警鐘
宿舎の部屋でスプーンを手に、クエルは盆に置かれた昼食を眺めていた。盆には塩味がきつい焦げた野菜炒めと、パンが乗っている。食事は毎食マーヤが運んできた。おかずは彼女自身が料理しているらしい。
それをマーヤに問いただすと、マーヤはすごく嫌そうな顔をしながら、「毒殺なんかされると、元が取れないの」と答えた。マーヤは隣の部屋で寝起きしていて、クエルはマーヤに軟禁されているとも言える。
クエルにとって、マーヤと顔を合わせるのは苦痛だった。どうしてもフリーダを思い出してしまう。今もこの焦げた野菜炒めを眺めていると、フリーダの黒焦げのクッキーや、晩餐会で一生懸命に料理をする姿が浮かんでくる。
「でも食べないと、また彼女から怒鳴られるな……」
クエルがスプーンでおかずを掬った時だ。
ガラン、ガラン、ガラン!
不意に激しい鐘の音が響き渡った。同時に外が騒がしくなる。
バン!
扉が弾けるように開き、上は肌着のまま、下だけ革のつなぎを身に着けたマーヤが、部屋の中に飛び込んできた。
「何なの!?」
クエルの問いかけに、マーヤが思いっきり呆れた顔をする。
「分からないの? 敵が、王家の人形兵団が攻めて来たのよ!」
「人形兵団が……敵?」
人形兵団を敵だと言い切るマーヤに、クエルは違和感を覚えた。クエルの中では、まだ人形兵団を敵だと認識できていない。
「ここに居ると狙い撃ちにされる。さっさと人形の所へ移動して!」
マーヤは革のつなぎに袖を通すと、クエルの手を引っ張った。クエルはマーヤのなすがままに、宿舎の階段を転がるように降りて中庭まで出る。そこではマントを羽織った男たちが、弩や短剣を手に、出撃の準備をしていた。
ガン、ガン、ガン!
鐘は激しく鳴り続けるが、男たちの動きに焦りは感じられない。隊列を組んで中庭から出ていく。
クエルはマーヤと共に、宿舎の前にある人形溜まりの所へ向かった。ヘラルドが獅子の顔に山羊の体を持つ人形を率いてそこにいる。ヘラルドは何人かの男たちに指示を出すと、クエルたちの元に歩み寄った。
「ヘラルドさん、状況は!?」
マーヤの問いかけに、ヘラルドが森の方を指さす。
「一個大隊規模の攻撃を、ブスカたちが前衛陣地で迎撃中だ」
「私たちの三倍の規模じゃないですか!?」
マーヤが驚きの声を上げた。
「頭数は多いが、真昼間に攻めてきたところを見ると、状況の確認を兼ねた威力偵察だろう。防衛線の準備は終わっている。ブスカたちには予備隊と合流するよう指示した」
「もう予備隊を投入……」
マーヤの表情が厳しくなる。その一方で、ヘラルドの獅子の頭を撫でる姿からは、全く焦りは感じられない。むしろ予定通りとでも言う態度だ。
「ヘラルドさん、やはり拠点を構えるのは危険です」
「危険は承知の上だよ。以前の我々は相手を混乱させ、消耗させることが目的だった。今は違う。相手の戦力を吸引し、逐次投入されるそれを叩く」
「どう考えても、私たちの戦力が足りません!」
声を張り上げたマーヤに、ヘラルドは首を傾げた。
「そうかな? 主力の術で縛りつけた人形はもう使えない。それに我々には一個大隊をはるかに超える戦力がある」
そう告げると、ヘラルドはクエルの方へ視線を向けた。それを見たマーヤが、あり得ないと言う顔で首を横に振る。
「何の連携の準備も出来ていません。むしろ足手まといです。それよりも、予備隊なしで背後の守りはどうしますか?」
「そちらの抑えはエーリクにお願いした」
「単騎で!?」
マーヤの顔に、今まで無かった焦りの色が浮かぶ。
「エーリクほどの使い手なら、単騎でも十分に遅滞行動が取れるだろう。それにあそこには――」
カン、カン、カン!
ヘラルドの言葉を遮るように、これまでとは違う、短い鐘の連打が響く。
「やはり来たか……」
「エーリクの支援に行きます!」
すぐに駆け出そうとしたマーヤを、ヘラルドが制する。
「待ってくれ。私もキマイラと同行する。ではクエル君、我々も戦場に向かうとしよう」
「ヘラルドさん、本気ですか?」
マーヤは呆気にとられた顔でヘラルドを、そしてクエルを眺めた。
「もちろん本気だ。彼は客ではない。我々『請願者』の一員だよ」
マーヤが忌々しげな顔をしながらも、ヘラルドに頷く。
「アプサラス、行くわよ!」
薄絹を纏う、女神の姿をした人形が動き出す。クエルはサラスバティを連れて、ヘラルドとマーヤの後に続いた。
前を行く二人は宿舎の横を抜けると、国学の裏手にある演習場へ向かう道を、かなりの速さで進む。ほんの少し前まで、フリーダやセシルと一緒に、日々歩いた道だ。両側に並ぶポプラの木も、レンガの敷かれた道も、何も変わってはいない。しかし背後からは、激しい鐘の音が鳴り続けている。
「これが戦争?」
クエルは自分が何をしようとしているのか分からないまま、前を行くヘラルドとマーヤの背中を追いかけた。夏の日差しを浴びているのに、全身の血が失われてしまったような寒気を感じる。
演習場の手前で、先頭を行くヘラルドが急に止まった。手を上げて身を隠すよう合図する。マーヤは人形と共に、素早く大木の背後に身を潜めた。クエルも近くの木の陰に身を隠す。
ドドドドド――。
どこかから太鼓を鳴らすような音が響いてきた。音がした方を覗くと、林の中で何かが輝く。それは銀色の金属製の盾で、二匹の竜が向かい合わせに羽ばたく紋章が描かれていた。
「白竜騎兵団!」
クエルの口から言葉が漏れる。王国の誇る四大兵団の一つだ。盾の背後から、甲冑を着た人形も姿を現した。それが何体も、まるで壁のようにこちらへ迫ってくる。
その前を、目にも留まらぬ速さで何かが横切った。白竜騎兵団と同じ、騎士の形をした灰色の人形だ。人形の腕は槍と一体になっている。その槍が信じられないほど長く伸びた。
グギャン!
盾が真っ二つに割れ、槍が背後の騎士を貫く。灰色の騎士人形は素早く槍を引くと、木立の陰へ姿を消した。その後を追うように、革のつなぎを着た人物が林の中を移動する。
「人形師を押さえろ!」
派手なレリーフで飾られた騎士人形の背後で、白い軍服に身を包んだ人物が、指揮棒を振り上げた。木漏れ日を浴びて銀色に輝く人形たちが、一斉に皮のつなぎを着た人形師の姿を追う。
ゴン!
再び鈍い音が響く。騎士人形の一体が、側面から槍の一撃を受けて地面に倒れ込んだ。
「いつの間に!」
倒れた騎士の背後にいた人形師が、慌てて別の人形の陰に隠れる。他の人形がその後を追おうとするが、すでに灰色の騎士人形の姿はない。
「あっちだ!」
指揮官が指揮棒で反対側を指し示した。その先では、革のつなぎを着た人物が、木の間を縫うように駆けていく。
「なんて動きなんだ……」
年下の少年の動きに、クエルは舌を巻いた。自分の身を囮にして、相手を翻弄し続けている。
「まずい!」
不意にマーヤが声をあげた。気づけば、白竜騎兵団の動きが変わっている。小隊ごとに分かれて、両翼から包囲するように動き出した。その先にあるのは、何の遮蔽物もない演習場だ。そこには暴走した人形たち、今はクエルとつながっている人形たちが並んでいる。
「このままだと包囲されます。霧を呼びます!」
マーヤの呼びかけに、ヘラルドは首を横に振った。
「エーリクの動きはこちらの指示通りだ。彼には演習場に敵を引き付けるよう伝えてある」
「こんなところで、エーリクを失う訳にはいきません!」
ヘラルドの言葉を無視して、マーヤが腕を前に掲げる。その動きに合わせて、後ろにいる女神を模した人形が進み出た。サラスバティと同じく優美な姿をしているが、サラスバティが妖艶さを感じさせるのに対し、慈愛に満ちた表情が清楚さを感じさせる人形だ。
「アプサラス、氷霧雲海!」
夏だと言うのに、女神の体の周りを、肌を刺すような冷たい風が吹き出した。その足元から白い霧も湧き始める。
「マーヤ、この状況で霧を呼ぶと、君の精神が持たない」
「かまいません。エーリクは私にとって最後の一人なんです!」
歯がカチカチと鳴るような冷気が吹き荒れ、辺りが白い靄に包まれていく。演習場に居並ぶ人形たちの姿も、霧に隠れて見えなくなった。しかし、広い演習場全体を包むには至っていない。真上から照りつける夏の日差しが、霧を少しずつ消していく。
「エーリク、早く逃げて……」
そうつぶやいたマーヤが地面に膝をついた。そこに盾を掲げた白竜騎兵団の人形たちが姿を現す。その数はクエルから見えるだけでも、両手両足の指の数は優に超えていた。騎士人形たちは演習場を取り囲んだが、広がる霧と、その間に見え隠れする人形たちの姿に動きを止める。
「例の暴走した人形たちか!?」
中央に陣取った指揮官の声が響いた。
「そのようです」
「ハハハハハ!」
副官の答えに、指揮官は乾いた笑い声を上げた。
「動かぬ人形など案山子と同じだ。全員投擲用意!」
面で制圧すべく、騎士人形たちが手にした槍を一斉に引く。この攻撃を前に、遮蔽物が存在しない演習場では霧の存在は無意味だ。それを目にしたヘラルドが、クエルの方を振り返った。
「クエル君、君の出番だ」
マーヤが傷つく姿を、フリーダと同じになる姿など見たくない。
「はい、ヘラルドさん!」
クエルはヘラルドにうなずくと、サラスバティと共に木の陰から飛び出した。




