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異物

 クエルは林の中に飛び込むと、木立の間から差し込む月明かりを頼りに、辺りをじっと見回した。敵がいる気配はしない。頭上を見ても、飛行型が後を追ってくる様子はなかった。


 ほっと息を吐いて、クエルは演習場にいる人形たちへ意識を向けた。彼らを動かせば、敵の注意を引けるだろう。だがすぐにこちらに向ければ、マーヤたちの逃げる時間が無くなる。


『集まれ!』


 クエルは頭の中で、人形たちを巨大な塊にした。それを3つに分けると、並行思考を使って、それぞれ異なる方向へ動かしていく。飛行型の人形が、月を背後に旋回するのが見えた。注意を引くのには成功したらしい。


『その後はどうする?』


 何も見えなくなった夜空を眺めながら、クエルは考えた。ケルベロスと戦って分かったことがある。セシルがいない今、宮廷人形師たちを相手に、自分一人で戦えるとは思えない。しかし彼らの注意を自分に向けることが出来れば、マーヤたちが立て直す時間は作れる。


『それが出来れば十分だ』


 クエルはそう心に決めると、敵を少しでも引き離すために、森の奥に向かって走り出した。


「どこに行くつもりだ?」


 不意にどこかから声が聞こえた。気のせいか、聞き覚えのある声だ。クエルはサラスバティに剣を構えさせると、大木の陰に身を隠して辺りをうかがった。木立の間から、王都守護隊の制服に身を包んだ男性が姿を現す。

 

「校長先生――!」


 クエルの口から驚きの声が漏れた。鍔なし(ベレー)帽をかぶったアルマイヤーが、クエルをじっと見つめている。


「イフゲニアから聞いたはずだ。国学は生徒の自主退学を認めていない」


 クエルはアルマイヤーに対し、背後を指さした。そこでは崩れ落ちた宿舎が、炎を上げて燃えている。


「アルマイヤー校長先生、国学はもう存在しません」


「誰がそれを決めた? 秩序というものは法に基づく合意があって成立する。君についてもそうだ。君は宣誓し、国家人形師養成学校の生徒になった。それを勝手に変えることは許されない」


 アルマイヤーの言葉に、クエルは面食らった。それを変えたのは自分ではない。暴走した人形たちと、それによって巻き込まれたこの戦争だ。


「秩序とは何です? そんなものがあるのなら、どうしてフリーダやセシルが、あんな死に方をするんです!」


 クエルの叫びに、アルマイヤーが大きくため息をつく。


「秩序とは、一人の人間の幸福で図るべきものではない。世の大半の人たちが、同じような日々を過ごせるかどうかで、判断すべきものだ」


「そんなものはどこにもありません。すべては失われたんです!」


「ならば、君はどうしたい? 泣き叫ぶだけなら赤子でもできる。それを考えるのが、ここ国家人形師養成学校だ」


「どうしたいって……」


 アルマイヤーが冷たい眼差しで、クエルをじっと見つめる。


「では私から問おう。一人の人間の行動が、歴史を変えることがある。いわゆる英雄と呼ばれる人たちだ。同じように、一人の人間の無自覚な行動が、取り返しのつかない混沌をもたらす。君はそのどちらだね?」


「僕は――」


 自分は決して英雄なんかじゃない。英雄ならば、フリーダやセシルが、この世界からあんな姿で去ることはなかった。無言のクエルに、アルマイヤーが再び嘆息する。


「やはり君は後者だな。自分が持つ力の本質を理解していない、単なる()()だ」


 アルマイヤーの前に、派手な色の服を着た、ピエロを模した人形が飛び出してきた。この人形には見覚えがある。選抜でジェームズが繰っていたクラウンだ。


「もしかして、ジェームズさんて……」


「君は国学に入る前から、様々な人々から注目の的だった」


「僕が父さんの息子だからですか?」


「それだけではない。君は自分の母親について、何を知っている?」


「父から人形技師だと聞きました」


「そんなあり触れた言葉で表現できる存在ではない。人形技師の祖、ウルバノ・ジュリアーノの直系にして、歴史上もっとも偉大な天才人形技師だ」


「ウルバノ……」


 クエルの脳裏に、セレンの製造票に記されたウルバノの文字が浮かんだ。


「月がきれいすぎたせいだな。今宵は少しおしゃべりが過ぎた」


 アルマイヤーがにやりと笑う。同時にクラウンの手で何かが光った。選抜の時と同じように、その手にはナイフが握られている。息つく暇もなく、四本のナイフがクエルめがけて放たれた。


 キーン!


 飛んできたナイフを、サラスバティが四本の剣で弾き飛ばす。


 パチ、パチ、パチ――!


 それを見たアルマイヤーが、おもむろに拍手をして見せた。


「まだ人形を繰って一年にも満たないのに、四本の腕を完璧に操るとは見事だ。しかしまだ俺のクラウンには勝てない」


 色とりどりの布を張り合わせた、クラウンの派手な衣装がふわりと動く。その背中から、新たな二組の腕が姿を現した。


『サラスバティ!』


 六本の腕からナイフを放たれたら、サラスバティがどんなに俊敏でも、全てのナイフを弾くのは難しい。先手を打つべく、クエルはサラスバティをクラウンめがけて突進させた。


 サラスバティの剣が、クラウンの体を貫いたと思った時だ。一陣の風とともに、クラウンの体が消える。アルマイヤーの姿もどこにもない。


『どこだ!』


 クエルは辺りを見回した。


「俊敏なのは君の人形だけじゃない」


 アルマイヤーの声がした。いつの間にか、ぽっかりと開いた木々の間の草地に、クラウンが月明かりを浴びて立っている。仮面をつけたクラウンが、道化らしく、くるりと回ってクエルにあいさつをした。その手には二本ずつのナイフが握られている。


『マスター、私を盾に!』


 ラートリーの声が頭に響く。しかしサラスバティがクエルの前に移動するより早く、12本のナイフがクラウンの手から放たれた。ナイフは弧を描くと、クエルを包み込むように飛んでくる。


『避けられない!』


 クエルがそう思った時だ。視界がいきなりモノクロへと変わった。夜の闇に沈んでいた木の枝が、線で描いたみたいに、はっきりとした姿を描く。人形の感覚に引き延ばされた時間の中で、何本ものナイフが、回転しながらクエルへ迫ってくるのが見えた。


『これって……』


『はい、マスター。私の視界です』


 当惑するクエルに、ラートリーが答える。クエルは自分自身を眺める奇妙な感覚の中、ナイフを避けるべく体を動かした。白黒の視界の中で、自分の体がゆっくりと動いていく。どうしても避けられないナイフを、サラスバティの剣が弾き飛ばした。


 次の瞬間、夜が、人の世界が戻ってくる。だがクエルの体は鉛のように重く、意識もはっきりとしない。


「その人形とも本同期が出来るのか?」


 クラウンの背後に現れたアルマイヤーが、首をひねって見せる。


「まさかな……」


 クラウンの手に再びナイフが現れた。今度はそれぞれの手に三本のナイフが握られている。


「クエル!」


 背後からマーヤの声が聞こえた。逃げずに森に来たらしい。こちらに駆けてくる足音がする。


「東領公女か? 君も生き残らなければ、こんな苦労はしなかっただろうに――」


 アルマイヤーのつぶやきと共に、クラウンの手からナイフが放たれた。


『ラートリー、もう一度だ!』


 クエルは自分の精神力の全てを、サラスバティとの繋がりに注ぎ込んだ。クエルの視界が再びモノクロへと切り替わり、無数のナイフが弧を描きながら、マーヤに向かうのが見えた。


 背後にいるエーリクが、アイゼンの腕と一体になっている盾を、マーヤの前に差し出そうとするが、間に合いそうにない。


『マーヤを守れ!』


 クエルの叫びに、サラスバティが剣を動かす。だがナイフの数が多すぎて、弾ききれない。クエルの脳裏に、麻袋から零れ落ちるフリーダの赤い髪が浮かんだ。


『あんなものは、二度と見たくない!』


『マスター、何を!』


『僕の体でマーヤを守る!』


 ラートリーの叫びを無視して、クエルは体を動かし続けた。ナイフがクエルの肌を切り裂く。それでもクエルは腕や足を、躊躇なくナイフにぶつけた。


『あと一本!』


 ナイフの切っ先が顔に迫る。それでもこれを何とか出来れば、マーヤは助かる。


 ザク!


 何かが切り裂かれる音と共に、世界に色が戻ってきた。敵の指揮官が上げていたものと同じ、赤い血潮がクエルの視界を覆っていく。その向こうで、琥珀色の瞳がクエルを見つめていた。


「どうして私の言う事を聞かないの!」


「無理だよ。だって君は……僕が一番好きだった子に……そっくりなんだ……」


 体を氷で覆われたような冷たさを感じる。クエルは耐え難い眠気に誘われるまま、深い眠りへと落ちて行った。

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