戦場
クエルはサラスバティと共に、演習場に並ぶ人形たちの間を進んだ。消えゆく霧の向こうから、白竜騎兵団の騎士たちが、長大な槍を掲げて進んでくる。
居並ぶ人形たちを前に、クエルは立ち止まった。いくら並行思考を駆使しても、これだけの人形を繰ることなど出来ない。恐怖に胃が縮み、悲鳴を上げたくなるような痛みを感じる。
『セシル、どうすれば……』
クエルは無意識にセシルに助けを求めた。自分がいかにセシルに頼っていたかがよく分かる。「二つにして一つ」の意味も。自分はセレンを繰っていたのではない。一緒に考え、感じ、行動していた。
ドン!
足元に深々と突き刺さった槍が、クエルを現実に引き戻す。見上げると、夏の日差しを受けて輝く槍が飛んできた。
ドン、ドン、ドン!
低く鈍い音と共に、槍に撃たれた人形たちが、破片をまき散らして倒れていく。
『防がないと――』
頭では分かっているのだが、体が、心が動かない。
『私がお守りします!』
呆然と立つクエルの前に、サラスバティが飛び込んできた。サラスバティは四本の腕に剣を掲げると、飛んでくる槍を弾き飛ばす。
「ハハハハハ!」
剣を振うサラスバティの向こうから、嘲るような笑い声が聞こえた。錦糸の肩章をつけた、指揮官とおぼしき人物が、さもおかしそうに体を揺らしている。短く刈り込んだ髭をたくわえ、白い軍服に身を包む姿からは、閥族らしい尊大さを感じさせる。
「山にでも籠っていればいいものを、のこのこ出てくるとは笑止千万」
「わざわざ探す手間が省けました」
指揮官の言葉に、副官らしい人物が相槌を打つ。
「郊外の森で、王都守護隊が苦戦したと聞いていたが、杞憂だったな。このまま包囲、せん滅する」
指揮官の指示に、兵団の人形師たちはさらに両翼を広げつつ、騎士人形に次の槍を構えさせた。背中を冷たい汗が流れ、体の力が抜けそうになる。その時だ。
『救えないのか――』
頭の中に自分の声が聞こえた。
『また誰も――救えないのか――』
『今度こそ、自分の手でマーヤたちを救う!』
心の奥から湧き上がる声に、クエルは叫んだ。自分の意識に集中する。そこから伸びる無数の糸、それが人形たちにつながっているのを感じた。しかしどうすれば、このたくさんの人形たちを、自分一人で動かせるだろう……。
『たくさんの糸――!』
不意に母のくれたあやつり人形が頭に浮かんだ。操り人形につながる糸は一本ではない。何本もの糸が、ピエロの手や足につながっている。
『それと同じだ……』
全体で一つの人形だと思えばいい。クエルは頭の中に大きな操り人形を思い浮かべた。次の瞬間、クエルと人形たちをつなぐ見えない糸が、ピンと張りつめたのを感じる。
「投擲用意!」
副官の声が耳に響いた。クエルは操り人形の腕を前に掲げて、槍を受け止める姿を頭に描く。
「防げ!」
クエルの叫びに合わせて、演習場の人形たちが一斉に動き出した。
「動いたぞ!」
騎士人形の向こうから慌てた声が上がる。
「何をしている、放て!」
副官の声に、人形師たちが投擲の指示を出すが、焦りのためか、その動きはばらばらだ。それでもするどい風切り音と共に、金属の槍がクエルめがけて飛んできた。
ガキン!
激しい金属音が響く。防壁を作った人形たちが、騎士人形の放った槍を身をもって防いだ音だ。弾き飛ばされた槍が、クエルの頭上を越えて飛び去っていく。何体かの人形が倒れるが、すぐに別の人形がその隙間を埋めた。
「例の暴走か!?」
指揮官が当惑した顔で、横に立つ副官に声を掛けた。
「統制が取れています。ですが人形師の姿が見えません」
「考えるのは後でいい、続けて放て!」
動揺する人形師たちに向けて、指揮官が声を張り上げた。クエルは頭の中の操り人形が盾を掲げる姿を描く。それに合わせて、盾を持つ人形たちが前に進み出た。
ドン、ドン、ドン!
巨人が壁を叩くような音がクエルの体を揺らすが、槍は全て盾によって弾かれる。
「槍が効かない!」「退路の確保を――」
人形師たちが狼狽した声を上げた。背後の森に逃げようとする者さえいる。
「逃がさない!」
クエルは操り人形が両腕を広げる姿を浮かべた。獣を模した人形たちが、砂煙を上げて演習場を駆け抜け、騎士人形と人形師たちを包囲する。
「投擲中止、方陣を組む!」
指揮官の声に、人形師たちが我に返ったように動き始めた。全員が指揮官を中心に集まると、その周囲を騎士人形がひし形に取り囲む。隙間なく盾を重ねて、槍を前に掲げた姿は、まるで巨大なハリネズミだ。
「即時撤退を!」
そう進言した副官に、指揮官は首を横に振った。
「撤退など論外だ」
「ですが、相手の数が多すぎます!」
指揮官は指揮棒を動かすと、クエルに向けてそれを動かした。
「周囲に人形師のいる気配はない。これを操っているのは一人、そこにいるガキだけだ」
「一人ですか……」
副官が信じられないと言う顔で、クエルを眺める。クエルの視線を捉えた指揮官が、指揮棒の向こうでにやりと笑った。
「全軍、方陣を維持したまま前進、目標中央の敵人形師!」
ザン!
砂煙と共に方陣が動き出す。盾を掲げた人形たちが、方陣に向かって突撃した。しかし槍によって蹴散らされ、行く手を阻むことが出来ない。方陣を組んだ騎士人形たちは、銀色の矢じりとなって、一直線にクエルに向かってくる。
『逃げるべきか……』
クエルは背後を振り返った。正面からも攻められている。どこにも逃げ道などない。槍が目の前に迫る中、クエルはそれを打ち破る方法を必死に考えた。しかし何も思いつかない。
『セシルならどうする?』
ふとそんなことを考える。きっとセシルは、クエルなど想像もつかない方法で戦うのだろう。なにせブレンダ助教たちの演習でも、侍従服を脱いで囮に使うし、人形を飛び越え生身で――。
『飛び越える?』
クエルは前を見据えた。不敵に笑う相手の指揮官の姿が目に入る。方陣の中にいるのは彼ら人形師だけだ。槍と盾の壁を突破できないのなら、上から攻めればいい。
「放りこめ!」
クエルの声に、人形たちが一斉に動いた。軽量の人形を他の人形が取り囲むと、前後に揺らして空へ放り投げる。
「あり得ない!」
空から降ってくる人形の群れに、副官が悲鳴を上げた。
「逃げるな! 陣を維持しろ!」
指揮官は声をからして叫ぶが、従うものは誰もいない。方陣は完全にばらばらになり、兵団の人形師たちは我先に森へ逃げ込もうとする。
「これでこちらの勝ちだ――」
『マスター!』
思わず安どしたクエルの頭に、ラートリーの警告が聞こえた。他の人形師が逃げまどう中、半身半馬の騎士人形がクエルの前に躍り出る。
「死ね!」
背中に乗る指揮官の声と共に、槍がクエルめがけて突き出された。
シャキーン!
サラスバティの剣がその穂先を切り落とす。別の腕が相手の人形の前足を切断した。棒立ちになった人形の背中から、指揮官が転がり落ちる。
「降伏してください!」
立ち上がった指揮官の首に、サラスバティが剣を突き付けた。だが相手はまるで狂犬のような顔で、クエルを睨み続ける。
「ばけものめが!」
その言葉にクエルは戸惑った。呆然と立ち尽くすクエルに対し、指揮官が腰に下げていた短弩に手を伸ばす。
「降伏しろ!」
クエルは叫んだ。だが指揮官の動きは止まらない。サラスバティの剣を動かせば済む。頭では分かっているのだが、クエルの心がそれを命じることが出来ない。指揮官が弩のトリガーに指を掛けた。
『もう間に合わない――』
思わずクエルが目を瞑った時だ。
ビシャ!
生暖かい液体が、クエルの全身に降りかかった。
『自分の血だろうか?』
何も痛みを感じないことを不審に思いながら、クエルは恐る恐る目を開けた。指揮官の頸動脈から血しぶきが上がり、それが驟雨のごとくクエルに降り注いでいる。その横に短剣を手にしたマーヤが居た。マーヤの体も返り血に真っ赤に染まっている。
ドス!
マーヤが指揮官の胸へ短剣を突き立てた。崩れ落ちる姿を一顧だにせず、マーヤはクエルの方へ歩み寄る。
「ここは演習場じゃない。戦場なのよ」
何も表情を変えることなく告げるマーヤの姿に、クエルはただ無言で頷いた。




