死線
マーヤは頭の痛みに耐えながら、宿舎裏に集う男たちを見上げた。その中にはマーヤの従者である、エーリクの姿もある。エーリクは自分が繰る騎士人形のアイゼンの盾を掲げて、降り注ぐ火の粉からマーヤたちを守っていた。
「ここは私たちに任せて、休まれていたほうが――」
一番年かさの男が、マーヤの頭に包帯を巻きながら、心配そうに声を掛けてきた。
「このぐらい大丈夫よ」
そう答えて立ち上がろうとしたが、体がふらついて、うまく立ち上がれない。それを見たエーリクが、駆け寄って手を差し出すが、マーヤはその手を押しとどめると、何とか一人で立ち上がった。
「それで、ヘラルドさんからの指示は?」
「霧は無しだそうです」
マーヤは男たちが運んできた人形、アプサラスの優美な姿を眺めた。アプサラスは大気を冷却して、霧を作る力を持っている。それを使わないという事は……。
「逃げるのは無しと言うこと?」
マーヤのセリフに、年かさの男が頷く。
「敵は奴が動かした人形群を追跡中です。それにキマイラの雷撃を使います。近寄らずに、対雷撃用のマントを着用するよう指示が出ています」
男のセリフに、マーヤは燃え盛る炎の隙間から夜空を眺めた。敵の飛行型の人形が、何かを追って旋回しているのが見える。その一方で、広場に転がるケルベロスの残骸の向こう、クエルが走り去った林に敵の気配はない。
「まだ生きているのは確かね……」
そうつぶやくと、マーヤは背後に立つエーリクへ顔を向けた。
「私は彼を追う。エーリク、ついてきて」
それを聞いた年かさの男が、慌てた顔をした。
「二人だけでは危険です。我々もお供します」
「大勢で追いかけたりしたら、それこそ敵に気づかれる。それにクエルよ」
「クエル……ですか?」
呆気にとられた顔をする男に、マーヤは頷いた。
「彼の名前はクエル。奴じゃない」
マーヤはマントを着た男たちに背を向けると、アプサラスと共に、ケルベロスの残骸の先にある、林の中に駆け込んだ。
差し込む月明りを頼りに、木立の間を走り続ける。アイゼンを率いたエーリクが、その背後に続いた。しかし枝が夜風に揺れるだけで、クエルの姿はどこにもない。
「はあ……はあ……」
自分の荒い息が耳に響く。頭の痛みはよりひどくなり、視界すらぼんやりしてくる。
「マーヤ様、私が先行します。マーヤ様はここで休まれた方が――」
エーリクの呼びかけに、マーヤは足を止めると、背後を振り返った。
「エーリク、そんな暇はないわ。それにヘラルドさんから、目を離さないように言われているの」
マーヤは流れ落ちる汗をぬぐいながら、月明りに照らされた林の中を見つめた。いつの間にか風が強くなったらしく、木々が人のざわめきみたいな音を立てている。
『逃げたのかも……』
ふとそんな考えが、マーヤの頭に浮かんだ。しかし逃げるつもりなら、人形たちを使って、敵をこちらから引き離す必要などない。
「自分だけで、何とかするつもりね。本当に言うことを聞かないんだから……」
「何でしょうか?」
「なんでもない」
マーヤがエーリクを待たずに、さらに奥に駆け出した時だ。木立が切れ、ぽっかりと空いた草地があった。そこに小柄な少年が、妖艶な姿をした人形を連れて立っている。人形が手にした剣を一閃するのが見えた。
キーン!
乾いた金属音が辺りに響き、弾き飛ばされたナイフが、周囲の木々に深々と突き刺さる。
「クエル!」
そう口にしてから、マーヤは不用意に声を上げたことを心から後悔した。草地の奥に、奇妙な服を着たピエロを模した人形と、王都守護隊の制服を着た人物がいる。
「東領公女か?」
その問いかけに、マーヤは焦った。敵はこちらの正体を知っている。
「君も生き残らなければ、こんな苦労はしなかっただろうに――」
月明かりの元、ピエロが銀色の仮面をマーヤに向けた。その体からは六本の腕が生えており、手には無数のナイフが握られている。ただの人形師などではない。間違いなく手練れだ。
『アプサラス――』
マーヤは人形に意識をつなぐと、それを自分の前へ動かした。しかしアプサラスが動き出すより早く、ピエロを模した人形の腕からナイフが放たれる。
『油断した!』
マーヤは飛んでくる無数のナイフをただ眺めた。背後からエーリクが走ってくるが、とても間に合わない。死を前にして、すべてがゆっくりと動いて見える。マーヤは東領での平和な日々、父と母と食事をしながら、笑い声をあげていたのを思い出した。それが燃える炎の中に消え、自分の手が血に染まっていく。
『これで終わりね……』
まぶたを閉じようとしたときだ。立ちすくむマーヤの視線の先で、クエルが奇妙な動きをするのが見えた。飛んで来るナイフに向かって、自分の方から当たりに行っている。その度にナイフは軌道を変えて、マーヤの横を通り過ぎた。
だがクエルも無事では済まない。腕や足が切り裂かれる。その一本がクエルの首筋を捉えた。真っ赤な血しぶきを上げて地面に倒れ込む。
『何を……しているの……?』
マーヤは敵がいるのも忘れて、クエルの元へ駆け寄った。血まみれの体を抱きかかえ、首筋の傷を手で押さえつける。しかしその程度で出血は止まらない。瞬く間に指の間から血が溢れ、地面に積もった落ち葉を赤黒く染めていく。
「どうして私の言う事を聞かないの!」
そう叫んだマーヤの瞳を、クエルはぼんやりと眺めた。
「無理だよ。だって君は……僕が一番好きだった子に……そっくりなんだ……」
『一番好きだった子……?』
その言葉にマーヤは戸惑った。しかし今は余計なことを考えている場合ではない。クエルの瞳から、徐々に光が失われていく。
「マーヤ様!」
エーリクがアイゼンと共に、マーヤの前に飛び出してきた。エーリクはアイゼンに盾を構えさせると、再び飛んできたナイフを弾き飛ばす。
「ここは危険です。すぐに撤退を!」
「エーリク、敵の相手をお願い。私は彼の命を救う!」
マーヤはそう叫ぶと、アプサラスの手をクエルの首元に添えた。
『凍れ!』
頭の中でアプサラスに命じる。アプサラスの手が瞬く間に白く凍り、それがクエルの首筋へと伸びて行く。血が凍って、クエルの出血が止まった。
「なぜ死なせてやらない?」
不意に林の奥から声が聞こえてきた。顔を上げると、王都守護隊の制服を着た男が、こちらをじっと眺めている。
「生き残っても、君と同じく誰かの道具になるだけだ。素直に死なせてやれ」
「人の命を何とも思わない王都の犬が、何をほざいているの!」
マーヤの叫びに、男は肩をすくめて嘆息した。
「世の中には秩序というものがある。彼はそれを乱す異物だ」
「あなたたちにとって都合が悪い。それだけのことでしょう?」
それを聞いた男が、ニヤリと笑って見せる。
「流石はあの方の血筋だ。その通りだよ」
シュン――!
男に向けてアイゼンの槍が繰り出された。男は槍を紙一重で避けると、派手な服を着たピエロの人形と共に、槍の間合いの外へ飛び退く。エーリクは無言でアイゼンを進めると、さらに槍を繰り出した。二体の人形が戦い続ける中、マーヤは自分の腕に横たわるクエルをじっと見つめる。
「あなたの中に誰がいるのかは知らない。それでも私の為にあなたを死なせたりはしない」
マーヤはクエルの頬に手を添えると、その月より青く見える唇に、己の唇を重ねた。




