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91 Dark í Heim

収穫祭が始まった。

帝都中が、凄まじい熱気に包まれているらしい。


もっとも、俺の自室はヘイムのかなり奥にあるため、

祭りの喧騒はほとんど届いてこない。

まるで帝都から切り離されているかのように、部屋の中は静かだった。


窓を開け、室内の空気を入れ替える。

外から聞こえてくるのは、鳥達のさえずり。

そして、精霊や妖精達の楽しそうな声だけだ。


引き籠り気質の俺とはいえ、こちらの世界へ来てから初めて迎える祭りだ。

できることなら、俺も行ってみたかった。

けれど、今の俺は車椅子でなければ移動できない。

誰かに頼めば、きっと喜んで車椅子を押してくれるだろう。

でも、収穫祭の間はヘイムも忙しそうだ。

せっかくの祭りなんだから、俺に付き合うより、みんなにも楽しんでほしい。


一度、自分一人で車椅子を動かせないか、魔法を使って試したこともある。


しかし、上手く力を制御できず、恐ろしい勢いで廊下を突っ走ることになった。

もう少しで壁へ激突するところだった。

試した場所が、真っ直ぐで長い廊下だったから助かったようなものだ。

階段の近くで試していたらと思うと、今でも背筋が寒くなる。


まあ、部屋へ籠っていても退屈はしない。

確かに、最初の頃は暇で仕方がなかった。

身体は動かせない。

本を読もうにも、長時間同じ姿勢でいると傷が痛む。

窓から見える景色も、そう大きく変わらない。

だが、あることに気づいてからは、良い暇つぶしを見つけた。


何かというと――。

俺は、世界樹と視界を共有できるのだ。


最初に気づいたのは、ベッドの横まで伸びてきている世界樹の枝を握り、


暇だなあ。

外へ出たいなあ。


そんなことをぼんやりと考えていた時だった。

突然、目の前の景色がぶれた。

次の瞬間、俺は信じられないほど高い場所から帝都を見下ろしていた。

最初は、自分の視界へ別の景色が無理やり重なってくる感覚に慣れず、

気分が悪くなった。


自分が今、部屋にいるのか。

それとも空高く浮かんでいるのか。

平衡感覚まで分からなくなり、危うく吐きそうになったほどだ。


けれど、何度か繰り返すうちに、少しずつ慣れてきた。

今では、自分の視界と世界樹の視界を自由に切り替えられる。

意識を集中させれば、二つの景色を同時に見ることもできるようになった。

つまり、俺は自室にいながら、帝都を見渡せるのだ。


世界樹の頂上から眺める景色は壮大だった。


帝都の街並みを、ぐるりと三百六十度見渡すことができる。

まるで、超高層建築の展望台から見るパノラマだ。

視界を拡大したり、遠くを細かく見たりするのは、まだ難しい。

それでも練習を続ければ、そのうちできるようになるだろう。

暇な時は、こうして帝都を眺めるのが楽しい。


朝。

昼。

夕暮れ。

夜。


時間によって、帝都は様々な表情を見せてくれる。


大通りを埋め尽くす人々。

市場を行き交う荷車。

空を飛ぶ飛空艇もどき。

遠くにそびえる帝宮。


眺めていて、飽きることがない。

しかも、今は収穫祭の真っ最中だ。


普段よりも多くの人が道を埋め、色とりどりの旗や飾りが風にはためいている。

高い場所から眺めているだけなのに、

その熱気がこちらまで伝わってくるようだった。

そのうち、音まで聞こえるようになるかもしれない。


そんなことを考えながら帝都を眺めていると、

リナちゃんとソレイアちゃんを始めとした、ちみっこ達が部屋へやってきた。


そして、初日の収穫祭がどれほど楽しかったのか、競うように教えてくれた。

話す声は弾み、頬は興奮で赤く染まっている。


よほど楽しかったのだろう。


聞いているこちらまで、自然と笑顔になった。


それにしても。

あの金髪ドリル令嬢――。

もとい、西園寺公爵令嬢の春香様が、第一妃とはねえ。

本当に悪役令嬢にならないか心配だ。

いや。

中身は転生者だから、むしろ“ざまぁ”する側か。


第二妃となるのは、カスパール侯爵家令嬢のリスティーナ様。

こちらは、あまり印象に残っていないんだよな。

歓迎会という名のお茶会へ、

プリンツ・アレクと一緒に来ていることは分かっている。

だけど、直接話した回数はそれほど多くないから、どんな子なのか、

まだよく分からない。


まあ、ちみっこ達の友達らしい。

三人で上手くやってほしいものだ。


でも、次期皇帝と、その妃になる子供達。


そんな相手と平民の子供達が、いつまでも友達でいられるのだろうか。

今は全員幼いから良くても、大人になれば立場は大きく変わる。

住む世界の違いから、少しずつ疎遠になってしまうのかな。

ある日突然、


「無礼者」


なんて言い始めたらどうしよう。

いや。

それを言うなら、アンリ先生達との関係も同じか。

皇族。

公爵家。

侯爵家。

平民。

それらが普通に同じ場所へ集まり、飯を食い、酒を飲み、騒いでいる。


いいのか、身分社会。

こんなんで。

制度も何もかも、グダグダだぞ。


俺がそんなことを考えながら、ちみっこ達の楽しそうな報告を聞いていると、

遠くから陽気な音楽が聞こえてきた。

ヘイムの奥深くにある俺の部屋まで届いてくるなんて、不思議な音色だ。


これは――。

『軍神』様だ。

今日も来ているのか。


いいのか。

神様が、そんなに頻繁に地上へ来て。

こちらも、それほど直接顔を合わせたことはない。

けれど、俺がまだキッチンで働いていた頃には、

『軍神』様が奏でる音楽や歌声、豪快な笑い声をよく耳にしていた。


それを目当てに多くの客が押しかけ、

店がとんでもなく忙しくなったことを覚えている。

音楽が聞こえてくると、ちみっこ達の表情が一斉に変わった。

先ほどまで以上に目を輝かせ、身体を揺らしながら、

音のする方向へ耳を澄ませている。


「行っておいで」


俺が声をかけると、二人は振り返った。


「ここで聞くより、近くで直接聞いておいで」


リナちゃんとソレイアちゃんは一瞬だけ俺の顔を見たものの、

すぐに嬉しそうに頷いた。

そして、一緒に部屋を飛び出していった。

楽しそうな足音が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。


ここにいても、『軍神』様の音楽は聞こえる。


俺には、それで十分だ。



しばらくそのまま、窓辺で音楽を聞いていると、アンリ先生が部屋へ入ってきた。


「行くぞ」


詳しい説明もないまま、アンリ先生は俺を車椅子へ乗せ、

そのまま部屋の外へ押し出した。


「どこへ行くんですか?」


尋ねても、アンリ先生は意味ありげに笑うだけだった。

長い廊下を進み、昇降装置を使って上へ向かう。

連れてこられたのは、新しく作られたヘイムの屋上だった。


夜風が頬を撫でる。


開けた屋上には、先ほど部屋を出ていったちみっこ達の姿があった。

飲兵衛親方達。

エマさん。

メイドさん達。

そのほかにも、ヘイムで働く者のうち、少しだけ手が空いた者達が集まっていた。


屋上にはいくつかのテーブルが持ち込まれ、軽食や飲み物が並べられている。

みんな思い思いに料理を摘まみ、話をしながら空を見上げていた。


やがて――。

大きな音と共に、花火が夜空へ打ち上がった。

漆黒の空に、色とりどりの光の花が次々と咲く。


赤。

青。

緑。

金。


一つの光が消える前に、また新しい光が空へ広がっていく。


とても綺麗だった。


こうして花火を見るなんて、何年ぶりだろう。

前の世界で、小学生の頃に見たのが最後だったような気がする。

俺は車椅子に座ったまま、まるで子供のように夜空へ見入っていた。


後から聞いた話では、花火職人が打ち上げる普通の花火と、

魔術師達が魔術で空に描く魔術花火の二種類があったらしい。

普通の花火は、腹に響く音と共に大輪の花を咲かせる。

一方、魔術花火は、空を泳ぐ竜や鳥。

帝国の紋章。

実った麦の穂など、複雑な形を夜空へ描き出していた。

どちらも迫力があり、甲乙つけがたいほど凄かった。


祭りへ出かけることはできなかったけれど。

みんなと一緒に見上げたこの花火だけで、

十分に収穫祭へ参加できた気がした。



二日目。


俺は部屋で、世界樹を通して帝都を眺めていた。


昨日に引き続き、街全体から祭りの熱気が伝わってくる。

大通りを歩く人の数は、昨日よりさらに増えているように見えた。

露店の周りには人だかりができ、広場では様々な催しが行われている。

ふと思い立ち、俺は世界樹の視線を帝都の外へ向けてみた。

城壁の外には、雄大な自然が広がっている。


連なる山々。

陽光を反射して輝く川。

地平線まで続く大草原。

目を凝らすと、遠くに以前泊まった宿泊地らしき場所も見えた。


グスタンさんと初めて出会った場所だ。


懐かしい。


あれから、まだ一年も経っていない。

それなのに、もう随分と昔のことのように感じる。

この一年にも満たない間に、本当に色々なことが起こりすぎた。


さらに視線を巡らせる。


帝都からは、東西南北へ向かって大きな交易路が伸びていた。

どの道にも、数え切れないほどの人や荷物が行き交っている。


西には大きな川が流れ、多数の船が人や荷物を載せて進んでいた。

あの川は、カスパール侯爵家が管理する港までつながっているそうだ。


南へ視線を向けると、大きな駅が見えた。

あれか。

前西園寺公爵が話していたモノレールというのは。


駅から伸びた線路は、そのまま地平線の先まで続いている。

ちょうど列車が走り出した。

確かに、凄まじい速さだ。

あれほどの速度で動く物を扱うには、

乗員にも特殊な訓練が必要だと聞いていたが、納得できる。

あれ、どうやって減速しているんだろう。

前西園寺公爵が、重力魔術がどうのこうのと言っていた気がする。

世界一のジェットコースターでも、あれには敵わないだろうな。


北と東の交易路にも、大型の荷馬車や魔動車が絶え間なく走っている。


さすがは、大陸で一、二を争う巨大都市だ。

帝国の首都というだけのことはある。

まだまだ見足りない。

見れば見るほど、新しい景色が目に入ってくる。


そんなふうに帝都の外を眺めて楽しんでいると、キューブが部屋へ入ってきた。

壁際に置かれた時計へ目を向ける。


そうか。

もう、そんな時間か。


俺は世界樹との視界共有を解き、ゆっくりと身体を起こした。

まだ傷が痛む身体で、どうにか立ち上がる。

キューブに支えてもらいながら、用意されていた服へ着替えた。

派手すぎない。

それでも、祝事に出席する者として恥ずかしくない、上質な礼服だ。


今日は、ブルボン公爵令嬢ローズ様と、オスカー様の婚約発表へ出席する。


この世界では、婚約発表式と結婚式が、それぞれ別に行われる。

婚約発表式では、婚約する両家と親しい身内が集まり、

役所へ提出する書類へ署名する。

そして神々へ婚約を誓い、周囲へ正式に公表する。

俺の感覚では、事実上の結婚式に近い。


その後。

当人達の年齢。

両家の政治的なつながり。

周囲の情勢などを見ながら、改めて他家の者達も招き、

盛大に祝うのが、この世界における結婚式だそうだ。


今回、二人の年齢には問題がない。

政治的な問題についても、オスカー様がミョルニル公爵家へ

養子に入ったことで解決した。


ブルボン公爵家は、北部諸侯の筆頭。

ミョルニル公爵家は、東部諸侯の筆頭であり、元王家。

代々、帝国宰相を輩出している名門でもある。

これまで緊張関係にあった北と東の筆頭公爵家が婚姻を結ぶことで、

帝国内の混乱も落ち着くと見られているらしい。


粛清対象になる可能性があったいくつかの家も、

今では大人しく帝国政府へ従っているそうだ。


もっとも。

正確には、ヘイムへ『大地母神』様がご降臨なされ、

ローズ様とオスカー様の身分違いの恋をお認めになった影響が大きいらしい。


北部地域には、農耕を重んじる貴族が多い。

貴族当主自ら農地を耕し、大地と共に生きることを誇りとしているため、

『大地母神』様の威信は絶大なのだそうだ。


その女神様のご降臨へ立ち会わせ。

二人の婚約を認めていただき。

さらに内戦による粛清を止めた。

そんなアンリ先生に、北部諸侯は感謝し、協力してくれていると聞いた。

やっぱり凄いな。

アンリ先生は。



俺のような庶民が、こういう貴族の集まりへ出席する場合。

本来なら、身分や爵位の低い者から順番に会場へ入り、

爵位の高い者を待つらしい。


けれど今回は、俺の身体の状態と、なるべく目立たないようにという配慮から、

式の途中で気づかれないよう、静かに会場へ入ることになった。

キューブに車椅子を押してもらい、二階の喫茶スペースを改装した広間へ入る。


中へ入った時、ちょうどローズ様とオスカー様が腕を組み、

ブラスさんの待つ場所へ向かって歩いているところだった。


お二人とも、本当に幸せそうだ。


ローズ様とオスカー様は、以前からよくヘイムへ穀物を届け、

庭園の神殿へ参拝に来ていた。

俺やヘイムの従業員。

それに、店の客達へも気さくに接してくれた。

俺とも何度も話をしている。

二人とも、とても好感の持てる人達だ。


二人は幼い頃からの幼馴染で、ずっと仲が良かったらしい。

けれど、片方は公爵令嬢。

もう片方は、騎士階級の青年。

本来なら、結ばれることなど考えられない身分差だったそうだ。

それでも、何とか二人を一緒にできないかと、ブルボン公爵は考えていたらしい。


そこへ帝国政府から、当時の皇太子との婚約話が持ちかけられた。


帝国が建国されてから、ようやく百年。

そう聞くと、随分昔の出来事に思える。

けれど、この世界には長寿の種族が多い。

そうした者達にとっては、帝国建国など、つい先日のことのような感覚らしい。


帝国へ併呑された北部地域との婚姻。

帝国全土を支える重要な穀物地帯との融和。

帝国は、全国民を養うことのできる食糧庫を得る。

北部諸侯は、次期皇帝の皇妃という立場を得る。

どちらにとっても、断れる話ではなかった。


ローズ様も。

オスカー様も。


貴族としての教育を受けており、その婚約が持つ意味を理解していた。

だからこそ、二人は自分達の気持ちを殺し、その決定を受け入れたそうだ。

しかし、そこで起こったのが――。


ギャルゲーだ。


転生者であるヒロインが帝国学園へ入学し、周囲を引っかき回した。

そこから婚約破棄が起こり。

最後には、アンリ先生による“ざまぁ”騒動へ発展したらしい。

本当に、何でもありだな。

この世界は。


婚約破棄の後、ローズ様の無実は証明された。

けれど、一度広まった醜聞は簡単には消えず、

その後も酷い状況が続いていたという。

今回、女神様の仲介によって新しい婚約が正式に結ばれれば、

そうした悪評を完全に覆すことができるだろう。


その辺りの事情を詳しく教えてくれたのが――。


いつの間にか俺の隣に立っていた、現帝国宰相である、前ミョルニル公爵。

つまり、トール夫人の旦那様だった。


いや。

いいのか。

こんなところにいて。


ここ、広間の隅だぞ。

周囲から見えにくい、目立たない場所だぞ。

帝国宰相で、前公爵ともなれば、かなり偉い人だよな。

もっと前の方にいなければいけないんじゃないのか。

オスカー様も、義理とはいえ孫になるんだろう。

俺が戸惑っていると、宰相様はにこやかな笑顔を浮かべた。


「公爵位は、すでに息子へ譲っております」


穏やかな口調で、壇上の近くへ視線を向ける。


「現在の公爵夫妻は、オスカーの親として最前列におります。

 ですから問題ありません」


そういうものなのか。


「私は帝国政府の立会人として来ているだけですので」


そう言いながら、宰相様は俺の方へ身体を寄せた。


「それよりも、ぜひとも“魔法伯”とは、よしみを結びたいと思っておりまして」


その瞬間。

隣にいたトール夫人が、宰相様の腕を強くつねった。

宰相様の笑顔が、一瞬だけ引きつる。


魔法伯って誰だ?


俺が首を傾げていると、後ろに立っていたキューブが小声で教えてくれた。


「マスターのことですよ」

「俺?」


思わず聞き返す。


「魔法使いは、どの国でも“魔法伯”として、辺境伯と同等の待遇を受けます」


へっ。

辺境伯って、普通の伯爵よりも上で、侯爵とほぼ同等の扱いを受ける貴族だよね。


俺が、その魔法伯なの?


驚いて宰相様を見ると、宰相様は楽しそうに目を細めた。

あっ。

駄目だ。

この人。

一見、友好的に笑っているけれど。

目が完全に獲物を狙う捕食者だ。

俺が身を引くより先に、トール夫人が宰相様の腕を掴み、

自分の方へ引き寄せてくれた。


ありがとう。

トール夫人。


そんなやり取りをしていると、広間へブラスさんの声が響いた。


「今、ここに若き二人の婚約が成ったことを宣言する」


広間の空気が、ぴんと張り詰める。


「異議のある者は、今この場で申し出よ」


ブラスさんは集まった者達をゆっくりと見回した。


「異議がなければ、以後、その口を閉じよ」


おお。

格好いいよ、ブラスさん。

さすが、人気ナンバーワンの神官様だ。

俺は宰相様の捕食者じみた視線から逃げるように、

ブラスさんと婚約する二人へ顔を向けた。


そして――。

あのお方が現れた。


驚き。

安堵。

そして、女神様直々の祝福。


祝福の言葉を受けたローズ様とオスカー様は、本当に幸せそうに笑っている。


ローズ様。

オスカー様。

どうか、末永くお幸せに。


広間が、一気に騒がしくなってきた。

酒瓶の栓が、次々と抜かれていく。

歓声が上がり、誰かが杯を掲げた。

俺も二人へ直接お祝いの言葉を伝えたかった。

けれど、アンリ先生達から、今はなるべく目立たないようにと言われている。


後で二人揃って居住スペースへ来てくれるらしい。

なら、今はこの場から下がった方がいいだろう。


キューブも俺の考えを察してくれたのか、

トール夫人と宰相様へ丁寧に挨拶した後、

俺の車椅子を押して広間を出た。


婚約を祝う宴は、女神様だけでなく

『軍神』様まで加わり、夜遅くまで続いたらしい。



二日目の夜。


俺は昨日とは少し違う顔触れのヘイムの仲間達と一緒に、

屋上で再び花火を見上げていた。


遠くからは、まだ婚約発表会場の賑やかな声が聞こえてくる。

そこを抜け出してきたのだろう。


ローズ様とオスカー様。

ブルボン公爵夫妻。

そしてミョルニル公爵夫妻が、屋上まで来てくれた。


俺を含め、屋上に集まっていた皆で、二人へ祝辞を述べた。


ローズ様は少し照れたように笑い、オスカー様は何度も深く頭を下げていた。


やがて、ブルボン公爵から一つの提案があった。


収穫祭の期間中、地方貴族達は帝都へ集まり、

宴や催しへ参加しながら政治的な交渉を行う。

そして収穫祭が終われば、それぞれの領地へ戻り、

自領でも収穫を祝う祭りを行う。

そのまま年末年始を領地で過ごし。

新年を祝う“銀星祭”を終えた後、再び帝都へ集まる。

そこから、本格的な社交シーズンが始まるそうだ。


ローズ様とオスカー様の結婚式も、ブルボン公爵領で執り行われる予定らしい。

そして、その結婚式を終えた後。


二人は帝都へ戻り、ヘイムで働かせてほしいという。


ブルボン公爵家は長男夫婦が継ぐため、

ローズ様達の身の振り方は、比較的自由らしい。


本来なら、ローズ様は公爵家の農地を管理し。

オスカー様は、騎士としての仕事を続ける予定だった。

けれど、どうせ農業へ携わるのであれば、

現在グスタンさんが中心となって計画しているヘイムの農地で働きたいという。

『大地母神』様が何度もご降臨なされるこの地で、大地を耕し、共に生きたい。

今まで通り、ヘイムへ農作物を届けたい。


それが二人の希望らしい。


さらにローズ様は、帝国学園時代、学年首席だった。

実質的に生徒会の運営も担っていたため、

書類仕事や組織の管理にも慣れているという。


「少しでも、アンリ義姉様のお力になりたいのです」


ローズ様は、穏やかではあるが、はっきりとした口調でそう言った。

俺は二人のことを知っている。

人柄も悪くない。

むしろ、一緒に働いてくれるなら心強い。

アンリ先生さえ問題ないと言うのであれば、俺としても断る理由はなかった。


ただ。

公爵家同士の婚姻を結んだ二人が、食堂で働くとなると。

政治的に何か問題が起きないのだろうか。


俺が不安を口にすると、

その辺りはブルボン公爵家とミョルニル公爵家の双方で調整するという。

むしろ、両家にとっても利益が大きいらしい。

俺がよく分からずにいると、キューブがそっと耳打ちしてきた。


「両家の者が魔法伯のもとにおり、協力関係にあるという事実は、

 双方にとって非常に大きな利点となります」


なるほど。

魔法伯。


つまり魔法使いの近くに、自分達の身内がいる。

それだけで、政治的に大きな優位性を得られるらしい。

そういうものなのか。

いまいち、俺自身が“魔法使い”の凄さを理解できていないから困る。


キューブによれば、こちら側に大きな不利益はない。

それどころか、よく知っていて有能な人達がヘイムで働いてくれる。

人手不足が深刻な今、とても助かる話だという。

ならば、俺から拒む理由はない。


「それじゃあ、後でアンリ先生も交えて、もう一度きちんと話しましょう」


俺がそう答えると、ローズ様とオスカー様は嬉しそうに頷いた。


収穫祭が終わった後。

二人が領地へ戻る前に、正式な会談の席を設けることになった。

難しい話は、ここまでだ。


夜空には、次々と美しい花火が上がっている。

光の花に照らされながら、屋上でも二人を祝う宴が続いた。



三日目。


収穫祭、最終日だ。


本来であれば、毎年の収穫祭に合わせて、武道大会と大舞踏会が開催される。

武道大会は、収穫祭が始まる前から予選が行われ。

初日から本戦が始まり。

最終日に決勝戦が行われる予定だった。


しかし今年は、内乱騒ぎに加え、東方国境での紛争が発生した。

その影響で予選を行うことができなかった。

さらに、魔王騒動によって第六騎士団が大きな被害を受け、

未だに立て直せていない。

その穴を埋めるため、他の騎士団から応援を出す必要があり、

各騎士団から大会へ参加する余裕もなかった。

そのため、今年の武道大会は中止となったそうだ。


代わりに、騎士養成学校の生徒達。

未来の騎士候補による大会が、急遽開催された。

急な変更だったにもかかわらず、かなり盛り上がったらしい。


俺も世界樹を通して眺めてみた。


けれど、まだ視界を細かく拡大できないため、

人が動き回っていることしか分からなかった。



そして、大舞踏会。


こちらには、一般の部。

貴族の部。

プロの部。

ほかにも、様々な部門があるらしい。

それぞれの優勝者や優勝チームには、収穫祭を締めくくる晩餐会で、

皇帝陛下や皇后陛下の前にて踊る名誉が与えられるそうだ。


もっとも、大舞踏会に関係なく、祭りの初日から街中では踊りが始まっていた。

酒が入れば、帝宮だけでなく、

帝都のあらゆる場所で市民達が音楽に合わせて踊り出すらしい。

ヘイムでも、『軍神』様の奏でる音楽に合わせ、皆が楽しそうに踊っていた。



そのヘイムなのだが。

朝から、とんでもない賑わいを見せている。

なぜなら、朝から来ているのだ。

色々と。


まず二柱の神々。

プリンツ・アレクと、その婚約者である二人の令嬢。


さらに、東西南北の公爵家や侯爵家。


その派閥に属する貴族や商人達。


そして、いつもの常連客。


常連客が来てくれるのはありがたい。

けれど、そこへ大物達まで堂々と大勢押しかけてくると、

普通の客が萎縮してしまうのではないかと心配になる。

とはいえ。

貴族や大商人達は、それなりに金を落としてくれる。

ヘイムを運営していくにも、当然ながら金は必要だ。


悩ましいところだ。


一階と二階で客層を分けているため、大きな問題は起きていないのかもしれない。

それでも、二階の喫茶スペースが貴族達だけで埋まるのは困る。

しかも二柱は、子供達が近くにいなくなると、

すぐ一階へ降り、一般客の宴会へ混ざってしまう。


やれやれ。

どうしたものか。


貴族や商人達は、収穫祭初日から様々な行事へ参加している。

今日も午後から帝宮での晩餐会へ出席しなければならない。

自由に動けるのは、今日の午前中くらいしかないらしい。

そのため、こうして朝からヘイムへ集まっているそうだ。


それにしても。

ハンスさん達は、大丈夫だろうか。

俺がいない今、厨房で料理を作っているのは四人か。

ちゃんと回っているのかな。

俺が復帰しても、五人だけでこの客数を捌けるのだろうか。

アンリ先生やベルンさんも言っていた。


本当に、どこもかしこも人手不足だ。

一度、ヘイムの今後について、本格的に会議を開いた方がいいかもしれない。


今は、雪原のフェンに住む一族のための家を建ててくれている常連の若者達。

そして、雪原のフェンに住む一族の人達まで、接客を手伝ってくれている。


ありがたいことだ。


この人達へ支払う給与についても、きちんと考えなければならない。

実際に数字を計算するのは、マルタさんやエルミナさんになるだろうけど。

そのためにも、貴族の皆様には、たくさん金を落としてもらわないとな。


俺は、そんなヘイムの様子を三階席から眺めていた。


偶には、店が動いている姿を見たかったのだ。

最初は、カウンター席しかなかった。

それが今では、こんなに大きくなっている。

客席が増え。

働く仲間が増え。

様々な身分や種族の客達が、同じ場所で料理を食べている。

色々と大変なことはあるけれど。


俺は、この雰囲気が好きなのだ。


いつもは厨房の中にいるため、客席の様子をゆっくり見ることなどできなかった。

俺やハンスさん達が作った飯を食べ。

客達が笑い。

喜んでくれる。

俺は、そんな光景が好きだったのだと。


こうして怪我で厨房を離れて、ようやく気づいた。


早く怪我を治して。

ここへ戻りたい。

もう一度、厨房に立ちたい。

そんなことを考えながら、しばらく店内を眺めていた。



やがて昼頃になった。

二階にいた貴族達も、そろそろ各自の屋敷へ戻り、

帝宮へ向かおうかという雰囲気になってきた。

その時だった。


「お前みたいな汚れた奴に運ばれた物が、食えるかよ!」


突然、店内へ激しい怒声が響いた。

何事かと、俺は声のした方へ視線を向けた。

身なりの良い一人の男が、運ばれてきた料理を床へ叩き落としていた。


酒に酔っているのか。

それとも素面なのか。

遠目からでは分からない。


ただ、男の顔は真っ赤に染まり、興奮した様子で怒鳴り続けている。

その男の前に立っていたのは、ヘイムの仕事を手伝ってくれている、

雪原のフェンに住む一族の男性だった。

彼は額の紋章を隠さず、堂々と働いてくれている。


その紋章は、本人の罪によって刻まれたものではない。

それどころか。

彼らは魔王討伐へ参加した英雄達だ。

何を恥じる必要がある。

皆も事情を理解している。

今さら紋章を気にする者など、いないと思っていた。

それなのに、その男は好き勝手なことを言い続けた。


「その紋章を堂々と晒すな」

「魔王を倒したという話も、どうせ出まかせだろう」

「ダークの称号持ちなどという、汚れた存在と同じ空気を吸いたくない」


よくもまあ、次から次へと。

先ほどまで賑わっていた店内が、嘘のように静まり返っていた。

男の怒声だけが、広い店内へ響いている。


雪原のフェンに住む一族の男性は、

怒りを堪えながら冷静に対応しようとしていた。


「お客様。どうか落ち着いてください」


しかし男は、聞く耳を持たない。

さらに声を荒らげ、相手を指差して罵り続ける。


この場を収めようと、ベルンさんやハルヴィンダちゃん。

そのほかにも、何人かが動き出すのが見えた。


だが。

俺の方が、早かった。


頭へ血が上っていくのが、自分でも分かった。

胸の奥から、熱いものが一気に噴き上がる。


気づいた時には、世界樹の枝が俺の手の中へ現れていた。


俺は無意識のまま、その枝を振るう。

床へ落ちていた料理が、ふわりと宙へ浮かび上がった。

次の瞬間。

料理は罵声を上げていた男の口へ、容赦なく飛び込んだ。

男の言葉が、強制的に塞がれる。


〖黙れ〗


自分の声なのに、自分の声ではないように聞こえた。

低く。

重く。

言葉そのものに、魔力が込められている。


全身へ、急激に力が巡った。

気づけば俺は、車椅子から立ち上がっていた。


後から聞いた話だが。

この時の俺は、古めかしくも威厳のある、

“八葉の紋章”が刻まれたローブを身に纏っていたらしい。

そして、ヘイムの吹き抜けの空間へ浮かび上がっていたという。

自分では、そんな姿になっていることなど全く分からなかった。


ただ。

目の前の男が、許せなかった。


〖ここは、俺の店だ〗


俺の言葉が、静まり返った店内へ響く。


〖ここへ来て食事を楽しむ者も〗

〖ここで働く者も〗

〖皆、俺にとって大切な客であり、仲間だ〗


俺は、男を真っ直ぐに睨みつけた。


〖ここに、いかなる身分の差も持ち込ませない〗

〖ましてや、本人に何の咎もないことで責められるなど、絶対に許さない〗


男の顔から、先ほどまでの怒気が消えていた。

今はただ、怯えたように俺を見上げている。


〖文句があるなら、ここへ来るな〗

〖それで、この店が潰れようと、一向に構わん〗

〖俺の客に〗

〖俺の仲間に〗

〖二度と、言いがかりをつけるな〗


世界樹の枝を振るう。


男の身体が、荷物と共に宙へ浮かび上がった。

男が何か叫ぼうとしているが、

口へ放り込まれた料理のせいで、まともな言葉になっていない。

俺は、そのまま男を店の外へ放り出した。


その時。

なぜだか、分かった。

店内にいる者の中に、あの男と同じような考えを持つ者がいる。

同じ匂いがする。

俺は、ゆっくりと視線を巡らせた。

そして、数人の客を睨みつける。


〖お前達もだ〗


世界樹の枝を、その者達へ向けた。

名指しされた者達は顔色を変え、椅子から立ち上がった。

慌てて荷物を抱え、逃げるようにヘイムを出ていく。


俺は、そのまま店の外へ出た。


そして、追い出した者達の姿が見えなくなるまで、黙って睨み続けた。

よし。

マーキングした。

次にヘイムへ近づけば、すぐに分かる。

恐らく、帝都のどこへ逃げようと。

いや。

もっと遠くへ逃げても、俺には存在を探し当てられる。


それを確認し、店へ戻ろうと振り返る。

そこで、飲兵衛親方達が作ってくれた、ヘイムの看板が目に入った。

大きな板に刻まれた店名。


――Heim。


俺は、その文字をしばらく見つめた。

そして少し考えた後、世界樹の枝を振るった。

淡い光が看板の表面を走る。

店名の前へ、新たな文字が刻まれていく。


――Dark í Heim。


この店には、ダークの一族がいるぞ。

文句があるなら、来るな。


それは、俺からの布告だった。


誰にも文句は言わせない。

俺の家族へ手を出した者は、必ず後悔させる。

俺は一人で力強く頷き、店の中へ戻った。


店内は、静まり返っていた。

客も。

従業員も。

二階にいる貴族達も。

誰もが、俺を見つめている。

無数の視線が、身体へ突き刺さった。


……まずい。


頭へ上っていた血が、急速に引いていく。

冷静になるにつれ、自分が今しがた何をしたのか、少しずつ理解してしまった。


めちゃくちゃ恥ずかしい。

俺は誰とも目を合わせず、無言のままヘイムの奥へ歩いていった。

浮遊していたことにも気づかず、何事もなかったかのように奥へ消える。


そして、人目につかない場所まで来たところで。

俺は、その場へ膝をついた。

両手を床へ置き、うなだれる。


「うわああああああ……!」


何だ、今の俺。

厨二病全開じゃないか。


何なんだよ、あのローブ。

あの声。

宙に浮かんで。

枝を振りながら。

店の看板にまで文字を追加して。


恥ずかしい。

恥ずかしすぎて死にそうだ。


みんな見てたよね。

絶対に見てたよね。

あいつらを追い出したこと自体は、全く後悔していない。

あの言葉も、取り消すつもりはない。


だけど。

もう少し、他にやりようがあっただろう。

普通に注意するとか。

ベルンさん達に任せるとか。

せめて、宙に浮かばないとか。


俺は床を転がり、恥ずかしさに悶え続けた。


そして――。


その姿まで、さらに多くの者達に目撃され。

泣きながら自室へ駆け込むことになるのは。

もう少しだけ、後のことだった。


師匠のニューワールド講座 86

~武道大会と大舞踏会編~


師匠

『なんです。』

武道大会と大舞踏会の事を教えて下さい。


『そうですね。

本編でも少し触れましたが、

どちらも収穫祭で行われる大きな催しです。』


『まずは武道大会。

その名の通り、

帝国全土や他国から、

武芸者、

騎士、

衛兵、

学生など、

様々な者が参加し、

武芸を競い合う大会です。』

『帝都で行われる収穫祭の本戦に向け、

およそ一年をかけて、

各部門ごとに地方予選が行われます。』

『純粋に己の強さを試したい者。

名声を得たい者。

ここで活躍すれば、

貴族や帝国政府の目に留まり、

召し抱えられる可能性もあります。

そのため、多くの者が夢を抱いて参加するのです。』

『地方によっては、

この予選そのものを祭りの目玉にしたり、

町おこしの一環として利用している所もありますよ。』


戦うだけじゃないんですか。


『ええ。

剣術や槍術だけではありません。』

『弓術の的当てや、

馬術、

競馬など、

武芸に関わる様々な競技が行われています。』

『ただ戦うだけではないのですよ。』


『もっとも、

当然ながら公式の賭けの対象にもなっています。』

『ヴァルナさん。

賭けるなら、

モグリではなく公式の賭場にしてくださいね。』

『裏賭博は面倒事に巻き込まれますし、

最悪の場合はお縄になりますから。』


気を付けます。


『続いて大舞踏会です。』

『こちらは、

大きく分けて三つの部門があります。』


『第一は一般部門。』

『踊る事が好きな人達が自由に参加する部門です。

中には、

プロ顔負けの腕前を披露する人もいますよ。』


『第二はプロ部門。』

『こちらは評価がそのまま仕事へ繋がります。』

『舞台への出演依頼。

貴族家での舞踏教師。

劇団や楽団からのスカウト。

皆、自分の人生を懸けて踊っています。』

『さすがプロと言うべきでしょう。

どの演技も素晴らしいものですよ。』


『そして第三が貴族部門です。』

『一言で言えば、

婚活と就活ですね。』


就活?


『ええ。

まだ婚約者のいない若い貴族達が、

自分をアピールするために踊ります。』

『本戦へ出場し、

さらに優勝して皇帝陛下や皇后陛下の御前で踊る事は、

貴族にとって大変名誉な事です。』

『三男四男など、

本来なら平民となる予定だった者が、

優秀な成績を収めた結果、

一代限りの爵位を与えられたり、

家名を継ぐ事を許された例もあります。』

『だから皆、

必死なのですよ。』


踊った相手と恋に落ちたりは?


『聞いた事はありませんね。』

『皆、

勝つために最適なパートナーを探していますから。』

『恋愛どころではありません。』

『時には、

敵対している家同士が組んで踊る事もあります。』

『あれはあれで、

見ていて面白いものですよ。』


『ヴァルナさん。

良かったですね。

もし貴族に生まれていたら、

大変でしたよ。』

『転生者は大抵、

ここで躓きます。

前世の価値観が邪魔をするんですね。』

『……もっとも。』

『ヴァルナさんは、

それ以前の問題ですが。』


え?


『どう見ても踊れそうにありません。』

『リズム感ありませんし。』

『この前の鼻歌なんて、

音程が外れ過ぎて、

精霊達まで笑っていましたよ。』


……誰も教えてくれなかった。




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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― 新着の感想 ―
他の魔法使いが引きこもっているのは案外厨二病が恥ずかしいからかもしれないw。
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