喫茶店Luna
ある日、世界は、人類は滅びた。
それは決して、必然として訪れる滅びではなかった。
逃れようと思えば逃れられる滅びだった。
ただ、ただの一人としてそれを望んではいなかった。
原因は分かっている。
明確にして、繁栄とは切っても切り離すことなんて到底不可能な原因。
それは飽和。
人が溢れた。
世界が受け止めきれるだけの許容量を超えた。
ただそれだけ。
それだけで、人類は滅びた。
緩やかな滅びに、しかし人は人を切り捨てられない。
だからこそ、この滅びは起こった。
誰もが願った。
「自分以外の誰かがいなくなれば、それだけで世界は、人類は救われるのに」と
誰かが祈った。
「もっと沢山、もっといっぱい、使いきれないほどに在れば飽和もしないのに」と
願いは感染して、伝播していく。
祈りは模倣されて、やがて一つになっていく。
溢れた人類が、それでも更にと求めた醜悪で純粋な願いは、人類よりもさらにあふれて。
それを受け止めていた世界から溢れ始めた。
世界の器。祈りの杯。願いの廃棄孔。
そこから逆流した、希望の原は、人類の願いのままに世界を覆っていく。
どろどろと溶け出るように、海を伝って、風に乗って、大地を進んで、生き物を包んで、そうやって全てを飲み込んで。
その願いは、人には過ぎた願いは、毒だった。
希望は正しく人の願いを叶えた。
「ありとあらゆる全てを凌駕し増幅する新しい法則。そのエネルギー。そして、人を殺し、減らす素晴らしいエネルギー」
それを生み出し続けた。
海は増えた。
命が飽和し同時に海もまた飽和した。海面が上昇したことで人は減った。
空気は濃くなった。
あらゆる性質が強化され、そのデメリットもまた増加したことで呼吸が出来なくなった。
大地は漲った。
そこに生まれるものは、全てが強かった。生命力が、他を排してでも自らが生き残るという意思が。住む場所を追われた。
世界は人には住めない世界となった。
人は死にたくなかった、生き残りたかった。
たとえ、他の全ての人類が滅んだとしても、自分だけは生き残りたかった。
人類の願いは、一つではなくなった。
生き残りたい、苦しみから解放されたい、他よりも強くなりたい、夢をみたい、
あれがほしい、これもほしい、毒でアレを殺して、私を殺して、
極限に至った人類は、そこで人類ではなく人として願いを杯に注いだ。
祈りの杯は、それを全て叶えた。
無差別に叶えられる人の願い。
その中で純白に輝く一つの願い。
「どうか、どうか、人が、その願いを叶えて、それでも明日を生きて行けますように」
人類は滅んだ世界で、なおも生き残る術を手にした。
一人のただ、一人の白く輝く願いが人類に最後を生きる可能性を残した。
それでも世界の汚染は止まらない、人の欲望は止まらない、溢れ続ける願いに人は戒めを立てた。
毒杯に願いをしてはいけない
願った者は毒を呷ったものは、すなわち人の敵
だから、私達は願うのではなく、祈るのでもなく、崇めよう。そして、触れずにいよう。
人類に願いを叶える毒杯はまさしく毒だ。
それから、人類は毒杯を中心に生活を取り戻していく。
毒杯に願う事はせず、毒杯を守り、隠し、そしてそれを信じて生きていくことになる。
この枯れ果て、毒に包まれた世界で、最後の人類の生存圏。
欲望によって、世界を壊し、欲望によって、守られた街。
欲望都市「デザイア」
それが、腐り落ちた腐敗と理不尽の街の名前だった。
―――
[中位五層:生活区]
「ねぇねぇ、起きないね?起きないよ!やっぱり死んじゃったのかな?」
この街中で比較的安定しており、平穏を感じられる区画にてその喧噪は日常的に起こっていた
「何度言えば分かるんだ。寝ているだけだ、放っておいてやれ」
「でもでも、ぜんぜん起きないよ?マスターがあんなに強く蹴るから!」
「だから、何度言えば分かるんだ。私が蹴ったのは仕方なくだ。お前が暴走しなければこんなことしなくて済んだんだ」
「えーわたし悪くないよ?」
「そうね、朱利は言われた通りの事をしただけだものね?」
「ほらー!おじょーさまもこう言ってるよ!」
「パティお嬢様...あまり朱利を甘やかすのダメです」
「あらあら...」
それは非常に穏やかで、暖かなものだった。
欲望の渦巻くこの街でこういった、何でもない特に何かあるわけではないやり取りと言うものがいったいどれほどの価値があるか。
少なくとも、今ここで鈍い鈍痛を腹部に感じたことで意識を取り戻したばかりの青年にとっては、それは得難く、どれほど欲したところで手に入ることはまずないものだ。
「.........ッ!」
その呻き声は、未だに残る腹部の鈍痛に対してか、それともこの厳しいまでの現実にか、それは青年にも分からなかった。
「あ、」
兎も角として、その小さな小さな声は、しかし今のこの普通の日常を過ごしている空間ではまず出ない類の声だったためか、傍に居ても気が付くかどうかという小ささでありながらすぐさまこの場の人間に気が付かれる原因となる。
「起きた!起きたよ~!」
最初に反応を示したのは、桃色の髪を持った少女。
少女はその髪と同じ、紫紺の瞳をランランと輝かせて青年に傍ではしゃぐ。
青年はその少女を視界に収めた時、反射的に身構えてしまう。
そして、状況を把握しようと一瞬で周囲の状況を確認する。
そこで青年は初めて自分がどこかに移動させられていることを認識した。
そこは普通、といえば普通。しかし、どこか高級感というのだろうか、揃えられた物品の一つ一つが品格の高さを伺い知れるデザインとなっているもので揃えられた喫茶店。
そう、喫茶店だった。
実際、どこかからふわりと珈琲の香りが漂ってくる。
今更ではあるが、少女と男の服装をよくよく見れば、給仕服のようなものを着ていた。
「やぁ少年。具合はどうかな?少々手荒にしてしまって申し訳ないな」
どうしてこんなとこに?ここはどこだ?なんで俺をここに連れてきた?こいつらは誰なんだ?なんて、さまざまな疑問が浮かび、しかしそれを言葉にする事は無く、ただただ混乱の只中にあった青年に声をかけたのは青年の記憶の中では、青年がここに居ることの原因だと思われる男。
その男は、何もかもを燃やし尽くしたかのようなその灰色の瞳を一切逸らさずに青年を見つめる。
「怪我の治療はしておいた、まぁ恩の押し売りをするつもりはないし、そもそもが我々側の不手際によって負った怪我なのだからな...どちらかと言えば、詫びのつもりだ」
「.........」
青年はその言葉に、自身の体をようやく確認する。
あれだけあの少女に切り刻まれた傷は、それぞれにテープのようなものが張られて保護されていた。そのおかげで、止めどなく流れていた血はすっかり止まり、傷そのものも順調に治癒に向かっている様だ。
そんな中でもっとも酷いのは腹部の鈍痛だ。
恐らく体内のダメージが大きかったからだろうが、見た目的に派手な切り傷が治りかけているのに、未だに痛むことを考えると、あの膝蹴りの威力を簡単に想像できそうだった。
「まぁ、今は急にこんなところに連れてこられて混乱しているんだろう?もう少し落ち着いたらでいいから、何でも聞いてくれ」
「............」
確かに青年は混乱が継続していた。
出来れば何もかもを教えてほしかった。
だから、コレだけは聞いておかなければいけないと思って、ようやく言葉を紡いだ。
「......一つ。これだけ、」
「なんだ?」
「あんたらは、敵か?」
いたってシンプル。
しかし、それだけは聞いておかなければならない事だった。
馬鹿正直に聞くのもどうかと思うが、それでもこの質問の受け答え次第ではこの混乱も、傷の痛みも押して逃げ出さなければいけないかもしれない。
その答え自体ではなく、その答え方を知りたくて。
果たしてそれはと、判決を待つかのように緊張した青年に、少し離れたテーブルで紅茶を飲んでいた気品のある女性が口を出した。
「そうね、それにはこう答えておきましょう」
女性は立ち上がり、少女と男を呼び寄せて青年に丁寧な一礼をする。
それは舞台のように優雅で、しかし日常のように軽やかに、当たり前の顔をして上品に行われた。
「私達は、ここで店を構えている者よ。それ以上でも、それ以下でもない。ただここで、日々のささやかな店を守るモノ」
女性はそこで一度言葉を切ると、妖しく笑いながら言葉を続けた。
「いらっしゃいませ『喫茶店Luna』へ、お客様。私達はお客を敵とはおもいませんが......あなたがお客となるのか、それとも違う道を征くのかはあなた次第となるでしょう」
ここでオープニング




