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95 ある公爵令嬢の結婚式

黄金の海

一面に広がる黄金。


もちろん、本物の黄金ではありません。

ですが、私達北部の民にとっては、黄金よりもはるかに貴重なものです。


たわわに実った小麦や稲穂。

それ以外にも、色とりどりの穀物が大地を覆い、

今まさに収穫の時を迎えていました。


帝国政府の主導によって造られた大陸路。

その両側には、例年以上の実りをつけた田畑が、

地平線の彼方まで続いています。


黄金色の穂が風に揺れるたび、

まるで大地そのものが波打っているように見えました。

その黄金の海の中では、大勢の領民達が額に汗を浮かべ、

鎌を振るい、次々と穀物を刈り取っています。


ああ、夏頃には作物の不足を嘆き、内乱の噂に顔を曇らせていた領民達の姿は、

もうどこにもありません。


帝都を出発して北へ向かい、

俗にいう北部領――帝国の穀物庫と呼ばれる地域へ入ってから、

道行く人々の顔は明るい笑顔に変わっていました。


『大地母神』様のおかげで、今年は豊作です。


本当は、すべての国や貴族、そして民が知っているはずの奇跡。


この大陸だけではありません。

この世界のすべての大地は、すでに死んでいる。

いいえ、かろうじて命を繋ぎ止めていると言った方が正しいのでしょう。


超帝国が誕生するよりも前から続いた、終わりの見えない戦乱。

その戦いでは、今では想像することすら難しいような兵器が、

数え切れないほど使われたといいます。


それだけではありません。


本来、大地や自然を管理していた妖精や精霊を酷使し、

戦争のための兵器として利用した。

その結果、妖精や精霊達は大地から姿を消してしまいました。


そして、異星から現れた侵略者。


戦争と破壊を繰り返したこの世界は、

人どころか、あらゆる生命が生きていける場所ではなくなってしまったのです。


そんな世界へ、手を差し伸べてくださったのが神々でした。

世界樹と魔法使いを遣わし、狂ってしまった龍脈を癒やした。


それでもなお生きていけない生命のために、自らの力を振るい、

消えかけていた大地の命を繋ぎ止めてくださった。


そうして、私達人間をはじめとする生命は、

今もこの世界で生きていくことができています。


誰もが知っている神話であり、おとぎ話であり、そして紛れもない実話。


そして、偉い学者先生方の共通した見解なのですが、

なぜ、私達の文明は成り立ってから三千年以上もの月日が経っているというのに、

いまだ神話の時代を生きているのでしょう。


不敬ながら、なぜ神秘の存在を否定しきれないのでしょう。


転生者や転移者の話を聞くと、どの世界でも千年から二千年ほどもあれば、

人類は科学という名の力によって

神秘や神々を否定し、一人立ちを始めるそうです。


そして、その先で滅びの入り口に立っているのだといいます。


中にはこの世界は神秘と科学が両立し、

素晴らしい発展を遂げたと語る者もいます。


ですが、どうでしょう。

この世界の歴史や、科学と魔術の進歩について学べば学ぶほど、

私達の暮らす世界がいかに歪なものなのかが分かります。


この世界は、今も神々の尽力によって成り立っているのです。


子が親元から一人立ちできていないのではありません。

むしろ、年老いた親の介護を、

いつまでも神々にしていただいているような状況です。


少し学べば分かることのはずなのに、なぜか学んだ者ほど神々に背きます。

邪神やトリックスターに従い、自ら世界を滅ぼそうとする。

本人達には、その自覚がないのでしょうか。

権力や名誉、富。あるいは、

それ以外のさまざまな欲望に取りつかれ、

世界の成り立ちすら忘れて行動してしまいます。


二百年戦争の爪痕も、まだ世界の至る所に残っています。

長命種の方々の中には、実際にあの時代を生きた方もいます。

その方々は、今も戦争の悲惨さを語り続けています。

帝国の権力の中枢にも、そのような方は少なくありません。


ブルボン公爵であるお父様は、二百年戦争が終結した後の生まれです。

それでも、幼少の頃には、アステリア帝国成立直後の

混乱期に起きた戦乱を経験しています。


幸い、私が生まれた頃には大きな戦乱も収まり、

表面上は平和な時代となっていました。


ですが、あの絶大な力を持っていた超帝国ですら、

争いが起きなかった期間は、わずか数十年しかなかったそうです。

歴史の書を紐解けば、そこに記されているのは、ひたすら争いを続ける人の姿。

外部に敵がいなくなれば、今度は内部で権力を奪い合う。

人とは、争わずにはいられない生き物なのでしょうか。


窓の外を流れていく黄金色の大地を眺めながら、私は小さく息を吐きました。

この実りも、決して当たり前に存在しているものではありません。


私の生まれたブルボン公爵領。


私達の祖先は、かつて遊牧民族として、

この広大な大地を駆けながら暮らしていました。

ですが、二百年戦争が始まると、

一つの遊牧民族だけでは生き残ることができなくなりました。

各地の遊牧民族が集まり、助け合い、次第に大きな集団となっていった。

けれども、集団が大きくなればなるほど、

以前のように遊牧だけで暮らしていくことは難しくなります。

そのため、祖先達は大地に腰を落ち着けることを選びました。


その時、『大地母神』様から穀物の種を授かったと伝えられています。


当時の族長達も自ら鍬を手に取り、大地を耕し、川を整え、治水を行いました。

そして授けられた種をまき、懸命に育て、

この地を実りある大地へと変えたのです。

そうしてブルボン公爵家を中心に、数々の部族が立ち上がった。

それが、現在の北部貴族の始まりです。


ブルボン公爵領のさらに北には、今も広大な牧草地が残っており、

多くの遊牧民達が暮らしています。

別に、私達と仲が悪いわけではありません。

私達も元は遊牧民。

彼らの生き方も、考え方も心得ています。

互いに交易を行い、争うことなく、昔から仲良く暮らしています。


私の母や祖母も、その遊牧民の出身です。

何も変わらない、同じ人間。


ただ、この広大な大地を耕すか、馬と共に駆けるか。

それだけの違いです。



ブルボン公爵領へ入ると、私は休憩のために停車した魔動車から降りました。

屋敷までは、まだ距離があります。

出迎えの者が連れてきてくれた馬の姿を見つけ、私は思わず頬を緩めました。

旅装の裾を整え、慣れた動作で鞍へまたがります。


「ローズ、待ってくれ!」


背後から、愛しいオスカーの焦った声が聞こえてきました。

振り返れば、彼も慌てて別の馬へ飛び乗ろうとしているところです。


「大丈夫ですわ、オスカー」


私は手綱を引きながら、笑顔で答えました。


「私にも遊牧民の血が流れているのですよ」


幼い頃から、私とオスカーは共に馬を駆けてきました。

弓を片手に一日中野山を走り回り、泥だらけになって屋敷へ戻っては、

二人揃ってよく叱られたものです。


私は馬の腹を軽く蹴りました。


それに応じて馬が速度を上げ、心地よい風が頬を撫でていきます。

風を切る、この感覚。

身体の奥に眠っていた故郷の記憶が、一気に蘇ってきました。


そういえば、ヘイムには馬がいませんでしたね。

最近では、

魔動車や砕暴具――サイボーグと呼ばれる馬型の魔道具が主流になっています。

ですが、私はやはり生きた馬が好きです。

何頭かヘイムへ連れていこうかしら。

あの世界樹の下を、馬に乗って駆けてみたいものです。


そうですね。


屋敷へ着いたら、さっそくアンリシア義姉様へ手紙を書いて聞いてみましょう。

店主さん――いいえ、ヴァルナ様に許可をいただけないかと。



私達の帰郷について、すでに先触れから聞いていたのでしょう。

街道沿いの田畑で働いていた領民達は、

私達の姿を見つけると、次々と手を振ってくれました。


「ローズ様!」

「お帰りなさいませ!」

「ご結婚、おめでとうございます!」


あちらこちらから祝福の声が飛んできます。

私は馬の速度を緩め、一人一人へ手を振り返しました。

私達の帰郷に合わせて、今年の収穫祭が行われます。

今頃、各村や町では祭りの準備に大わらわでしょう。


特に屋敷では、私とオスカーの結婚式の準備も重なり、

さぞかし大変なことになっているはずです。


結婚式は、収穫祭と同時に行われます。


式へ参加する北部の各領主は、自領での収穫祭を終えた後、

ブルボン公爵領へ集まることになっています。

そのため、ブルボン公爵領の収穫祭は、他の領地より少し遅れてしまいます。

ですが、北部では毎年、どこかの貴族家で同じような祝いが行われます。


今年は、私達の番。


そのような理由ですので、領民の皆様には大目に見ていただきたいものです。



道行く領民達も、私とオスカーの結婚式について知っているようで、

口々に祝いの言葉をかけてくれました。

本当に、数か月前までは考えられなかったことです。


私はきっと、帝都の屋敷で一人、

ひっそりと生涯を過ごすものだと思っていました。

お父様も、お母様も、次期当主である兄夫婦も、

いつまでも屋敷にいてよいと言ってくれました。

それどころか、転生者にしてやられたこと。

そして、その出来事を政争へと見事に利用され、

完敗してしまったことを、皆が私へ謝ってくれました。

兄上など、軍勢を整えようとして、義姉様にたしなめられていたほどです。


私は、幸せ者です。


私を心から大事にしてくれる家族。

そして、愛しいオスカーと夫婦になることができる。

『大地母神』様から、直接の祝福までいただけました。


そして何より、私を助けてくださったアンリシア義姉様。

どうか、アンリシア義姉様にも幸せになっていただきたい。

ハイ・エルフの宿命も、帝室のしがらみも忘れて。

一人の人間として、心から笑って過ごせる日が来てほしいのです。



夕方には、無事に屋敷へ到着することができました。


魔動車のおかげで、帝都と故郷を随分と早く行き来できるようになったものです。

お父様や他の北部貴族の方々は、さらに鉄道の導入を考えています。

西園寺公爵家が導入しているモノレールと、

どちらを採用するかで揉めたそうです。

ですが、あちらは運用するために特殊な訓練を受けた乗務員が必要となります。

そのため、通常の訓練で運用できる鉄道に決まりました。


北部全土へ鉄道を張り巡らせ、西のカスパール侯爵領や、

東のミョルニル公爵領とも結ぶ。

南の西園寺公爵領とは、帝都を経由して繋がります。

すべての地域が鉄道で結ばれれば、

北部で採れた穀物を帝国全土へ届けることができます。

さらに港まで運び、外国へ輸出することもできるでしょう。

逆に、他の地域や外国からも、

今まで見たことのない珍しい品々が入ってくるはずです。


いわゆる、流通革命というものです。


ただし、それまで長距離輸送を担ってくれていた人達が、

職を失わないよう手配しなければなりません。

鉄道だけで、すべての輸送を賄えるわけではありません。

線路を敷くことができない地域もありますし、

駅から町や村まで物を運ぶための手段も必要です。

もっとも、その辺りはお父様や兄上が考えることですね。


私は年が明けたら、再び帝都へ向かいます。

そして、ヘイムへ。


故郷へ残り、お父様や兄上のお手伝いをすることも考えました。

ですが、皆から、


「お前はもう十分、家のために苦しんだ。

 これからは、自分の好きなように生きなさい」


そう言ってもらえました。

そして私は、その言葉に甘えることにしたのです。


アンリシア義姉様の下で働く。

魔法使い様――ヴァルナ様のお力になる。


大地へ恵みを与えてくださる『大地母神』様と同じく、

傷ついた大地を癒やしてくださる世界樹。

そして、その世界樹の守護者にお仕えする。

それは私達北部の民にとって、この上ない誉れです。


何より、あの地には『大地母神』様が度々ご降臨なされます。

領地にいる『大地母神』様の神官達が聞けば、腰を抜かすほど驚くでしょう。

もしかすると、自分達も行きたいと言い出すかもしれません。


神官達の配置は帝都の大神殿によって決められており、

勝手に異動することはできません。

ですが、聖地巡礼と称して訪れる者が現れる可能性はあります。


それこそ鉄道が完成すれば、短い時間で移動できるようになるのです。

決して、あり得ない話ではありません。

私は一足先に、そのお傍で働けることへ感謝しなくてはなりませんね。



屋敷の門が見えてくると、その前にはお母様と兄夫婦、

そして大勢の家臣達が並んでいました。

私達が馬から降りるや否や、

皆は当主であるお父様への挨拶もそこそこに、次々とこちらへ集まってきます。


「ローズ!」

「お帰りなさい!」

「ご結婚、おめでとうございます!」


口々に祝福の言葉をかけられ、私は何度も頭を下げました。

お母様と義姉様が、左右から私を抱きしめてくれます。


「お帰りなさい、ローズ」

「本当に、よく帰ってきてくれました」


その温かな腕に包まれ、胸の奥が熱くなりました。

一方、兄上はオスカーのもとへ大股で近づき、

その胸倉へ掴みかからんばかりの勢いで詰め寄っています。


「オスカー! 大事な妹を泣かせたら、ただではおかんぞ!」

「は、はい! 命に代えても、必ずローズを幸せにします!」


顔を引きつらせながらも、オスカーはまっすぐ兄上を見返しました。


まったく、兄上ったら。


ああ。

戻ってくることができた。

私の家へ。

抱きしめてくれた義姉様の身体へ、

そっと手を添えた時、

私はそのお腹が以前よりも大きくなっていることに気づきました。


「義姉様、もしかして……」

「ええ。間もなく生まれる予定です」


義姉様が、幸せそうにお腹を撫でます。


あら。

私、叔母になるのですね。


嬉しいような、少し悲しいような、何とも複雑な気分です。



屋敷へ入り、荷物を自室へ置いた後、私は家族が集まる団欒の間へ向かいました。


扉を開けると、すでに兄上がオスカーと酒を酌み交わしています。

つい先ほどまで恐ろしい顔で詰め寄っていたというのに、

今では肩を組み、声を上げて笑いながら飲んでいました。


「ローズの相手が、お前で本当によかった!」


兄上はオスカーの肩を何度も叩きながら、大声を上げます。


「帝国政府の横やりさえなければ、もっと早く家族になれたというのに!」

「兄上……」

「幼い頃から兄弟のように育ったお前と、

 本当の兄弟になれるのだ。こんなに嬉しいことがあるか!」


兄上の目から、ぼろぼろと涙がこぼれています。

オスカーも目を赤くし、何度もうなずいていました。

兄上は騎士ではありません。

ですが、日々の政務の傍ら、自ら大地を耕し、鍛え上げた身体を持っています。

その大きな身体を震わせながら泣く姿に、

私は呆れながらも、胸が温かくなりました。


「もう。夜の食事もまだですのに」


決めなければならないことも、山ほど残っています。

それなのに、もうそんなに酔っ払って。


私はため息をつきながら、空いていたジョッキへビールを注ぎました。


そういえば、ヘイムではジパング酒とワインを造ると言っていましたけれど、

ビールはどうなのでしょう。

ぜひ、造っていただきたいものです。


材料がないのであれば、兄上へ頼み、ヘイムへ送ってもらわなくてはなりません。

材料さえあれば、ムラマサ親方が造ってくださるでしょう。

なにせ、親方の称号を持つ方です。

グスタン親方が育てた作物を使い、ムラマサ親方が酒を造る。


なんて素晴らしいのでしょう。


ああ。

また一つ、ヘイムで働く楽しみが増えました。

これは、良い商売になるのではないでしょうか。


親方が手掛ける、魔法使いの工房産のジパング酒やワイン。

さらにウイスキーやビールまで造ることができれば、

帝国内だけでなく、国外でも飛ぶように売れるでしょう。


ですが、売りに出せる分が残るでしょうか。


スミズル親方やトレース親方をはじめ、

ヘイムの皆様は、ざるどころか枠ですものね。

ヴァルナ様のお話によれば、ヘイムには八人もの酒豪がいるそうです。


その名も、飲兵衛エイト。


その八人が、店のお酒をことごとく消費してしまうため、

お客様へ出す分を確保するのも大変なのだとか。


私の分は、きちんと残るのでしょうか。


最近では『軍神』様――別名へべれけ様も、頻繁にお越しになっていましたね。

スミズル親方やトレース親方から、お酒をせしめていたことを覚えています。


これは一大事です。


ヘイムへ戻ったら、まず私の分を確保しなくてはなりません。

兄上へ頼み、材料だけでなく、

完成したビールも定期的に送ってもらいましょう。


魔法使いの工房で提供しているだけでなく、

『大地母神』様や『軍神』様へ捧げている酒となれば、

これ以上ない宣伝になるはずです。

ああ、本当に考えることが一杯。

ですが、とても楽しいです。



領地へ戻った翌日から、目の回るような忙しい日々が始まりました。


収穫祭の準備だけではありません。

私達の結婚式も控えています。

衣装の最終的な寸法合わせから、会場の設営、料理や酒の手配に至るまで、

一族総出で準備が進められました。


オスカーも、私と共に帝都へ向かうため、

領地で担当していた騎士の仕事を後任へ引き継いでいます。

そして、それほど表舞台へ出ることはないとはいえ、

オスカーはミョルニル公爵家の養子という立場を経て、

ブルボン公爵家の一族となります。

ミョルニル公爵家でも教育を受けていたようですが、

その期間は決して長くありませんでした。

そのため、公爵家の一族としての立ち居振る舞いや、

社交の作法など、さまざまなことを学び直しています。


私と過ごす時間があまり取れないことは、少し残念です。

ですが、今は我慢しましょう。

年が明けてヘイムへ行けば、いくらでも一緒に過ごす時間がありますもの。



そして、慌ただしく過ごしているうちに、あっという間に時は流れました。


いよいよ、収穫祭と結婚式の日です。


北部各地の領主だけではなく、多くの領民達が集まってくれました。

今年の豊作。

そして、私達の結婚式。

ですが、この場で結婚するのは、私とオスカーだけではありません。


今年結ばれる領民達も、私達と一緒に式を挙げます。


共に大地を耕し、共に馬を駆けてきた一族。

血よりも濃い絆で結ばれた、北部の民。

身分など関係なく、皆で祝い、皆で喜びを分かち合いました。


ただし。

あの余興だけは、聞いていません。


今、帝都だけではなく、帝国全土で流行している歌や演劇があります。


題して、〝魔王退治の英雄譚〟。


世界樹の顕現から、魔王の復活。

そして、復活した魔王を打ち倒すアンリシア義姉様をはじめとした、

数々の英雄達。

多少の誇張は入っていますが、登場人物は皆、実在する方々です。

それも、つい先ほど起きたばかりの出来事。


当然、帝国中で大変な盛り上がりを見せています。

帝国北端に位置するブルボン公爵領でも、すでに誰もがその話題で持ち切りです。

酒場へ吟遊詩人が現れれば、

必ず誰かが〝魔王退治の英雄譚〟をリクエストします。

酒場からその歌が聞こえてこない日は、ほとんどないでしょう。


子供向けのラジオ番組でも、大人気です。


放送時間になると、子供達だけでなく、大人までラジオの前へ集まります。

そして、その物語の舞台となったヘイムへ、

英雄達が食べる穀物を私達が卸している。

その事実が広まると、領民達は我がことのように喜びました。

ですから、その演目が結婚式で歌われたこと自体は、別に構いません。


問題は、その次です。


「続きましては、今、帝国で大人気の演目――〝ある公爵家令嬢物語〟!」


舞台の上から響いた題名を耳にした瞬間、私は思わず固まりました。


なんですか、それは。


物語の内容は、こうです。

とある公爵家令嬢が、学園で罠に嵌められ、周囲からいじめられる。

その末に皇太子から婚約を破棄され、魔王退治の英雄の一人に助けられる。

その後も貴族社会で酷い目に遭い続けますが、

魔法使い様の手助けによって女神様と出会う。

そして最後は、幼馴染の騎士と結ばれる。


何なのですか、そのベタベタなお話は。


あることないこと、好き勝手に組み合わせて作られているではありませんか。

帝国学園に通っていた頃、一部の文芸部の方々が私を題材にした物語を

書いていましたが、その中にすら、そのような話はありませんでしたよ。

あちらの方が、まだまともなお話でした。


私は頬を引きつらせながら、周囲を見回しました。


ですが、集まった皆様は、物語へ真剣に聞き入っています。

時には怒り、時には涙を浮かべ、主人公の公爵令嬢を応援していました。

皆様、なぜそれほど盛り上がれるのですか。

兄上など、鼻をすすりながら号泣しているではありませんか。


「ローズ……よかった。本当に、幸せになれてよかった……!」


兄上は大粒の涙を流しながら、こちらへ拳を向けています。

私とオスカーは、

何とも言えない気まずさに耐えられず、互いの顔を見つめました。

すると、その様子に気づいた兄上が、突然立ち上がります。


「最後はキスして、ハッピーエンドだろう!」


なぜ、そうなるのですか。


兄上の声に釣られ、周囲の領民達まで次々と声を上げ始めました。


「キス!」

「キス!」

「キス!」


会場全体に、キスを求める声が響き渡ります。

覚えていらっしゃい、兄上。

私は顔が熱くなるのを感じながら、隣に立つオスカーを見ました。


オスカーも耳まで真っ赤にしています。


ですが、ここまで皆に求められては、断ることもできません。

私達は互いに少しだけ身体を寄せ、照れながら口づけを交わしました。

その瞬間、会場中から割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こります。


まったく。


ですが――。

今年は、本当に楽しい収穫祭でした。



宴も一段落した夜。

私は夫となったオスカーと共に、部屋のベランダから外を眺めていました。

街では今も、人々が酒を飲み、歌い、踊っています。

遠くから楽しげな音楽と笑い声が、夜風に乗って届いてきました。


「皆、まだまだ眠る気はなさそうだな」


隣に立つオスカーが、楽しそうに笑います。


「今年は豊作で、結婚式までありましたもの。今夜くらいはよいでしょう」


私達だけではありません。

誰もが幸せそうに笑っている。

それが、何よりです。


まだ、問題は山積みです。

ですが、せめて今日くらいは、それらを忘れて楽しみましょう。


私はオスカーの肩へ腕を回し、その身体へ寄り添いました。

二人並んで夜空を見上げます。

雲一つない空には、数え切れないほどの星々が輝いていました。


そういえば、かつて存在した文明では、

人々はあの星空にまで進出し、暮らしていたといいます。

超帝国時代には、衛星砲や監視衛星という兵器があり、

星空から地上を攻撃したり、地上の様子を監視したりすることができたそうです。


東方の大陸連合国には、今もその技術や兵器が残っているという噂もあります。

もしかすると、私達の姿もどこかから覗かれているのかもしれません。

こんなにも美しい星空だというのに、まったく無粋なことです。


ですが、覗きたいのであれば、ご存分にどうぞ。


幸せな私達の姿でも、羨ましく眺めていなさい。

そんなことを考えながら、私はオスカーへ身体を預けました。

オスカーは何も言わず、私の身体を力強く抱きしめてくれます。


ああ。

幸せな日。


これからも、こうして穏やかな日々が続いていくのでしょうか。

いいえ。

明日からは、また忙しくなります。

鉄道建設の話。

ヘイムへ届ける品々の手配。

新たな流通が生まれることで起きる、さまざまな変化。

帝国政府の動きにも、常に注意しなくてはなりません。

もう二度と、今度のような危機を起こしてはならない。

プリンツ・アレクが、どのような皇帝になるのかは分かりません。

彼の言葉と行動を、常に見張っておく必要があります。


やはり、アンリシア義姉様が皇帝になればよいのに。


心の奥から、その思いが浮かび上がってきます。

ですが、いけません。

この思いは、決して表へ出してはならない。


新たな争いの火種となってしまいます。


間もなく年末。

そして〝銀星祭〟。

それが終われば、私は再び帝都へ向かいます。


私、ローズ・フォシーユ・フォン・ブルボン。


個人的にも、アンリシア義姉様のためにも。

そしてブルボン公爵領をはじめとする、北部の民のためにも。

これから、ますます忙しくなりそうです。


師匠のニューワールド講座 90

~鉄道編~


師匠

『なんです。』

この世界の鉄道ってどんなのですか。

日本で走る電車みたいなのですか。

それともアメリカ映画に出てくるような、

力強い貨物列車なんですか。


『分かっていませんねぇ。』

『鉄道と言えば、

やはりSLでしょう。』

『煙を吐き、

汽笛を鳴らし、

力強く車輪を回しながら走る。』

『あのロマンが分かっていません。』


それ、

師匠の趣味ですよね。

でも蒸気機関車って、

煙で洗濯物とか汚れませんか。


『そんな問題、

とっくに解決しています。』

『燃料はクリスタル。』

『動力は魔動エンジンです。』

『石炭など使っていません。』


『ですが、

あの汽笛だけは譲れません。』

『煙もちゃんと出します。』

『もちろん、

無害で汚れないようになっていますよ。』

『ロマンですから。』


そこは譲らないんだ。


『ちなみに、

機関車一両で約八千馬力あります。』

『これを何両も連結し、

二百両を超える貨車を牽引する列車もありますよ。』

『これなら、

北部の穀倉地帯で収穫された穀物を、

帝国中はもちろん、

大陸全土へ運ぶ事もできます。』


『超帝国時代には、

大陸横断鉄道まで存在していました。』

『海を越え、

他大陸へも線路が繋がっていたそうです。』

『船や飛空艇より、

一度に大量輸送できますからね。』


それ、

もう物流の要ですよね。


『ええ。

しかも車両には常時シールドが展開されています。』

『線路へ置かれた石などは弾き飛ばし、

人や動物が飛び出しても、

優しく弾いて保護します。』

『この技術が完成してから、

人身事故はほとんど無くなりました。』


『面白いですよ。』

『シャボン玉のような膜に包まれて、

ふわりと線路の外へ押し戻されるのです。』

『仮に線路が破壊されても、

そのまま宙を走り続けます。』

『乗客もほとんど揺れを感じません。』


それ、

もう鉄道じゃなくないですか。


『これは、

歴代の鉄道好きな転生者や転移者、

そして、

それを受け継いだ現地の技術者達の執念の結晶です。』

『鉄道への愛が、

ここまで文明を発展させたのですよ。』

『このまま行けば、

そのうち宇宙まで線路を敷きかねません。』

『それに付随する技術まで、

次々と生み出されています。』

『もう文明は滅茶苦茶です。』

『とっくに地球文明を追い越していますよ。』


師匠、

怒ってますけど……。

その帽子と、

首から下げてるカメラのせいで、

説得力がありませんよ。


『……限定記念モデルです。』

『数量限定だったので、

つい買ってしまいました。』




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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