強襲
クエルは幾度も寝返りを打った後に、眠るのを諦めて目を開けた。身も心も疲れ果てているのに眠れない。いや、眠りにつくことを恐れていた。眠れば必ずフリーダとセシルのことを夢に見る。
「絶対に寝ろと言われても、無理なものは無理だよな……」
クエルは上半身を起こすと、窓越しに高く昇った月を眺めた。満月に近い月の表面を、黒い影が横切っていく。
『渡り鳥……?』
綺麗に三角形を作る姿に、クエルは最初はそう思った。しかしまだ夏で、渡り鳥が飛んでくるには早すぎる。クエルの視線の先で、影が瞬く間に大きくなっていく。その背に人影が見えたところで、クエルはベッドから飛び出した。
「飛行型!」
鳥なんかではない。人形師が操る人形だ。それが群れを成してこちらへ飛んでくる。よく見れば、飛行型の人形たちからは細い紐が伸びていて、二体一組で、黒い塊をぶら下げていた。それがきれいな三角形の正体だ。
何をぶら下げているのか確認しようと、クエルが窓際へ駆け寄った時だった。紐が切り離され、黒い塊がこちらに飛んで来る。
ドゥガ――ン!
衝撃音と共に、クエルの体が宙に浮いた。そのまま床の上を転がる。
ミシ……ミシ……ミシ……。
仰向けになったクエルの頭上で、天井が不気味な音を立てた。次の瞬間、先ほどの音とは比較にならない大音響と共に、建物全体が震える。窓のガラスが砕け、大量の埃が部屋の中に舞い込んできた。クエルは慌てて腕で頭と顔を覆う。
バラ、バラ、バラ……。
落ちてきたガラスの破片で、切り傷を負ったらしく、腕に痛みを感じるが、そんなものを気にしている場合ではない。クエルは破片を払いのけると、立ち上がって窓の外へ顔を出した。
「敵襲!」
あちらこちらから声が上がり、マントを羽織った男たちが、中庭へ飛び出してくる。
「崩れるぞ、建物から離れろ!」
誰かがそう声を上げた時だ。
ガラン――ガラン――。
宿舎の一番上、尖塔に備え付けられていたはずの鐘が、大量のがれきと共に、噴水の中へ転がり落ちていく。
ブン――!
不意に鈍く低い音が響き、レンガの破片が辺りに飛び散った。不気味な影が、がれきの下から這い出そうとしている。
「何かいるぞ!」「先に負傷者の救護を――」
バサ――!
混乱する中庭に、今度は火の玉が落ちてきた。夜間の演習に使う照明弾だ。照明弾は火の粉をまき散らしながら、中庭を黄色い光で満たした。その光が、はい出してきた者の姿をあらわにする。
「何なんだ、こいつは――」
中庭に集う男たちから声が上がった。人の背丈の二倍を超える人形が、大木の幹のような棍棒を手に、男たちを見下ろしている。
ビシャ!
バケツの中身をぶちまけたような音が聞こえた。棍棒が振り下ろされる度に、赤黒い染みが中庭の壁に描かれていく。
ガチ……ガチ……ガチ……。
それを眺めるクエルの体が震え、歯と歯が激しくぶつかる音がした。
「ひるむな、撃て!」
それでも東領風のマントを着た男たちは、手にした弩を構えると、巨大な狂戦士の人形に向けて、矢を放ち始める。
「何をしているの!」
怒声と共に、クエルの体が窓際から引きずり出された。振り返ると、短弩を背負ったマーヤが、張り詰めた顔でクエルを見つめている。
「すぐにここから逃げるわよ!」
「逃げる?」
マーヤの言葉に、クエルは戸惑った。中庭では東領の男たちの反撃する音が続いている。
「僕たちも戦わないと……」
「今のあなたに、出来ることは何もない」
「僕だって――」
そう口にしたところで、クエルはそれが事実であることに気づいた。クエルは人形たちを、全体で一つの人形として繰っている。こんな乱戦では、何を指示すればいいのか分からない。
「それに、敵の狙いはあなたよ」
「ぼ、僕……?」
「空からこの宿舎を狙ってきた。あなたが生き残れば私たちの勝ち。それが分かっているから、みんな命がけで時間を稼いでいる」
そう告げるや否や、マーヤはクエルの手を取って立ち上がらせると、引きずるように廊下へ飛び出した。奥にあるはずのらせん階段は完全に消え失せ、月明りが直接廊下を照らしている。
「こっちよ!」
クエルはマーヤに続いて、廊下の反対側の階段を降りると、裏口から外へ出た。食堂へ向かう渡り廊下の先は、照明弾によって炎に包まれ、進むことが出来ない。
「アプサラスの元にたどり着ければ霧が使える。がれきに隠れて宿舎の外を回るから、ついて来て!」
マーヤの言葉にクエルは頷いた。同時にサラスバティへ意識をつなぐ。
『マスター、ご無事ですか――!』
すぐにラートリーの声が頭に響いた。
『僕は大丈夫だ。中庭はがれきと敵で抜けられない。食堂側も照明弾の炎で通るのは難しい。僕とマーヤは宿舎の外を回って人形だまりへ向かう。敵との交戦を避けて、僕らに合流してくれ』
『マスター、了解です!』
「ぐずぐずしないで!」
マーヤはクエルを怒鳴りつけると、崩れ落ちた壁の陰に身を潜めて動き出した。クエルも慌ててその後を追う。しかし足元が悪く、うまく前に進めない。不意に先を行くマーヤの足が止まった。
「た、助けてくれ……」
男が一人、クエルたちの方へにじり寄ってくる。男は恐怖に歪む顔で、背後にある壁を指さした。顔を上げると、壁全体に巨大な猛獣の影が映っている。だが何かがおかしい。頭のあるべきところで、影がいくつも重なっている。
クエルは恐る恐る影の先へ視線を向けた。照明弾の炎を背景に、血だらけの男たちを咥える猛獣の姿がある。その数は3つ。
「地獄の番犬!」
古代の神話を模した姿に、クエルは思わず声を上げた。ケルベロスが、咥えていた者たちを宙に放り投げる。
ドン!
東領の男たちの体は、照明弾の中に落ちると、瞬く間に炎に包まれた。
「ヒィ――!」
それを見た男が、さらに顔を歪ませながら、クエルたちが隠れる壁に向けて駆けてくる。
ガラ、ガラ、ガラ――。
男の足元で、派手な音を立ててがれきが崩れ落ちた。その音に反応したのか、ケルベロスの頭の一つが、ゆっくりとクエルたちの方を向く。それを見たマーヤが、短弩を手に立ち上がった。
「私が囮になるから、その隙に広場の向こうまで走って!」
「待て!」
クエルが止めるより早く、マーヤは壁の陰から飛び出した。それを見たケルベロスが、天高く跳躍する。マーヤはがれきの上を転がって、その一撃を避けると、ケルベロスの口に向けて矢を放った。ケルベロスはそれを気にすることなく、再びマーヤに向かって跳躍しようとする。
「おい、こっちだ!」
クエルは迷うことなく声を上げた。そのままマーヤと反対側の広場に向かって駆け出す。
「馬鹿!」
マーヤの怒声を無視して、クエルは広場を走り続けた。反転したケルベロスが、クエルの後を追う。その牙がクエルの背後に迫った時だ。何かがケルベロスの下に潜り込むように飛び込んできた。
キーン!
金属同士の激しくぶつかる音が響く。
『マスター、お待たせしました!』
サラスバティは一組の腕でケルベロスの左右の頭を押さえると、もう一組の腕に持つ剣を一閃した。
ドサ!
ケルベロスの真ん中の頭が地面に転がる。ケルベロスは着地すると、残った左右の頭と前肢の爪で、サラスバティを切り裂こうとする。
『速い!』
その動きにクエルは驚いた。これまでの相手とは格が違う。サラスバティは四本の腕で剣を振るい続けるが、弾き返すのが精一杯で、反撃の糸口すら掴めない。
バサ――!
焦るクエルの頭上で、翼のはためく音がした。巨大な黒鳥の姿をした人形が、上空を旋回していく。その背には二人の男が乗っていた。後ろに乗る男がケルベロスを操り、前に乗る男が黒鳥を繰っている。これでは人形師を狙うことも出来ない。
焦るクエルの視線の先で、黒鳥の背に黄色い光が灯った。手にした照明弾を、クエルたちめがけて投げつけようとしている。
「ここまでか……」
クエルは覚悟を決めて目を瞑った。
「射界を開けて」
冷静な声に目を開けると、膝をついて短弩を構えたマーヤが、じっと空を見つめている。
ビュン!
クエルが地面に伏せるや否や、弓弦の音が響いた。照明弾を投げつけようと、黒鳥の上から身を乗り出していた敵が、胸を抑えて倒れ込んだ。次の瞬間、羽ばたくのをやめた黒鳥が、真っ逆さまに地面に落ちてくる。
ズオオオォ――ン!
黒鳥は敵の人形師をのせたまま、激しく地面に激突した。照明弾の黄色い炎と共に、乗っていた男たちの体が、がれきの上に放り出される。サラスバティを追い詰めていたケルベロスも、動きを止めて沈黙した。
クエルは地面に転がる人形師たちの元に歩み寄った。耳につけた水晶が、月の光を浴びて、深い青色に輝いている。その色が彼らの人形師としての地位を現していた。
「宮廷人形師……」
王家直属の最高位の人形師たちが、貴重な飛行型の人形と出撃してきたという事は……。
「本気で僕を殺しに来たという事か……」
クエルは男の胸に突き刺さる弓を眺めた。マーヤがこれを撃ってくれなければ、今頃は炎に包まれていたことだろう。そう言えば、矢を放ったマーヤの姿がどこにも見えない。
「マーヤ!」
呼びかけても、マーヤから答えはなかった。慌てて辺りを見回すと、黒鳥が巻き上げたがれきの下に、皮のつなぎが見える。クエルはがれきを払いのけると、マーヤの体を抱き上げた。破片で切ったらしく、こめかみの上から血が流れている。
「しっかりしろ!」
クエルの呼びかけに、マーヤは何の反応も返さない。首元に手をそえると、指先に脈を感じた。
「マーヤ!」
再度の呼びかけに、マーヤの瞼がゆっくりと開く。ぼんやりとした目でクエルを見るが、焦点が定まらない。
「脳震盪を起こしているみたいですぜ。動かさない方がいい」
いつの間にか横に来た男の言葉に、クエルは頷いた。男がマントの端を切り裂いて、マーヤの頭の傷を縛り付ける。
「マーヤを頼みます。エーリク君を見つけて、彼に彼女を預けてください」
「あんたは?」
「僕にしか出来ないことがあります」
男が呆気に取られた顔でクエルを眺める。
「あんたにしか出来ないことって?」
「囮です」
クエルは絶句する男にマーヤを託して立ち上がった。敵の目標は間違いなく自分だ。それなら誰かが自分の為に命を張る必要はない。自分が囮になって、敵をマーヤたちから引き離す。
「サラスバティ!」
クエルはマーヤを一瞥すると、サラスバティを引き連れて、宿舎横の林に向かって走り出した。




