株分け
株分け。
それは〈スライム〉が物理攻撃を受けて細分化した際、破片の一個、もしくは複数個が別の個体として独立する現象のことである。
本来なら、細分化した〈スライム〉は、破片の一つを「核」として集合・結合して元の姿に戻る。
しかし、その際に細分化した破片の一部が別個体として独立する現象が起こることがあり、その現象を発掘者たちは「株分け」と呼んでいた。
もちろん、その確率は極めて低い。正確な統計など取りようもないが、数字で表すなら0.1%にも満たないであろう。
そんな低確率で生じる株分けが今、ショウたちの目の前で起きたのだ。
「相変わらずというか何というか……我が主は妙な運命に愛されているな」
「言うなよ、フタバ。最近、自分でもこの妙な運の悪さに辟易しているところなんだ」
最近のショウは、とくかく変な運命に愛されていると言っても過言ではないだろう。
〈アラクネ〉の変異種との遭遇、〈ギガンテス〉との激闘、そして、今回の〈スライム〉の件。
いや、それよりも何よりも、イチカたち《ジョカ》との出会いこそが、妙な運命が動き出した切っ掛けだったのかもしれない。
思わず顔を顰めながら、そんなことを考えつつも動き出した〈スライム〉の観察をショウは続ける。
今度の〈スライム〉は、前の個体に比べるとかなり小さい。とはいえ、成人男性の拳ほど、という通常サイズよりはかなり大きく、軽自動車ぐらいはありそうだ。
そして、以前の個体と比べて何より違うのは、その体色だろう。
以前の〈スライム〉はほぼ無色透明でまさに「水」といった感じの体色だったのに対し、新たな個体は再生時にグラウンドの土を取り込んだのか、「泥色」と表現するに相応しい体色だった。
濃い茶色で、透き通った感じは一切ない。そのため、「水」よりもまさに「泥」といった印象が強い。
「一応前の個体と区別するため、今度の奴は〈泥スライム〉とでも呼ぶか」
ショウがそう呟いた時、他の面々も同意を示すように一斉に頷いた。
◆◆◆
「全員、全力で走れ! 酸を含んだ泥を撥ね上げるより、まず安全な足場を確保することを優先しろ!」
ショウの指示の下、全員が一斉に駆け出した。〈泥スライム〉を迎撃するにしろ逃走するにしろ、酸を含んだグラウンドよりもしっかりとした足場をまずは確保することを優先する。
「アイナ様、失礼しますねー」
「ひゃああああああっ!!」
最も足の遅いアイナを、ミサキがひょいと背負って走り出す。突然のことに悲鳴を上げ、なされるがままのアイナ。
足元の泥には僅かながらも〈泥スライム〉の酸が残留しているようで、撥ね上げた泥がボディアーマーや防弾防疫ヘルメットに付着し、その部分を腐食させる。
とはいえ、その酸性はかなり弱く、〈泥スライム〉本体とは比べるべくもない。その点だけは、状況が好転したと言っていいだろう。
泥が付着したボディアーマーやヘルメットも、変色したり変な臭いを発生させたりはするものの、すぐに使い物にならなくなるほどではないようだ。
「おおおおおおおん、お、俺のお気に入りのアーミーブーツが泥だらけにぃぃぃぃぃぃっ!!」
「馬っ鹿っ!! 今はそんなこと気にするんじゃねーよっ!!」
「そうは言ってもよぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
愚痴を零すジェボクと、それをたしなめるユウジ。
泥の付着を考慮せず走り抜ければ、それほどの時間をかけることなくグラウンドを突っ切ることができた。
所々ひび割れているものの、しっかりとアスファルトで覆われた地面に辿り着き、とりあえず安堵の息を吐くショウたち。
だが、まだ〈泥スライム〉との戦闘はこれからだ。
「泥を落とすのは後だ! 来るぞ!」
軽自動車ほどもある体をぶるぶると震わせながら、じわじわと近づいてくる〈泥スライム〉。
〈泥スライム〉はグラウンドとアスファルトの境目付近まで近づくと、その巨体をたわませるように縮めた後、弾むボールのごとく宙へと跳び上がった。
「あ、あのデカブツが跳んだぁっ!?」
「うっそだろぉ…………」
予想外の〈泥スライム〉の行動に、思わず唖然とするユウジとジェボク。だが、彼らも発掘者であり、すぐに我に返って回避行動に移る。
「マスター、〈泥スライム〉の【核】は『視』えているか?」
銃口と視線を〈泥スライム〉に向けたまま、フタバがショウに問う。
「いや、『視』えない! おそらく、泥が邪魔をしているからだと思う!」
【インビジリアン】の体を透して弱点である【核】を「視」るショウの異能も、泥という異物が体に混入されたことで発揮されていないようだ。
もしも泥さえも透過して【核】が「視」えるのであれば、壁越しなどでも【核】が「視」えても不思議ではない。そう考えれば、ショウの異能は【インビジリアン】の体以外は「視」通せないのだろう。
「ご主人様の『目』も、万能ではないってことですねー」
「当然だ。俺は別に超人でも何でもないからな」
ライフルやPDWを構えるショウたちだが、発砲はしない。〈泥スライム〉も〈スライム〉である以上、物理攻撃は効かないに違いないからだ。
「マスターの『目』が当てにならないとなると、どう〈泥スライム〉を倒すかだが……」
「全力で走って逃げるってのはどうっすか?」
「〈スライム〉ってのは総じて動きがトロいんでしょ? だったら逃走一択では?」
SMGを構えたユウジとジェボクが逃走案を出す。ショウもこの状況ではそうするのが一番だと判断し、全員に逃走することを告げようとした時。
〈泥スライム〉が全身をぶるりと震わせると、体表からショウたちに向けて無数の「何か」を撃ち出した。
「うわぁっとぉっ!!」
「な、何か撃ってきたぁっ!!」
情けない声を上げ、必死に逃げ惑うユウジとジェボク。
「すぐに遮蔽に隠れろ!」
ショウに言われ、わたわたと手近な建物の陰へと飛び込む後輩たち。
ショウやイチカたちは、既に遮蔽に身を潜めている。もちろん、いまだにミサキに背負われているアイナもだ。
「イチカ、あの射出体は分かるか?」
「〈泥スライム〉が撃ち出した物は、体内に取り込んだ泥のようです」
身を潜めた建物の壁にべっとりと貼りついたソレを見て、イチカは即座に分析する。
彼女の言う通り、〈泥スライム〉が撃ち出したのは再結合した際に取り込んだ泥だ。その泥──量にして拳大よりやや小さいぐらい──を撃ち出したのだろう。
泥だけに貫通力はそれほどでもないが、直撃すれば相当な衝撃を受けるに違いない。加えて、その泥は酸性を帯びている。決して無視はできない脅威だ。
「あの〈スライム〉がどれだけ泥を取り込んでいるのか不明だが……さて、撃ち出される泥を全て避けながら、逃げ切れると思うか?」
ショウのその問いに、即座に首を縦に振る者は一人もいなかった。
◆◆◆
「うおおおおおおおおっ!! 死ぬ気で避けろよ、ジェボクっ!!」
「おうともさっ!! そう言うユウジもドジるんじゃねーぞっ!!」
遮蔽から飛び出し、〈泥スライム〉の注意を引くために大声を出すユウジとジェボク。
〈スライム〉の類に聴覚はないが、音とは空気の振動である。そのため、声を出せば空気の振動を感知して〈スライム〉は反応を見せる。
もちろん、それは〈泥スライム〉も同様であり。
イチカが立案した作戦のもと、ユウジとジェボクはあえて大声を出して〈泥スライム〉の注意を自分たちへと向けさせた。
そして、作戦通りに〈泥スライム〉は後輩たちに反応する。
体表から数発の泥酸弾を射出し、ユウジとジェボクを攻撃する。
「そいつらばかりに注意を向けていていいのか?」
「ボクたちもいるんですよねー」
ユウジたちからやや遅れて、フタバとミサキも遮蔽から飛び出して〈泥スライム〉を銃撃する。
〈泥スライム〉に銃弾は効果ないが、それでも構わずにどんどんと銃弾を〈泥スライム〉へと撃ち込んでいく。
ユウジたちとフタバたち。合計四人の発掘者たちが、挑発するように〈泥スライム〉の周囲を走り回り、〈泥スライム〉はそれに反応して体表から次々に泥酸弾を撃ち出す。
するとどうなるか。
〈泥スライム〉が体内に泥を有しているのは、株分けして再集結した際に、グラウンドの土を体内に取り込んだからだ。
〈スライム〉の体内に取り込まれた物質は、時間が経過すればやがて〈スライム〉に消化吸収される。それは土も例外ではない。
今の〈泥スライム〉は、株分けしたばかりで体内に泥が残っている。これから時間が経過すれば、その泥も消化吸収されるだろう。
だが、それにかかる時間は不明である。
当初、〈泥スライム〉の体内の泥が吸収されるまで、どこかに身を潜めることもショウたちも考えた。
体内の泥さえなくなれば、ショウの「目」で【核】が見える可能性が高い。【核】さえ見れば、物理攻撃が意味をなさない〈スライム〉であろうとも一撃で倒せることは既に実証されている。
そのため、〈泥スライム〉の体内の泥が消化されるまで待とうとショウたちは考えたのだ。
だが、それにもリスクはある。
この旧陸上自衛隊横浜駐屯地の周囲には、数多くの【インビジリアン】が潜んでいる。
ショウたちが駆除したことで、今は駐屯地内の【インビジリアン】は激減しているが、時間が経過すれば周囲から再び【インビジリアン】が集まってくるかもしれない。
〈泥スライム〉が体内の泥を吸収するまでの時間が不明である以上、駐屯地内にいつまでも留まるのは危険とショウは判断した。
なら、別の方法で〈泥スライム〉から泥を取り除けばいい。
すなわち、〈泥スライム〉自身に体内の泥を吐き出させればいいわけだ。
ユウジとジェボク、そしてフタバとミサキの四人があえて標的となって、〈泥スライム〉に泥酸弾を撃たせる。
泥酸弾を撃たせ続ければ、遠からず〈泥スライム〉が蓄える泥はなくなるだろう。
今、ショウたちがいるのはアスファルトの上だ。土が剝き出しの足場であれば、〈泥スライム〉が再び泥を補給する──〈スライム〉のそれだけの知恵があるかは不明だが──こともできるだろうが、アスファルトの上ではそれも不可能である。
◆◆◆
「ショウ様、いかがですか?」
アイナの護衛と状況分析のためにショウの傍に残ったイチカが尋ねる。
尋ねた内容──それは説明するまでもないだろう。
「ユウジたちががんばってくれたおかげで、徐々に『視』えてきた」
必死の形相で泥酸弾を躱しているユウジとジェボク。フタバとミサキは、さすがに余裕を持った感じで回避を続けている。
〈泥スライム〉の体色がどんどんと薄くなっていき、それに合わせてショウの「目」には徐々に【核】が「視」えてくる。
そして。
「フタバたちに連絡! 〈泥スライム〉から離れさせろ!」
「承知したしました」
ショウの「目」に〈泥スライム〉の【核】と銃口から伸びる「線」が見えた時。
彼はイチカを通じて囮を続ける四人に退避を命じた。
そして。
ショウの「目」に映るライフルの銃口と【核】と繋ぐ「線」が真っすぐになった瞬間。
彼はライフルの引き金を静かに絞り込んだ。




