〈オロチ〉
「え? イチカさんは今、ヨコハマ遺跡に行っているのか?」
ザイゼン・ケイゴ──カワサキ・シェルター財務部門主任──は、驚いて思わず声を上げた。
「そりゃおめえ、イチカはショウのチームメイトだ。ショウがヨコハマに行く以上、一緒に行くに決まってンじゃぁねぇか。何を驚いていやがる?」
デスクの上に置かれた大型のモニターから目を離し、ウイリアムはじろりとケイゴをねめつけた。
「た、確かにフィッシャーマン代表の言う通りだが……そ、その……危険ではないかね? 万が一、イチカさんが怪我でもしようものなら……」
ああ、そういうことか。と、ウイリアムはケイゴの内心を悟りながら溜息を吐く。
「おまえもカワサキ運営部の一人なら、これまでショウのチームがどれだけここに貢献してきたか知ってっだろ? それも、キャロルが行方不明になってからの実績をよ?」
「それはもちろん、私もショウくんの活躍は知っているが……」
落ち着かなさそうに、きょろきょろと周囲を見回すケイゴ。
ここはウイリアムの執務室。今この部屋にいるのは、主であるウイリアムとケイゴのみ。
「い、いくらショウくんが一緒でも、イチカさんが絶対に怪我をしないという保証はないだろう? それに今回、アイナくんは一緒ではないらしいし…………」
「でーじょーぶだって。ショウだけじゃなく、フタバとミサキ……イチカの妹たちも一緒だし、ゲンタロウや他のチームもいるンだ。イチカが負傷する心配はまずねえさ」
──仮にイチカが負傷したとしても、戻ってくる途中である程度は修理できるだろうし。
言葉にこそしないが、ウイリアムは内心でそう続けた。
「そ、そうは言うがね、フィッシャーマン代表。もしもってことは考えられるだろう?」
「あーもー、しつけーぞ、ケイゴ! そんなにイチカが心配なら、イチカには発掘者を引退してもらって、その後はおまえが彼女の生活の面倒をみるか?」
「い、いやいやいや、わ、私のような四十前の冴えない男が、イチカさんのような若くて綺麗な女性と、そ、その…………」
顔中を真っ赤に染め、なぜか両手をぐーぱーさせながら。
呟き続けるケイゴの様子を横目に見ながら、ウイリアムは溜息を吐きつつ天井を見上げた。
◆◆◆
「こんな所に〈オロチ〉が入り込んでいたのかっ!?」
実験室に蹲っていた、巨大な蛇型の【インビジリアン】。
識別名〈オロチ〉。
蛇が【インビジブル】に感染して変異した【インビジリアン】であり、その大きさによって〈スネーク〉、〈バイパー〉など様々な識別名を持つ。
とはいえ、識別名の差異に厳格な規格などがあるわけでもなく、何となく小さければ〈スネーク〉、ほどほどの大きさであれば〈バイパー〉など、感覚で識別名が変化する。
そのため、とある発掘者が「先日、〈オロチ〉を倒したぜ」と自慢しても実は〈バイパー〉だった、なんてことはよくあること。
だが。
今、ショウたちの目の前に存在するのは、全長を推定することさえ難しい──狭い実験室内でとぐろを巻いているので全長が全く分からない──ぐ巨大な蛇型【インビジリアン】。
胴体の太さが成人男性の腰近くにまで及んでいることから、目の前の【インビジリアン】が〈オロチ〉級なのはまず間違いないだろう。
「こんな巨体がどうやって地下に……?」
「その答えはあれのようだぞ、マスター」
ショウの呟きに応えたフタバの視線の先。そこには天井に穿たれた巨大な穴が存在した。
「地上から自力で穴を掘り、ここを塒にした……ってところですかねー?」
「天井の穴は比較的横方向──方角にしてヨコハマ遺跡の奥部方向へ伸びているようです」
「つまり、付近の地上から穴を掘ってここに到達したのではなく、ヨコハマの奥部方面から穴を掘りながらここまで来たってことか?」
「おそらくは、ショウ様のおっしゃる通りかと。それよりも、〈オロチ〉の【核】は『視』えていますか?」
イチカに言われ、ショウは改めて〈オロチ〉の巨体を見上げる。
実験室全体を占領するように、みっちりととぐろを巻く〈オロチ〉。
「……少なくとも、ここから【核】は『視』えないな」
「〈オロチ〉の体が大きすぎて、死角になっている箇所が多すぎですよねー」
とくろを巻いた〈オロチ〉の体高は、余裕でショウの身長を越えている。そのため、巨体のほとんどが死角になっているせいで、ショウの「目」でも【核】を「視」ることはできなかった。
「……このデカブツ、さっきから全然動く気配もないが、生きているのか?」
「体温がかなり低いわ。おそらく、冬眠に近い状態なのではないかしら?」
フタバの疑問に、サーモセンサーを作動させたイチカが答える。
「冬眠状態か……何とかしてこいつをどうにかしないと、例の隠し通路に入れないが……」
なぜか、ショウの生体情報が鍵となっている隠し通路。そこに入るためには、どうしたって〈オロチ〉が邪魔だった。
「ゲンタロウさんに連絡して、応援を頼むか?」
予定通り、例の隠し通路やその奥にある隠し部屋──ショウがキャロラインに撃たれた部屋──の存在は、ゲンタロウたちにも知らせるつもりだ。ショウたちが彼らに知られなようにしているのは、隠し通路の途中にあるイチカたちが保管されていた隠し部屋と、隠し通路の奥の部屋から通じる、《ベヒィモス》の秘密格納庫だ。
現時点では、まだ他のチームや地上のゲンタロウたちとは連絡が通じる。
さて、どうするか。と思案しかけたショウの耳に、イチカの鋭い声が響いた。
「────! お待ちください、ショウ様! 〈オロチ〉の体温が急激に上昇しています!」
◆◆◆
〈オロチ〉の体温の上昇。
それは、冬眠状態だった〈オロチ〉が活動を再開させたことを意味する。
おそらく、〈オロチ〉から一定の距離内に「餌」が留まり続けたことで、冬眠状態が解除されたのだろう。
ずぞぞぞぞ、と音を立てて巨体が蠕動する。
そして、とぐろの頂点付近からゆっくりと持ち上がるのは、巨大な頭部。
青白い体の中で、唯一血のような真紅の目がじっと「餌」──ショウたちを見下ろす。
「マスター。一度、本気でお祓いにでも行ってみたらどうだ?」
「確かに、ボクたちと出会ってからのご主人様、強敵との遭遇率が高すぎですよねー」
「言うな。自分でも結構気にしているんだよ」
口ではふざけたことを言いつつも、ショウたちはそれぞれに銃器を構える。
「ショウ様、【核】は『視』えていますか?」
イチカに言われるまでもなく、ショウは自分の「目」に意識を集中させて〈オロチ〉を見上げる。
「……駄目だな。ここから見える範囲に奴の【核】はないようだ」
ショウにだけ「視」える【インビジリアン】の【核】。だが、現状では〈オロチ〉の体に【核】は「視」えない。
おそらくは〈オロチ〉が巨大すぎるため、【核】のある個所は死角になっているのだろう。
「そうなると、正攻法でこのデカブツを倒すしかないか」
「ゲンタロウ様に救援を要請しますか?」
フタバとイチカの言葉に、ショウは僅かながら迷う。
状況から見れば、救援要請は当然だろう。このような状況を打破するためにゲンタロウのチームが地上で待機しているのだから。
だが、ここは地下の通路。こんな場所では多人数を展開することは無理だろう。
「ここで〈オロチ〉との戦いとなった場合、人が増えるのは逆に不利になりませんか?」
と、ミサキ。彼女もショウと同じことを考えていたようだ。
さて、どうするか。ショウが判断をするより早く、〈オロチ〉の方が動き出した。
どうやら、冬眠状態から活動状態への移行が完全に終わったらしい。
「退避する! このままこんな狭い場所で〈オロチ〉と戦うのは不利だ!」
ショウは決断した。だが、その決断は少し遅かったかもしれない。
〈オロチ〉が人一人を丸飲みできそうなほど巨大な口を開く。口の先に生えた一対の毒牙。その牙の先から毒が滴っているのをショウたち四人は確かに見た。
そして、〈オロチ〉が眼下に群れる四体の「餌」に喰らいつかんと、顎を大きく開いたまま巨大な頭部を振り下ろした。
来週はお盆(明け)休みのため、次回の更新は8月24日(月)となります。
引き続き、お付き合いいただけると幸いです。




