珈琲の淹れ方
「じゃ、これ運んで」
「了解」
「いらっしゃいませ~、何名様?2人?テーブルの方がいいよね!こちらにどうぞ!」
普通の日常。
朝起きた克人は、何も特別なこともなく普通に喫茶店の仕事をしていた。
本当にこんな感じでいいのか?昨日の話からして敵の目途などは立っているのだから早めに動くべきなんじゃないのか?と考えながらも、マスターも朱利も普通に過ごしているため、克人もそれに倣っていた。
段々と街が目覚め始めて、活動的になった人が増えてきたことによって喫茶店にも客がそこそこ入るようになった。
それによってマスターと朱利は仕事に手いっぱいになり、克人もまだまだ覚えなきゃいけない事が多くて余計な事を考える余裕は段々無くなっていく。
働いていると一日というのはすさまじい速度で過ぎていく。
それが、真っ当な仕事ならなおさら。
克人は流れていく時間の速さに驚いていた。
明日に不安を抱かなくていい、ただ今をしっかりと生きていくだけで時間が過ぎていくことが新鮮だった。
そうして、あっという間に日は傾いて行き。
「ありがとうございました~!」
「今のが最後のお客だな、お疲れさま」
「お疲れっす」
「お疲れさま~!今日は結構大変だったね!」
閉店の時間になった。
最後の客を朱利が見送り、口々にお疲れと言い合う。
とは言え、店の営業が終わっただけで、仕事はまだまだある。
これから店の片づけをしつつ、明日の準備もしなければいけない。
「さて、朱利は掃除とか食器の片づけを頼む。克人は私と一緒に明日の準備だ」
「了解」「は~い!」
基本的にこの店は、マスターが取り仕切っている。
パティから店を任されているという事もあるが、朱利にはそういう事を考えるのは向いていないのと、パティも基本的にこの店の方までは降りてこないからだ。
「克人。とりあえず豆の補充をするぞ、ちゃんと種類によって器が違うから気を付けて入れるように...混ぜたら味が変わってしまうからな」
「わかった...」
克人はマスターに付きっ切りで仕事を教えてもらいながら、明日の準備を進めていく。
「それと、コレとコレを用意しろ。あとは一杯分の豆もな」
「?ああ、わかった」
その準備の中でマスターから、コーヒーを入れるための機材を準備するように指示をされる。
疑問に思いつつも、準備をしていく。
「その機械にスイッチを入れろ、水はここで、ミルクはコレをこっちの機械で...」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「...どうした?」
矢継ぎ早に飛んで来る指示と、説明に目を回しそうになりながら慌ててマスターを止める。
「いや、いいのか?.........その、早くないか?俺がこういうのを習うのは」
まだ店員になって二日だ。
それ以外の仕事も覚えながらなんとかこなしている最中である克人にとっては、コーヒーの淹れ方を教わると言うのはなかなかに精神的なハードルが高かった。
「いいか、よくないかで言えばいいんだ。私がいいと言っているのだから」
「...早いか早くないかでは?」
「早いな」
「早いじゃん!もっと段階踏むんじゃないのか?普通は!」
そんな克人の不安を吐き出す叫びにマスターはため息で返す。
「あのな、克人。この店で働き始めてどう思った?この店は、そこそこ広いだろう?最大限に客を入れたら結構な人数が入る」
「…......ああ、そうだな?」
実際店は広い。
お嬢様の道楽にしてはかなりしっかりとした造りになっていて、確かに満席になればかなりの人数が入るのだろうというのは見て分かる。
「不思議に思わないのか?それを今まで私と朱利の二人で捌いていたことが」
「.........確かに?そう言われれば二人でやるには広いか?」
「そうだ、二人で捌けていた理由はな.........私が頑張っていたんだ」
「え?」
話しの流れも分からないし、すごく重要な話をしている風に何だがチープな感想のような言葉がマスターから飛び出てきて耳を疑う。
「とにかく頑張ったんだ。朱利も疲れ知らずで、疲れていてもパフォーマンスがあまり変わらないからホールの仕事は頼りになるんだが、キッチンはダメだ」
「......そのダメっていうのは?」
「......朱利の味覚は終わってしまっている。一度キッチンに経たせたら煮えたドロドロの何かを出されたことがある。教えようともしたが、そもそも料理自体にはさして興味がないらしくて一向に向上しなかった」
「......」
克人は「つまんないからやめる~」と言っている朱利の姿を幻視した。
まだ出会って間もなく、しっかりと腰を据えて話したことはないが、その姿に違和感は感じなかった。
「だから、忙しい時なんかは私は本当に頑張っていたんだ。そこにお前だ。克人、お前には意地でもキッチンを覚えてもらう。幸いこの店は食事よりも、コーヒーやお茶だけを注文するお客が多い喫茶店だ。そのはじめとしてコーヒーの淹れ方を教えるから、死ぬ気で覚えろ」
「.........わ、わかった」
その必死の感情が透けて見えるほどの熱量をもった目で克人を睨む。
同情か、危機感か、克人はなぜかその目をまっすぐ見ることが出来ず、逸らしながらも了承した。
「では、改めて教えていくぞ......まずはここに豆をセットして―」
そんなこんなで始まるコーヒーのレクチャー。
それ自体はとても分かりやすく、手順ごとに教えられる。
触ったことのない機械や、器具をおっかなびっくりと言った様子で操作する克人をマスターが見守る。
そこに閉店したからかパティが様子見にやってきた。
「あら?コーヒーの淹れ方を教わっているのね?いいわね、私としては紅茶の淹れ方から覚えてほしかったけれど.........美味しいマスターの紅茶に悪いから、まだ先でいいわね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「ええ、でもせっかくだからその克人が淹れたコーヒーは私にくれるかしら?」
「っえ!??」
克人はマスターに教わった通りに作業を続けたまま、パティとマスターの会話に耳を傾けていたらなんだか恐ろしい提案がされた。
まだ練習もしていない、正真正銘初めて淹れたコーヒーをパティに出すという事に緊張が走った。
なにせ相手はオーナーであり、明らかに上等なものを口にしてきただろうお嬢様だ。
ヘタなものを出したら、そのままクビにされるのではないかという疑念が体を硬直させる。
「かしこまりました。克人、緊張するな。緊張がコーヒーに映る」
「んなことあるのかよ!」
「ある。いいから集中しろ」
「ふふっ」
マスターに注意されながらも何とか一杯のコーヒーを用意する。
曰く基本になるラテというものらしい。
「これが一番注文が多い、これを最初に出来るようになれば上等だ。さ、お客様にお出ししろ」
「.........ラテです」
「ありがとう。いただくわ」
克人が用意したカップを音もなく手に取り、ゆっくりと飲んでいく。
目を閉じたまま、味わう様に口を少し動かしていく。
そして余韻までたっぷりと味わってから目を開ける。
「うん、40点ね」
「低くないか?」
「初めてでこれなら及第点よ、でもまだまだ。もちろん作業はほとんどを機械によって行われるけれど、だからこそ人の手で行われる作業で大きく違いが出るわ。要練習と言ったところかしら」
「とのことだ。克人。お前にはこれから閉店後はコーヒーの練習をしてもらうからな」
パティの正直な評価は、味の違いが分からない克人にとっては何が悪かったのかよくわからないかったが、言っている理屈は何となく理解した。
「いいわね!そうしたら私もしばらくは審判約でこちらに来るわ。閉店したら教えてちょうだい」
「かしこまりました」
そうして、一日は終わりを告げる。
克人は店に馴染みつつあった。




