契約
「とはいえ、私達の事を知らなければあなたがどうするのかなんて分かりようもありませんよね」
青年をお客様と呼び、この場所―喫茶店Lunaでまさに主のようにふるまう女性は、ふわりとした仕草のままソファに寝たままだった青年を、テーブルに案内して席に着く。
その横には桃色の髪をした少女が座り、青年の対面に女性が座った。
「マスター、彼になにか飲み物を...私には紅茶のおかわりをくださいな」
「あ、私にはあま~いやつがいいな!」
「...かしこまりました」
男は、バーテンのような給仕服を着ていたが、その見た目のまま、そしてその呼び名のままにこの店のマスターのようだ。
マスターと呼ばれた男が、注文の品を用意するためにテーブルから少し離れたカウンターの向こうへ姿を消して、しばらくすると女性が語り始める。
「さて、まぁこんなことに時間をどれだけかけていたって意味も意義もないでしょうし......さっそく自己紹介から始めましょ」
穏やかに笑いつつ、有無を言わせない意思の強さが込められた物言いだった。
「まずは、昨日あなたを襲ったこの子は、朱利」
「はじめまして!よろしくね!だね!」
「彼女にはここでウエイトレスをしてもらっています。愛嬌があって、可愛らしいからね」
桃色の髪に紫紺の瞳を持った少女は、朱利と言った。
青年はその少女が、昨日の出来事など何もなかったかのように、普通で明るい挨拶をしていることに激しい違和感を覚えつつも、それを誰も咎めない、止めないため、引きつりそうな顔を無理やり笑顔にしてそのはじめましてに返した。
「さっきのマスターが、この店のマスター。所謂、雇われマスターだけれどその腕は確かで、紅茶にコーヒー、カクテルなんかのアルコール類も、彼がいれてくれるドリンクはどれも最高よ」
女性が店のカウンターを手で指し示して、そう言う。
その示した場所を目で追えば、カウンターで注文の飲み物を用意していた灰髪灰瞳のマスターが軽く一礼していた。
青年もまたそれに返すように軽く会釈する。
「そして私が、この店のオーナー。パティよ。うちの従業員には基本的にお嬢様なんて呼ばれているわ。呼びやすい呼び方で結構よ」
そう言うのは、青年の対面に座る黒髪の女性。
給仕服だった二人と比べて、一人優雅としか言えないようなドレスを身に纏う女性。
女性というか、朱利よりは明らかに大人な雰囲気があるというだけで、慎重は低いし顔立ちは若くヘタをしたら青年よりも若く見える。
それは着用しているドレスがゴシック調のフリルの多いデザインのため、余計にそう見えるということもあるかもしれない。
しかし、それをして正しくこの女性がこの店のオーナーなのだと分かる風格があった。
さらッと流れる髪が光に反射して紅く光ったように見えた。
「それじゃ、あなたの事を教えてくれるかしら?」
それはまるで、絶対者による命令のようで、青年の中に断るという思考は生まれる事は無かった。
「克人。俺は克人だ」
「そう、いい名前ね。それで、克人。あなたは私達に聞きたいことはあるかしら?疑問は?質問は?今回、私達はあなたに迷惑を多少なりともかけてしまったわ。それが例え、私達の大事な大事な仕事だったとしても、この街では力の振るわない人間が顧みられることはないとしても、それでも私達の信条としてはあなたを巻き込んでしまったことは、迷惑をかけたことは、これでも気にしているのよ。それで、あるかしら?疑問」
矢継ぎ早に言葉をかけるパティに、克人は面食らいつつも思案する。
疑問や、質問なんていくらでもある。
しかし、それは聞いていい物なのかという別の疑問が付随してしまうものだ。
それは克人自身も体の半分くらいを浸している街の闇の部分に触れる質問だからだ。
そういう事は往々にして触れれば取り返しがつかず、何よりも命の保証など最初からなかったかのように淡く砕け散ると相場が決まっている。
そんな質問を、例え相手から許可を貰っていたとしても簡単にしてもいいのかと思案してしまうのだ。
「失礼します」
「ええ、ありがとう」
「わーい!ありがとう!」
克人が考え込んでいると、マスターが頼まれていたドリンクの用意を終えて、テーブルに運んできた。
それは手慣れたスムーズな所作に、音も出さずにテーブルに置くのは優雅さを兼ね備えた動きだった。
パティの前に出された紅茶は少し離れている克人にまで、その軟かな香りをとどけておりそれが上等な品であることを鮮明に伝えていた。
それをゆっくりと手に取って、香りを楽しむように顔から少し離した場所で一拍置くそのパティの仕草もまた絵になっていた。
朱利は少し大きめのグラスに注がれたオレンジ色のジュースをすでにストローで美味しそうに飲んでいた。
飲んでいる物が何なのかは克人には分からなかったが、その色と朱利がしていた「甘い物」という注文から、それがイメージしているオレンジ系のジュースであることに間違いはないのだろうと思った。
そして克人の前に置かれたのは、カップに注がれた黒い液体。香りからコーヒーだという事は分かる。
しかし、克人はそれを中々手に取ることは出来なかった。
単純に、目が覚めて知らない店にいて、何か聞きたい事は?なんて質問をされて、そこで出されたコーヒーという目まぐるしい中で頭が混乱しており、例えただ飲むというシンプルな行動すら無意識には出来なくなってしまうほどに戸惑っているのもある。
だが一番は「知らない奴からの飲み物は飲めない」という事に限る。
克人は仄暗い生き方をこれまでしてきた。路地裏で同業者と思われるチンピラと争ったことは何度もあり、関わることすら忌避するような連中と取引したこともある。
実際、昨日もそういった仕事だったわけだ。
そういう事をしていけば、自然と警戒心というものは強く敏感に育つ。
飲み物を飲むことにすら躊躇するほどに。
「安心なさい。なにも入ってなどいないわ。マスターが私の話相手に何かを仕込むなんてあり得ないし、現時点ではあなたはお客様になるかもしれない相手だもの。そんなことは私もしたくないわ」
そんな克人の心内を察したのかパティがそう言う。
克人にとっては気休めにもならないような言葉ではあった。だが、それでもここで飲まないという選択肢は選べない。
パティは現状や、自身のこれからすらも左右するかもしれない相手であると克人は認識していたからだ。
「............」
覚悟を決めてカップを手に取る。
そのちょっとした動作にカップの中でコーヒーが揺れる。それがまた一段と香りを強く蒔く。
香ばしい香りが鼻腔を擽る。
一口、恐る恐るではある。覚悟を決めても一気にはいけない。だから一口、克人は口に含んだ。
そして感じたのはコーヒーの味。
香ばしくも酸味高く、しかし後に引かずに口の中でほどけるように喉を下りていく、そんな至高のコーヒーだった。
「う......美味い」
そう思わずつぶやく。
「ふふ、そうでしょ?私が認めたマスターだもの。当然豆にもこだわっているけれど、何より淹れる人の腕が最高ではなくちゃいけないわ。それを完璧にこなす私のマスターはやはり最高ね」
「光栄です」
「コーヒーは、私は苦手だけど......マスターのなら我慢して飲めるよ!」
「我慢して飲むものではないから、ジュースのおかわりを飲んでなさい」
「やった!」
克人の一言で、まるで自分の事のように自慢を始めたパティに、ほとんど表情に表さずにただ一言で答えるマスター、少しだけずれているがそれでもマスターに対して自分も褒めたいと言葉にする朱利。
その三人の様子に、克人は自然と肩の力が抜ける。
何と言うか、自然体である事を強制するでもなく、勝手にそうなると言うべきか、そんな空気を感じていた。
「さて、少しは落ち着いたかしら?疑問も整理が付いたかしら?」
その言葉に意識が戻ったかのような錯覚を覚える。
克人は和んだ体に再び力が入るが、今度はすぐに弛緩した。
それは疑問に整理が付いたからでも、落ち着いたからでもない。
ただ、どれだけ考えても結論は変わらないと理解したからだ。
一度落ち着いたことで、そして再度緊張したことで考えに区切りが出来て、整理は出来たのだろうそれでもまとまらない様々な疑問。そしてそれを馬鹿正直に聞いてもいいのかという、別個の疑問。
それらは、どれだけ考えても結論なんて出ないと理解したからだ。
だから克人はもう、そのまま聞くことにした。
よく考えれば、自身を殺したければ、害したければわざわざこの店に運ぶ必要などないのだ。
だからこそもう腹を決めて聞くことにした。
「あんたら、何なんだ?何もしているんだ?何が目的なんだ?」
一瞬時が止まったのかと錯覚した。
しかし、それも一瞬の事。
「そうね......」
時というのは動かす者がいれば動くものだ。
「答えるのは簡単だし、疑問を聞いて、私達を知ってもらって、その上であなたのこれからについて相談しようかと思っていたけれど、こうなってくると難しいというか、そうね。うん」
パティは何かいいことを思いついたとでも言いたげな表情でマスターに目線を送る。
マスターはそれに呆れたように、そして諦めたように頷いた。
「ねぇ、あなたさえよければ、私達と共にここで働くのはどうかしら?」
「は?」
そしてついには突拍子もない事を言い始めた。
「だって、あなた私達が敵かどうか気にしているんでしょう?お客様......という関係でもいいけれど、それは立場によっては簡単に変わってしまう関係だものね。だから、私達があなたの敵ではなくなるためには、私達の仲間になるのが一番ではなくて?」
「いや......それは、」
パティのいう事は、一理あるのだろう。
確かに、敵であるかどうかを気にしていた克人にとって、それを明確に分けて示すことのできる関係というのは助かる話ではある。だが、それは決して敵でなくなるために仲間になる、なんて極端な話ではなかったはずだ。
克人としても、かれら『喫茶店Luna』にとっては迷惑をかけたので一時的にもてなしはするが、素性のしれない行きずりの相手であることに変わりはないと思っている。
だからこそ、そんな風に内側に抱き込もうとするのは全く持って理解できない流れだった。
「それは......なに?問題があるのかしら?私としてはあなたが私達と共にいてくれることを喜ばしく思うわ。にぎやかなことはいい事だもの。ねぇ朱利」
「ん?この人、お店の仲間になるの?そうなんだ!これからよろしくね!」
「いや、まだ......」
怒涛の勢いで、話が進みそうになる。
このままだとよくない感じに流されるのではないかと、割り込もうとした。
「少年。すまない。お嬢様は割とそう言うところがある。君がもし、私達に思うところがないのなら、いや仮にあったとしても目をつむり、飲み込んでくれるというのなら、お嬢様の我儘を聞いてはもらえないだろうか」
そうしようと思い口を出したら、それに食い気味なタイミングでマスターにそう言われた。
それはもう、諦めてくれと言われた。
「いいのか、そんなんで」
「よくはないだろう。しかし、私もお嬢様に雇われの身。オーナーには逆らえん」
「...............」
疲れを滲ませるマスターのその姿に同情心が湧く。
だからと言うわけではないが、克人の心は確かに揺れていた。
思い出すのは、これまでのこと。
薄暗い路地裏で、人の目をまともに見ることも出来なくなるようなことをして日銭を稼いで、小さなその稼ぎで日々をやり過ごす、今までの事。
ただ、生き残りたいと願った今までの事。
笑うなんて、今までにどれだけしたんだろうか。
そんな疑問が浮かんだ。
目の前で期待に目を輝かせるパティと無邪気に笑う朱利、苦笑いで頼み込んでくるマスター。
彼らのその表情に薄暗い物は感じない。
例えば、それは彼らの仲間になれば自分も手にすることが出来るのだろうか。
「なぁ」
「何かしら?」
「聞きたい事がある」
「何でも聞いてちょうだい?私、仲間には隠し事もしないわよ?」
聞きたい事、それは今の克人には一つだけだった。
「あんたらの仲間になれば俺は、自由になれるのか?生きたいなんて思わなくて済むのか?」
それを聞いた三人は、口をそろえて言った。
「「「もちろん」」」
そしてパティはここ続ける。
「私達は自由に、誰よりも自由に、そして自由になりたい人たちに、そんな願いを叶える仕事をしているのよ」
『喫茶店Luna』
[階層]中位五層:生活区
克人たちの所属する組織にして、活動拠点となる喫茶店。
普段は普通に喫茶店として経営しており、売り上げとしては平凡。
知名度もなくはないが、どちらかと言えば隠れた名店程度。
店の地下にはその本当の正体が隠されている。
店の上階には従業員の生活スペースがある。




