第十一話:モラリスの巫女長 Ⅶ
【大陸暦八七年四月八日(逃亡から百日)】
※・※・※
ロレンソの拘束から三日、結界宮ではロレンソに加担した者やトマスに追従していた者達が締めあげられてそれぞれの罪状に合わせて罰せられた。
ロレンソやトマスのようにモラリスを想うが故に行動を起こした者は少ない。
それを憂うように溜息をつくロイスに、エルヴィアは瞳を細めておもむろに口を開く。
「どうする気だ?」
「影として、勤めてもらおうと思っております」
「上手く行くと思うか?」
「能力があるのは確かですから。後は、イロナに任せることになりますが…」
「責任は丸投げか?」
「そう言われても仕方がないと思います。貴方がおっしゃったことに従おうと思います」
「私が?」
「否定意見を持つ存在は、必要ですから」
ふふ、と小さく笑うロイスは何も映さない瞳を閉ざして大きく息を吐き出した。
大事を乗り越えたことで緊張が解けたのか、ロイスは起き上がれなくなっていた。一気に疲労が押し寄せて来て体の自由を奪った。
その様子を見て、エルヴィアは立ち上がる。枕元に近づいて見下ろした深いしわを刻む白い顔に、自分が不在にしていた長い時間を実感する。
「ロイス」
呼びかけに、ロイスはゆっくりと瞳を開く。光を失いながら、しっかりとエルヴィアに視線を向ける。
「もう、眠りなさい」
「…まだ」
「この三日、貴方がこの部屋から出られず、起き上がれなくなってから、誰が采配をふるっていたと思う? 貴方が後継に定めた唯一の少女だ」
驚いたように瞳を丸くするロイスに、エルヴィアは優しく頬をなでて、見えないと分かっていて微笑む。
「彼女は、今回のことで覚醒した。自分の未熟さ、視界の狭さ、愚かさを知った。そして、一歩を踏み出した。巫女長の名を継ぐために。ロイス、貴方は十分に責務を果たした。八十年以上、この地を守り、つなぎ、次代を育てた。もう、良いんだ」
何かを紡ごうとした唇はわずかに震えただけで、声を発することなく閉ざされる。
ゆっくりと瞼が下され、一筋の涙がこめかみに流れたのを見てエルヴィアはそっと指でそれをぬぐう。
深い眠りに入ったロイスの髪をひとなでして、エルヴィアは部屋を出る。
外で待っていた三人と合流して、ロイスから聞いていた話の真偽を確かめに、一つの隠し通路に向かう。
銀に変わる唯一の物が、どういうものであるのかロイスは判断できず、エルヴィアもまだ知らなかった。
※※※
三人には隠し通路の前で待っていてもらってエルヴィアは一人、レウネット家の屋敷の一つにやって来た。
手入れをしているものの、誰も住んでいない小さな屋敷には、昨日から人が住み始めていた。
たった一人の少年が。
「…ずいぶんと、様変わりしたわね」
「嫌味か、それは」
隻眼となった瞳で睨みつけてくるのに苦笑して、エルヴィアは手近な椅子に座る。
水気がなくぱさついた髪はまだらな灰色。左目だけになった瞳も濁りを帯びて黒くなっている。
薬品か毒物によって変色したと一目でわかる。
少年の年齢と笑みを浮かべれば温和に映る容姿がその異様さを引き立てていた。
「これから、ここが貴方の家になるのね、ロレンソ」
嫌そうに眉をひそめたロレンソは、右目を覆う眼帯にそっと触れる。
今のロレンソを見て、かつてを思い浮かべることは難しい。
言われなければつなげることはできないだろう。よほど親しい者しか分からないに違いない。
「あぁ、名前が変わったんだったわね」
「…何を考えているんだ、お前も巫女長も」
「まぁ、影で勤めるんなら別にこれでいいんじゃないかと思ったんだけど」
「そうじゃない。どうしてぼくを助命した。トマス達は昨日処刑したくせに」
トマス達の処刑は早々に行われた。
短絡的過ぎたトマスは、利用価値がないと判断された。それに対して、ロレンソは利用価値があるとして助命されたのだ。
そして、一昨日の早朝、ロレンソはひっそりとやって来た祖父とその部下(暗部に属している)によって、髪の色を薬品によって変えられ、毒で片目を潰され、変色した。
「貴方の力を認めたからよ。そして、貴方の存在は必要と考えたから」
「…否定的な存在、か」
「理解が早くて何より」
頭の回転が速いロレンソにエルヴィアは満足そうに頷く。
普通、実の祖父にそんな目にあわされれば、怒り憎むだろう。
なのに、ロレンソは忌々しそうにしてはいても、憎しみを浮かべていない。
「憎んでいないの?」
「何を…」
「髪と目を潰されて、存在を消された。実の祖父によって。怒らないの?」
問いかけに、触れていた眼帯をそっと外してロレンソは視線を落とす。
「…ぼくは罪を犯した。自分で正しいと思ったとはいえ、罪は罪だ。罰せられ、命を奪われて当然なほどの大罪だ」
「そうね」
否定はしない。その通りだったから。
「存在を消されたのは自業自得。怒る理由がない。利用価値のある罪人を表向きは殺して、別人として配下に加えることだって司法取引で行われたりする。その際、人相を変えるのはよくあることだ」
ロレンソはイロナのように学問や政治に疎くない。どちらかと言えば、精通していると言える。
まだまだ未熟なのは事実だが、同年代の中では十分に政治を知っていたし、清濁併せのむことの重要性を理解していた。
感情と理性は別物なのだが、ロレンソは理性的だった。反逆者に対して言うのもおかしいが。
自分の正義のために親さえ手にかけたロレンソは、感情というものが欠落しているのかもしれない。
そう思ったエルヴィアは少し遠い目をする。
(悪名に似てる…。同世代に同じような人間は二人もいらないでしょう)
脳裏に浮かぶのは隣国の女大公の妖艶な微笑み。
だが、ある意味で必然なのかもしれないと思う。
トップが頭脳派でも政治家肌でもないのなら、側にいる者(宰相とか)がそうであれば良い。そして、独裁に走らなければいい。
ロレンソの思想は独裁者に似ていたから不安ではあるが、そこはイロナの才覚次第だろう。
「だったら、これから頑張りなさい。別に貴方自身を曲げろとは言ってないわ。貴方は貴方のままで、モラリスのために働けばいい。イロナ様に仕える必要はないわ。貴方は貴方の正義に、そして、モラリスに仕えれば良い」
「…他の奴らが納得すると思うのか?」
「ひとまず、貴方のお祖父様は納得なさるでしょう」
それは理解できるのかロレンソは沈黙する。
ふわりと笑ったエルヴィアはロイスから預かった封筒を差し出す。
「貴方の戸籍と職場、屋敷の権利書と当面の生活費よ」
「どうも…」
いい加減に諦めたかのように疲れ切ったため息をつくロレンソは差し出された封筒を受け取る。
「頑張ってね、アンドラージュ=リウ」
逃亡した密偵の名で呼ばれ、苦い表情をしながらも何も言わない。
存在を消されたロレンソにとって、すでにガルベルドに由来する名は名乗れない。
足取り軽く出て行ったエルヴィアを横目で見送って、ロレンソ改めアンドラージュは久しく浮かべていなかったほのかな笑みを浮かべる。
「…本当、お前を真っ先に始末しとくんだった」
不穏なことを呟きながら、封筒の中に目を通す。
その口元には、変わらず笑みが浮かび続けていた。
作ったものではない、自然とこぼれた力が抜けたような笑み。
感情というものを忘れてきたような少年が、何年かぶりに浮かべた本当の笑みを見ている者はいなかった。
※※※
戻ってきたエルヴィアは準備を整えていたフローラ達と合流し、足元に気をつけながらゆっくりと地下へと降りていく。
結界宮の隠し通路(レウネット家)の一つが、地下に続いていたのだ。
「かなり深いのね」
「…それに、なんか空気が」
小さな呟きが反響する地下通路。
眉を寄せたラウルが戸惑ったようにあたりを見渡す。
「確かに、まとわりつくような…」
けして不快ではないそれにアレンが首を傾げる。
話に聞いていただけのエルヴィアも、この空気には驚いていた。
(濃密な魔力…)
空気に満ちているのは魔力。
それも人が持てるような質量ではない。
エルヴィアの魔力ですらちっぽけに感じるほど膨大で、強大なそれ。
こめかみを一筋の汗が伝うほどの圧迫感を覚えながら、最後の一段を下りる。
眼前に広がる空間の広大さに、エルヴィア達は呆けて固まった。
(これが、モラリスが独立を保ってきた最大の理由…)
モラリスと同規模の地下空洞の中心に湖があり、南側の壁面には巨大な水晶が埋まっている。
氷のように透通る純粋な水晶の中には、およそ九十年前まで姿を見た者は誰一人としていなかった幻の存在が眠っているように丸まっていた。
「うそ…」
「初めてみました…」
「なんでこんなもんが、ここにいんだよ…」
「…フォルトガイン」
エルヴィアの声に、三人が振り返る。
フォルトガイン、という言葉に聞き覚えがなかった。
だが、それを問おうと口を開きかけたアレンはエルヴィアの様子に口をつぐんだ。
瞳を大きく見開いて、水晶壁に触れ、瞳を閉ざす。
「フォルトガインは、別名を原始龍。龍族の始まり、そして、神の末裔」
今から二万年ほど前、神々は大地を去った。
神々の中でも下位である龍神が大地に残り、命を見守り導こうと尽力した。その間、代を経るごとに龍神は神としての力が衰え龍族として東の地に根ざした。そこから大陸を導いて、つまりは支配していた。
およそ六千年前、魔導や技術の発達により自分達の力を必要ないと判断した龍族は、東の地に引きこもった。別に理由があるらしいが、エルヴィアは詳しく知らない。
「…今の龍族で、真実を知る存在はほんの一握り。私が知っているのはイザベラから聞いたことだけ。だから、詳しいことは分からないの」
神話に連なる存在として聞いただけ。
その最初の龍神が、原始龍と呼ばれるようになった。龍族の始まり、神々に連なる存在。
エルヴィアが知っているのはそれぐらいのことで、後は大抵の人が知っている神話に補足をつけたような情報だけだ。
「その原始龍が、どうして…」
いわゆる神なのだと言われ、怖々と近寄ったフローラの問いかけにエルヴィアは悲しげにゆれる瞳をそっと開く。
「原始龍は、全てで八柱。その内、長とも言える立場にあったのが空龍」
「空の龍、ですか…?」
「そう。光も闇も内包する偉大なる天空の龍。それが…」
途切れた言葉の先を、数秒の間をおいて三人は理解した。
淡い空色の鱗を持つ龍の巨体を見て、空の龍と呼ばれることに納得もする。
神と呼ばれる原始龍の長。それが眠る水晶壁。
どうしてこんなところに巨大な水晶が埋まっているのか、その中にどうして原始龍の長が存在しているのか。
察することなど到底できない現状に、三人は困惑気にエルヴィアを見つめる。
視線が集中していることを自覚しながら、エルヴィアは無言で踵を返す。
湖の縁で足を止めたエルヴィアは水中に視線を落とす。三人も近づいて水中を見る。
「何これっ?!」
驚愕の声を上げるフローラと呆然とするアレンとラウル。
「龍泉華。龍族の都、その中心にある宮殿の泉にしか咲かないとされる幻の花。人間の間では、神庭の花、と呼ばれているわ」
「どうして、そんなものがここにあんだよ?」
「龍族の宮殿の泉だけ、ということ。そして、ここに空龍が眠っていること。龍族の何らかが関係しているんだと思うわ。龍族の魔力を受けて、龍族の気配が溶け込んだ水の中で育つ花。そう、聞いてるから」
龍泉華は、水中に咲く五弁花。それは人の頭ほどに大きく、中心に拳大の宝石が生成される。
ふんわりとした燐光(五色)をまとう真珠のような色の宝石。
光と色が不可思議であることもそうだが、水晶以上に強力な法具を作成できるためかなりの価値がある。
太古の遺跡から龍泉華の石が使われた遺物が数点、存在しているだけ。それらを解析し所有し技術を保有しているのはオークラインだけだった。
何故か、大陸南東部の遺跡からしか龍泉華の遺物は発見されなかった。
ロイスが部下である採掘師数人に地下通路を探索させていた際に発見された、空龍の水晶壁と地底湖。
湖の底に咲く龍泉華が、ロイスが言っていた銀に変わる物だ。
(これだけあれば、確かに十分だわ…。龍泉華の採取がどの程度可能なのかは分からないけれど)
一度採取したら終わり、という可能性はある。
何かまだ判別できていなかったために採取は行われていない。
エルヴィアもそれに関してはどうともいえない。さすがにそこまでの知識はない。
ざっと試算してもあと百年ほどはこれで独立を保てるだろう。
(ロイスとイロナの力が甚大というだけじゃないってことね…)
絶大な魔力に満たされた地底湖は、モラリスの水脈につながっている。
ロイスの属性は水と地。結界は双方の力を用いた魔法だった。モラリスを区分けする壁と水脈を利用していたから老齢になっても維持できた。その最大理由は、きっとこの地底湖と水晶壁だ。
そして、イロナの属性は雷。水は雷を通す。イロナの力を増幅し支えることができるため、魔力に満ちた地底湖はかなり有用だった。
地下につながる隠し通路は最も古いもので、ほとんど封鎖されていたらしい。そのため、地底湖が結界維持に一役買っていたことには欠片も気付いていないだろう。
銀鉱脈が枯渇する前に、と探索に力を入れたことで今回発見されたくらいだ。
「…戻ろう。何かは分かったし、報告する必要があるわ」
エルヴィアのため息交じりの言葉に、三人は頷いて地下通路を戻っていく。
およそ四時間かけて下りた道をそれ以上に時間をかけて戻った四人は、さすがに疲れたのか肩で息をする。
廊下でぐったりしている四人を見つけた女官が、血相を変えて駆け寄る。
「お、お客人様!」
真っ青になって泣き出しそうな中年女性に声をかけられ、エルヴィアが振り返る。
結界宮にいる多くの者がエルヴィア達が魔導に長けていることを知っている。だからだろうか、女性はエルヴィアの手を握り締めて、懇願してきた。
「どうかお願いいたします! 巫女長様をお助け下さい!」
その言葉に、全てを察したエルヴィアは瞳を細めた。
※※※
ロイスの寝室には、イロナ、ロヘリオ、五卿、医師、魔導医、女官長がそろっていた。
魔導医がロイスの手を取って魔法を行使しているが、大した効果は見られないのか全員の表情が暗い。
やってきたエルヴィアは、五卿を押しのけてロヘリオに声をかける。
すっと体をずらして脇によけたロヘリオに感謝を述べて、イロナの隣に立つ。
「…エル殿」
懇願するような呼びかけに、答えも一瞥も返さずにロイスの手を握る。
すると、さっきまでぴくりともしなかった指先が動いて、エルヴィアの手を握りしめた。
「朝、私は言ったわ。貴方は十分に責務を果たした。もう、良いの」
エルヴィアにイロナとロヘリオ以外が非難するような視線を向ける。
罵声が出る前にエルヴィアは言葉を続ける。
「偉大なる名君。慈悲深き君主。絶対的な魔導師。比類なき巫女長。数多の称賛と称号が貴方を支え、そして、貴方を追い詰めた。応えようとし続けて個人の幸福を全て捨てた貴方に、これ以上無理を強いる者はいないわ」
非難しようとしていた者達が口をつぐむ。
エルヴィアの言葉に、自分達に対するとげが含まれていることを察したからだ。
「…おやすみなさい。ただのロイス=レウネット」
静かな呼びかけに、ロイスはふっと口元にかすかな笑みを浮かべ、わずかに震える唇が音にならない言葉を紡いだ。
それを正確に読み取って、エルヴィアは慈愛に満ちた柔らかい笑みを浮かべる。
「こちらこそ…」
小さな返答を聞いたのかどうか。
ロイスの両手から力が抜ける。
手を握って治癒の魔法をかけていた魔導医が、愕然としたように瞳を震わせて、そっと頭を左右に振った。
それが何を示しているのか察して、誰もがうなだれた。
イロナはロイスの枕元に突っ伏して静かに肩を震わせる。
ロヘリオはきつく瞳を閉ざして拳を握りしめる。
女官長とエルヴィアを呼びに来た女官は崩れ落ちた。
扉前にいたフローラ達もそっと瞳を伏せて悼んだ。
その中で、エルヴィアだけが微動だにせずロイスの手を握りしめていた。
笑みを浮かべ続けながら、エルヴィアは自身の頬を伝った雫を気のせいだと無視した。
自覚してしまえば、立っていられないと思ったから。
大戦期を乗り越えモラリスを護って来た巫女長ロイス=レウネット、享年九五歳。
諸国にて名君と知られていた彼女の死を、誰もが悼んだ。
いつまでも、お慕いしております。ありがとうございました
こちらこそ
互い以外に届かない言葉で交わされた想いを、二人以外が知ることはない。




