92 どちらが本当のお前だ
風が気持ちいい。
頬を撫でていく柔らかな風に、俺は目を細めた。
こう思うのは、いつぶりだろう。
母親から族長の座を譲り受けて以来、
一族だけで過ごす場所以外で、
こうして顔をさらけ出しているのは久しぶりだった。
生まれた時から、額に刻まれている呪われし紋章。
かつて、我ら雪原のフェンに住む一族は、北方の地で羊や牛を追い、
静かに暮らす遊牧の民だったという。
だが、その祖先が罪を犯した。
邪神やトリックスターの甘言に乗り、魔族へと堕ち、
北方の村や町を襲って混乱を引き起こしたのだ。
それが一族全ての行いだったのか、
それとも一部の愚か者によるものだったのかは分からない。
伝承では、当時の族長の息子と、その取り巻きが起こした事件だと語られている。
だが、今となっては真相を知る者はいない。
分かっているのは、事件の後、
一族の全員の額にこの紋章が刻まれたということだけだ。
それを考えれば、やはり一族の多くが、
何らかの形で関わっていたのではないかと思う。
それ以降、我らは遊牧の民ではなく、流浪の民となった。
当時は、ダークの称号を持つ者も魔族と同じように見られていた。
同じ遊牧の民からさえ嫌われ、追われた。
実際に北方の地を荒らし回った者がいた以上、無理もなかったのかもしれない。
そうして我らは、故郷を失った。
それから何代にもわたり、一族は大陸中を流浪した。
いつの日か、誰にも追われず、
安心して暮らせる安住の地を得ることを夢見ながら。
旅の途中では、我らと同じようにダークの称号を持つ者達と出会い、
交流を持ったこともあったそうだ。
だが、彼らも皆、長い逃亡生活に疲れ、困窮していた。
少数の者達は、海を渡って他大陸へ向かった。
またある者達は、大陸連合国のある大陸東部より、
さらに南方の国々をいくつも越えた先にある小国
――そこに存在すると伝えられている、魔法使いの工房を目指したという。
しかし、我らは一族単位で行動している。
老いた者もいれば、幼い者もいる。
群れを解散してしまえば、そのような者達は生きていけないだろう。
結果として、一族は常にそれなりの人数になってしまう。
到底、簡単に国境を越えられるような人数ではない。
そうして今では、アステリア帝国内を流浪するようになっていた。
二百年戦争の混乱を利用して移動できなかったのかと、考えたこともある。
だが、戦乱の最中に百名近い集団が動けば、当然怪しまれる。
ましてや我らはダークの称号持ちだ。
敵の間者か、魔族の軍勢かと疑われ、その場で討たれても不思議ではない。
たとえ皆殺しにされたとしても、どこからも非難されることはなかっただろう。
そんな一族――雪原のフェンに住む一族に生まれたのが、
俺、ノート・ヴァン・イアールンヴィズだ。
族長の家に生まれ、物心ついた頃から様々な土地を巡ってきた。
大貴族同士の派閥争いに巻き込まれていない地方領では、
短期間であれば案外、我らを受け入れてくれるものである。
そのような地域を転々としながら、一族は暮らしてきた。
しかし、どれほど穏やかな土地であっても、
長く滞在していれば、やがて俺達を利用しようとする者が現れる。
俺達を利用して、混乱を起こそうとするのだ。
調べてみれば、その裏にいるのは敵対する貴族や利権を狙う商人。
あるいは、邪神やトリックスターの信者。
中には、本物の魔族までいた。
確かに、その甘言や誘惑に乗り、犯罪へ走る者や、魔族に堕ちる者もいた。
だが、俺達の一族は、かつてその甘言に乗って魔族へと堕ちた。
先祖の罪とはいえ、俺達は今なお、その時の罪を背負わされ続けている。
ならばこそ、その者達とは反対の道を選ぶ。
それが俺達の矜持というものだ。
『太陽神』よ。
俺達は何もしていないぞ。
そこらの者達より、よほど清く正しく生きている。
犯罪には手を染めず、誰にも後ろ指を指されない生き方をしている。
それでも指を指されるとすれば、それはお前がつけた、
この紋章を見られた時だけだ。
まだ幼かった頃は、その反発心からか、
俺は堂々と額の紋章をさらしていた。
だが、そのせいで向こうからトラブルがやってくる。
被害を受けるのは俺だけではない。
一族の者達にも迷惑をかけてしまう。
そう理解する頃には、俺もフードを深くかぶり、顔を隠すようになっていた。
まあ、今度はそのフード姿が、一族を象徴するものになってしまったのだが。
それでも、紋章をさらしていた時よりは、問題は減った。
一族の中には、サークレットや装飾品を額につけ、
うまく紋章を隠して働き、金を稼いでくる者もいる。
あるいは、紋章を見ても差別しない雇用主の下で働き、食いつないできた。
そのおかげで、俺は様々な土地を巡り、多くの人間と出会った。
そして気づいた。
俺達を差別するのは、無知な者。
何百年も生き続け、過去の出来事を忘れられない者。
実際に魔族から被害を受けた者。
そして、俺達を利用しようとする者達だ。
だが、そういう者に限って声が大きく、厄介な立場にいる。
中途半端な地位にいる役人や貴族。
成り上がろうとしている者。
上へ行きたいのに、上がれない。
派閥の板挟みにされ、どうにもならない。
自分では何も成し遂げられず、他人を利用して事をなそうとする。
そして、我らを利用できないと分かれば、
己の不満のはけ口にし、適当な罪をでっち上げて指弾する。
そうなれば、また別の土地へ移るしかない。
その繰り返しだった。
だが、悪い出会いばかりではなかった。
俺の剣の師匠も、そうだ。
あの飲んだくれは、いつの間にか俺達の旅に紛れ込み、
そして、いつの間にかいなくなっていた。
「御仏の導くままに」
などと言っていたが、それが何を意味するのか、俺にはさっぱり分からなかった。
ただ、剣の腕だけは確かだった。
そして俺にも、その技を惜しみなく教えてくれた。
今度の魔王騒動では、その教えが十分に役立った。
そこには感謝している。
今一度会って、死合いたいものだ。
そうして月日は流れ、俺が族長となったある日、
一族の者達が奴隷商人どもにさらわれた。
俺達は、その救出のために帝都へ向かうこととなった。
一族総出で帝都へ侵入するなど、無謀にも思えた。
しかし、一部の精鋭だけで動けば、残された者達を守る者がいなくなる。
これまでの旅で知り合った者達との伝手を使い、何とか帝都へ潜り込んだ。
一見、完璧に見える帝都の防壁にも、探せば穴はいくらでもあった。
……まあ、これは内緒だな。
あのハイ・エルフの姫さんなどは、
随分と知りたがっていたが、教えるわけにはいかない。
こちらにも、手を貸してくれた者達への義理がある。
しかし、この侵入の裏で『太陽神』の手助けがあったと知った時は、
少し納得がいかなかった。
俺達が信じているのは、『夜を司る女神』だけだ。
闇夜に紛れ、迫害者の目から我らを守ってくれた女神だけ。
だが、ここヘイムに来て、あの『大地母神』の神官ブラスから、
「では、日がある時は、誰が迫害者の目をくらませていたのでしょう」
と言われた時には、返す言葉がなかった。
認めたくはなかった。
先祖の罪を子々孫々にまで背負わせた原因は、あいつではないか。
……まあ、話が逸れた。
その後、なんやかんやあって、
一族の者達や、同じ場所に捕らえられていた者達を解放した。
そして帝都の再開発地区へ潜り込んだ。
一族の救出のためとはいえ、かなり過酷な旅だったからな。
船に乗せられたり、国境を越えられたりしては、救出に間に合わない。
無理を重ねて進んだ結果、年配の者や身体の弱い者達が体調を崩し、
神殿の世話になっていた。
その者達が回復するまで、帝都に滞在する場所が必要だった。
動ける者のうち、要領のよい者達は帝都中へ散った。
今後の旅路に必要な路銀と、飯代を稼ぐためだ。
帝都は広い。
俺達が一か所に集まって長期滞在するのは無理でも、
短期間であれば真っ当に働ける場所はそれなりにあった。
しかし、それもそろそろ限界だった。
再開発地区の工事が進み、
俺達が潜伏している建物にまで解体の手が迫ってきたのだ。
せめて、あと半年ほど滞在したかった。
それだけの時間があれば、神殿で治療を受けている者達も、
再び旅へ参加できただろう。
どうしたものか。
そう頭を悩ませていた時に出会ったのが、ヴァルナだった。
ヴァルナは、再開発地区で働いている者達を相手に、飯を売りに来ていた。
第一印象は、どこぞの苦労知らずのおっさんだった。
世間知らずで、俺達のこともよく分かっていない。
親の跡でも継いで商売を始め、気まぐれで工事現場へ弁当でも売りに来た。
そんなところだろうと思った。
その証拠に、翌日から姿を見せなくなった。
まあ、一族の子供達は妙に懐いていた。
それを考えれば、少なくとも悪い奴ではないのだろう。
ヴァルナと一緒にいた従業員の女性が、
子供達と交流を始めたため、俺は気になって素性を調べさせた。
情報は、あっさりと手に入った。
最近、帝都へやって来た者。
『大地母神』神殿の庇護の下、飲食店を開いているらしい。
どうやら転移者であり、この世界の事情には疎いが、
それでも何とか暮らしているという。
なるほど。
異世界人か。
それならば、俺達のことを知らなくても無理はない。
少なくとも、この世界よりは平和な場所から来たのだろう。
俺達から見れば、平和ぼけした苦労知らずにしか見えなかった。
まあ、何かあれば利用させてもらうさ。
その程度に考えていた。
それがまさか、役人や衛兵と揉めていた俺達を助けに来るとはな。
正直、驚いたよ。
そして、早速利用させてもらおうと思った。
ここまで騒ぎを大きくしてしまえば、もう帝都にはいられない。
すぐに出ていく必要がある。
その準備を整え、帝都各地に散っている仲間達へ伝言を残すまでの、
一時的な避難場所として、ヴァルナの店を利用させてもらおう。
そう考えた。
思った通り、話は進んだ。
この人のよいおっさんは、俺達を店の中へ入れてくれた。
聞いていた通り、随分と広い店だった。
俺達一族を、丸ごと匿えるほどに。
まあ、店の中に帝国の姫や大貴族達がいるとは思わなかったが。
それもあって警戒心が高まっていたのか。
ヴァルナの平和ぼけした感覚とのズレに苛立ったのか。
それとも、先ほどまで役人や衛兵と揉めていたせいで、気が高ぶっていたのか。
俺は、ついヴァルナへ当たってしまった。
本当につまらないことで。
もう諦めていたはずの安住の地への羨望が、俺の心を乱したのかもしれない。
今思えば、恥ずかしい話だ。
利用するつもりだったとはいえ、一族を匿ってもらったことに変わりはない。
それなのに、売り言葉に買い言葉で、俺達は言い争った。
店を飛び出していったヴァルナを追いかけてみれば、
あいつはクリスタルの山を叩いていた。
やれやれ。
世間知らずのおっさんではなく、気の触れたおっさんだったか。
異世界人のやることは、訳が分からない。
そんなことで俺達が報われるなら、行く先々のクリスタルを叩いて回るさ。
呆れて立ち去ろうとした俺に、帝国の姫は最後まで見届けろと言った。
癪には障ったが、確かに正論だった。
このいかれたお人好しの異世界人様は、一応、
俺達のために何かしようとしてくれているらしい。
ならば、結果を見届けるのが筋というものだ。
しかし、あの姫はいちいち正論を吐く。
これだから『太陽神』の信徒は。
後で、どの神の信徒でもないと聞いた時には驚いたぞ。
それからしばらくして、いい加減、見ていることにも飽きてきた頃だった。
それが起こったのは。
世界樹の顕現。
おとぎ話にのみ登場する存在。
我らのようなダークの称号持ちにとって、安住の地ともいえる魔法使いの工房。
その地にそびえ立つと伝えられている、伝説の大樹。
それが、目の前に現れた。
驚くと同時に、俺の頭の中をいくつもの考えが駆け巡った。
世界樹が現れたのなら、ここは魔法使いの工房なのか。
では、魔法使いは誰だ。
ここが安住の地となり得るのなら、何としてでも取り入らなくては。
その考えは、帝国の姫の悲鳴によって止まった。
ヴァルナが、血だるまになって倒れていたからだ。
そこからの展開は早かった。
ヴァルナの治療。
帝国の後継者争い。
そして、魔王の復活。
一族ごと、全てに巻き込まれた。
これも、ヴァルナを利用しようとした罰なのか。
打算があったことは認めよう。
これまでの話の流れから考えて、
この地の主であり、魔法使いなのはヴァルナだろう。
あいつは、こうなる前から俺達の境遇に同情していた。
ならば、その同情を利用させてもらおう。
俺達の安住の地として、この場所に住まわせてもらおう。
そのためなら、帝国の騎士団とも、皇族とも戦うつもりだった。
だが、魔王はないだろう。
魔王は。
本来なら、一族の者達を連れ、混乱に乗じて逃げるべきだった。
魔王復活による混乱が起きれば、国境さえ越えられるかもしれない。
運よく魔王が討伐され、その後もここに世界樹と魔法使いが残っていれば、
また戻ってくればよい。
魔王など、勇者や使徒が出てくるような事件だ。
俺達には関係ない。
俺には、一族を守る義務がある。
そう思っていたのに。
どうして、こう馬鹿ばかりなのだろうな。
一族の者達は、戦えない者を店の奥へ避難させ、自らは戦おうとした。
まだ、ここが安住の地になるかも分からない。
ヴァルナ達とも、出会ってからほとんど経っていない。
それなのに、この地と、この地にいる者達を守ろうと、手に武器を取った。
俺には理解できなかった。
いくら『太陽神』への当てつけとして、
清く正しく生きてきたとはいえ、これは違うだろう。
勇気と無謀は違う。
そうだろう。
それなのに俺は、戦いの指示を出していた。
本当に馬鹿だ。
ドワーフの親方達と、『大地母神』の神官が立てた計画がうまくいったから
よかったものの、大博打もいいところだった。
もう二度とやらんぞ。
そして、世界樹とヴァルナの復活。
『大地母神』が顕現し、ヴァルナを治療する光景は、まさしく奇跡だった。
その姿を見ながら、俺はほんの少しだけ思ってしまった。
その奇跡を、我ら一族にも分けてはくれないかと。
そして『大地母神』が、俺達に向かって指し示した場所。
そこに、俺達は住むこととなった。
女神は何も言わなかった。
ただ、その場所を指さしただけだ。
本当に、ここに住んでよいのか。
別に、そこへ住めと言われたわけではない。
ただ指し示されただけだ。
それなのに、ドワーフの親方達や、この店の常連客だという者達は、
率先して家を建てるのを手伝ってくれている。
帝国の姫や、大貴族の夫人達まで、必要な資材の手配を始めている。
本当に、よいのか。
この魔法使いの工房の主人であるヴァルナは、
まだ意識を取り戻していないのだぞ。
目を覚ました後、出ていけと言われるかもしれないだろう。
俺がそう口にすると、帝国の姫は呆れたようにこちらを見た。
「たわけ。ヴァルナが、そのようなことを言うわけがないだろう」
姫は、何を当たり前のことを聞くのかとでも言いたげだった。
「何事もなくここにおったら、何か手伝えることはないかと、
ずっと周りをうろちょろして、
邪魔だと親方達に怒られているくらいだわい」
そうなのか。
その後、ムラマサ親方やグスタン親方など、名のある称号持ち達まで現れた。
畑を作る。
酒造所を建てる。
そんな話が、ヴァルナ抜きで次々と決まっていく。
一番の新参者である俺が言うのも妙な話だが、
本当にこれでよいのかと不安になった。
そして、意識を取り戻し、
車椅子ではあるが外へ出られるようになったヴァルナが、
建築現場へやって来た。
出会ってから、それほど長い時間を共に過ごしたわけではない。
それなのに、顔を合わせるのは随分と久しぶりに思えた。
ここまで回復して、本当によかった。
どうしても、血だらけで倒れ、
治療もできずに苦しんでいた姿が脳裏に浮かんでしまう。
一族の者達も同じだった。
こうして、ヴァルナの姿をはっきり見るのが初めての者もいただろう。
皆、不安そうに遠巻きからこちらを見ている。
本当にここへ住んでよいのか。
魔法使いとは、どのような存在なのか。
恐ろしい者ではないのか。
ヴァルナが怪我をしていたこともあり、一族との交流はほとんどなかったからな。
皆、俺とヴァルナのやり取りを息を潜めて見守っていた。
だが、当のヴァルナはというと、
俺達がここへ住むことも、畑を作ることも、あっさり認めた。
酒造所の話には眉をひそめていたが、それでも否定はしなかった。
本当に、よいのか。
やはり、世間知らずのお人好しのおっさんだ。
そのうち、誰かに騙されるぞ。
思わず心配になってくる。
だが、周囲を見回して、俺は小さく笑った。
そうか。
だから、あれほど多くの世話焼きが周りに集まるのか。
理由はそれぞれ違うのだろう。
だが、皆、放っておけないのだ。
あのお人好しを。
困ったものだ。
ああ。
俺達も、同じさ。
せいぜい、そのお人好しを利用させてもらおう。
その代わり、受けた恩は忘れない。
俺達の一族は、情に深いのだ。
一族への恩。
身内への愛情。
どちらも重いぞ。
俺ですら、時々引くくらいにな。
そう考えていたのは、俺だけではなかった。
ヴァルナが経営している店。
ヘイム。
聞くところによると、日を追うごとに進化し、大きくなっていくらしい。
最初に聞いた時には、そんなことがあるものかと思った。
だが、ここは魔法使いの工房なのだ。
何が起こっても不思議ではない。
そういうものなのだと、納得してしまう。
何しろ、クリスタルの山が消え、その場所に世界樹が顕現したのだ。
店くらい進化するだろう。
そのヘイムの進化に対して、従業員の数が足りていないらしい。
信用できる者など、そう簡単には見つからず、
誰でも雇うわけにはいかないという。
以前からこの場所にいた者達の話を聞けば、
ヘイムはこれまでにも様々な揉め事へ巻き込まれており、
あちらこちらから睨まれているそうだ。
そりゃそうだろう。
帝国の騎士団や皇族が攻めてくるような場所だ。
きっと、俺達の知らないところで色々やらかしているのだろう。
そんな状況を見て、力仕事が苦手で、
家の建築や畑作りにあまり貢献できていない者達が、
店を手伝いたいと言い出した。
新たな安住の地を与えられ、何かせずにはいられなかったのだろう。
そんなことは、生活が落ち着いてから考えればよい。
ヘイムの者達は、そう言ってくれた。
だが、一族の者達は、自分達の食い扶持くらいは自分達で稼ごうと考えたらしい。
働かせてほしいと、何度も頼み込んでいた。
ちなみに、俺達自身の家を建てる作業であるにもかかわらず、
建築作業代としてヘイムから給与が出ている。
ヴァルナだけではなく、金庫番のマルタやエルミナからも、
「働いた分には、対価を支払います」
と言われた。
建築資材の費用まで、ヘイム持ちなのだろう。
さすがに、そこまで迷惑をかけられないと断った。
だが、どうやらヴァルナとよしみを結びたいと考えている貴族や商人達から、
様々な金や物資が送られてくるらしい。
もちろん、それらは基本的に全て断っているそうだ。
ただし、世界樹が顕現する前から付き合いのあった者達からの援助だけは、
受け取っているらしい。
それは、ここが魔法使いの工房だからでも、ヴァルナが魔法使いだからでもない。
飲食店ヘイムが、様々な騒動へ巻き込まれて大変だから。
ヴァルナが困っているから。
ただ、それだけの理由で援助してくれているのだという。
その顔ぶれを聞けば、帝国でも有数の力を持つ者から、
小さな個人商店の主人まで実に様々だった。
だから、気にするなと言われた。
それに、この地の状況が落ち着けば、金を持っている者達が、
我先にとヘイムへ押し寄せてくるだろうという。
今はまだ、何が起こっているのか理解できず、皆が様子を見ている。
だが、そのうちヘイムへ来ること自体が、一種の地位や名誉を示すものになる。
その時は、たんまりと稼がせてもらう。
帝国の姫や、大貴族の夫人達は自信満々にそう語っていた。
そういうものなのか。
まあ、帝国の姫や大貴族の夫人が言うのだ。
きっと、そうなのだろう。
何より、『大地母神』の御使いまでもが金儲けのことを考えているのだから、
俺から言うことは何もない。
しかし、神の御使いとは、もっと清らかな存在なのだと思っていた。
随分と世俗にまみれているのだな。
そうして、一族の者達がヘイムで働くことを認めた。
ただ、やはり額の紋章は隠させるべきだったのかもしれない。
俺を含め、一族の者達は、ここヘイムにいる時だけは素顔をさらしている。
ヘイムの住人の中には、俺達を差別する者はいない。
哀れむわけでもなく、腫れ物に触れるように扱うわけでもない。
ごく普通に接してくれる。
共に魔王と戦った仲だからだろうか。
皆、それなりに仲よくやっている。
中には『太陽神』の信徒もいるが、もう気にしないことにした。
リナやソレイアを始め、ここへ遊びに来る子供達も、額の紋章など気にしない。
次期后妃である西園寺公爵令嬢も、カスパール侯爵家令嬢も、
誰一人として一族の者を無下に扱わなかった。
こちらが気にしていること自体、馬鹿らしく思えてくるほどだった。
だからだろう。
俺達も、気が緩んでいたのかもしれない。
収穫祭の最終日。
連日の大入りで、ヘイムの店内は多くの客で賑わっていた。
これまで、一族の者達が店内を行き来しても、問題など起こらなかった。
俺達の紋章を見て驚く者はいた。
だが、それだけだった。
皆、すぐに普通の客として、普通に接してくれた。
しかし、その男は違った。
最初から、妙な客だった。
頼んだ料理をろくに食べず、次々と注文を繰り返している。
しかも、一度に大量ではない。
少量ずつ、何度もだ。
似たような行動をしている客が、店内に何人かいた。
妙な連中だ。
そう思って様子を見ていると、待ち構えていたのであろう。
一族の者が料理を運んだ瞬間、その男は突然、大声を上げた。
「お前みたいな汚れた奴に運ばれたものが、食えるかよ!」
男は運ばれてきた料理を払い落とし、皿ごと床へぶちまけた。
そして、まるで準備していた言葉を吐き出すように、一族の者を罵り始めた。
やはり、狙っていたな。
店内が、一瞬にして静まり返る。
せっかくの祭りが台無しだ。
グラウハイム卿とハルヴィンダを始め、何人かが即座に動き出すのが見えた。
俺も、一族の長としてこの場を収めようと、一歩踏み出した。
だが、その時だった。
その声が、ヘイム全体へ響き渡った。
〖黙れ〗
低く。
重く。
そして、明らかに魔力が込められた声。
その声が響いた瞬間、空気そのものが凍りついたように感じられた。
俺が声のした方向を見ると、ヴァルナは宙に浮かんでいた。
帝国第六騎士団を無力化した時と同じ。
八葉の紋章が描かれたローブを身にまとい、手には小さな杖を握っている。
姿は違っていても、あの時と同じ気配だった。
そこにいるだけで、場を支配する存在。
誰も逆らうことを許されない、圧倒的な威圧感。
魔法使いが、そこにいた。
いや。
ヴァルナがいた。
魔法使いとなったヴァルナに、男は店の外へ追い払われた。
そして、男と似たような行動をしていた者達も、次々と店を追い出された。
俺は、一族の者達へ命じ、その後を追わせた。
何か裏があるような気がしたからだ。
案の定、黒幕がいた。
ハシュバルト公爵ヒデオン九世。
超帝国の皇族の血を引いているという、大貴族だ。
その夜、帝国の姫達に調べた内容を伝えると、どうやら奴は焦っているらしい。
これまで、超帝国の復活と己の復権を狙って暗躍していた。
だが最近、立て続けに手駒を失っている。
魔法使いが帝都に現れたことで、東方の大陸連合国も、
よほどの馬鹿でない限り本格的な侵攻は行わない。
帝室の後継者争いも落ち着いた。
他の大物貴族達による内乱の可能性も、ほとんどなくなった。
つまり、奴は手詰まりになっている。
少し前のヒデオン九世であれば、
このような単純な嫌がらせは仕掛けなかっただろう。
仮に仕掛けたとしても、己の存在へたどり着かれるような不手際は犯さない。
それほど、手段も人手も尽きてきているのだろう。
全ては、この魔法使いが帝都に現れたせいだ。
そのため、何か弱点はないかと、この地へ揺さぶりをかけている。
帝国の姫達は、そう結論づけた。
やれやれ。
本当に、次から次へと様々なことが起こる場所だ。
それにしても。
〖皆、俺にとって大切な客であり、仲間だ〗
〖俺の仲間に〗
〖二度と、言いがかりをつけるな〗
か。
嬉しいことを言ってくれる。
俺は、知らず知らずのうちに頬を緩ませながら、ヘイムの建物を見上げた。
Dark í Heim。
新しく掲げられた、店の看板だ。
古ノルド語で、
“ヘイムにはダークがいる”
という意味らしい。
別に、俺達の存在をそこまで堂々と誇示しなくてもよいと思うのだが。
最初から俺達の存在を宣言し、文句がある者は来るなということらしい。
俺達のことを騒ぎの種に使うなという警告にも取れる。
同時に、俺達はヴァルナの保護下にあるという宣言にも取れた。
複雑な気分ではある。
だが、決して悪い気分ではなかった。
しかし、あの後はどうにかならなかったのか。
店内は大騒ぎだったぞ。
これまでは噂でしか聞かれておらず、
誰もその姿を見たことがなかった魔法使い。
それが多くの客の目の前に現れ、実際に力を振るったのだ。
客達が大いに盛り上がるのも当然だった。
貴族達の間でも、その後の晩餐会では、その話題でもちきりだったらしい。
本当に魔法使いがいる。
だが、その話題の中心人物が、
店の奥で床を転がりながら悶えている姿を見た時は、どうしたものかと思った。
しかも、その後はドワーフの親方達に正座させられ、
「字体が違うだろうが!」
「文字が汚い!」
「書く位置がおかしい! 全体のバランスがなっていない!」
「センスがない!」
と、看板の文字について散々怒られていた。
あまりの情けなさに、俺はそっと目を逸らした。
この姿だけは、とても一族の者達には見せられんぞ。
皆、ヴァルナから仲間として認めてもらえたのだと、あれほど喜んでいるのに。
床を転がって悶える情けない姿。
そして、誰も逆らえぬほどの圧倒的な存在感を放つ魔法使いの姿。
ヴァルナよ。
一体、どちらが本当のお前なのだ。
師匠のニューワールド講座 87
~ダークの称号持ち編~
師匠
『なんです。』
ダークの称号を持つ人達って、
普段はどうしているんですか。
なかなか厳しそうですけど。
『そうですね。』
『少人数であれば、
心ある――と言いますか、
まともな人達に雇ってもらえます。』
『貴族や商人に限りません。』
『度重なる神々の神託。
各神殿の働きかけによって、
彼らの罪は冤罪であり、
『太陽神』自らが認めた過ちだったと、
今では多くの人が理解しています。』
それなら安心ですね。
『……ですが。』
『どこの世界にもいるんですよ。』
『自分より下の人間がいると安心する者や、
他人を利用しようとする者が。』
『巧みに周囲を誘導して迫害させたり、
居場所を失わせ、
悪事の手駒にしようとしたり。』
『まさしく、
人の闇ですね。』
『そういう者は、
中堅どころの貴族や商人に多いですね。』
『貴族同士の派閥争い。
商人同士の競争。』
『しかし、
大貴族や大商人ほどの手駒は持っていない。』
『だから、
使い捨てにできる手頃な駒として、
ダークの称号を持つ者へ手を伸ばすのです。』
『逆に、
大貴族や大商人は既に優秀な家臣や従者を抱えていますし、
小さな貴族や商人は、
そもそもそこまで野心を持っていません。』
『そのため、
彼らを保護し、
忠誠心の厚い家臣や従業員として迎え入れる例も少なくありません。』
一族で暮らしている人達はどうなんですか。
『それは話が変わります。』
『大勢の人間を一度に受け入れれば、
「何か企んでいるのではないか」
と疑われてしまいますからね。』
『雪原のフェンに住む一族のように、
ダークの称号を持つ者達は、
一族単位で生活している事がほとんどです。』
『よほどの事情がない限り、
一族がばらばらになる事はありません。』
『だから、
長い間、
放浪の民として暮らし続ける事になるのです。』
『もっとも、
放浪に疲れ、
帝国政府の援助を受けて、
直轄領の開拓村へ移り住む一族もいます。』
『開拓村ですから、
生活は一からのスタートです。』
『決して楽ではありません。』
『ですが、
上手くいけば、
ようやく安住の地を手に入れられます。』
『領主は帝国政府。』
『商人の往来も政府が責任を持って保証します。』
『そのため、
近年では受け入れる一族も増えてきました。』
『他にも、
魔法使いの自治区や、
ダークの称号を気にしない小国へ移住する者もいます。』
それでも、
まだ多いんですね。
『ええ。』
『一体どれほどの人がいるのでしょうね。』
『それだけ、
かつて魔族へ堕ちた者が多かったという事です。』
『しかも、
今なお魔族は増え続けています。』
『本当に、
困ったものです。』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




