紅い月
その男は身長が高かった。
体つきもしっかりしている。
体中から溢れる雰囲気が、そんなものを感じたこともない青年に、殺気とは威圧とはこういう物だと肌で伝えていた。
「っ!」
誰もいないとある建物の一画。
その通路。
先ほどまでは人が、生活が、この居住区という区域そのものが眠りに落ちたことによって生まれた静寂だと青年は感じていた。
だが、それは大きな間違いだったのだと思い直していた。
青年の視線を固定して、逸らす事を許さないかのような強い存在感を放つ男。
この街のここの人々が、ここでの生活でこの場所で、静寂を生み出しているのはこの男だ。
その空中から発される威圧が、他を圧倒して静寂を強制している。
青年はそう感じていた。
「ああ、そう構えるな。ちょっと聞きたい事があるだけだ」
男は非常に落ち着いたトーンでそう言うが、それでもなお掻き立てられるような不安はぬぐえない。
「.........話って、俺には何も話すことなんてないが......?」
青年は、吞まれそうになるこの空気に抗う様に、努めて強気に言葉を選ぶ。
こうして対峙するだけで、青年は理解していた。
相手がこの街である程度自由に生きて行けるだけの力をもっていることを。
少なくとも自分よりは力をもっていると。
それは男の放つ、その雰囲気での判断ではなかった。
否、多少なりともそれは青年に与える印象に影響があったため、全くの無関係とはいえないが青年がもっとも注目したものは違っていた。
「怯えるな、話ずらいだろう?なに、今日の仕事は何をしていたのか聞きたくてな?お前、路地裏で派手にやっていたみたいじゃないか」
男は特に感情を乗せずに、落ち着いたままそう言葉を紡ぐ。
今日の仕事
路地裏
派手にやっていた
その言葉は、まさしく青年が今日のまだ日の昇っていた時間帯に行っていたことを指す言葉だった。
青年の頭の中では高速で様々な可能性が浮かんでは消えていく。
今日の仕事、路地裏、あのチンピラ共か?いや、あのチンピラは俺と同類だ。決してこんな男と繋がりがあったりしないだろう。ましてや、こうして当日の間に動くほどのやつらじゃなかった。なら、この男が聞きたいことは...
そんな言葉にならない思考が一通り巡ったタイミングで、それを見計らったかのように男は続ける。
「お前、そこで変な機械を拾っただろ?それ、どこに持って行った?」
「.........知らねぇ、って言ったら?」
「はは、なら仕方ないから今日は帰るよ」
「そうか、なら知らねぇな」
「仕方ないか.........呼び止めてすまなかった」
不気味。
青年はその状況をそう思った。
この状況でわざわざ自分に話かけたのだから、あの機械の行方を追っているか、すでにどこにあるかは分かっていて俺の元には情報を聞くためだけに来たのかと思っていた。
そしてあの機械に関する人間の時点で、この男が街の表の部分。数少ない普通側ではなく、青年と同じであり、さらに深い裏側の人間であることも分かっていた。だからこそ、青年はこの男が自身に武力をもって話をしに来ていると判断していた。
だと言うのに結果として簡単に開放するようなことをいう、この男を不気味に思った。
「.........」
その不気味さは疑念となり、疑念はそのまま青年に慎重な行動をとらせていた。
しかし、そんな行動もまた男には簡単に見抜かれていたようで、
「いいから、本当に何もしない。行けよ」
そう言うのだった。青年は警戒をしたまま、数歩振り向かずに、その男を見つめたまま後ろ向きに距離を取る。
男は動かない。
本当に大丈夫なのか。本当にこのまま行っていいのか。警戒は解けることなく、しかしこのまま後ろ向きで歩き続けられるほど、青年はこのあたりの地形になれているわけではない。いつかは必ず後ろを振り向かなければならない。
警戒は残したまま、最大限後ろに注意を残したまま後ろを振り向く。たとえその警戒が彼我の戦力差を考えた時に何の意味もない物だったとしても、すこしでも安心できる道を模索するように、慎重に振り向いた。
男が視界から消える。
それでもその威圧感が消えたわけではない、むしろ今まで男を警戒するのに使っていた視覚情報から男が消えたことで、肌や耳が敏感になったような気すらしていた。
そのまま走るまでいかない程度に足を速く動かして、この場を立ち去ろうとする。
まずはあの男の視界から出たくて、最も近いこの建物の出口へ向かう。
幸いにもすぐそこにあり、複雑な道程を行く必要がなかった。
扉を開けて、外に出た。
瞬間、青年が感じたのは寒気だった。
まるで凍えそうな冬の日の刺すようなそれ、まるで体調を崩した時の不意に背筋に走るそれ、まるですぐ目の前に近づいた死のようなそれ、まるで細く鋭い糸が自身の首に巻き付いたかのようなそれ。
「......っっっ!!!!」
本能が体を動かした。
生きたいという、ただ死にたくないという生物としての本能が、青年の体を無意識に、そしてなにより普段の青年からすればありえないほどの正確さと素早さで動かしていた。
青年が飛びのいたすぐ後、まさに一瞬後、瞬きすら許さないようなそんなギリギリのタイミングで、先ほどまで青年の首があった場所を二つの閃が交差した。
「あれ?あれれ?おかしいな、おかしいよね、今の当たったと思ったんだけどな。ねぇねぇ、良く避けれたね!すごいすごい!」
この場に、この時間に、この状況に、ありとあらゆるものに似つかわしくない甘い声が響く。
たった一瞬。死を、あの男と対峙したことなんてなんでもないちょっとした緊張のように感じるほどの濃密で明確な死の気配を一瞬感じた。
それだけで青年は尋常じゃないほどの疲労していた。
息も絶え絶えになりながらも、自分がいた場所を確認する。
そこにいるのは、一人の少女。
桃色の髪に、先ほどの男と比べればかなり低く見える身長。
あどけない顔は、驚愕と好奇心に彩られ、輝いているように見える。
一見すれば、ただの少女だ。
恐らく青年も、普段の、それも昼の街で見かけたのなら、その可愛らしい少女に対して、元気な子だとか、可愛い子だとか、はたまた自分とは違う世界に生きていることへの嫉妬だとかを感じる程度で、特にそれを強く認識することはなかっただろう。
しかし、そうはならない。
青年はその少女に対して、先ほどの男と同等かそれ以上の脅威を感じ取っていた。
それはその少女の服装―いや葬備を見れば一目瞭然だった。
その葬備もまた、一見は普通だ。
言葉にしてしまえば、少女の体には少し大きめのジャケットに、その脚を大胆に露出したショートパンツに、ブーツを履いた普通のファッションだ。
だが、そのすべてに先ほどの男と同じ紅いエネルギーのラインが奔っていた。
それはあの服がただの服ではなく、機械武葬化されているということを示していた。
青年にとってそれは絶望に足る現実だった。
機械武葬化された葬備を着ているというだけで、ただの人間には太刀打ちが出来る相手じゃない。
そして少女がもつ二つの小型のナイフ。
ナイフと言うよりは、大きな剃刀のような不思議なデザインのそれは、少女の服と同じ紅いエネルギーの光を纏って鈍く輝いていた。
満月のようなその紅く光る瞳が青年を捉えて離さない。
「すごいけどね?すごいんだけど、ここから出たって事は逃げたんだよね?早かったもんね?だから、捕まえなきゃね!『COde:Luna開始』だよ!」
少女が何やら自分の中で結論をだして、有無を言わさずに構える。
そして起動ワードにより、全身の紅いエネルギー光が一段と強く輝く。
「ッ!待ち伏せって事かよ!!」
走り出す。
青年には先ほどの慎重さはなく、ただ生き残るために走る。
「あれ?おいかけっこ?でもでも、だめだよ。今はそういう遊びじゃないから!」
これはもはや単純な生存競争。
故に青年は全力だった。なによりも、これまでの人生でこれほどの全力を出したことなんてないと言い切れるほどの全力で走った。
しかし、少女はそれを嘲笑うかのような挙動で追跡していた。
一歩目で高く跳躍する。
それは建物で言えば三階に到達するであろう高所まで届く跳躍、そして密集した建物の壁を蹴り加速する。
まるで空中を走るかのように、いやただ走るよりも数段早く、駆けて青年を追う。
その人間には不可能な動きによる追跡に青年は思わず舌打ちがでるが、それで何が変わるわけでもなく、せめてその動きを確認しようと後ろを見れば、
「あは、つーかまえた!」
すぐそこにナイフを構えた少女がいた。
「うおおおっっ!!!」
自身の首を狙い振るわれたそのナイフの直撃を、青年が避けれたのは幸運だった。
全力疾走中、後ろを振り向くと言う不安定な体勢、そこに飛び掛かってくる少女という想定外の出来事。
それによりバランスを崩したことで転んだ。結果としては少女の襲撃を避けることに繋がった。
「あれ?とうっ!」
「.........ッ!!」
しかし、少女はそれで動きを止めることなどせず、軽い掛け声とともに鋭い連撃を放つ。
青年は転んだ姿勢から、跳ね起き、建物の壁を背に転がる様に逃げて、少女の体に蹴りを放ちつつ距離を取る。
「今の蹴りでビクともしない......あの機動力......やはり葬備ってやつか」
分かり切っていたことだが、改めてそれを認識してどうしようもない状況に笑いがこみ上げる。といっても乾いた笑いしか出ないのだが。
ふと青年が近くを見ると、このあたりの建物を建てたときの建材だろうか、それが放置されている。
「すごいすごい!よく躱せるね!わたし、これでも結構強いと思ってたんだけど、あなたすごいね!」
「躱せてねぇよ、全身傷だらけだ」
少女のともすれば煽りのような言葉に青年は悪態で返す。
実際、少年の体は少女の攻撃により出来た無数の切り傷が血を滲ませていた。
急所となりえる首などの攻撃は避けていても、腕や躱しずらい胴体、躱しきれずに切られた頬などたったの一瞬の攻防で出来た傷は多い。
これは青年が上手く躱しているというよりは、少女の使う武器がナイフであり、どうしたって人間に一太刀で致命傷を与えるほどの刃渡りをしていないのが関係していた。
そして、それを青年は正確に理解していた。
もし、少女が持っている武器が剣や刀のように、刃の長い武器であったら自身の体は今頃4つぐらいには切り離されていた可能性が高いという事を。
「でも、時間をかけると怒られちゃうから、そろそろ終わりにしよ?ね?いいでしょ?」
「はっ、怒られるからか.........」
そんな理由で少女は刃を振るい、そんな理由で青年は命を落とそうとしている。
なんという理不尽。しかし、この街ではそれが当たり前だ。
少しでも裏側、他人を踏みにじって生きることを選択した瞬間に覚悟しなければならない最後。
すなわち、踏みにじられ、奪われ、失うという覚悟。
青年もまた、ただのごろつき、チンピラ。街に巣食う本物の闇とは比べるべくもない、ちんけな存在だが、その覚悟は持って生活していたつもりだった。
ただ、羨ましいと思った、理不尽だと思った、いつか必ず変わりたいと。
「ここで死にたくない、生きていたい」
それだけを考えて、それ以外を考える余裕と自由が欲しいと、そう思っていた。
思いは行動へ。
放置された建材を手に取る。
ただの鉄パイプだ。
分かっている。相手は人間の動きを超越している。
こんなパイプ一本装備したところで、何にもならない。
それでも、何も抵抗しないなんてできない。
思いのために、願いのために、行動した果てに死ぬ。
それならば、多少はいまここで散らすにしても、自分が納得できると思ったから。
「う、うおおおおおおお!!!」
雄たけびを上げて、産声のような声を上げて、少女に向かって鉄パイプを振るう。
「わっ!えい!」
分かっていた。
青年は分かっていた。
少女は明らかに訓練を受けた動きをしている。ただのパイプの振り下ろしなんて、簡単に躱せる防げる。
それは分かっていた。
しかし、振り下ろした鉄パイプを躱しざまにナイフを2度降り、切り落とすなんてことが出来るなんて思っていなかった。
「じゃあね」
青年の抵抗は、少女に何一つとして届くことなくて、青年の首にナイフが吸い込まれて、
「止まれ」
止まった。
青年と少女の間に割り込んだ手によって、少女の持つナイフがその手ごと受け止められたからだ。
「む!あれ?」
少女は自身の攻撃を受け止められたことに一瞬表情を歪ませたが、それを行った人間を確認するときょとんとした。
「あれ?あれれ?マスターどうしたの?」
「どうしたのではない。いいからおとなしくしててくれ」
マスターと呼ばれた男は先ほど、建物中で話しかけてきた男だった。
青年は状況を飲み込めず、ただ茫然とそのやり取りを眺めていた。
そして、マスターが青年に振り返り一言。
「すまない少年。今は寝ててくれ」
たったそれだけ言って、青年の腹部へ膝を叩きこむ。
まるで交通事故にでもあったかのような、内側で弾けるような衝撃が腹を襲い、青年は簡単に意識を落とした。
消えていく意識の中で青年が見たのは、紅い目の男と少女だった。




