能力1
声が聞こえる。
ー全く、無茶したわね
声が聞こえる気がしていた。
克人はどこか微睡と泥濘のなかで僅かに意識を保っていた。
何も見えず、何も聞こえないはずなのに、でも確かにその声が聞こえていた。
―ダメよ、まだあなたにはやってもらわなくてはいけないことがあるんだから
それはこの暗い底から引き上げるような、天からもたらされた蜘蛛の糸のような言葉。
意識は少しずつ浮上して、声に反応を返せるようになってくる。
(やってもらわなくてはいけないこと?なんだ?)
―大丈夫、すぐにわかるようになるわ。だから、今は早く起きなさい
(どうやって?)
―そう望むの、願うの、欲しがるのよ
声は克人に教える。
その内に秘められた力の使い方を。
―命が欲しいと願うのよ
正しい祈りの作法を。
毒杯に捧げる願いを。
目が覚めた。
克人が最初に見たのはここ数日で見慣れた天井。
喫茶店に併設された克人の部屋の天井だった。
遠くからコーヒーの匂いが漂ってくる。
かすかな、それでいて嗅ぎなれた匂いだ。
トン、トン
と、控えめなノックが聞こえる。
まだ頭がしっかりと働いてなくて、状況が呑み込めていない克人はその音に反応できなかった。
しかし、ノックをした者もそんな克人の状態を察してか、返事を待たずに部屋へ入ってきた。
「お邪魔するわね」
入ってきたのは以外にもパティだった。
頭が働いてないなりに、自分の部屋に訪ねてくるのはマスターだろうと思っていただけに、パティの来訪は克人にとって予想もしていなかったことだった。
目を見開いて固まっていると、そんな克人の様子が可笑しかったのか、パティはクスクスと笑いながら、克人の横たわるベッドに近づく。
「目が覚めたようね、よかったわ」
「俺、何して?」
「覚えてないの?あなた重症だったのよ?」
そう言われたことで、ようやくどうして自分がこうなっているかを意識した。
昨夜のことを思い出す。
あの騎士の、最後の一撃を。
そしてガバッと起き上がり、自分の体を確かめる。
パティの言う通り、あの攻撃は確実に命に届くモノだった。
今生きているのが不思議なほどに。
そうして確かめると自分の胴、肩から腰に掛けて斜めに入った火傷の痕。
「塞がってる?」
見た目は酷いが、確かに塞がっている。
鈍い痛みは感じるので、完治という意味ではまだ先なのだろうが、そもそも命を失わずに怪我が治りつつあることが不思議でならなかった。
「当然よ、あなた1週間も眠り続けたんだもの」
「え?」
「あなた、かなり際どかったのよ」
そこで克人は改めて自分がどういう状態だったのか聞いた。
瀕死の重傷だった克人をマスターが担いで撤退したこと。
運ばれた克人を治療したのがパティであること。
そして、本来であれば助かるはずもない怪我だったこと。
「え?」
「そうよね、さすがに驚きよね。私もびっくりしちゃったわ」
「あ、あんた、治療ができるのか?」
克人が驚いたのはそこだった。
というより、今生きているのだから怪我の度合いなんて、その時びっくりした以上のものはない。
それよりも驚いたのは、目の前のお嬢様然とした少女が自分を治療したということだった。
「あら、そっちなの?」
「いや、だって...」
克人の驚きも無理はないだろう。
誰だって目の前のフリフリのゴシックドレスを見事に着こなす少女が医術を修めているなんて思わない。
「これでも、私.........多才な方なのよ。そもそもマスターにお茶の入れ方を教えたのは私だし、店のことは最近じゃマスターに任せきりだけど、最初の頃は私も店に出てたのよ?」
それもまた以外な話だった。
これまで克人はパティが店に出たところを見たことがない。
というより、自室から出てくるところを数える程度しか見たことがない。
だからこそ、パトロンというか、出資者というか、オーナーとして権限は持っていても、実務はしない人間なんだと勝手に思っていたのだ。
「いや、その......」
「あと、私のことは”あんた”じゃなくて、ちゃんと呼んでね。初めて会った時に呼びやすければなんでもいいとは言ったけれど、私としては少しだけ寂しいわ」
まくしたてるように続けるパティに克人は閉口する。
呼び方なんてものは特に意識していなかった。
それは単純に克人と関わる量の問題。
仕事などの関係で、日常的に関わることの多いマスターや朱利に対しては、普通にそう呼んでいた。
しかし、克人は何か呼び出されたりしない限りはパティとは関わることは基本的になかった。
そうした関わりの量の差が呼び方に現れていた。
「ほらほら、さすがにパティって呼ぶのは、ハードルが高そうだし、マスターがちょっと苦言を言いそうだから無しね。まぁ、他の二人は私のことお嬢様って呼んでくれるし、克人にもそう呼んでもらえると嬉しいわ」
実に楽しそうにパティは言う。
その顔には克人が断るとかそういうことは微塵も考えておらず、ただワクワクとした期待だけが浮かんでいた。
克人は何がそんなに楽しいのか理解できなかったが、このまま引き下がってはもらえなさそうな勢いに押されていた。
「お、オジョー様」
「ふふふ、ええ。満足したわ。ありがとう」
結果、片言で言いなれていない言葉を無理やり引き出して呼べば、パティは言葉の通り、満足そうに頷いた。
「それで、話を戻すんだけれど.........あなたの容態の件よ」
「え、ああ。はい、助かるはずがなかったって話だよな?でも、実施こうして生きてるんだから奇跡でも起きたか、オジョー様の治療が良かったかって話じゃないのか?」
「そうね、その可能性は否定できないわ」
というよりそれしかないのではないだろうか。
奇跡と言ってしまえば聞こえはいいが、説明のできない事象なんてこの世界にはいくらでもあるのだから、そういった数多くの例外にたまたま今回引っかかって生き延びることができた。
それだけなのだろうと克人は思うのだ。
「でも、もっと単純。あなたが特別だから生き延びたという考え方もできるわ」
「は?」
「そうね、そうよね。あなたをここに連れてきたときもそうだし、今の様子を見て確信したけれど.........あなた能力を知らないわね?」
「...............能力?」
パティの言葉は意味不明だった。
能力とは何のことだろうか、脈絡がなさすぎて何を指して言った言葉なのか全く予想ができない。
もちろん、言葉の意味は克人も知っている。
しかし、その言葉で表現される事象を知らない。
「やっぱり、と言っても私たちのような裏側では常識のように扱われても表じゃ広まってない話だから当然と言えば当然ね。むしろ克人が今まで、グレーとはいえ裏にかかわらないようにしてきた潔白の証明でもあるのだから、喜ぶべきかしら」
「いったい.........何の話を......?」
「ああ、ごめんなさい。今日、あなたを訪ねたのはこの話をするためだったの。能力について教えておこうかと思って、この後の話をするには先に知っておいてもらいたいから」
そうして語られるのは、この街に関わる能力と言うものについてだった。
パティは、普通ではない。
怪我をして寝込んでいる人間の目が覚めるタイミングを正確に把握できる程度には普通ではない。




