決意
目を開けると、見慣れた天井があった。カーテンの間から差し込む光が目に染みる。
『もう朝食の時間だろうか?』
まだ朝の鐘は聞こえない。あと少しは寝ていられるはず。クエルは寝台の上で寝返りを打った。それに今朝はとても静かだ。国学に入学して以来、ずっと頭の中に響き続けていた、人形のうめき声が聞こえない。
ガサ……。
不意に誰かが寝台の横を通り過ぎる。
『セシルのやつ、また忍び込んできたのか?』
クエルはぼんやりとした頭で考えた。だけどもう朝だ。それに髪をポニーテールにまとめている。
『ポニーテール!?』
クエルはベッドから跳ね起きた。壁には国学の白い夏服がかかっている。間違いなく、ここは宿舎の自分の部屋だ。窓を背にこちらを眺める少女の姿に、クエルは心の底から安堵した。
「よかった、無事だったんだ!」
なぜフリーダが自分の部屋に居るのかは分からないが、あれはとんでもない悪夢だったに違いない。クエルはその手を握りしめようとした。しかしひっこめられる。
「フリーダ……?」
逆光に慣れた目が、その姿に違和感を覚えた。よく見れば、朝日を受けて黄金色に輝く髪は黒だ。それに自分を見る目は、知らない誰かを見るように冷たい。
「誰と勘違いしているのかは知らないけど、私の名前はマーヤよ」
「マーヤ……。でもここは国学の僕の部屋だよね?」
「そうだけど、国学はもう存在しない」
マーヤのセリフにクエルは戸惑った。
「もしかして、僕は悪夢の続きを見ている?」
「寝ぼけないで。ここは私たち『請願者』が占領したの。ヘラルドさんが、気を失ったあなたを、ここに寝かせただけ」
麻袋からこぼれ落ちた赤い髪の毛が、セシルの血だらけで生気を失った顔が、クエルの眼の前に浮かぶ。
「それじゃ、フリーダは――!」
「あなたの幼なじみね。ヘラルドさんから聞いたわ。ご愁傷様」
クエルの視界がぼやけた。流れる涙が頬を伝わる。それが滴り落ちる先に、マーヤが盆を差し出した。
「好きなだけ泣いていいけど、食べるものは食べて頂戴」
クエルは涙にぬれた目で、盆を指さすマーヤを見上げた。
「丸々二日も倒れていたの。食べないと、もう一度倒れることになるわよ」
マーヤの言葉に、クエルは自分の体が鉛のように重く、全く力が入らないことに気づいた。だがフリーダとセシルを失った悲しみに比べれば、自分の体なんかどうでもいい。このまま死んでしまいたいとさえ思う。
「分かってくれないか? 今は食事を取る気分じゃないんだ!」
「甘えないでくれる!」
マーヤは盆の上のスプーンを乱暴に掴んだ。冷えたスープを掬うと、それをクエルの前に突き出す。
「それとも、赤ちゃんみたいに、食べさせてもらいたいわけ?」
「赤ちゃん?」
「体は大きくなったみたいだけど、中身は母親を求めて泣く赤子と同じじゃない。自分の足で立ちなさい。あんたみたいな弱虫でも、私たちには必要なの」
マーヤはスプーンをクエルの口にねじ込むと、床を踏み鳴らして部屋を出ていく。
バン!
激しい音と共に扉が閉まった。マーヤが去ってから、どれだけの時間が過ぎただろう。
トン、トン、トン……。
扉を遠慮がちに叩く音がした。
「お待ちください」
クエルはふらつきながらもベッドを出た。壁に掛けてあった国学の制服を身に着け、扉を開ける。扉の先には東領風のマントに身を包み、髪を短く切りそろえた人物が立っていた。
「ヘラルドさん……」
「立てるぐらいには回復したようだね」
「おかげさまで。助けていただいて、ありがとうございました」
「当然のことだよ。君の父上には大変世話になっている。もっとも、それを知っているのは、私を含めて限られた者だけだ」
「父はどこでしょうか?」
「ここにはいない。彼からは君がここに残るのも、残らないのも、君の自由にさせて欲しいと言われている。しかしそれを決める前に、君にぜひ見てもらいたいものがあるんだ」
ヘラルドはそう告げると、背後を振り返った。そこには銀色の車輪を持つ車椅子が置かれている。
「まだ十分に回復していないと思うが、動力付きの車椅子で――」
「車椅子の持ち主はどこですか!?」
詰め寄るクエルに、ヘラルドは首を横に振った。
「それは分からない。我々がここに来たときは、負傷者も含めて誰もいなかった。実に見事な逃げっぷりだったよ」
ヘラルドの答えに、クエルは安堵のため息をつく。少なくとも、フローラは無事らしい。だがフリーダとセシルの二人が戻ることはない。
「ヘラルドさん、フリーダと……、セシルは……二人はどうしていますか?」
「他の亡骸と一緒に火葬させてもらった。今はこの学園の墓地に眠っている」
「同行させて頂きます。車椅子はいりません」
ヘラルドがついて来るよう合図する。クエルが廊下に出ると、壁に背を預けたマーヤがいた。マーヤは無言でヘラルドの後に続く。クエルは二人の背中を追って宿舎を出た。
噴水が流れていた中庭は、人形のジャンクが山と積まれ、東領風のマントに身を包んだ男たちが、部品の仕分けを行っている。人形技師らしい、油にまみれたエプロンをつけた男が、ヘラルドに手を振った。
「ヘラルドさん、お出かけですか?」
「ああ、彼に見てもらいたい物があってね」
技師がクエルに冷たい視線を向ける。
『王都の人形師への恨みだろうか?』
クエルは森の中で彼らに捕まった際に、マーヤに散々蹴り飛ばされたことを思い出した。しかしすぐに違うことに気づく。決してクエルの方へ近づこうとはしない。もっと別の何か、『恐れ』とでも言うべきものだ。気づけば、中庭にいる者たち全員が、同じ目でクエルを眺めている。
「後は頼んだよ」
ヘラルドの言葉に、男たちはクエルに背を向けると、自分たちの仕事に戻った。ヘラルドは中庭を抜けて、運動場へ向かう。そこに広がる景色に、クエルは息を飲んだ。
「こ、これって!」
雑多な人形たち、それも腕や足を失った者たちが、訓示を受ける前の生徒みたいに並んでいる。
「暴走した人形たちだ。今は君の人形でもある」
「僕の……人形……!?」
ヘラルドの言葉に、クエルは面食らった。言われてみれば、人形たちとの間に細い繋がりを感じる。しかしセシルとの間に感じていたものとはあまりにも違った。何よりこの人形たちからは声がしない。
セシルとのつながりは、セシルが常にいるような、自分の心に寄り添っている感じがした。今ではそこにぽっかりと大きな穴が開いている。
「彼らを繰るところを、私たちに見せてくれないだろうか?」
「この全部をですか!?」
ヘラルドが黒い瞳で、クエルをじっと見つめる。
「君は人形師なのだろう?」
「ヘラルドさん、こんなものに頼らなくても、私たちだけで――」
「マーヤ、王家の戦力をあなどってはいけない。本物の人形師と人形だけでも、我々の何倍もいる。それに彼がこの人形たちを繰れなければ、また同じことが起きる可能性だってあるんだ」
ヘラルドの言葉に、クエルの心は茨で締め付けられたみたいに痛んだ。もし自分がこの人形たちともっと早く繋がっていれば、フリーダやセシルを失うことはなかった。何より、あんなことはもう起きてほしくはない!
「僕の言う事を聞け!」
クエルは人形たちに叫んだ。
ザン!
人形たちが一斉に跪く。
「クエル君、ありがとう。ご協力に感謝する」
クエルは砂埃が舞う中、跪く人形たちの姿を呆然と見つめた。
* * *
森の奥を進むと、木々の間にぽっかりと開いた場所が姿を現した。苔むした墓石がいくつも並んでいる。クエルはフリーダを救うために、セシルとここから抜け出した夜のことを思い出した。ほんの少し前のことなのに、まるで遥か遠い昔のことのように思える。
「ここよ」
前を行くマーヤが立ち止まった。掘り返したばかりの土に、白木の棒がいくつも立っている。
「出口にいるから、済んだら声をかけて」
マーヤの足音が消えると、クエルは白木の棒の前に膝をついた。棒にはそれぞれ「フリーダ・イベール」、「セシル」の名前が書いてある。二人とはもう会えない。その現実に、クエルの目から再び涙がこぼれ落ちた。
『マスター……』
頭の中に声が響く。顔を上げると、漆黒の長い髪を持つ少女が、緑色の瞳でクエルを心配そうに眺めている。その姿はまるで陽炎の如くおぼろげだ。
『ラートリー……』
『たとえ何があろうと、私はマスターのお側にいます』
『そうだった。僕には君も、父さんもいる』
『はい、マスター』
『ラートリー、どうして彼らは人を襲ったりしたんだろう?』
クエルの問いかけに、ラートリーは悲し気な顔をした。
『私もマスターに救っていただく前は、怒り、悲しみ、恐怖、それだけを感じていました。あの者たちは、私がかつて抱いていた感情そのままに、動き続けたのだと思います。しかし今はマスターに忠実な人形です』
『僕にはそうは思えないんだ。セシルや君と違って、彼らは何も答えてくれない。それにあれだけ強固だった術が、なぜ急に解けたのかも分からない』
『なぜなのかは私にも分かりません。それが分かるとすれば――』
『――世界樹。セシルも世界樹に答えを求めていた』
ラートリーが緑色の瞳でクエルに頷く。
『決めたよ。二人に助けてもらった命を無駄にはできない。それに人形師としての責任もある。僕は彼らと共に、父さんの手伝いをする』
『はい、マスター』
ラートリーのおぼろげな姿が消え、クエルの前には白木の墓標だけが残った。
「フリーダ、セシル、僕は父さんと一緒に、世界樹に会いに行く」
クエルは涙を拭いて立ち上がると、出口に向かって歩き出した。




