第八話:レゼドル男爵家 Ⅰ
【大陸暦八七年三月二五日(逃亡から八六日)】
※・※・※
コーラルと接しているレゼドル男爵領レゼドル。
モラリスの銀山につながる山脈に接している交易都市として栄えている。
…というのが、帝国内の通常認識である。
「さびれてんなぁ…」
アレンが思わず呟いたとおり、どこか雰囲気が暗かった。
男爵領には中心となる街と村が四つあるだけ。その内、一つの村に立ち寄ったが、どこにでもある平凡な田舎だった。
国境を守るだけに、男爵領としては例外的に大きく整備の行き届いている街だ。交易都市としてにぎわっているのが普通なのに、大通りですら人が少ない。
一言で言うならアレンと同じように、さびれている、だろう。
四人は、宿を決めて食堂で昼食を取りながらぼそぼそと話し合っていた。
「悪いねぇ。行商に来たって言うのに、こんなんで」
「あ、いえ…でも、国境の街でこんなに人が少ないなんて、どうしたんですか?」
客が少ないからか、宿の女将が四人に近寄ってきて苦笑する。子供ばかり、ということで気にかけているのかもしれない。
穏やかにラウルが受け答えたので、エルヴィア達はひとまず聞き役に徹する。
「ちょっと、領主様のところでねぇ…」
言いにくそうに言葉を濁す女将に、ラウルは無邪気な笑顔を向ける。
「領主、ということはレゼドル男爵ですね。確か、武に長けた方だと…」
「あ、あぁ、そうだねぇ。とても厳しい方でもあってね…」
ごめんよ、と言ってそそくさと去っていく女将の背中を見つめて、ラウルはエルヴィアを見る。
「まず、部屋行きましょ」
相談事をするには、場所が開放的すぎる。
全員が頷いて食事を片づけると、さっさとエルヴィアとフローラの部屋に引き上げる。
アレンとラウルの部屋は、荷物(護玉とか貴重品)に半分占領されているためだった。
※※※
レゼドル男爵家の祖は、大戦期に最前線で戦い抜いた農民兵デュラ。
戦争参加時、十二歳。
武術の心得など皆無だったが、鍬一本で十以上の獣人を叩きのめしたことから、見出されて兵となった。
戦争終結時十八歳だったデュラは、故郷であるレゼドルと男爵位を与えられ、レーヴ家を創設した。
以上、エルヴィアが知らないと言うので、アレンが語ったレゼドル男爵家創設の話である。
聞き終えたエルヴィアは机に突っ伏した。
いい加減慣れてきた三人はその様子を目にして、違うんだな、と思いエルヴィアの復活を待った。
のろのろと動きだしたエルヴィアが語るのは、デュラの真実。
戦争参加時十二歳だったデュラは、十人以上の軍人を叩きのめして、『イヴ』達のところに殴りこんできたのだ。
『イヴ』配下の軍人ではなかったが、広い意味では仲間だったので、殴りこまれても致し方なかった。何しろ、デュラはその軍人達に故郷を焼かれ、両親と弟妹を殺されていたのだから。
武器にした鍬はすでに折れていて、役には立たない。そのため、『イヴ』が騒ぎを聞いて駆け付けるよりも前に、デュラは取り押さえられて独房に放り込まれていた。
それに対して、『イヴ』はすぐに解放するように言い、事情を聞いて頭を下げた。
デュラが叩きのめした軍人達は厳罰に処し、上官は指揮権をはく奪、一兵卒として前線投入された。
家族と故郷を奪われた少年が、それで怒りを治めるはずもなく、『イヴ』に対して斬りかかって来たので、ギラルダインの一撃でのされた。
さすがに、屈強な大男の一撃を頭に受けてまで、立っていられなかったらしい。ちなみに、斬りつけた剣は側にいた兵士から奪った。
その後、ギラルダインやその仲間、『イヴ』に傾倒していた人物達によって叩きのめされ、説教され、同情された。どこでどういう思考に至ったのか、デュラは逆ギレ気味に軍に入ることになった。
いわく、そばで見て見定めてやる! とのことだった。
『イヴ』としては意味が分からないが、ギラルダイン達は満足そうにしていたので、何かしらやったのだろうと思ったが、内容は分からずじまいだった。
聖女崇拝と言ってもいいほどに士気が高まっていく軍の中で、デュラは数少ない聖女否定派だった。
常に懐疑的で、味方でも敵でもない存在だった。
それが『イヴ』にとって、とても嬉しかった。
もう何も信じられない。
エルヴィアの話を聞いた三人の感想だ。
今度は三人が机に突っ伏した。それを何とも言えない表情で見下ろすエルヴィアは、ふっと小さく息をつく。
(正確には終戦までいなかったしね。しかも、お前らに任せられるか、て言ってレゼドルの領有権をむしり取っていったしね)
その後、男爵位をもらったことも貴族として名を連ねたことも知らなかった。徹底した貴族嫌いであり王族嫌いだったから。
歴史や伝説はその時の支配者によって変えられるものだが、最初から最後まで作り話というのはなぜか。半分くらいは真実を混ぜるのが普通なのに。
そう思いながらも、今に始まったことじゃない、と諦めた。
何しろ、『聖女イヴ』の伝説すら嘘なのだから。
「…ねぇ、エルヴィア」
「何?」
「その人の子供とかって…」
「デュラがレゼドルに戻ったのは十八、『イヴ』はこの五年後くらいには死んでるからね」
しかも、その五年間、『イヴ』はほとんど外の世界の情報を知ることはなかった。知らされなかった、というのが正しいが。
「一つ、確認したいんだが、領有権、をもってるんだよな?」
「ええ。それが?」
「その意味って、初代は理解してたのか?」
「…どういう意味?」
「領有ってことは、拝領したわけでも自治権を得たわけでもないってことだろ? つまり、独立できる」
アレンの指摘に、時間が止まったかのような静寂が部屋に流れる。
呆然とした表情で、エルヴィアは視線をゆっくりと天井に向ける。まるで、何かを思い出そうとするかのように。
『じち、てどういう意味だ?」
『王や皇帝から与えられた領地での政治を、自分の判断で行えること』
『ふ~ん、拝領って?」
『目上の人から物をもらうこと。ねぇ、デュラ、私、仕事中なんだけど…』
『へぇ、じゃ、領有ってのは?』
『はぁ…自分のものとして土地を有すること』
『…つまり、王とかで言えば国土、か?』
『そういうこと』
『領有権があれば、独立できるってことか?』
『…領有してるってことが、独立してるってことで良いんじゃないかなぁ』
『じゃ、王や皇帝に従ってる貴族が領有権を得れば…』
『属国という形になるけど、一国として独立できるわね』
『なるほど…』
土地関連の質問が相次いだ後、黙り込んだデュラを振り返って見た時、何かを企むような笑みを浮かべていた。
何で気付かなかったかなぁ、と現実に戻ったエルヴィアはこめかみを押さえる。
いぶかしげな三人に、思い出したことをかいつまんで伝えれば、バカか、と言わんばかりの視線を向けられた。
「確実に、理解していて分捕ったな」
「その上、貴族として名を連ねているところが策士ですね。『聖女イヴ』に対して懐疑的な者が独立すれば、危険視されかねませんから」
「…今のあたし達と年変わらないのにねぇ」
うんうんと頷くアレン。分析するラウル。感心するフローラ。
三者三様の反応に、エルヴィアはため息をつく。
デュラのその後が分からない以上、エルヴィアには現在を推察することも出来ない。
だが、街の妙な空気は、デュラの企みが芽吹いた証拠だろう。確証はないが、なぜかそう思えた。
妙ではあるが、誰も危険を感じているような雰囲気はないためでもある。
故郷を愛していたが故に、軍に入ってその全てを疑っていたデュラが、故郷を混乱に陥れることを望むはずがない。
それは、一種の確信としてエルヴィアの心にあった。
※※※
「ジェニ様」
「ん~?」
「チェスラス子爵家の紋章を持つ行商隊が街に入りました。帝都からの通達通りの人数と名前、年格好です」
「どこの宿?」
「南区のジェレス家経営の宿です」
「ふぅん…」
街を一望できる屋根の上、胡坐をかいて座る少女―――ジェニに青年が声をかける。
一歩間違えば転落しかねない場所で、二人は平然と会話を続ける。
「そっちは夜に行く。まずは、バカどもを蹴散らすぞ」
「御意」
立ち上がったジェニは、曾祖父譲りの大きな黄色の瞳に好戦的な光を宿し、唇を吊り上げた。
従う青年は無表情に、だが、その瞳には楽しそうな光が宿っていた。
ジェニが何をしたのか、青年は誰なのか、それを知るには昨日の昼過ぎにまでさかのぼる必要がある。
【大陸暦八七年三月二四日(逃亡から八五日)】
※・※・※
エルヴィア達がレゼドルにつく前日。
レゼドル男爵家では、騒動が起こっていた。
当代は始祖デュラ=レーヴの孫、エンリケ=グル=レーヴ。
今年四七歳の彼は、『聖女帝』に傾倒し帝国に従属している。
それをあからさまにしたのは、今から十年ほど前のこと。
御意見番、とも言える父親モーゼシュ=ラグ=レーヴが亡くなってからだった。
『イヴ』に対して懐疑的だったデュラ。
『イヴ』の死後に生まれ父より聞き知っていたモーゼシュ。
二人は、エンリケを戒め続けた。
自分の目で確かめること。
他者の言葉をうのみにしないこと。
一人を信じすぎないこと。
独断で進めないこと。
帝国に飲み込まれないように、と。
だが、その願い空しく、エンリケは帝国に従属を誓ってしまった。
エンリケには三人の子供がいる。
今年二二歳になる長男であり跡取り、エドヴィン=イラ=レーヴ。
三つ年下の長女、エマ=エイル=レーヴ。
さらに二つ年下の末娘、ジェニ=マルギト=レーヴ。
父親に従う長男と長女、それに反発している末娘。
非常に仲の悪い両者は、日頃からいさかいが絶えず、エンリケはついにはジェニを追放しようとしていた。だが、ジェニはそれより早く動いた。
昼過ぎ、ジェニは一通の手紙を読んでいた。
「…動いたか」
ニッと笑って城の中に戻る。
すれ違う侍女達が笑顔で軽く頭を下げ、ジェニは笑って手を振る。
主家の令嬢と使用人とは思えない態度だが、親に反発しながらも分け隔てない性格のジェニは使用人に親しまれていた。
「おい」
「はい、何でしょう」
「親父達はどこにいる?」
「リビングにいらっしゃると思いますが…」
「そうか。ありがと」
年かさの従僕を捕まえて聞けば、丁寧な答えが返る。
それに対してジェニは雑だが、きちんと礼を言う。従僕は嬉しそうに笑って頭を下げ、歩きだす。
「ジェニ様」
「あぁ、エルネストか」
「動きがありましたか」
「まぁな。いい加減、親父達には目を覚ましてもらわねぇとな」
「はい」
「…別に来なくていいぞ」
「行きますよ。モーゼシュ様から、頼まれていますから」
ジェニが来るのを分かっていたのか、待ち伏せるように立っていた青年―――エルネストは無表情にジェニを見下ろす。
それを何とも言い難い表情で見上げたジェニは、ため息をついて歩き出す。
エルネストは、レゼドル男爵家に仕える従僕の一人だ。
正確には、先代モーゼシュに仕えていた。どこからかモーゼシュが拾ってきて、ずっと自分のそばに置いて養育してきた。モーゼシュの死後、遺言によってジェニ専属となったエルネストは、自身の過去を誰にも話さない。
ジェニですら、エルネストのことを知らない。
ただ、それでも心から信頼してはいたが。
「バカどもの間抜け面、笑えるだろうな」
無感情に呟けば、エルネストは無言で肯定を示す。
気配が頷いているな、と思いつつジェニはリビングへと歩を進める。
「…なんだと?」
「もうろくしたか、クソ親父」
呆然と聞き返すエンリケに、ジェニは冷淡に切り返す。
はっと鼻で笑って手紙を叩きつける。
それを見て、エンリケとエドヴィンはギョッと目を見開き、男爵夫人マニータとエマは首を傾げた。
「お、おま、これは…皇帝陛下からの勅書ではないか!? か、勝手に開いたのか!」
エンリケの叫びに、マニータとエマは悲鳴を上げる。
「別に、親父宛じゃねぇだろ。それに、ちゃんと渡しただろ? 今」
「そういう問題ではない!」
ほぼ絶叫するように叫んだエンリケは、慌てて手紙の中を改める。
必死の表情で文面を追うエンリケから、エドヴィンはジェニに視線を移す。
「お前、いい加減にしろ」
「何が」
「ふざけるな! 私達が気に入らないのはお前の勝手だが、皇帝陛下まで巻き込むな!」
「巻き込んでねぇよ。そもそも、巻き込まれんのはこっちだ」
「何だと!?」
長男と末娘の喧嘩は今に始まったことではないので、マニータとエマはエンリケに近寄る。
「…モラリスに魔導騎士団を向けるからそれに協力せよ、と」
「まぁ、モラリスと言えば銀山が有名ですわね」
「今の領主は大戦期からの数少ない生き残りだ。だが、帝国と距離を取って叛意あり、謀反に向けた動きがある、と…」
「まぁ、何と言う恩知らずな…」
「うむ」
両親の会話に、エマは頷く。それを耳にしたエドヴィンも。
ただ、ジェニだけが呆れたように表情をゆがめていた。
「おい、クソ親父」
「ジェニ、お前はこんな大事な文を勝手に読むとは…もう我慢ならん! 今すぐ出て行け!」
「別にいいけど、一つ訂正しとくぞ」
「何だ!!」
「あのさ、モラリスはれっきとした独立都市なんだから、領主とか謀反て言い方はやめろ。ロイス=レウネット様はモラリスの民に絶対的な支持を得ているんだから、帝国貴族がそういう言い方をしたってなると怒り狂うぞ」
「『聖女帝』様に仕えていた老婆が主というだけだろう。帝国の一部も同然だ」
エンリケの主張は、皇族派にとっては当然とされている発言だった。
ロイスが『イヴ』を慕っていたのは事実。モラリスが独立都市国家であるのも事実。
一度も、帝国貴族になったことも帝国領となったこともない。
馬鹿らしい認識であり当然。
再度、ジェニはため息をついた。
「…まぁ、そう思うんだったら思っとけよ。で、親父達は従うわけ?」
「当然だ。わしは帝国貴族だからな。父上のように不忠者ではないからな」
ふんと鼻を鳴らすエンリケに、ジェニがぴたりと動きを止める。
その背を見たエルネストは、わずかな怒りを宿した瞳をエンリケに向ける。
「な、なんだ、その目は! 使用人風情がっ。お前もジェニと一緒に出て行け!」
視線に怯みながら、解雇通告を叩きつける。
しかし、それは無感情なエルネストの声によってたたき落とされた。
「言われずとも、ジェニ様について行きます。ですが、俺を雇ったのはモーゼシュ様です。死後、貴方は俺の雇用契約の名義を変更しておられない。今までずっと、俺はモーゼシュ様の意思で動いていたのです」
「な、なんだと?!」
「モーゼシュ様は、ジェニ様に従えとおっしゃいました。主と思えないようなら、自由に出て行けとも。そのさい、困らないようにまとまった財産を譲り受けております。…貴方が、遺産として受け継いだ宝物の一部がそれですので、しっかりといただきますが」
「許さん! あれは男爵家のっ」
「当時の男爵閣下から下賜されたものです。さらに、雇い主は貴方ではないので、貴方の叱責や命令を聞き入れる必要はありません。従う理由もございません」
下賜された証として直筆の署名が入った書類を取り出す。
男爵家の財産の五分の一を譲渡する旨が記されている。
それを見せられて、エンリケは頬を引きつらせて脱力した。
父親がとんでもないことを仕出かした、と思って呆然としたのだ。それはマニータと子供二人も同じ。
「…親父」
「な、なんだ…」
「忠義、とはどういう意味だ?」
「主君に対して真心を尽くして使えることに決まっているだろう」
「なら、どうして皇帝を諌めない?」
「諌める? 何を言っている。『聖女帝』様のご子孫でいらっしゃる皇帝陛下が、お間違えになるはずが…」
ドンッ!
聞くに堪えなかったのか、ジェニはテーブルを叩きつけてエンリケの言葉を遮る。
「間違えないんだったら、どうしてモラリスを攻める?! 戦争を知らない者が、戦争を知って生き抜いた独立国家の統治者を、どうして責められる! 帝国に対して距離を取り、叛意あり? だから攻める? バカにしてるのか! 属国でも領土でもない国を攻めるのはただの戦争行為だ! 叛意も何も、全員が同じ思想を持つなんてあり得るわけがないんだから、否定意見が出ても何もおかしくないだろうが!」
常にないジェニの剣幕に、男爵家一同は目を見開いて固まった。
「モラリスは、各国に対して平等に銀を輸出している。優劣をつけたところもなければ、それで条件を付けたこともない。真心を持って、誠意をもって対応している! そんな国に、国主に、忠義を履き違えて祖先の名にすがるしかない皇族を盲信する、そんなバカが何か言うなんて身の程知らずにもほどがある!!」
反発してはいても、真っ向からここまでの糾弾をしたことはなかった。
まるで爆発したような剣幕にジェニの怒りの深さを知り、エルネストは瞳を細める。
レゼドルは交易都市として栄え、武に長け厳しいエンリケは政治に対して才はないが、維持し守ることは得意だった。
民が傷つくことも、圧政に痛むこともなかった。皇族派としては、かなり善良な領主だ。
だが、『聖女帝』の子孫というそれだけで盲信する。単純な思考で動くのは、致命的だった。
今回のように、ちゃんとした理由もなく、勘違いと身勝手で一国を攻めることを、全面的に肯定してしまう。これは、忠義ではない。
先代モーゼシュがなくなった時、ジェニは七歳になるかどうかという頃だった。
だが、幼少からモーゼシュに養育されていたジェニは、政治という物を自分で考えると言うことを叩き込まれた。
民の為に、とうたうのは簡単で。主君の為に、とうたうのは危険だ。
前者は偽善的行為でいつしか破綻を招きかねず、後者は民をないがしろにして踏みにじりかねない。
大切なのは、生きるという意味を知ること。
たたきこまれたジェニは、家族に反発しながら民の生活に混じった。
おままごとと笑われながらも、畑を耕し行商の話を聞き狩りに参加し、使用人に混じって仕事を行った。
自分の生活が、多くの人の生活を削って支えられていることを知った。
それが必要だと、モーゼシュとエルネストに教えられたから。
「忠義の本当の意味を知れ! 本当に忠義を抱いているのなら、主君を諌め、意見し、時には刃向うのが普通だろう! 考えろ! 本当に皇帝は正しいか? 本当にモラリスは間違っているか? 苦手だからじゃない。分からないからじゃない。人として、あんた自身はどう思ってんだよ!? クソ親父!!」
出来ないからと言って逃げることは許されない。
領主とはそう言うもの。民の命を背負うからこそ、背を向けて逃げることはあり得てはならない。
何も考えずただ信じるだけで考えないのは、逃げているのと変わらない。
それを叩きつけたジェニに、エンリケは不愉快そうに眉を寄せる。
「お前のような小娘に、そこまで言われる筋合いはない! 意味の分からぬことを…。とっとと出て行け!」
自分の考えが間違っていないと思っているのか、エンリケはジェニの言葉を吟味しない。そして、最後通牒を突きつける。
それが、自分に返ってくるとも知らないで。
「…わかった。だが、出て行くのはそっちだ」
「何?」
問いには何も返さず、取り出した二枚の書類をつきつける。
いぶかしみながらもそれを受け取ったエンリケは、愕然として震えだし、唐突に書類を破り始めた。
「父上?!」
「お父様?」
「あなたっ!」
エドヴィン、エマ、マニータの声に反応せず、エンリケはジェニを見つめる。
「それは写しだ。本物は別にある」
「あ、あれは、本当に…」
「祖父様がなくなる前、あたしがもらった」
「ち、父上が…」
青ざめて行くエンリケに、エドヴィン達は疑問符を浮かべながらジェニを見る。
その視線に、ジェニはさっき出したのと同じ書類をエドヴィン達にもつきつける。
書類は、土地と建物の権利書。
そこには、添えられた一文がある。
『我モーゼシュ=ラグ=レーヴはこれらの権利を全て孫ジェニ=マルギト=レーヴに譲渡する』
普通は、親から子へと受け継がれるため、一つ一つ確かめて引き継ぎ書類を用意することはない。
細かい手続きをせずとも、遺産として必ず引き継がれるからだ。
だが、それを怠ったがために、エンリケ達はここにいる権利を失った。
ジェニが祖父モーゼシュから譲渡されたのは、男爵家の城とそれが建つ土地だった。
エンリケ達は荷物をまとめて郊外の別宅に去るしかなかった。
その猶予は一日。
期限を突きつけたジェニは、次の手の為に動き出し、城門の監視報告を徹底させた。
待っていた報告が、予想外に早くやって来たことに、ジェニが喜びを浮かべるのはおよそ一日後のことだった。
一時間後、街中に男爵の交代が知らされ、新男爵は末娘ジェニ=マルギト=レーヴと発表された。
唐突すぎる内容に街中が混乱し、まさか反乱か、と不穏な噂が蔓延するのは当然だった。
混乱のさなか、人は息を潜め、街は静かになっていった。
確かな情報があるまで、誰も目立った動きをとろうとしなかった。
さらなる衝撃が待っていることを、ジェニとエルネスト以外の誰も知らなかった。
【大陸暦八七年三月二五日(逃亡から八六日)】
※・※・※
エルヴィア達が歴史の真実を知ってうなだれている頃、ジェニはリビングに足を踏み入れた。
昨日の内に使用人達には通達を出した上で、不満のある者は退職金を支払うので好きに出て行け、と告げておいた。
数名が申し出たが、ほとんどは残った。残った八割以上は、年かさで先代から仕える者達だった。
「…なんだ、まだ用意出来てねぇのかよ」
一日も時間やったのに、とバカにしきった風に言えば、バカにされたエンリケ達は顔を真っ赤にして立ち上がる。
家を出るように言い渡されたエンリケ達は、末娘のわがままを素直に聞き入れようとはしなかった。その結果、いつも通りにリビングにいたのだ。
ジェニに文句を言い、諌めるために。
「お前のわがままを聞き入れるわけがなかろう!」
「わがままじゃなくて、権利を行使しただけなんだけど…」
エンリケの怒鳴り声に、ジェニはうるさそうに眉を寄せる。
「文句があるんだったら、正当性を示せよ。親父達がここにいられるだけの正当性を、さ」
権利書はジェニの手にある。ジェニが所有者で、祖父から譲り受けたもの。
所有者であり権利者が退去を要求すれば、要求された側は従わざるをえない。
要求されたエンリケ達は、正当性をもたない。
それを指摘されて、エンリケは悔しそうに唇を噛みしめて唸る。
動きそうにない様子に呆れたような溜息をついて、ジェニはエルネストを振り返る。
頷いたエルネストが、無言で扉を開ける。
「なっ…!」
驚愕の声を上げるエンリケの視線の先には、武装した男爵家の私兵達。
「捕縛して放り出せ」
端的に命じたジェニに、兵達は無言で従う。
「まっ、待て! ジェニ!」
「あぁ?」
「お前が権利書を持っていることは認めてやる!」
「親父に認めてもらう必要はねぇよ」
「っ! …だ、だが、どうしてお前が兵を動かせる!」
私兵達の指揮権は男爵にある。
ジェニは新しい男爵になることを宣言したが、家督相続を行ったわけではなく、勝手に言っているだけ。城の権利書を与えられても、男爵家の家督を譲られたわけではない。
つまり、私兵を動かせるのはエンリケであって、ジェニではない。
的を射た発言に、私兵達は戸惑ったように視線をジェニに向ける。
私兵達は、武に長けた男爵に敵意があるわけではない。好意があるわけでもないが、特に不満はなかった。
だが、ジェニは日々を民に密着して過ごしていた。その中に、兵の詰め所もあった。
運動が苦手なジェニだが、何故か木のぼりなどは得意で趣味としており、身軽だった。正確には、持久力がないようだった。
小柄な女性にはありがちだったので、兵は特に気にすることはなく、訓練を一緒にしていた。
男勝り(並の男より男らしい)なジェニは、荒っぽい扱いにも文句は言わない。逆に、周りの兵と同じに扱わないと怒るほどだった。
それらの日々で、兵達がジェニに好意を持つのは必然だった。
昨日、唐突ながらもきちんと説明されれば、ジェニの言い分が正しいのが分かった。権利書があるため、ジェニの要求は正当で、従わない者を強制退去させるのは当然の権利だった。
だからこそ、要請に応えて動いたが、そういえばそうだった、と兵達はエンリケの言葉を聞いて思いいたる。
結構間抜けだ。平和な証拠かもしれない。
エドヴィン達は、動きを止めて嫌そうな表情をしているジェニを見て、勝った、と思った。
次の言葉を聞くまでは。
「別におかしくねぇよ。祖父様から権利書と一緒に、家督と領有権も譲られてるし」
「…は?」
ジェニとエルネスト以外の全員、私兵達までぽかんとした。
ほら、と無造作に差し出された書類を見たエンリケは、真っ白になった。
遺産と同じく、家督相続や領地に関する権利の諸々も自然と継がれていくものだから、わざわざ確かめることをしなかった。
エンリケが真っ白になったのは、それが本物であると理解したからだ。そして、自分のうかつさに気付いたからだ。
「つまり、正当な男爵はあたしだ。親父は、勝手に男爵を名乗って政治をしてただけ。ここでも、親父には正当性がないのが分かったな? そうだろ? 正当な男爵をないがしろにしていたんだから」
反乱、ととられてもおかしくない。
エンリケは偽りの男爵だった。本人は知らなかったとはいえ、それはれっきとした犯罪だ。
息子をすっ飛ばして孫娘に家督を譲るのは異例だが、長男ではなく末っ子に家督を譲る例は存在するので、おかしくはないだろう。
遅れて、私兵達は理解した。
男爵を僭称したエンリケは犯罪者。
私兵を動かしてエンリケ達を捕縛したジェニは正当な男爵。
つまり、ジェニの命令に従って動くのは、正しい。
兵達は互いの顔を見合わせて頷き合うと、動きを再開した。
てきぱきとエンリケ達を縛り上げて行く。
「馬車に放り込んで別宅に連れて行け。あと、別宅から出ないように見張りをつけろ。今後、好きに行動することは許さない」
幽閉を示唆する言葉に、エマが絶望したように真っ青になる。
「そ、そんなっ!」
貴族令嬢としてそろそろ結婚適齢期の半ばを過ぎた。近場のカイクレス伯爵家との縁談が持ち上がっていたエマにとって、幽閉は結婚・出産の未来が失われることを意味していた。
「罪に当たるのはお父様だけでしょ?! わたしは…!」
確かに、エマは男爵家の令嬢として過ごしていたが、それは罪に当たらない。
男爵がエンリケでも、ジェニでも、エマの立場は『令嬢』で間違いない。
娘か姉かの差だけで。
「…姉貴を残しといて、あたしに得があんの?」
「と、く…?」
「あのさ、あたしは別に他の貴族とつるむ気はないんだよ。だって、めんどくせぇじゃん? それに、あたしは皇帝なんてどうでもいいし」
はっきり反皇族派だと告げたジェニに、エンリケ達は罵声を浴びせる。
それを聞きながらため息をついて、鬱陶しげに見やる。
「領有権は、独立できる権利でもあるんだよ」
端的に述べた言葉以外、ジェニはもうエンリケ達に構わなかった。
振り返ることもせずリビングを出て行くジェニの背中に、飽きることなく罵声を浴びせ続けた。
その後、ついにうるささに耐えかねた兵達が、さるぐつわをエンリケにかました。
犯罪者に対してなら、おかしな処置ではない。なので、エンリケ以外にはするつもりはなかった。
しかし、その様子を見ていた三人は、同じ状態にされるのは嫌だったのか口をつぐんだ。
結果的に静かになったので、兵達は四人を馬車に詰め込んで別宅に向かった。
同じ頃、城の中では侍女がエンリケ達の私物をまとめるのに大忙しだった。
家督相続に関する正当性が存在したため、ジェニに異議を唱える者は誰もいなかった。
「…ジェニ様、何と申されました?」
広間に官吏を集めたジェニは、第一声で官吏を固まらせた。
真っ先に我に返ったのは、先代から仕える領宰だった。
「聞こえなかったか? 帝国から独立すると言っている」
上座に座り、肘をついて足を組むジェニに、いつもなら行儀が悪いと叱責する年かさの官吏達も、呆然として固まった。
彼らが最初に思ったのは、帝国からの報復だった。
地方領とはいえ官吏として過ごしてきたからこそ、彼らは現在の帝国を正確に理解している。
圧政に耐えかねておきた反乱を、民を八割方処刑することで鎮めた過去がある。だからこそ、それがレゼドルに降りかかると考えた。
現在の皇帝が、愚君であると知っているからこそ。
その不安を、ジェニは鼻で笑い飛ばした。
「かつて、曾祖父様は、『聖女帝』様より、レゼドルの領有権を得た。わかるか? 拝領したんじゃないんだ」
ゆっくりと、言い聞かせるように言ったジェニの言葉を、十数秒後、官吏達は理解して瞳を見開く。
「帝国、そして皇族は『聖女帝』様の威光を掲げている。その威光にすがっているのに、神のごとく崇めているのに、その存在が許可した物を否定して叩きつぶすことなどできはしない。なぜなら、それは『聖女帝』への反逆だからだ」
口調が、変わる。
立ち上がり、睨みつけるように官吏達を見下ろすジェニに、誰もが息をのんだ。
政治に向かないのを理由に無関心だったエンリケよりも、好感を持てたのは事実だった。
だが、それは年長者が年少者を可愛がるようなもので、敬意とかは一切なかった。
なのに、ジェニの全身から発される目に見えない圧力を受けて、官吏達は畏怖を感じた。敬意ではないけれど。
年かさの官吏は、口元を吊り上げた。
懐かしさを感じたのだ。十年以上前に仕えると決めた人と、同じ空気を放つ小さな存在に。
「これより、レゼドルは帝国から独立する。異議ある者、反対する者は一両日の猶予を与える。荷物をまとめて出て行け」
ジェニの言葉に、呆然と立ち尽くしていた官吏達が緩やかに動きだす。
互いの顔を見合わせて、ゆっくりと。
数分後、広間には、誰一人かけることのなかった官吏達がひざまずいていた。
上座に立つジェニに、忠誠を誓って。
その光景を、どこか眩しそうに、悔しそうに、エルネストが見つめていた。




