告白
エーリクは半壊した宿舎の横を歩いていた。足元では消し炭になった宿舎の柱や壁が、ザクザクと音を立てて崩れていく。その脇では傷ついた男たちが、身を丸めて座り込んでいた。その誰もが、殺気を宿して歩くエーリクに顔を伏せる。
エーリクの視界には、この「請願者」を取り巻く悲惨な状況など、全く入っていない。己に対する怒りだけが、エーリクの心を焼き焦がしていた。
『なぜ遅れた……』
幾度となく自分自身に問いかける。あの男が体でナイフを叩き落さなければ、マーヤはあの場で命を落としていた。それをすべきはあの男ではなく、マーヤの盾たる自分のはず。
その理由は十分に分かっている。マーヤが命の危険を冒して追ったあの男への嫉妬だ。それを認めることを、エーリクの心が拒否し続けていた。
ザク……。
黒い消し炭が、足元で乾いた音を立て続ける。
「エーリク!」
不意に誰かの呼ぶ声がした。顔を上げると、革の上着をだらしなく肩に掛けた中年の男が、エーリクに手を振っている。男は突き出た腹を揺らしながら、エーリクの元へ歩み寄った。
「ブスカさん、何かご用ですか?」
「別に用事という訳じゃないが……」
請願者の副長の一人であるブスカが、肩をすくめつつ、宿舎の横に広げられた天幕を指さす。
「だいぶ人数が減っちまってな。食事が寂しくてしょうがない。エーリク、お前も一緒にどうだ」
ブスカの誘いに、エーリクは首を横に振った。
「マーヤ様の警護があります」
そう答えたエーリクに、ブスカがあきれた顔をする。
「お前さんにとって、マーヤお嬢さんは神様そのものだな。しかし敵だって、ヘラルドさんにこっぴどくやられたばかりだ。すぐに仕掛けてくる余裕などないさ。それにエーリク、お前さんはまだ育ちざかりだろう?」
「育ち盛り?」
「食事係が、いつも二人分持って行くって嘆いていたぞ。まあ、お前さんぐらいの年には、食い物と女のことばかり考えるのは当たり前だ」
そう告げると、ブスカは口の端を持ち上げた。その姿に、エーリクは得体のしれない恐怖を感じる。
『あの女のことが、ブスカにばれている……』
顔は笑っているが、その目は決して笑ってなどいない。エーリクの背中を冷たい汗が流れた。
「だが食糧問題も解決だ。何せ人が半分近くまで減っちまった。人間、食べられるうちが華だな」
言葉を返せないでいるエーリクに、ブスカが突き出た腹を叩いて見せる。
『本当に食べ盛りだと思っているのかもしれない……』
その態度にエーリクは安堵した。しかし地下室に置いているあの女のことは、いつかはばれる。なぜマーヤにそっくりなのかも、未だに分からない。
「そうだ!」
ブスカは何かを思い出したように手を叩くと、腰に付けた袋を持ち上げた。
「お前から、マーヤお嬢さんにこれを渡してくれ」
エーリクの目の前に、茶色のふわふわの毛をした、愛らしい顔のぬいぐるみが差し出された。
「クマ……?」
「どこかの部屋にあったらしい。マーヤお嬢さんも年頃の女の子だろう。ぬいぐるみぐらい、部屋に置いてもいいはずだ」
ブスカはエーリクにぬいぐるみを押し付けると、天幕の下で食事を取る男たちの元に戻っていく。エーリクは手にしたクマを眺めながら、まだ東領にいた時、マーヤの部屋にたくさんのぬいぐるみが飾ってあったのを思い出した。
『あの日々が戻ることはあるのだろうか?』
ふとそんなことを考えたが、今はそんな思い出に浸っている場合ではない。エーリクは頭の中から遠い日々を追い出すと、マーヤの警護に向かうべく、崩れかけた階段を上った。
ギィ――!
二階に上がる手前で、耳障りな軋み音と共に、扉の開く音がする。半壊した廊下に、シーツだけを身にまとったマーヤが姿を現した。壊れた屋根から吹き込む風が、背中までおろした黒い髪を揺らす。
『マーヤ様――』
マーヤはエーリクに気づくことなく、名残惜しそうに出てきた扉に額を押し付けると、自分の部屋へと姿を消した。エーリクの心に、どす黒い怒りの炎が湧き上がってくる。
『まただ……』
マーヤが王都を訪れた夜、ある屋敷の暗がりで警備に立っていたエーリクは、マーヤが恋心を抱く男の部屋から出てくるのを目にした。その時も額を扉に押しつけている。
相手はエーリクなど足元にも及ばない大貴族の子弟であり、その時はマーヤが恋を実らせたことを、エーリクは素直に喜んだ。だが今は違う。あの男はマーヤの同情心に付け込み、マーヤの心を、そして自分の居場所を奪おうとしている。
『なんであの男なんだ!』
エーリクは思わず腰の短剣に手を伸ばした。しかしマーヤの意にそむくことは、どんなことであろうと許されない。
『あの女だ――』
エーリクは貴賓室の地下にいる、マーヤそっくりの女のことを思い出した。
『私のクエルをお前が襲ったの?』
森で戦ったときに、あの女がエーリクに告げた言葉だ。女はあの男とつながっている。それも恋人同士だったに違いない。
『思い知らせてやる!』
エーリクは廊下に背を向けると、焼け焦げた階段を駆け下り、敵味方の人形の残骸の山を抜けて、無傷の貴賓室へと入った。棚の仕掛けを動かし、地下へと続く厚い扉を開ける。
「ふ~ん、ふ、ふ、ふ~ん……」
すぐに調子の外れた鼻歌が聞こえてきた。階段を下りる足音に気づいたらしく、鼻歌が止まる。
「おかえりなさい!」
赤い髪の毛を翻して、女がエーリクの方を振り向いた。しかしすぐに顔を曇らせる。
「随分と焦げ臭い匂いがしたけど、何かあったの?」
女の問いかけを無視して、エーリクは冷めた目で女を見つめた。髪の色こそ違うが、どこから見てもマーヤだ。しかしこの女はマーヤではない。
「そのぬいぐるみは?」
女がエーリクが手にしたままだった、クマのぬいぐるみを指さす。エーリクはぬいぐるみを床に投げ捨てると、女の手首を掴んだ。
「いきなり何をするの、痛いでしょう!」
嫌がる女を、そのままベッドへ引きずっていく。
「やめて!」
「叫んでも無駄だ。誰も助けには来ない」
女は足で蹴って抵抗するが、エーリクには敵わない。エーリクは女をベッドに押し倒すと、女の服に手を伸ばした。次の瞬間、女が抵抗するのをやめて、オレンジ色の瞳でエーリクを見つめる。
『あきらめたのか……』
エーリクがそう思った時だ。
「あなたが私の体を奪っても、私の心は決してあなたのものじゃない」
女が涙を見せることなく告げる。エーリクは慌てて女の体から手を放した。
『一体何をしようとしていたんだ?』
心の底から後悔の念が湧き上がってくる。自分の居場所を失う恐怖を、ただ無力な者にぶつけようとしていた。こんな男に護衛役など勤まるはずがない。
「お、俺は――」
エーリクの目から涙が零れ落ち、それが女の胸元を濡らす。その姿を眺めながら、女が小さくため息を漏らした。そして震える指を、エーリクの頬を流れる涙にそっと添える。
「誰かにぶつけたかっただけなのね。でもそれだけじゃ何も変わらない」
頬に触れる指先の温かさを感じながら、エーリクは子供に戻ったみたいに泣き続けた。この女の言葉がなければ、自分は一生抜け出られない沼に落ちていたことだろう。この女が何者なのかは知らないが、名前だけは知っている。
「フリーダだ」
「フリーダ?」
エーリクは顔を上げると女に頷いた。
「お前の名前はフリーダだ」




