表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
150/160

喪失

 エーリクは自分が宿舎に使っている貴賓室に入ると、黒光りするオーク材の棚に手を差し込んだ。


 カチリ……。


 僅かな金属音と共に、巨大な棚が回転する。背後に鉄でできた頑丈な扉が現れた。エーリクがこれを見つけたのは偶然だ。アイゼンの部品を置こうとした時に、それが棚の裏側に隠された仕掛けに引っかかった。扉には鍵がかかっていたが、棚の裏側には小さなくぼみがあり、それを押すと中から鍵が現れた。


 脱出用の通路かとも思ったが違う。上の部屋と同じぐらいに立派で、快適な場所だ。緊急時に避難するための部屋だったらしい。それか、密かに誰かを招き入れる場所のいずれかだ。王族用の部屋だったと言うことは、きっと後者だったのだろう。


「腐った奴らの考えそうなことだ……」


 そうつぶやいてから、エーリクはランタンを手に扉を開けた。中の様子を伺うが、特に異変はない。大理石で作られた階段を降りると、天井が明るく光っていた。どういう仕組みかは分からないが、外の明かりが天井に導かれている。


 エーリクは部屋の奥に置かれた、天蓋付きのベッドを眺めた。そこには自分より少し年上の女が横たわっている。その顔はまるで死人のように青白いが、赤い髪の毛が、薔薇の花びらみたいに寝台の上に広がっていた。


 この女をここに連れてきてから、すでに二日が過ぎている。女は浅い呼吸を繰り返すだけで、未だ意識は戻らない。


「死なれると、後の始末が面倒だ」


 眠り続ける女の顔を眺めながら、エーリクがその口元に水差しを運んだ時だ。


「うーん……」


 女の口から呻き声が漏れた。瞼が開き、オレンジ色の瞳がエーリクをぼんやりと眺める。エーリクは思わず寝台の横に跪きそうになった。やつれてはいるが、その顔はどう見ても、エーリクの主人であるマーヤに瓜二つだ。寝姿を眺めていることに、背徳感すら覚えてしまう。


「ここはどこ?」


 女は消え入りそうな声で、エーリクに問いかけた。エーリクはそのあまりにも無防備な表情に焦る。それでも威圧的に聞こえるよう声を絞り出した。


「質問するのはこっちだ。お前は何者だ? なぜマーヤ様に似ている?」


「私は……」


 瞼を閉じると、女は苦しそうに首を横に振った。


「痛むのか?」


「痛みはないわ……。だけど……自分が……誰か……思い出せないの………」


「ごまかしても無駄だ。谷底で人形の残骸に抱かれていたのを見つけた」


「人形……? ごめんなさい。本当に何も覚えていないの」


 オレンジ色の瞳が大きく見開かれ、すがるような目でエーリクを見つめる。


「私は誰なの?」


「ふざけるな!」


 エーリクは腰からナイフを抜くと、それを寝台の上に突き立てた。こぼれた水鳥の羽が、雪のように辺りを舞う。


「お前とは一度やり合っている。こいつをお前の首につきつけたのを、忘れたとは言わせない」


 ナイフで脅しても、女の表情は変わらない。ただ茫然とエーリクを眺め続けている。エーリクがそれを睨みつけると、女の顔に笑みが浮かんだ。


「ありがとう……」


 その言葉と眼差しに、エーリクは戸惑った。それはかつて東領がまだ平和だった時、マーヤが館の使用人に向けていたものと同じだ。そして今では失われたものでもある。


「なぜ俺に感謝する?」


「だって、私を助けてくれたんでしょう? もし私が何か知っているのなら、全部教えてあげたのに……」


「何を勘違いしている。ここに運んだだけだ。それにお前は捕虜だ。何者なのか分かるまで、ここに監禁する!」


 エーリクは女の手と足につけた鎖を乱暴に持ち上げた。これ見よがしに、女の目の前で振って見せる。


「それでも、あなたが私を救ってくれたことに変わりはない」


「言っておくが、ここは地下だ。俺以外には誰もこないし、叫んでも誰も助けに来ない。分かったか!」


 女が素直に頷く。その顔には何の恐れも感じられない。それがエーリクをさらに戸惑わせる。


「また後で話を聞く。とりあえずはこれを食べろ」


 パンとチーズがのった盆をベッドの横に置くと、エーリクは重い扉を開けて外に出た。鍵をかける手が、戦いの時よりも汗に濡れているのに気付く。


「たかが偽物だぞ……」


 吐き捨てるようにつぶやくと、エーリクはマーヤの元に向かうべく貴賓室を出たが、その足取りはどこか虚ろだった。


 * * *


 フローラは紺色の侍従服に身を包んだ侍女たちによって、車椅子のまま浴室へ運ばれていた。ローレンツ邸の浴室は国学の大浴場と同じぐらいの広さがあり、真っ白な蒸気がフローラを包み込む。


「失礼いたします」


 一番年かさの侍女が、フローラに声を掛けてきた。この屋敷で侍女たちの手で入浴させられるのは、これが初めてのことではない。屋敷に来るたびに、まるで儀式みたいに毎回行われる。だが今夜は何かが違った。


 服を脱がす侍女たちの手が震えている。その顔はいつもと同じで無表情だが、瞳に娼婦を眺めるような嘲りの色がない。緊張のためか、ボタンを外そうとした爪が肌に食い込んだ。


「申し訳ありません!」


 そばかすの目立つ若い侍女が慌てた顔をする。


「大丈夫です」


 そう答えながら、フローラは彼女たちが何を恐れているのかを理解した。決して自分が変わった訳ではない。この館の中庭にいる巨大な竜、「ファーニヴァル」を恐れている。


「湯舟までお連れ致します」


 全ての服が脱がされた時だ。


「あっ!」


 先ほどの若い侍女が声を上げた。そのままフローラの背中をじっと見つめている。フローラは浴室の鏡に目を向けた。それが映すのは、とても魅力があるとは思えない細い体だ。しかしそれだけではなかった。背中に黒いあざのようなものが浮かんでいる。まるで黒い羽根が背中に生えてきたように見えた。


「すぐにお医者様を――」


「呼ばないで!」


 年かさの侍女の言葉をフローラは遮った。


「痛くもないし、そのうち消えます」


「ですが――」


 言い淀んだ侍女を、フローラは睨みつけた。


「大丈夫と言っているでしょう!」


 こんなことで、マクシミリアンの側を離れる訳にはいかない。


『すべてを……すべてを焼き尽くせ……』


 ほの暗い何かが自分にささやく。


「このことは誰にも言わないで。漏らしたら、あなたたち全員を焼き殺す!」


 フローラの脅しに、侍女たちは金縛りにあったみたいに立ちすくんだ。


「分かったの?」


「はい、フローラ様――」


 震えながら答えた侍女たちを、フローラはとび色の瞳で冷ややかに眺める。侍女たちは慌ててフローラの体を湯舟へ入れた。フローラは水面に浮かぶ自分に向かって頷く。


『そうよファーニヴァル……。あの人の為に、この世界の全てを燃やしてやるの……』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ