だ。
毒だと、すぐにわかった。
こんなに早く回るなんて、おかしい。
今までなら、これくらいの毒で指先が痺れることなんてなかった。
下で、カイルが吠える。
「何をしてる、ミーナ!」
その声に答える前に、今度は正面で鈍い衝突音が響いた。
カイルの剣が、キマイラの前脚に弾かれていた。
見慣れた光景じゃない。
今までなら、あの一撃で外殻ごと抉れていた。
カイル自身も驚いた顔をしていた。
「は……?」
次の瞬間、キマイラが前脚を振り抜く。
カイルは受けた。
でも、受けきれずに大きく押し込まれた。
足元の岩が砕け、彼の身体が半歩、いや一歩、後ろへずる。
「くそっ……!」
カイルの右腕が震えていた。
聖剣を握る手首が、信じられないものを見るみたいにぶれている。
「重い……?」
本人が、ありえないという顔で呟いた。
その隙を突いて、セリアが右から斬り込む。
本来なら、ここでキマイラの脚を切り裂き、カイルが首を取る。
何十回も繰り返した、私たちの勝ち筋だった。
でも、セリアの踏み込みがわずかに遅れた。
ほんの少しだ。
ほんの少しなのに、致命的だった。
キマイラの獅子頭が振り向く。牙が閃く。
「っ……!」
セリアは剣で受けた。
けれど勢いを殺しきれず、肩口を浅く裂かれた。
赤い血が飛ぶ。
セリアが顔を歪めた。
「うそ……でしょ」
あのセリアが。
雑魚でもない相手とはいえ、この程度の噛みつきで姿勢を崩すなんて。
その一瞬の乱れを埋めるために、ロイドが詠唱を引き上げる。
「第四階位拡張、雷槍展開――」
空気が震えた。
青白い雷光が集まる。
今までなら、ここでロイドの魔法が山羊頭を吹き飛ばしていた。
けれど、集まった雷が途中でぶれた。
光の束が、ぐにゃりと歪む。
ロイドの顔色が変わった。
「まず――」
言い終わる前に、雷槍が暴発した。
轟音。
白い閃光。
熱風が断崖を叩く。
魔法はキマイラではなく、手前の岩場を抉った。
砕けた石が雨みたいに降り注ぐ。
ロイドが膝をつく。
口元から血が垂れた。
「魔力制御が……」
苦しげな声が、風に千切れる。
全員が、おかしかった。
私だけじゃない。
カイルも。
セリアも。
ロイドも。
まるで、身体のどこかにあった見えない土台を、まとめて抜かれたみたいに。
「立て直せ!」
カイルが叫ぶ。
その声には、初めてはっきりした焦りが混じっていた。
「こんなの、ただの調子の問題だ!」
本気でそう思っているのか。
それとも、自分に言い聞かせているのか。
たぶん、どっちもだ。
でも、現実は容赦なく目の前にあった。
キマイラは私たちの乱れを見逃さない。
山羊頭が膨らむ。
黒い瘴気混じりの息が、唸りを上げて吐き出された。
ロイドが咄嗟に障壁を張る。
でも、展開が遅い。
半透明の壁が完成する前に、瘴気がぶつかった。
ばきん、とひび割れる音。障壁が砕ける。
瘴気が私たちを飲み込んだ。
息が詰まる。
肺の中に冷たい泥を流し込まれたみたいだった。
目が痛い。
喉が焼ける。
腕の傷から入った毒が、一気に深く回る。
「げほっ……!」
膝が揺れた。
弓を握る手に力が入らない。
下を見ると、セリアも片膝をついていた。
肩の傷はもう血だけじゃなく、黒ずんだものが滲んでいる。
「なんで……こんな毒……」
声が掠れていた。
カイルも無事じゃない。
正面で剣を支えながら、明らかに呼吸が荒い。
前脚を受けた右腕が、まだ震えている。
ロイドに至っては、魔力の逆流で指先まで痙攣していた。
ありえない。
今までの私たちなら。
この程度で、こんなふうにはならなかった。
もっと動けた。
もっと耐えられた。
もっと正確だった。
その時、不意に思い出した。
まだ夜の残る明け方。
宿の廊下に漏れる、小さな祈りの声。
戦いのあと、何も言わずに包帯を巻いてくれた手。
眠る前に、気づかれないようそっと額へ触れていた指先。
少しでも疲れが残らないように。
怪我が悪化しないように。
毒に負けないように。
明日も動けるように。
そうやって、毎日。
毎日、あの人は祈っていた。
胸の奥が、ひどく冷えた。
二年間、変わらなかったんじゃない。
変わらないようにされていたんだ。
ずっと。
あの日、切り捨てたあとも。
私たちがこうして勝ち続けていた間も。
こういちが、見えないどこかで、まだ私たちを守っていた。
そして、たった今。
それが消えた。
「……こういち」
自分でも気づかないうちに、その名前が唇からこぼれていた。
キマイラが、再び地を蹴る。
もう、完璧な連携は戻らない。
カイルの一歩は鈍い。
セリアの剣は重い。
ロイドの魔法は乱れる。
私の矢は、もう前みたいには飛ばない。
王国最強の勇者パーティーは、その日、完全に瓦解した
三日後。
大魔導士ロイドは、王都の治療院で脱退を告げた。
王立魔術院を首席で卒業した魔法の怪物。
誰もがそう呼んでいた男は、包帯の巻かれた指先で眼鏡の位置を直しながら、ひどく冷静な声で言った。
「この状態で前線に立ち続ける合理性はない。俺は勇者パーティーを抜ける」
カイルは怒鳴った。
裏切るのか、責任を放り出すのか、お前まで逃げるのかと。
でもロイドは、最後まで表情を変えなかった。
「逃げる?」
ただ一度だけ、冷えた目で言い返す。
「違う。沈む船から先に降りるだけだ」
そのまま踵を返し、振り返りもしなかった。
私は何も言えなかった。
止める言葉も、責める言葉も、ひとつも浮かばなかった。
加護が消えた日。
あの日、本当に壊れたのは戦い方だけじゃなかった。
勇者パーティーそのものが、そこで終わり始めていたのだ。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
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