第九話:レゼドル男爵家 Ⅱ
【大陸暦八七年三月二五日(逃亡から八六日)深夜】
※・※・※
出発の為に準備(魔法関連)をしていたエルヴィア達は、唐突な来客に動きを止めた。
気を張る逃亡生活で、エルヴィアに鍛えられた三人も気配に聡くなっていた。
「…主がお会いしたいとおっしゃってます。御同行願います」
扉越しに無感情な声をかけられて、三人が武器を手にとって警戒する。
それをエルヴィアが手で制して、鋭い視線を扉に向ける。
「主とは?」
「…レゼドルの正統者」
三人にはわけが分からない言葉だが、エルヴィアはそれを正確に把握して、笑みを浮かべた。
「案内して」
「エルッ?!」
アレンが声を上げれば、笑顔で頷いてついてくるように促す。
困惑気な三人を置いて扉を開けると、そこに立っていたのはエルネストだった。
その容貌にエルヴィアはわずかに瞳を見張り、何かを言おうとしたが口をつぐんだ。
エルネストはそれをいぶかしげに見やったが、エルヴィアが笑みを深めれば何も言わず背を向けた。
歩きだす背中を、エルヴィアは当然のように追い、三人は肩をすくめてため息をつき、数歩遅れてついていく。
宿から少し歩いた裏手、公衆井戸のそばで、ジェニは腰かけて待っていた。
やって来たエルネストが頭を下げてジェニの後ろに回る。
エルヴィア達は距離を置いて足を止め、外套の頭巾で顔を隠したジェニをいぶかしげに見つめる。
「夜分に呼び立てて申し訳ない」
頭巾を取り、頭を下げたジェニにエルヴィアは苦笑し、三人は瞬いた。
「お名前を、お伺いしてもいいかしら?」
「…ジェニ=マルギト=レーヴ。レゼドル男爵だ」
「? 今の男爵は、エンリケ=グル=レーヴじゃぁ…」
「祖父モーゼシュ=ラグ=レーヴから家督を譲られたのはあたしだ。当時、七歳にもならないあたしが主張しても、親父達は納得できないだろうから、黙っていた」
アレンの疑問に、ジェニは要約して答える。
一応の納得をした三人を一瞥して、エルヴィアは笑みを消す。
「こちらも、名を名乗るべきかしら?」
「必要ない。報告は来ている。関所からも、帝都からも」
一瞬で空気が緊張した。
それを一切無視して、ジェニはエルヴィアを見つめる。
「あたしは、皇族を認めない」
きっぱりと、唐突に告げられた言葉を、エルヴィア達はとっさに理解できなかった。
「先祖の威光にすがって好き勝手しているようにしか思えない。伝説に対しても疑問がある以上、親父のように皇族を全肯定することはできない。だから、あたしはあんたらが帝国の言う通りに反逆者だと思っていない。…可能なら、理由を聞かせてほしい」
徐々に理解したエルヴィアは、こみ上げてくる物をこらえるように息をのんだ。
(…色だけでなく、光まで似ているなんて…)
どうせ農民、と見下される生まれだったデュラは、学がないとは思えないほどに聡明で鋭敏だった。
視抜く時、盲点を突く時、デュラが見せた瞳の光が、ジェニの瞳にもあった。
それに気付いてエルヴィアは瞳を細めて、かすかに笑う。
懐かしく、愛おしい、同胞と言えば怒り狂った、年下の少年を思い出して。
「その前に、聞かせてくれる?」
「何だ?」
「貴方は、伝説の何に疑問を持ったの?」
誰もが信じてきた『聖女帝』の伝説。
フローラ達ですら、エルヴィアのことを知るまでは疑問に思わなかった。信じていたわけではないが。
だから、ジェニが疑問に思ったことにエルヴィアは興味を持った。
「全て」
端的に、一言。
「民のために立ち上がり、民の生活と安全を願った『聖女帝』が、どうして帝政国家を作った? 民の為なら、一時的に国家代表になったとしても、その後まで世襲で帝政を維持するのは不自然だ」
最初、『イヴ』が描いた国は、『帝国』ではなかった。
『イヴ』が了承したのは、国の基盤を作るまで代表として指導することだった。
いつのまにか皇帝としての即位が整い、帝国が出来上がっていた。その頃には、『イヴ』には何もできなかった。
ジェニの指摘に、フローラ達が視線を空に向けて内容を吟味し、納得したように頷く。
エルヴィアは、不自然に気付いたジェニに感心した。
「そう…」
「…これでいいか?」
「ええ」
ジェニが個人的に疑問に思ったのは、まだまだある。一日あっても語りつくせないくらいに。
だが、エルヴィアはそれだけで納得した。最初に疑問を持ったのなら、その後に疑問をもたないわけがない。それを察したからこそ、エルヴィアは頷いた。
「詳しくは語れないわ。時間がないのも理由だけど、語っても信じてもらえないだろうし、語る必要性も感じていないから」
「別にいい」
「そう…。私は、ただ自分にとって大切な物を取り戻しただけよ。大切な物が、非道な扱いを受けているのが許せなかったから」
それが龍玉であることをジェニは知っている。
普通なら、信じはしない。
龍玉の所有を主張できるのは、『聖女帝』だけだから。
だが、ジェニはあっさりと頷いた。
「なるほど。分かった」
「…疑問をもたないの?」
「あたしはあんたが正しいかどうかの判断はできない。ただ、あんたは、嘘を言ってない。そう思うから、信じておく」
微笑みを載せた瞳が再び過去とかぶって、エルヴィアは瞳を伏せた。
揺らいだ視界が確かなものとなり、ようやく開いた瞳で、エルヴィアはジェニを見つめた。
「ありがとう」
告げた一言に、ジェニは瞬いて視線を逸らす。
普段の態度が態度だから、あまり例を言われることに慣れていないのだ。
「別に、良い。…あんたら、いつ出発する予定なんだ?」
「明日の朝には」
「その後は、どこに行く?」
「コーラルを経由してモラリスに…」
あっさりと予定を漏らしているエルヴィアに、三人は苦い表情になるが何も言えなかった。
エルヴィアが認めたのなら、三人には否定する要素がない。
ジェニは眉をよせて、厳しい表情を浮かべる。
「モラリスはやめておけ」
「? 何故?」
「これから戦場になる」
「…どういうこと?」
「皇帝が、モラリスを攻めることを決定した。理由は、帝国と距離を置いており、叛意あり。軍備の増強と銀の輸出量減少が裏付けらしいが、正しいか分かったものじゃない」
エルヴィア達は一様に嫌悪を浮かべる。
「…目的は、銀の獲得と逃亡経路の妨害」
「だろうな」
こめかみを押さえたアレンの呟きに、ジェニは視線を向けないまま頷く。
「ですが、そう簡単にはいかないはずです。モラリスの長は高齢とはいえ、大戦期を生き抜いた最高峰の魔導師ですから」
「魔導騎士団長アブラハム=ジルファーレンが団の半数を率いて向かっている。三日後には、ここにつく予定になっている」
ラウルの分析に、淡々とジェニが答える。
その内容に、エルヴィア達は危なかったと息をつく。
三日なら、行商の誤差で出たかもしれない。下手したらはち合わせだ。
「半数ってことは…」
「およそ百五十名。団長と副団長が率いる精鋭だ」
「…それだけを相手に、モラリスって耐えられるの?」
「普通に考えて無理だろうな。ロイス殿が高齢であることを考えれば、持久力で負けるのは目に見えている。後継者はいるらしいが、諸国には知られていないから判断のしようがない」
呆然としたフローラの疑問に、ジェニはため息をつきながら答える。
「そんな時期に、レゼドルで騒動が起きたのは、何らかの思惑があるのね?」
エルヴィアの言葉は、問いかけの形をとっているが確信を含んでいた。
「協力を命じられた。だが、あたしとしてはそれはごめんだ。あいつらと共倒れしたくないんでな。だから、権利を行使して協力をはねのけられるようにしただけだ」
「…初代が『聖女帝』から賜った権利を、知ってるのね」
「まぁな。祖父様から、家督と一緒に譲られた」
エンリケ達ですら知らなかった権利の存在を、エルヴィアが知っていることについて、ジェニは問わない。
何となく、問いかけるのは意味がないと思えた。
「それを、貴方はどう使うの?」
自分がした発言内容を、よく理解していないのかエルヴィアは問いかける。
「昼、すでに宣言した。権利の行使をもって、独立する。そうすれば、帝国に協力しなくても済む」
「でも、それを簡単に受け入れるとは思えない」
「曾祖父様は、あいつらが利用している『聖女帝』様から直に賜ったんだ。それを否定し、武力行使をすれば、『聖女帝』様に逆らうのと同じだ。その場の勢いでやらかしたとしても、国民と他国からの非難は免れない」
「その書類を、偽造と決めつけられたらどうするの?」
エルヴィアの問いかけに、ジェニは言葉に詰まった。
それは、ジェニも考えたことだった。
名前が記されているが、それで納得されるかどうか分からない。されない場合の方が確率的に高いと思っていた。
だが、それでも帝国に従うのはジェニにとって耐えられなかった。それほどに、帝国の腐敗は目に余ったから。
「…それで攻め入られた場合は、あたしの首を差し出す。民は何も知らない。官吏も従っただけ。主張したのはあたしだけだ。事実だから、言い訳は通る」
「それを皇帝が受け入れると思ってるの?」
「思わない。だが、あたしはあたしの意志を曲げられない」
後々に悪名が残ろうとも、ジェニは自分に嘘をついて嫌悪する相手におもねることができなかった。
それを言葉と眼差しで受け止めたエルヴィアは、笑みを浮かべる。何かを企んでいるかのような。
思い出していたのは、かつて、ジェニと同じ瞳をしていた少年との会話。
疑うことを貫き通したデュラ=レーヴとの。
『別に、なんだって良いんじゃねぇの? 後々いいことにつながるんだったら、今は悪くても』
『…そういうの、嫌いだと思ってたわ』
『嫌いだね。そう言って正当化しようとするのは』
『なるほどね』
『あんたは、あいつらと違ってまともそうだから、あんたの言うことにはある程度従ってやるよ』
『ある程度、なのね』
『当然。おれの人生はおれのもんなんだから、おれ個人のことを優先して何が悪い?』
『ごもっともね』
『…あんたは、そうやって笑ってくれるからなぁ』
『? どういうこと?』
『他の奴らは、不機嫌そうにする』
『あぁ…』
『なぁ、イヴ』
『何?』
『あんたは甘いから、優しいから、損をする。だから、おれには言えよ。不満も危険も何もかも』
『デュラ?』
『たとえ、誰に何を言われても、どう思われても、それが犯罪まがいのことだったとしても、あんたが正しいと判断して、おれが正しいと思ったら、おれはあんたの手足になってやる』
『何を…』
『逆に、あんたが間違った判断をしたら、おれがあんたをぶっ飛ばしに行く』
『…っ』
『おれが、あんたの『悪』になってやるよ。だから、あんたは…』
最後の言葉に、『イヴ』は確かに泣いた。
はっきりと、言葉にしてくれたのはデュラが初めてだった。
ルツアもギルも心からの味方で、その思いを抱えていただろうけれど、確かなものとして示しはしなかった。自身に対する誓いだったからかもしれない。
ただ、デュラは完全なる味方ではなかった。常に疑い、非難し、不満を告げ訴え続けていた。
だからこそ、デュラの言葉は素直に信じられて、心が揺れた。
あの時のことを思い浮かべて、ジェニにとっておきの秘密を告げた。
かつて、『イヴ』が権利を与えた時、デュラに求められるまま仕込んだ細工を。
それは魔法の一種だが、デュラが魔力をもたないのを承知していたので、あるきっかけを与えれば現れ、願いに応えるように仕組んだ一種の契約魔法。
願いはただ一度、たった一つだけ。
それだけだったが、その内容を聞いたジェニは、それで十分、と笑う。
ジェニの思いを体現するのに、十分すぎるほどの細工だった。
いくつかの言葉を交わし、男爵の名前で出した通行許可証を渡したあと、ジェニは城に帰って行く。
その後ろに従おうとしたエルネストに、エルヴィアが声をかける。
「貴方の目的で、彼女が悲しむことがあれば、私が貴方達を許さない。覚えておいて」
警告に対してエルネストは表情を動かさずに一礼し、ジェニを追った。
それを見送り、エルヴィア達は宿に戻っていく。
翌日に備え、もう寝なくてはならない。
エルヴィアの発言に、フローラ達は疑問を抱いたが、それは後回しにする。
とにかく、今は休むことが優先だった。
黙り込んで城へと向かうジェニの背中を、エルネストは眉をよせて見つめる。
何を言おうと口を開きかけた時、ジェニが立ち止まる。
「エルネスト」
「…はい」
「お前は、お前が思う通りにすれば良い」
「ジェニ様?」
「仕えてくれたことには感謝を。協力してくれて、側にいてくれて、応えてくれて、感謝する。だから、もう良い」
どういう意味か、聞こうとしたエルネストを振り返り、ジェニは笑みを浮かべる。
今まで、浮かべたことがない、弱弱しく感じる笑みを。
息をのんだエルネストに頓着せず、ジェニは続ける。
「…お前は、お前の忠義の在り処に戻れ。これから先は、きっと、お前にとって関係のないことだから」
エルネストの出身さえ、ジェニは知られていない。
だが、帝国の出身ではないことは何となくわかった。
南のレゼドルに、北の色である銀を持つエルネストはとにかく目立つ。北方の血が混じっていることは確かで、その立ち居振る舞いや言葉から、それなりの位を持つ家に生まれたのだと推測することはできた。
落ちぶれた騎士の家系か、貴族の庶子か、と憶測はいくつも飛び交った。使用人達が特に噂していた。
ジェニは、それらの憶測は外れていると思った。そして、自分で出した推測は当たっているだろうと考えていた。自惚れているのではなく、エルネストを見た瞬間にそう感じたからだ。
エルネストは、仕えるべき相手を他に持っていて、それは他国の人間だと。
「気が向いたら、お前の主に伝えてくれ。これからよろしく、と」
言うだけ言って、背を向けて歩き出すジェニに対して、エルネストはしばらくそこを動けなかった。
全て隠せているとは思っていなかった。先代にはすぐ見抜かれて、なのにそばに置かれていた。
そのことに、エルネストはいぶかしみながらも好都合だと思っていた。
目的のためには、ちょうど良い立場だった。
ジェニに悟られているのも、想定していた。だが、エルネストは考えないようにしていた。
何故、考えないようにしていたのかも無視して。
それを今、突きつけられて自覚して、エルネストは呆然としてしまった。
だから、知ることができなかった。
先を行くジェニが、涙をこらえるように唇をかみしめていたことを…。
【大陸暦八七年三月二六日(逃亡から八七日)】
※・※・※
朝一番に、関所を通過してコーラルに入っていくエルヴィア達を見送った後、ジェニは領内に布告を出した。
エンリケ=グル=レーヴは、先代男爵モーゼシュ=ラグ=レーヴより家督を譲られたジェニ=マルギト=レーヴを押しのけ、男爵を僭称。
その罪により、生涯幽閉とする。
夫人マニータ=ルナ=レーヴ、長男エドヴィン=イラ=レーヴ、長女エマ=エイル=レーヴも同様に幽閉とする。
男爵は、正統な後継者であるジェニ=マルギト=レーヴが継ぐ。
騒動の内容を簡潔に(少々違うが)まとめた。
内容に、ジェニの暴挙は正当だったのか、と領民は納得して異論を唱える者はいなかった。
だが、次の内容に仰天した。
男爵領レゼドルは帝国より独立する。
異議ある者は、三日の内に領内から出ろ。
あまりにも唐突で身勝手な内容に、憤慨する者が続出したが、続いて記されていた事柄に、多くの者が目をとめた。彼らは憤慨する者を鎮めて、内容を吟味した。
村では村人達が話し合い、とどまることを決定した。
街ではエンリケ達に取り入っていた商人などはとっとと出て行ったが、八割方は残った。
それは、ジェニの布告が正しいと判断されたことを意味していた。
『 曾祖父デュラ=レーヴは、『聖女帝』イヴ様により、レゼドルの領有権を賜った。
それは独立を許す権利であり、その判断は曾祖父に一任されたものである。
『聖女帝』イヴ様に対する敬意は確かなものである。
だがmこれから起こるモラリス侵攻には、疑問と不満が浮かぶ。
これに抗議することはたやすいが、聞き入れられることはないと思われる。
過去の事例から、皆も分かるだろう。
現在の皇帝陛下の判断に振り回され、故郷と民が蹂躙されることは我慢ならない。
敵対はしない。だが、帝国の意向に従うことができない。
それゆえに、独立し、距離を置くことに決定した。
レゼドルがレゼドルの民によって繁栄すること、独立国家となることは、始祖の悲願である』
『イヴ』とデュラの名前がきいたのだろう。
予想したような反発も暴動も起こらなかった。
そのことに、ジェニは安堵して、官吏達の統率とこれからに力を注いだ。
ただ一つ、懸念を残して。
官吏達の戸惑ったような視線を一切無視して、ジェニは書類をさばく。
その傍らには、いつもいたはずのエルネストの姿がなかった。
※※※
【大陸暦八七年三月二八日(逃亡から八九日)】
アブラハム達はレゼドルに到着したが、城門は固く閉ざされていた。
要請をはねのけるはずがないと思っていたから、返答を待っていなかった。
その結果、アブラハム達はジェニの動きを知らず、迷うことなく進んできたのだ。
「…どういうことだ?」
「見て分からないか?」
いぶかしんだアブラハムの呟きに、城壁の上から声が返った。
視線を上げれば、いつも通りに身軽な服装で男爵の紋章をつけた外套を羽織ったジェニが、城壁の上に立っていた。その後ろで、兵達がおろおろしていたが、誰も気に留めなかった。
気に留める余裕がなかったのが事実かもしれない。
「…男爵家の者か」
「現男爵ジェニ=マルギト=レーヴだ」
「バカな、代替わりしたなど聞いておらん」
「我は祖父より家督を譲られたが、父が勝手に男爵を名乗り、統治をおこなっていた。今回、正当な後継者として父を告発し、男爵位についた。それだけのことだ」
アブラハムの言葉を、ジェニは公式的に考えていた口上で一刀両断にする。
「…経緯は理解した。だが、城門を閉ざしているのはどういうことだ」
「協力はしない、と分かりやすく示したつもりだが?」
「それは、叛意ありととられてもおかしくはないぞ」
十代の少女と思って甘く見ているのか、アブラハムが恫喝するように低く告げれば、返ってきたのは嘲笑だった。
「これだけでそう取るとは、随分と狭量なことだな。まぁ、好きにとれば良い」
「…ならば、反逆者には相応の報いを…」
アブラハムが片手を上げれば、背後に従っていた騎士達が魔法を行使しようと法具を掲げる。
詠唱が始まる直前、ジェニは告げる。
「ならば、我はレゼドルの独立を宣言する。独立都市に対しての武力行使は、不条理な侵略と判断される。非難を受けるはそちらだ」
「バカがっ! 帝国貴族が勝手に独立を宣言したところで、それを帝国、他国が認めるわけがなかろう! 貴様に理はない!」
アブラハムの言う通りだ。
ジェニが持つ権利とそこに記された名前がなければ。
「我が曾祖父デュラ=レーヴは、『聖女帝』イヴ様より直々にレゼドルを賜った。その折、『聖女帝』様は曾祖父に領有権を譲渡しておられる。…分かるか? 魔導騎士団長アブラハム=ジルファーレン」
ジェニの言葉に、アブラハムの動きが止まった。
その内容を、理解したから。
「『聖女帝』様は、我が曾祖父にレゼドルを譲渡した。すなわち、帝国領ではなくレーヴ家の領土として。独立の宣言、それは偉大なる『聖女帝』様から直々に下賜された正当な権利だ!」
告げる言葉は、まさしくその通りで、騎士達に動揺が走る。
法具が下され、魔法の行使が中断される。
「この権利と宣言を無視することは、それこそ『聖女帝』様への反逆! 反論はあるか? アブラハム=ジルファーレン!」
「…っ。権利書を見せてもらおう!」
苦し紛れ。
そう取れる叫びに、ジェニは表情をわずかも変えることなく、領有権の権利書を取り出す。
直後、その権利書を炎の矢が貫いた。
『炎矢』を放ったのは、副団長。
寸前、アブラハムの目くばせを正確に把握した彼は、的確に魔法を行使して権利書を燃やした。
それが、ジェニの狙いだとも気付かずに。
「…これで、権利の存在はなくなった。さぁ、子供のわがままは終わりだ。城門を開けてもらおう」
だが、ジェニは半分ほど燃え、さらに燃え続けている権利書を無感情に見つめる。ゆっくりとアブラハムを見て、瞳を細めて笑った。
「我、契約を交わせしデュラ=レーヴの血族。その血の縁を証とし、我は先祖に代わり行使する。我が願いに応えよ」
エルヴィアに教えられた、契約魔法を行使する口上を述べ、短剣を抜く。
指先を傷つけて、その血で権利書の上部に刻まれた『イヴ』の紋章を消す。
同時、四分の一になった権利書が、膨大な光を放った。
権利書を燃やし、紋章を契約者の血で消すこと。
契約魔法の行使は、それだけでいい。
契約者はデュラのことだが、すでに死亡しているため、ちゃんとした血族(直系)であれば契約魔法は行使できる。あまりにも遠い血縁では行使できない。
行使の方法は教えられたが、その後、どういうことが起こるのか知らなかったジェニは、驚いて権利書を放す。
だが、それは中空で停止し、放たれた光が天井と大地に巨大な魔法陣を刻む。
それは『イヴ』の紋章を元にしたもの。
権利書は、燃えたはずなのに元の形に戻り、光の文字が表面に刻まれた。
『汝、契約に願うは?』
契約の内容を決めることを要請する文に、一瞬、ジェニは固まったが我に返って考えていた内容を告げる。
「悪しき心からレゼドルを守れ!」
害意、敵意、悪意、レゼドルのそして民を傷つける全てから、守る力を。
それだけを願い、契約は行使される。
権利書は完全に燃え散り、天地に刻まれていた魔法陣が形を変える。
レゼドル全てを覆うように範囲を広げ、魔法陣が結界魔法の形を取る。
それは、ヴォダラの人々ならば気付いただろう。
『四聖結界』の魔法陣。
魔法陣が完成すると、ひときわ強い光が放たれ、誰もが瞳を閉じた。
光が治まり、おそるおそる瞳を開けたジェニは、目の前の光景が信じられなかった。
眼下にいたはずの魔導騎士団が、影すら残さず消えていた。
結界魔法である為、死んではいない。ただ、四聖結界の作用で結界外に押し出されただけ。
それを知らないジェニは、わずかに混乱しつつ、背後で慌てて声をあげて兵達に我に返る。
「これは魔法の光だ! 害はない! 誰か、村と領境に使いを出せ。魔導騎士団の動向も出来る範囲で良い、確かめろ!」
「はいっ」
混乱しているだろう村に説明するため、憶測を含んだ適当なことを兵達に告げる。ひとまず、納得できれば真実はどうでもよかったのだ。
(あたしでもわかる…。とんでもなく強力な魔法を仕込んでたなっ)
魔法の才がなくとも、分かる。
契約によって行使された魔法が、常人の域を超えていることくらい。
仕込んだのが曾祖父の意図なのか、『イヴ』の意図なのか、分からないが悪態の一つもつきたくなる。
ひとまず、手近なところで、色々知ってそうだったエルヴィアに対して罵詈雑言を吐く。もちろん、心の中で。
村に使いを出し、事態の収拾が終わったのは、夜も更けた頃だった。
ちなみに、領境の向こう側に魔導騎士団がいたことは、兵ではなく商人から情報が入った。
安全のため領外に出るな、とジェニに言われていたため、兵は魔導騎士団を視認できなかったのだ。
助かりはしたが、曾祖父に文句を言いたくなったジェニは、内心で罵倒を繰り返す。
深いため息をついて、自室の扉を開け、正面を見た瞬間、ジェニは固まった。
「何で…」
「お帰りなさいませ、ジェニ様」
一昨日からいなくなっていたエルネストがいた。
おぼつかない足取りで室内に進み、習慣で扉を閉めたジェニは、笑みを浮かべるエルネストに混乱する。
いつも無表情で、瞳を見てわずかな感情を察することしかできなかったのに。
「どうして、いるんだ?」
「俺は貴方に仕えているので」
「だって、お前には…」
「俺の主は貴方です。ジェニ=マルギト=レーヴ様」
言葉を変えて繰り返すエルネストは、片膝をついてジェニの右手を取る。
「…生涯の主に、忠誠を…」
右手の甲、そっと口づけて、エルネストはジェニを見上げて笑みを深める。
呆然としたジェニは、しばらく動けなかった。
数分後、ようやく動き出したジェニは、エルネストの言動を理解して思わず抱きついた。
泣きそうになるのをこらえきれず、涙を見せたくないがための行動だった。
それに瞳を見張ったエルネストは、ぎこちない手つきでジェニを抱きしめた。
まだ十六歳の少女が家族を放逐し、帝国最強の騎士団を敵に回して平常でいられるはずがない。
気力で今までもっていたのが、唐突に切れた。
悟ってはいても、信頼していたのは事実だから、離れたのはそれなりに堪えた。
いつもの強気が、なりをひそめてしまうくらいに。
「もう二度と、お傍を離れません、ですから…」
泣かないで下さい。
続いた言葉に、ジェニは頷きながら泣き続けた。
困ったように眉を寄せながら、エルネストはジェニの背を優しく撫でた。
扉の外で、侍女頭と執事長、領宰が耳を澄ましていたことを、二人は知らない。
レゼドル男爵領が独立したことが帝国中に広まるのは、早かった。
一週間もすれば帝国で知らない者はいなくなっていた。
ルワ侯爵家とチェスラス子爵家では、よくやった、と言わんばかりの明るい笑いが響いた。
※※※
「…仕方がない。少々遠くなるが、カイクレス伯爵領に向かうぞ」
忌々しげに、アブラハムはレゼドルを見やって、方向転換をする、
カイクレス伯爵領はモラリスに近いが、国境に接していないため、あまり裕福ではない。
規模は小さくとも交易都市であるレゼドル男爵領の方が豊かだ。だからこそ、補給などの協力を要請したのだ。
だが、予想外な事態でそれが不可能になった。
致し方なく、カイクレス伯爵領に立ち寄らなくてはならなくなった。
成金で知られるカイクレス伯爵は、貴族社会ではあまり受け入れられていない。
元来の貴族でも大戦期に活躍していなくては見下されるのに、元々は貴族ですらないカイクレス伯爵が、受け入れられる理由がなかった。
そのため、皇帝からの勅命による行軍の協力要請をすれば、調子に乗らせてしまう可能性があった。
(あまり調子に乗らないようくぎを刺しておくか…)
それが暴力と魔法によるものであることは言わずもがなである。
予想外のレゼドル独立騒動で予定より三日、行軍が遅れることになる。
これが、後々どうなるのか、まだ誰も知らない。




