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聖女の帰還~果たされる誓約~  作者:
国外逃亡編
47/73

第十話:モラリスの巫女長 Ⅵ

【大陸暦八七年四月五日(逃亡から九七日)】


※・※・※


 早朝から、結界宮は慌ただしかった。

 無用な混乱を避けるため、市民には通達していないが結界宮内には攻撃があるかもしれないことを告げていた。

 ロイスへの信頼感ゆえか、動揺しながらも逃げ出す者はいない。逃げだそうとしても混乱を避けるために内密にしようとしているのだから、押さえられるだろうが。

 ラウルと話して少し落ち着いたフローラとアレンから情報を聞き、二人にはロイスの護衛を任せた。

 エルヴィアはイロナと結界宮唯一の屋上に上り、魔導騎士団が駐屯しているカイクレス伯爵領がある方を見る。ラウルは製造した護玉で最後の仕掛けをしに行っている。


「一発勝負だけど、集中すればできますよ。イロナ様の魔力なら維持もそう難しいものじゃありません」

「…これは、現代の魔法様式ではないな。一体、いつの…」

「大戦期、神官達が使った詠唱です。祈願詠唱とも言われますが、大戦後は一つに統一して知られるようにしたのでしょう」


 それについては問題ない。

 誰でも使えるように詠唱の方法を一つにまとめるのは、おかしくはない。

 太古の昔、属性や土地によって詠唱が全く違った時代があったらしく、幾度となく繰り返された戦争と国の興亡を経て現在の魔法様式に落ち着いた。

 魔法が統合されて使いやすくなるのは、歴史的に当然なのでエルヴィアはどうとも思わない。

 正しい知識をゆがめ、偽りを蔓延させるのはどうかと思うが。


「イロナ様は集中してください。どんな攻撃が来ても、大丈夫です。モラリスの魔導師百二十人が必ず防ぎ切ります」


 魔導騎士を除けば魔導師は百八十人。その内の百二十人を結界宮の外壁の上に等間隔に配置し、防御の為に待機している。

 残り六十人は、流れ弾や防ぎきれなかった物をさばくため、街中に配置されている。

 魔導騎士はロイスや要人の警護、攻撃に乗じて動くかもしれない密偵への警戒を担当している。

 魔導師が総出で警備に当たるモラリスは、いつ来るかもわからない攻撃にピリピリとした空気が漂っている。

 何も知らない民が、不安そうに空を見上げるほどに。

 イロナが瞳を閉ざして集中し、エルヴィアがぐるりと見渡した頃、北の街道に魔導騎士団の紋章が見えた。

 わずかも乱れない行軍の様子に、若い魔導師が威圧される。

 だが、左右の年配の魔導師からの強い眼差しに支えられ、その場にとどまる。

 掲げられる紋章が見えたのか、一部の民が騒ぎ始める。

 同時、離れた位置で行軍を止めて布陣を敷いたアブラハム達は、詠唱を始める。

 炎、雷、氷、風、水の魔法が一斉に放たれる。

 それは北からだけではなく、南からも。

 紋章を掲げていない一団が、南の街道にもいたのだ。

 帝国から真っ直ぐ進軍してきたはずの魔導騎士団は、一部を強行軍で南に回らせていた。

 副団長が率いる一部は五十人ほど。しかし、不意打ちとしては十分な数だ。

 南側に配置された魔導師が慌てて防御魔法を行使するが、わずかに遅れ、半分以上が街に降りかかる。それを街に配置されていた魔導師が紙一重で防ぐ。

 それによって街中が騒ぎ始め、恐怖の声を上げる。

 だが、その瞬間、内陸のモラリスでは聞こえないはずのさざ波が全ての民の耳に届いた。

 優しい魔力がモラリスを包み、ドーム状に張られている結界を上書きした。

 一気に沈静化した騒ぎに、魔導師達は理解する。魔力の主を。

 魔力をもたない民も、気付いた。結界を上書きして守った存在を。

 結界宮の中、自室でロイスは限界まで魔力を絞り出し、結界魔法を行使した。

 衰えた体力と魔力が、これ以上の持続を許さない。

 しかし、混乱と動揺を抑えることはできた。

 民は鎮まり、魔導師は余裕と集中を取り戻した。

 第二波で放たれた魔法を全て防ぎきる。

 攻撃力としてはアブラハム達が有利なのか、外壁に立つ魔導師が時間が経つごとに崩れ落ちる。

 実際の戦闘や制御が未熟な若い魔導師、体力の衰えた魔導師から順に。

 攻撃魔法よりも防御魔法の方が扱いは難しい。

 その上、消費される魔力は攻撃魔法よりも膨大だ。

 単純に同等でいいわけではない。同ランクでも、扱う者によって威力が変わるのだから、常に上を想定しなくては防御の役割を果たせないからだ。

 現に、アブラハム達は余裕があるがモラリスの魔導師達は少々苦しくなってきた。

 魔法による攻防が始まって十分。

 攻撃を中断したアブラハムは、魔法で声を届ける。


「これは警告だ。あと三日の猶予の間に、降伏せよ。さもなくば、三日後、この数倍の威力でお前達を撃つ」


 警告というよりも脅迫だ。

 そして、自分達が勝つと信じて疑わない。

 風の魔法で街中に届いた声に、再び民が動揺し騒ぎ始めた頃、エルヴィアの下にラウルがやってくる。


「仕込み、終わりました」

「そう、ありがとう」


 警告という名の脅迫を告げて、最後に一撃を加えて引こうとするアブラハム達に、エルヴィアは笑みを浮かべて膝をつくと両手を床につける。

 その瞬間、屋上全体に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 複雑に組み上げられた魔法陣が光を発する。

 ゆっくりと、結界宮全てを覆うほど拡大した魔法陣の外縁上で、敷地内に埋められた十個の護玉が光を放った。

 それが地面に吸い込まれるのと同時に、イロナは瞳を開く。

 おもむろに両手を天に伸ばし、紡ぐのは過去の詠唱。


『 我が願うは愛しき命の護り手。我が祈るはかけがえなき魂の担い手。最愛にして至高たる存在が為に我が身を削り築くもの。愛しき過去(うしろ)を支え、気高き未来(まえ)を歩む。共に生きる現在(いま)の為、求め願う。全ての力と祈りを形と成し願いを守る天蓋の顕現。天空に刻む祈りの形を大地に突き立てよ  雷鳴(らいめい)の陣  』


 現在は『雷轟結界(らいごうけっかい)』と呼ばれる魔法。

 雷属性で結界であると同時に、攻撃を加えられた場合反撃する攻防一体魔法。

 その為、膨大な魔力を必要とし、持続するための精神力と体力も求められる。

 本来なら一人で空と地面に魔法陣を構築するのだが、負担を軽減するためにエルヴィアが地面の魔法陣構築をになった。それを定着化して維持するためにラウルが作った護玉を敷地に埋めた。

 二人がかりでの支援によって行使された魔法は天空に巨大な魔法陣を構築し、そこから伸びた光が大地に突き刺さってドーム状の巨大な結界を造る。

 突然出現した極光を放つ結界に、アブラハムは攻撃を命令する。

 構築しきる前に、との考えだが認識が甘過ぎた。

 加護の魔法ばかりの古式魔法を扱える魔導騎士はまずいない。その威力と耐久力を知る者がいなかったのが災いした。

 アブラハム自身、雷属性であるために過信していた。

 帝国最強の魔導騎士としての矜持もあったのかもしれない。

 戦時魔法でも高位の魔法を叩き込む。

 しかし、『雷鳴の陣』の本領は防御力でも規模でもなく、反撃の時だ。

 それを嫌というほど魔導騎士団は思い知ることになる。

 攻撃が直撃したと思った瞬間、魔導騎士団員で何が起こったのか理解できた者はいなかった。

 確かに、彼らの攻撃は直撃した、構築されるのが早くて反撃された場合の為に防御魔法を使っていた。南に回り込んでいた一隊も同じ方法で攻撃を加えていた。

 だが、『雷鳴の陣』は揺るがない。街に被害が出た様子もない。

 対して、アブラハム達は地面に転がっていた。

 騎馬は気絶して倒れ、武装も所々が破壊され、中には絶命している者もいる。

 この状況に、誰もが呆然とした。

 アブラハムでさえ、理解するのに時間がかかった。


「…これほどとは」


 呟いたのは当事者であるイロナだった。

 ラウルも唖然として吹き飛ばされた魔導騎士達を眺めている。

 まあまあかな、とエルヴィアは呟く。

 『雷鳴の陣』は純粋な雷属性でないと扱えない。

 フローラやアレンでは使用できない。

 エルヴィアは使えるが、その規模は一つの館を包むの限界だ。都市一つを丸々包むのは不可能だ。


「この魔法、反撃時に上乗せされるから怖いのよね」

「上乗せってどういうことですか?」

「今の状況だと、魔導騎士団の魔法に使用された魔力にイロナ様の魔力を上乗せしてるってこと。自分が放った分がそっくり返るだけじゃないところと、反撃速度の異常さが怖いのよ」


 行使したイロナも反撃を食らったアブラハム達も反撃を認識できなかった。

 瞬間的、光速と言ってもいいほどの速さで放たれた反撃は、回避不可能。

 その速さが、反撃時こそ本領とされる理由だった。


(ざっと見て、三分の一が死亡、三分の一が重傷、残りが軽傷か無傷ってところかな)


 エルヴィアは簡単に試算して、イロナの声を届けるために風魔法を行使する。

 予定されていた流れだ。

 それに気付いたイロナが、考えていた口上を述べる。


「…我はモラリスの次期代表イロナ=アニヤ。巫女長の後継者。代表として告げる。身勝手な侵略、要求に我らは屈しない。早々に鉾を引き、退却すれば追うことはしないと確約する。我らは争いを望まない。汝らが鉾を納め争いをやめるのならば我らが汝らに危害を加えることはあり得ない。繰り返す。我らは争いを望まない。退却せよ」


 一方的な侵略、警告と称した期限を無視した先制攻撃、それらを行った相手に対して寛大ともいえる要求だ。

 今の状態ならば、魔導騎士団を壊滅させることもできるだろう。ここにいるのが半数だったとしても、率いているのは団長と副団長だから、実質的に壊滅状態に追いやれる。

 だが、そうしたら帝国が全軍を差し向ける可能性が出てくる。貴族の軍勢も動かして。そうなったら、さすがに多勢に無勢だ。

 そういった状況を避けるため、エルヴィアが考えた口上だった。

 寛大で温情に満ちた口上に対して、全軍を差し向ければさすがに非難は免れない。

 あまりにも恩知らずな行動だからだ。

 このまま攻撃しても勝ち目はない。

 自身も肩を貫かれたアブラハムはそれを理解して、退却を命じる。

 南側は副団長が絶命しており、混乱状態になっていた。アブラハムの退却を示す魔法の炸裂がなければ無様な様子で逃げ惑っていたかもしれない。

 奥歯をかみ砕くほどに噛みしめて退却して行ったアブラハム達を見送り、イロナはふぅと大きなため息をこぼす。

 その様子に苦笑していたラウルは、騎士と騎馬が転がるだけになった街道を見て眉を寄せる。

 惨憺たる光景に無意識に苦い表情が浮かぶ。

 エルヴィアも、何ともやりきれないと言いたげにため息をつく。

 そこに、慌てたように中年の兵士がやってくる。

 いつかと重なる光景だが、今回はその時より切迫していた。


「巫女長様の下に、警護隊長が…っ!」


 悲痛な叫びに、驚愕するイロナとラウルに対し、エルヴィアは笑みを浮かべた。



※※※



 ロイスの警護に同室していたフローラとアレン、三人の魔導騎士とロヘリオ、ロレンソと五卿は外から響いてきた轟音に思わず全員が外を見た。

 市外が見えるはずもないが、困惑するロイス達に対してフローラとアレンは冷静に座りなおした。

 警戒していた空気が揺らいだ瞬間、扉と壁の一部を破壊して七人の兵士が入って来た。

 わずかに遅れた隙をついて、見覚えのある男がロイスに剣を突きつけた。


「…トマス=マーヴェン」


 苦々しげに呟くロヘリオに、ロイスの首に剣を突き付けて盾にしたトマスは苦虫をかみつぶしたように表情をゆがめる。


「反逆か」

「違うっ!」


 アレンの蔑みを含んだ呟きに、トマスは語尾に重なる勢いで反論する。


「巫女長様は、貴方方は何も分かっていないっ!」


 悲痛さを宿した叫びに、ロイスは表情を変えない。ロヘリオだけが眉をよせて厳しい表情を浮かべる。


「帝国は、『聖女帝』を継ぐ皇帝を戴く国家に敵対して、どうやって国を守るのですか? イロナ様は確かに攻撃力甚大でいらっしゃるが、護りは巫女長様に敵うべくもない。帝国、コーラル、オークライン、ラグメダに囲まれ、一瞬で握りつぶされてしまう。生かすためには従属するしかないのです。狂公に傀儡に任せられないのなら、帝国に託すしかないではないですか!」


 筋が通っているのかいないのか微妙な主張だが、その意見があったのは事実だ。

 セシエルの二つ名を警戒するのは当然。傀儡政権が信用ならないのは普通。後見として抑止力になる都市国家はホルグスしかないからラグメダは論外。

 残るのは帝国しかない。

 『聖女帝』の子孫ならば、という安易な発想と意見がなかったわけではない。

 宰相や五卿はけして言わなかったが。


「今の皇帝と皇太子を知っていないからこそ言えるセリフね」

「確かに皇帝は疑わしいが、名君から暗君が生まれるように暗君から名君が生まれることとてある」

「ごもっともだが、そうやって希望が持てるのは皇太子が子供だったらの話だ。とうに三十を超えた男だぞ」


 これから改善するとは思えない、と甥であるアレンが手厳しいことを言えば、その素性を知らないトマスはアレンを睨む。


「分かったような口をきくな、ガキごときがっ! どうせ、さっきの轟音は魔導騎士団が結界を破った音だ。すぐにでも押しかけて…」

「あるわけないわ」


 トマスの言葉を遮ってフローラが吐き捨てるように呟く。


「そうだな。ありえない」

「何故、そんなことが言える!」

「本当に魔導騎士団が結界を破ったのなら、巫女長様が気付かないわけがない。そして、魔導騎士が知らせに来ないわけがない。それがないということは、破られていないということだ」

「何より、防衛にはイロナ様の他にエルとラウルが支援として控えているわ。破るなんて不可能でしょう」

「だ、だが…っ」

「あんた、忠義を示してるつもりか?」


 盲信している風だった数日前とは違い、武力を用いてでも間違いをただそうとする姿は忠義の意味を理解しているように見える。その間違いが見当違いだったとしても。

 だが、現状、トマスの見解と主張は筋違いであることが分かっているフローラとアレンは、その行動に嫌悪しか浮かばない。


「あらゆる可能性と現在を吟味できないで自分の主張を通そうとするのは、忠義とはいわねぇんだよ」

「あんたのはただの我が儘よ。自分の思い通りにならない現実に、駄々をこねる子供と同じ」

「そ、そうですよ。本当にこの国を思っているのなら、こんな方法はいけませんっ」


 割って入って来たロレンソの言葉に、フローラとアレンは無反応。無視に近い。

 反応したのはロヘリオだけ。悲しげに瞳を細めてうつむいた。


「その通りね。でも、貴方が言うべき言葉ではないわ」


 新たに加わった声に、ロイスの頬が緩む。


「無事に終わったのですね、イロナ」

「はい。魔導騎士団の半数以上を撃破、退却していきました」

「そうですか」


 エルヴィアの後ろにいたイロナが、ロイスの問いかけに一礼して答える。

 トマスはそれを聞いて呆然とし、バカな、と小さく呟いた。

 純粋な雷属性であるイロナが防御魔法を行使するなどと思えなかったのだろう。事実、雷の魔法に防御魔法はほとんど存在しない。古式魔法に分類されるものしかない。

 だから、トマスは考えが至らなかった。可能性を見出せなかった。

 ロイスと同等、もしくはロイス以上の結界を張れるのだという可能性を。

 だらりと剣を下ろしたトマスと呆然とした六人の兵士を、魔導騎士達が慌てて取り押さえにかかる。

 拘束されたトマスは、自失状態にある。

 信じたことが覆されたショックでうなだれている。


「…アレン殿からの報告で、あることが分かりました」


 ふいのロイスの言葉に、全員がロイスに視線を向ける。

 のろのろと顔を上げたトマスは、盲目の瞳を瞼に隠して言葉を紡ぐロイスを見上げる。


「アレン殿が倒してくださった暗殺者達は結界宮の隠し通路から侵入してきたようです」


 五卿が驚愕を露わにしてロヘリオを見る。

 結界宮は代々の都市長が増改築を繰り返している。

 レウネット家とガルベルド家が地位を争う二大名家であったため、結界宮にはそれぞれの家だけが知る隠し通路が存在する。

 レウネット家の当主で唯一の生存者であるロイスが、暗殺者を引き入れる理由がない。ならば、自然とそれを利用した者は絞られる。

 魔導騎士達も、自然と厳しい眼差しをロヘリオに向ける。

 おもむろにロイスが痩せた腕を持ち上げて一人指さす。

 気配で誰がどこにいるのかが分かるからこそ、ぴたりと的確に指し示す。


「反逆者ロレンソ=ガルベルドを拘束なさい」


 命令に、室内に満ちたのは沈黙だった。

 ロイスの命令に、モラリス側のほとんどが驚愕を露わにした。

 イロナとロヘリオだけが平然としている。

 エルヴィアは微笑み、フローラ達は疲れたように溜息をついた。

 反逆者と言われたロレンソは、一瞬浮かんだ感情を押し殺して驚愕を浮かべてうろたえるそぶりをした。


「み、巫女長様。どうして、ぼくが…」

「貴方しかいないからです。ロレンソ=ガルベルド」


 きっぱりと言い切ったロイスの表情は落胆を露わにしていた。

 次代を担うイロナを支えてくれるのだろう、と考えていただけに失望していた。


(盲目となったのは瞳だけではなかった、ということですね。老いたというのは言い訳にもならない)


 ロレンソのことを指摘したエルヴィアがいる場所に顔を向け、小さく頷く。

 一つ、息をはいてエルヴィアが一歩前に出る。ロレンソが口を開くのより早く、エルヴィアは言葉を作る。


「暗殺者達が通った隠し通路は、ガルベルド家が知る隠し通路だったのよ」

「…それで、どうしてぼくになるんですか。ガルベルド家の当主は祖父様です。それに、隠し通路なら巫女長様もイロナ様も知っていらっしゃいます」

「人の話はちゃんと聞いてほしいわ。ガルベルド家が知る、と言ったはずよ」

「どういう…」


 意味か、と聞こうとしてロレンソは気付いた。

 瞳を見開いた次の瞬間、拳をきつく握りしめる。それに気づいて、エルヴィアは微笑みを消す。


「貴方が利用した隠し通路は、ガルベルド家だけ(・・)が知る物。そんなの、疑ってくれと言っているようなものでしょう。上手くやろうとするのなら、絶対に使わない。そして、結界宮の隠し通路には、三種類ある。一つはガルベルド家だけが知る物、二つ目はレウネット家だけが知る物、最後は両家が知る物よ」


 自らへ疑いがかからないようにするのなら、両家が知る隠し通路を利用するのが賢明だ。

 両方に疑いの目が向く。それでも容疑者の一人にはなってしまうが、疑いの目は分散できる。


「長い歴史の中で、互いに都市長として君臨してきた両家は、あえて共通の秘密を持った。そして、それは両家の当主にしか知らされない。つまり、宰相閣下はご存知なのよ。両家が知る隠し通路の存在を。何十年にわたって宰相として一国を支えてきた者が、自分しか、自分の一族しか知らない隠し通路を利用する愚行はしないわ」


 現状、巫女長の地位を継いでいないイロナも共通の隠し通路の存在を知らない。

 ロイスとロヘリオしか知らないそれを使えば、ロヘリオに疑いが向くだろう。ロイスが引き入れる理由がないから。

 共通の秘密を持った理由がそれだった。

 たった二人しか知らないからこそ、それを利用して悪事を働こうとしてもすぐに露見する。

 それぞれの家しか知らない通路を使っても同じこと。

 暗殺を防ぐのに大いに役立つ秘密だった。

 ロレンソはそれを知らなかった。

 自分が知っている隠し通路の存在が、ガルベルド家だけが知る物だということも。

 だから、利用してしまったのだ。

 イロナに否定的な祖父に疑いの目が向くように。そして、それは半分成功していた。

 五卿達はロヘリオを疑ったのだから。


「…祖父様を、疑わなかったんですか」

「疑う理由がないわ」

「警護隊長と会っていた現場を、貴方は見たでしょう」

「そうね。目を懸けていた部下に裏切られて落胆している宰相閣下を見たわ」

「…失敗を咎めていたでしょう」

「彼の忠義を知っていたからこそ、やり方がまずかったと咎めていたのよね」


 沈黙に、エルヴィアは瞳を細める。


「今の問答で、貴方は自分が反逆者だと言っているわ」


 睨みつけてくるロレンソに、小さな笑みを浮かべる。形だけのそれは、嘲笑としか思えなかった。


「…五年前、貴方は両親を病気で失った。けれど、それが病気ではないことはすでに分かっているわ。ね? 宰相閣下」

「まさか、来て数日の人間に指摘されようとは思っていなかったがな。それも、孫と同年代の小娘に」


 悔しげに口元をゆがめるロヘリオを一瞥して、エルヴィアは頷く。


「自分の利の為に親さえ殺したのね、貴方」


 それは、エルヴィアがロイスに頼んだこと。

 亡くなったロヘリオの息子夫婦、つまりロレンソの両親の死について調べるように、と。

 共に風邪すら滅多に引かないほど健康で若かった。

 半月ほどで衰弱して死ぬなど考えられなかった。しかも、どうすることもできないと医師にさじを投げられるほどの難病など。

 毒の中には既存の病気の症状とそっくりな反応が出るものがある。ある一定の香辛料や薬と混ぜれば毒として判断されなくなるものも。それらは総じて猛毒であることが多い。

 ロレンソは本が好きだった。薬剤や毒物、自然に関するものが。

 そして、そこで得た知識を動物相手に実践することを楽しみにしていた。幼少の頃から。

 両親はそれを不安に思い、ロヘリオに相談していた。

 母親が出産後に体を壊して子を産めなくなったため、ロレンソしか子供がいなかった。後継者となるのも。養子を取ることも最終手段として考えていた。

 それでも、子供は可愛い。どうにかして更生させたかった。

 色々と手を尽くして諭そうとする両親を、ロレンソは煙たがった。

 ロレンソが両親を殺すことを決意する決定打は、六年前に持ちあがったイロナとの婚約話だった。

 ロヘリオがイロナに対して否定的なのとは別の理由で、ロレンソもイロナに対して否定的だった。

 立場上それを表に出さなかったが存在が気に入らなかった。

 イロナがいなければ、次の都市長はロヘリオの息子がなる可能性が高かったからだ。ロイスには子供がなく、レウネット家も遠縁の分家しか残っていない。レウネット家を引き継ぐ者もないのだ。必然、ロレンソにその座が回ってくると考えてもおかしくなかった。

 だからこそ、ロレンソにとってイロナは邪魔だった。同時に、捨て子であることも気にいらない理由だった。

 血統主義というわけではなく、誰にでもある偏見だ。

 その相手との婚約話は、嫌悪しかなかったが権力を握るのには手っ取り早いのは事実だった。

 だから、ロレンソは表向きその話を喜んだ。

 他人はだませても、親はだませなかった。偽りの歓喜を見抜いて、両親は持ち上がった婚約話を白紙に戻した。

 互いに子供であることを理由にして。

 話を持ち上げたのは五卿だったが、ロイスが理由に納得したので流れたのだ。

 権力欲があるわけではない、叛意があったわけではない。

 ロレンソはロレンソなりにモラリスを想っている。だからこそ、頂点に立つことを望んだ。

 たとえ、その心根が歪んでいても、幼少からの凶行があったとしても、確かなものだった。

 最短で望みをかなえる事が出来たのに、それを阻んだ両親を邪魔だと判断した。

 自分の正義と願いを貫くのに邪魔だ、と思ったから殺した。

 排除して風通しを良くするために。

 そこにロヘリオが含まれなかったのは、ロレンソの教育に一切関わらなかったからだ。

 どうしようもなくなったら当主としての強権を使うつもりでいた。だから、沈黙を守って来た。それが仇となることを知らずに。

 エルヴィアが語るロレンソの悪業に、五卿や魔導騎士達は信じられないと言いたげな表情を浮かべる。


「貴方は、上手かったと思うわ。表情も態度も。ただ、あまりにも徹底しすぎてたわね。一度も、祖父をかばうこともいいわけもなかった。ただ一人の家族であるにも関わらず。それが冷静に判断出来ているからこそだったとしたら、逆に怪しいわ。とっとと訴えてればいいんだもの」


 家族である為に躊躇うことはあるし、かばうこともある。

 逆に家族だからこそ厳しく冷静でいると言うのなら、見逃す理由がない。

 エルヴィアの言い分に、ロレンソは口元を歪める。

 さっきまでの穏やかで温和な空気はない。


「…いつまでも、独立を保っていられるわけがない」


 常からは考えられないほど低く重い声で、ロレンソは呟く。


「銀は有限だ。採りつくせばモラリスを守る盾はなくなり、周囲を山に囲まれているから街道を封じられれば経済的にひっ迫する。国として保てず、民は飢えて苦しみ死んでいく。いずれは反乱がおきる。いかに甚大な魔力を有するとはいっても、それで民を養えると思うのか? 冷静に考えろ。特産もなく、土地も閉ざされ、商業通路としての益もない。他国の庇護を得ずにモラリスが生き残っていけるわけがない」


 ロレンソの言葉は尤もで、五卿達は視線を逸らす。

 彼らも懸念していたことだ。

 そして、ロイスが決断した理由だ。


「皇帝は愚かだが、宰相はけしてバカじゃない。あの皇帝に忠義を尽くしている時点でバカなのかもしれないが、それでも頭は回る。モラリスには差し出せるものがない以上、帝国領になるしかないがそれでもこの土地の自治ぐらいは得られるだろう。それぐらいの寛容さはあるはずだ。元々何も生み出さない土地なのだから、手中に納めようとは思わないだろう」

「そして、貴方が領主になる?」

「老いた巫女長が、後何年ここを治められる? その後継者はけして頭が良いとはいえない。血筋的なことで帝国から忌避される可能性がある。すでに七十を超えた祖父が領主になったとしても、よくて十年で治世は終わる。その十年くらいは、ぼくの準備期間として与えてもいいが、最終的にはぼくが領主になるだろう」


 冷静な分析だ。

 特産のないモラリスを手に入れようと考える貴族はないだろう。近場のカイクレス伯爵は欲しがるかもしれないが、成り上がりの新興貴族ごときに帝国が国境を守ることを許すはずがない。

 それゆえに潰すことを躊躇わず、惨たらしいまでに蹂躙されるかもしれない。今回のように、そろそろ銀が尽きるかもしれないから最後の銀を独占し、ついでに領土を増やそうと動くように。エルヴィア達の逃亡を妨害することも理由の一端だろうが。

 先に降伏し、全面的な服従を示して自治を願えば叶うだろう。実入りがないが故に興味をもたないと見越した考えで、それはきっと間違っていない。

 ロイスが老齢であることと、いつ亡くなってもおかしくないことは事実だ。イロナが少々気配りと情報戦に疎いのも事実で、血筋的に疎まれることが予想できる。

 血筋的にも家系的にもロヘリオが領主になる可能性が高く、その後継者は唯一の孫であるロレンソなのは誰でも考えられる。

 ロレンソの言葉は、全て的を射ていた。


「…貴方は、モラリスを残すために動いていたのね? モラリスを支える巫女長を失えば、後継者問題で反目していた祖父に疑いがかかることを承知で。根回しすることで自分がイロナに最も近い場所にいられるようにすることで」

「故郷を想って何がいけない? 政治は綺麗事ではどうにもならない。いつか、どこか、誰かが悪と罵られながらも泥をかぶって成し遂げなくては生き残ることはできないんだ」

「親を殺したのも、その一端だと?」

「ぼくはぼくであることを変えられない。権力者になるからにはあらゆる危険を知っておかなくてはならない。それを知ろうとしただけだ。その効果を知ろうとしただけだ。なのに、それを咎めて、傍で見張って、ぼくがすることに口出しをしようとする。邪魔だったんだ。ぼくがモラリスを残すために動くには」


 絶好の立場であるイロナの伴侶という身分をふいにした。

 モラリスを残すためならば、嫌悪する相手の隣も甘んじて受けようと思っていたのに。

 酷い言葉だが、ロレンソを否定する要素を誰ももたなかった。

 政治家であるからこそ、ロレンソの考えが行動が間違っているとは言えなかった。

 親を殺したのは人道的に法的に色々と許されはしないが、ロレンソの思想自体は肯定出来た。感情を殺した、政治家としてならば。


「…貴方は、正しい」


 数秒の沈黙ののち、エルヴィアは落とすように呟いた。


「けど、貴方自身が言ったわ。綺麗事だけではどうにもならない。その通りよ。そして、正しいからと言って、全てが許されるわけではないわ」


 ロレンソの睨みに、浮かべていた嘲笑を消して静かな視線を返す。


「貴方は全てを自分一人で行おうとした。成し遂げた後も。でも、全てを一人で出来ることはこの世にはないのよ」


 喧嘩は自分と対等の相手がいて初めて成り立つ。

 ロレンソのように一人で全てを行おうとして、自分より上の者しか見ていなければ、いつか孤独になる。ロレンソが言ったように、反乱がおこるだろう。ロレンソ一人に対して。


「故郷を思い、残そうとする。その思いは認めるし、手法も否定しないわ。でも、強引すぎる。巫女長を殺して、混乱を呼ぶ。その疑いが祖父にかかるようにする。そうすることで貴方にとって邪魔な二人が排除できる。後継者であるイロナに近い自分が補佐となり、動かすことで計画を実行しようとした。武と魔導に長けるイロナは、政治に関しては疎いからなおのこと自由にできると考えた」


 イロナは気まずげに視線を逸らす。

 事実なだけに耳が痛い。


「帝国がモラリスを攻めてきたのは貴方にとって好機だった。わざわざ出向かなくて済むから。その場で全面降伏してしまえばいいんだから。けれど、同時に私達が来た。ここで、巫女長の駒が増えるのは面倒だった。実力が分からないからこそ、余計に」


 トマスの行動はロレンソにとってはどうでもいいことだったが、実力を測るには十分だった。分かったのはラウルだけだったけれど。

 守りに長けた者がいることは、都合が悪かった。

 だが、行商人の少年が巫女長のそば近くに常にいることはできない。モラリスの人間が許さない。

 狙いを単体にするのなら、特に問題視すべきではなかった。ただ、外部からの視点で自分に疑いが向けられるかもしれない。その危険性は排除しておかなくてはならない。


「だから、祖父の動向に目を向けていた。そして、私達に近づいて好意的に接し、祖父の怪しげな行動にはち合わせるようにした」


 密会も普通ならばロヘリオに疑念を持つだろう。

 だが、エルヴィアは最初からロヘリオを容疑者から除外していた。


「はっきりいって、怪しいかもしれない、程度じゃ疑えないのよ。貴方の方が、よっぽど可笑しかったんだから」

「何を…」

「本当にイロナ様に対して忠誠を誓っているのなら、ラウルとの手合わせの場にいないのはおかしい。その後、接触してくるのが遅いのもおかしい。さっきも言ったように、たった一人の祖父をかばうそぶりも説得するからという言い訳もなかったのがおかしい。…色々あるけど、全部言った方がいいかしら?」

「…あんたを消さなかったのが、一番の失策か」

「貴方に消されるほど弱くないからどっちにしろ無理よ。それと、貴方の策は上手く行くのは最初だけ。言ったでしょ? 貴方個人への恨みで反乱がおこる、て」


 帝国における『イヴ』の存在が、モラリスではロイスだ。

 人間である以上いつかは老衰で死ぬ。しかし、力づくで排除すれば、民が知らなかったとしても軋轢が生まれ、その溝が埋まることなく広がり続ければ反乱がおこる。

 そして、それは元凶であるロレンソへ向かう。

 重ねて言われ、ロレンソも予想の組み立てができたのか苦い表情を浮かべる。そうなることを理解したのだろう。


「もう一度言うわ。貴方は正しい。でも、けして、正しいからと言って全てが許されることはないのよ」


 小さな子供に諭すように、エルヴィアは繰り返す。

 そして、固まって動けない魔導騎士達に視線を走らせる。


「何をしているの? 巫女長様から命令は下ったわ」


 指摘されて、聞き入っていた魔導騎士達が我に返ってぎこちなく動き出す。

 その手がロレンソの肩に触れようとした時、隠し持っていた短剣を抜いて走りだした。

 とっさに反応できない魔導騎士達に対して、動いたのはフローラだった。

 ロイスの側に護衛としていたから、そして、ロレンソのことを事前に聞いていたから動けた。

 向けられた短剣を防ぎ、弾く。


『  縛鎖ばくさ  』


 ラウルが詠唱破棄で唱えれば、床が変形してロレンソの足を拘束する。

 建材が石である為、地の属性魔法が可能だったのだ。

 捕縛魔法としては初級だが、魔導師ではないロレンソにはそれを解くことができない。

 悔しげに歯噛みするロレンソの両腕を魔導騎士が押さえる。


「…信じていました。きっと、次世代を支えてくれるのだろう、と」


 悲しそうなロイスの声に、誰もが視線を向ける。


「ロレンソ。エル殿の仰る通り、貴方は正しい。ですが、貴方の懸念はとうに考えついていたことなのですよ。そのための対策も手筈も整っていました。…貴方の、裏切りさえなければ」


 考えていた次世代の構図には、ロレンソが深く関わっていた。だが、今回のことでそれを大きく変更しなくてはならなくなった。

 信頼が裏切られた悲しみも、自らの見る目が衰えたことも、ロイスは悔しかった。

 エルヴィアに見抜けて、自分に見抜けなかったのが。


(追いつけていると思っていたのに、近づけていると思っていたのに…)


 姉と慕った人に、認められるようにと願い続けた。

 努力して、学んで、必死で歩んできた。


「貴方の行動が、モラリスを思うが故だと分かっています。ですが、裁かずに放免することはできません。…反逆罪は、死をもって償っていただきます。かまいませんね? ロヘリオ=ガルベルド」

「法に則り厳罰に処していただいて結構です。巫女長様」

「連れてお行きなさい」


 ただ一人の後継者を失うロヘリオを気にして声をかけたが、ロヘリオはロイスに頭を下げた。

 命令されて魔導騎士達はロレンソを連行していく。トマスとその部下も。

 重い沈黙が流れる部屋の中で、ふいにロヘリオが動く。


「エル殿」

「何でしょうか?」

「貴方が、ロレンソだけを疑っていたのは何故だ。わしとて十分に…」

「イロナ様に否定的だったからですよ。宰相閣下」


 いぶかしげに眉を寄せるロヘリオに、エルヴィアは首をかしげて薄く笑う。


「貴方は、イロナ様の未熟さゆえに否定的でした。血筋も理由でしょうけれど、それは他国から軽んじられる可能性があり、それを懸念したからです。貴方は、一国を預かる宰相として当たり前の判断をしていたにすぎない。イロナ様では、将来を託すにはまだ不安である、と」


 はぁ、と大きく息を吐いたロヘリオは肩を落とし、疲れ切ったような笑みを浮かべた。

 ロヘリオとて人間だ。

 孫が犯した罪の重さを、十分に理解し苦しんでいた。


「…未熟な国家代表のそばには、貴方のような存在が必要です。否定的ばかりではいけませんが、肯定的ばかりは甘え腐ってしまうだけですから。厳しく戒める者が、一人は必要です。発言力と実行力のある立場、宰相である貴方なら適任です」


 まるで上から諭して導くように静かな声音に、ロヘリオは瞳を見開いてロイスを振り返る。

 それが見えているわけないが、ロイスは苦笑して頷いた。それがロヘリオに向けたものであること、考えを理解した上であることは容易に理解できた。


「なるほど…。愚孫ごときでは、相手にならぬわけだ」

「?」


 モラリスのトップに君臨する二人の間で交わされた意思疎通に、エルヴィアは首を傾げる。

 攻防戦と反乱の予防。

 それを成して、モラリスは一時の平和に包まれる。

 訪れる悲しくも厳しい現実の前に。




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