85 夢の続きを
長いまどろみの中にいるようだった。
生暖かい泥に浸かっているような、不思議な感覚。
なんだか気持ちいい。
程よい温もりに包まれ、朝の二度寝をしているような心地良さだった。
少し周りが騒がしい気もするが、それすら気にならない。
ああ、このまま眠っていたい。
邪魔をしないでくれ。
また採用試験に落ちた。
この眠っている間だけが、現実から逃げられる時間なんだ。
目を覚ませば、また仕事探しの日々が始まる。
終わりの見えない焦りと、不安と、鬱々とした気持ち。
もう、ほっといてくれ。
どうせ目覚ましが鳴れば、嫌でも起きなきゃいけないんだから。
それまでは眠らせてくれ。
それに俺には、自慢にもならない特技がある。
目覚ましが鳴るほんの少し前に目を覚まし、鳴る前に止めてしまう技だ。
学生の頃なんて、目覚まし代わりにタイマーをセットしたCDを流していた。
毎朝、音楽が流れる前――。
CDが回転し始める、あの「ウィーン」という小さな音だけで目を覚まし、
再生ボタンを止めていた。
友達には、
「お前、それもうCDプレイヤーが目覚ましじゃなくて、
回転音が目覚ましじゃん。」
なんて笑われたものだ。
でも俺は、一度たりともCDプレイヤーに負けたことはない。
今回も、その特技が炸裂するはずだ。
だから、ほっといてくれ。
もう現実は辛いんだ。
どれだけ頑張っても仕事が見つからない。
もう嫌なんだ。
その時、どこからか師匠の声が聞こえた気がした。
アンリ先生の声。
飲兵衛親方達の声。
そして、ヘイムのみんなの声。
……ああ、もう重症だ。
夢の中の住人達の声まで聞こえてくる。
現実逃避もここまで来ると、さすがにまずいな。
でも――。
あれは、本当に楽しい夢だった。
女神様からチートを貰って、新しい世界へ転生する。
絶対君主制の社会ではあったけれど、
過去の数え切れない転生者や転移者のお陰で、
生活は現代に負けないほど快適だった。
魔術があり、人との出会いがあり、毎日が楽しかった。
現実では上手く生きられない俺が。
なぜか、あの世界ではちゃんと生きていけた。
なんとも都合のいい夢だった。
……はあ。
夢の世界だけじゃなく、現実でもチートが欲しいよ。
そんなことを考えているうちに、少しずつ意識が浮かび上がってくる。
しまった。
目覚ましが鳴るまで寝ていたかったのに。
ゆっくりと目を開ける。
そして最初に飛び込んできたのは――。
飲兵衛親方達の顔だった。
「……なんで?」
思わずそう思った。
ここ、俺の部屋だろ。
なんで飲兵衛親方達が、こんな至近距離で俺を覗き込んでいるんだ。
しかも、夢の住人だ。
どうせ幻を見るなら、
綺麗なお姉さんの幻覚を見るのが健全な男子というものだろう。
そんな俺の心を知ってか知らずか、赤毛親方が満面の笑みを浮かべた。
「おお、ようやく目を覚ましたか。一月も眠りおって。」
……一月?
何を言ってるんだ。
人間がそんなに眠れるわけないだろ。
そう文句を言おうと口を開いた瞬間だった。
全身に激痛が走る。
まるで全身の筋肉という筋肉が、一斉にこむら返りを起こしたような痛み。
悲鳴を上げようとした。
だが、喉は干からびていて、声にならない。
息をするだけで喉が焼けるように痛かった。
「皆、心配しとったぞ。待っとれ。」
赤毛親方はそう言うと席を立ち、扉を勢いよく開ける。
そして廊下に向かって大声で叫んだ。
「店主が目を覚ましたぞーー!!」
やめてくれ。
頭に響く。
ただでさえ割れるように痛いのに。
何が起きているんだ。
どうしてこんなに身体が痛い。
それに――。
これは現実なのか?
嘘だろ。
昨日、不採用通知を受け取って、不貞寝したはずだ。
その直後。
ドタドタドタッ――!!
廊下を駆ける大勢の足音。
扉が勢いよく開く音。
誰かが次々と部屋へ飛び込んでくる。
でも、痛みで涙が滲み、目の前が霞んでいて誰なのか分からない。
「店長さん!」
「うわぁぁぁぁん!!」
次の瞬間。
誰かが勢いよく俺の上へ飛びついた。
一人。
……いや、二人。
さらに三人。
その重みが、今の俺には凶器だった。
全身に激痛が走る。
耐えられない。
沈みゆく意識の中で、俺はぼんやりと思った。
――不貞寝した後、事故か何かに遭って病院へ運ばれたのかな。
だから、こんな夢を見ているんだ。
……本当に。
最後まで、楽しい夢だった。
次に目を覚ました時、目の前にいたのはムラマサ親方だった。
またオッサンだ。
いや、別に飲兵衛親方達もムラマサ親方も嫌いな訳じゃない。
気さくに話せて、一緒にいると楽しい、良き先人達だ。
でもさぁ。
こう、あるじゃない。
重傷を負った男が長い眠りから目覚めたら、
心配そうに覗き込む綺麗なお姉さんがいるとか。
そういうお約束が。
俺が目を覚ましたことに気づいたムラマサ親方は、静かに笑った。
そして、枕元に置いてあった吸い飲みを手に取り、
少しずつ水を飲ませてくれる。
「痛み止め入りじゃ。少しずつ飲め。」
「急に沢山飲んでは、胃がびっくりするからのう。」
水が喉を通る。
乾ききっていた喉に染み渡るようだった。
まだ身体中が痛い。
けれど、薬のお陰か、痛みは少しずつ和らいでいく。
ようやく呼吸も落ち着き、改めて自分の身体を見てみる。
俺の全身は、包帯まみれだった。
腕も、胸も、腹も。
見える範囲だけでも隙間なく巻かれている。
所々、血だろうか。
包帯に赤黒い染みが浮かんでいた。
「今、取り替えてやるぞ。」
「常に清潔にしておかんとな。」
ムラマサ親方は、慣れた手つきとは言い難い動きで、
新しい包帯を用意し始める。
「いつもは、エマ達メイドやアンリシア姫が取り替えてくれるが、
皆、今は忙しくてな。」
えっ。
なんで俺、ミイラみたいになってるの。
それに、取り替えるって。
「皆でのう、交代で側にいて、包帯も取り替えておる。」
「じゃが、皆不器用でのう。」
「スミズルもトレースも職人の癖に、包帯は上手く巻けん。」
「できる者が、その都度替えとる。」
ムラマサ親方は苦笑いしながら、俺の腕に巻かれた包帯へ手を伸ばす。
「女神様のお陰で、ここまで治った。」
「後は店主自身の治癒力で治せとのことじゃ。」
「その方が、身体が綺麗に、強く治るそうじゃ。」
ねぇ、待って。
どう見ても全身なんですけど。
ねぇ。
もしかして、見られたの。
一月も寝てたってことは、トイレは。
いや。
知りたくない。
そんなことは知らなくていい。
俺は何も知らなかった。
そういうことにしよう。
でも、もうお婿に行けない。
……あれ。
いつもなら、ここで師匠の突っ込みが入るはずなのに。
師匠。
どこにいるの。
俺、どういう状況なの。
教えて。
助けて。
頭はまだ上手く動かない。
けれど、動く目だけで周囲を探す。
その視線に気づいたのか、ムラマサ親方が天井近くへ目を向けた。
「安心せい。」
「そこからは見えんが、御使い様は店主のベッドの上、
いつもの場所で眠っておられる。」
「女神様曰く、少し力を使い過ぎたそうじゃ。」
「じきに目を覚ますとのことじゃ。」
何。
力を使い過ぎたって。
何があったの。
俺が聞き返せないでいるうちに、ムラマサ親方は椅子へ座り直す。
そして、どこからともなく酒瓶とお猪口を取り出し、一杯あおった。
あのう。
多分、俺は重傷患者ですよね。
その横で酒はちょっと。
「ぷふぁ。」
「落ち着いたら、やはりこれに限るのう。」
ムラマサ親方は満足そうに息を吐いた。
「しかし、ここで皆を呼ぶと、また大騒ぎになりそうじゃしのう。」
「一週間前のようになっても困る。」
そう言って、俺を見ながら笑う。
「のう、店主。」
「リナ嬢ちゃんもソレイア嬢ちゃんも、悪気はなかったんじゃ。」
「許してやれ。」
どうやら、さっきの衝撃はちみっこ達だったらしい。
俺が目を覚ましたのが嬉しくて、そのまま飛び乗ってきたようだ。
悪気がないのは分かる。
分かるけど、今の俺に飛び乗るのは、ほとんどとどめだ。
「それに、皆、今は本当に忙しくてのう。」
ムラマサ親方は、さらに酒を一杯あおる。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「あれから、もう一月以上経っておる。」
「帝都は収穫祭目前で、大盛り上がりじゃ。」
一月以上。
本当にそんなに眠っていたのか。
「今年は女神様のお陰で、帝国中が大豊作でのう。」
「しかも先日、東方の国境で大陸連合国を打ち破った軍勢が凱旋した。」
「パレードは、それはもう熱狂的じゃったぞ。」
ムラマサ親方は、楽しそうに続ける。
「さらに収穫祭には、女神様が降臨されるとの噂もある。」
「帝国に、帝都に、初めての世界樹と魔法使いが現れた。」
「そして、アレク殿下のお披露目もある。」
「話題が多すぎて、収穫祭前だというのに、
帝都はもう人で溢れかえっておるわい。」
そう言って笑い出す。
「ヘイムは微妙じゃのう。」
「皆、興味はありそうなんじゃが。」
「わざわざ遠回りして見には来るが、中には入ってこん。」
「いつもの客ばかりじゃ。」
そうだ。
店はどうなったんだ。
それに、俺はどうしてこんなことになった。
アレク殿下のお披露目。
東方の国境でのいざこざ。
そこまでは思い出した。
でも、記憶が曖昧だ。
何が何だか分からない。
それに、世界樹とか魔法使いって何。
世界樹。
その言葉を聞き、存在を意識した瞬間。
胸の奥。
いや、身体のもっと深い所で、何かを感じた。
なんだ、これは。
不快な感覚ではない。
むしろ、心地良い。
遠くにいるはずなのに、すぐ側にあるような。
自分の一部のような、不思議な感覚。
俺が変な顔をしていたのだろう。
ムラマサ親方が不思議そうにこちらを見る。
「なんじゃ、その顔は。」
「店主が呼んだんじゃろう。」
呼んだ。
俺が。
「店主が、雪原のフェンに住む一族のために、住む場所をと願ったのだろう。」
そうだ。
ノートさんと揉めた。
そして、俺は癇癪を起こして。
あれ。
そこからの記憶が。
クリスタルの山にお願いして。
命令して。
違う。
不採用通知を受けて、不貞寝して。
どっちだ。
どっちの記憶が本当なんだ。
考えれば考えるほど、頭の中が混乱していく。
「店主のお陰で、広い自治区ができた。」
「今、トレースとスミズルが指揮を執りながら、
いつもの常連客の若者達や、
雪原のフェンに住む一族と共に家を建てておる。」
ムラマサ親方が俺の顔を覗き込む。
「問題あるかの。」
問題も何も。
その自治区って、何。
いつの間にそんな話になったの。
でも、問題なく住める場所があるなら、別に問題ないんじゃないか。
俺の表情を見て、ムラマサ親方は満足そうに何度も頷く。
「そうじゃろう、そうじゃろう。」
「皆、店主ならそう言うと思うてのう。」
「アンリシア姫様やトール夫人、ハーケン夫人が、
資材集めなどであちこち駆け回っておる。」
「ただでさえ魔王退治の英雄じゃというのに、
行く先々で歓迎されて大変じゃて。」
魔王退治。
また新しい事が出てきた。
魔王なんていたの。
何それ。
怖い。
「ブルボン公爵やカスパール侯爵、それに西園寺公爵も、
魔王退治に貢献できなかった詫び代わりだと、
沢山の物資を提供してくれてのう。」
「他の日和見貴族や商人達どころか、
敵対しておった者まで、ご機嫌伺いで仰山物を持ってきおる。」
ご機嫌伺いって何。
一体、誰の機嫌を取ろうとしているんだ。
怖いから、あまり詳しく聞きたくない。
「皆、大忙しじゃ。」
「エルミナもマルタ殿も、物資の管理でてんやわんや。」
「プリセスガードの嬢ちゃん達も、疎遠になっておった婚約者共や実家が、
よりを戻そうとヘイムにまで押しかけてきて大変じゃぞ。」
ムラマサ親方が、面白そうに笑いながら話しかけてくる。
「ワシの所ものう。」
「あの馬鹿息子が、家に帰ってきてくれと。」
「魔王退治の英雄を、我が家に迎えさせてくれと言ってきおった。」
「じゃから、蹴飛ばしてやったわい。」
ムラマサ親方は愉快そうに笑い、さらに酒をあおる。
「帝国学園の子供達も、毎日、魔王退治の話をしてくれとねだってくる。」
「その相手をするハル嬢ちゃんや、グラウハイム卿も大変じゃて。」
「ハンスや料理人達、冨樫の嬢ちゃんも、
店主が不在のキッチンを守ろうと必死じゃ。」
「店主の味を守ろうと、苦戦しながら頑張っておるぞ。」
ムラマサ親方は、誇らしそうに皆のことを教えてくれる。
俺が眠っている間、誰が何をしていたのか。
一人一人の活躍を。
いつものヘイムが、俺の知らない所でも動き続けていた。
それが嬉しいような。
少し寂しいような。
「それにのう、帝国の情勢も落ち着いた。」
ムラマサ親方は酒を置き、少し真面目な顔になる。
「第二皇子も第二皇女も失脚した。」
「次期皇帝は、アレク殿下で決まりじゃ。」
一気に決まったな。
「お陰で、西園寺公爵家令嬢とカスパール侯爵家令嬢の、
どちらが第一夫人か第二夫人かで揉め始めておるがのう。」
「今までの争いに比べれば、可愛いものじゃ。」
ムラマサ親方が窓の外を見る。
「東方の国境も、しばらくは落ち着くじゃろう。」
「アステリア帝国にも、遂に魔法使いが現れた。」
「魔法使いのおる国に攻めてくる馬鹿は、そうおらんからのう。」
「じゃから、帝国政府もこちらのご機嫌取りに必死じゃ。」
「何度、皇帝陛下や皇后陛下が、店主の見舞いに来ようとしたことか。」
ムラマサ親方が俺を見る。
何で俺を見るの。
さっきから出てくる魔法使いって誰。
それと、皇帝陛下や皇后陛下が俺の見舞いに来る話が、
どうして帝国政府のご機嫌取りにつながるの。
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
「まあ、アンリシア姫がここにおることで、良しとなっておるようじゃが。」
ムラマサ親方は顎を撫でながら笑う。
「それにのう。」
「先帝様が、カール大帝が正式に引退されたそうじゃ。」
ムラマサ親方の話によると、今までの帝国政府は、
現皇帝であるルートヴィヒ皇帝陛下と、
先帝であり建国の祖でもあるカール大帝との二頭政治だったらしい。
それも、徳川幕府で大御所となった徳川家康の方が、
現職の将軍よりも強い力を持っていたように。
実際には、カール大帝の意思の方が強く反映されていたようだ。
だが、今回の帝室の混乱の責任を取り、
完全に表舞台から引退することになったらしい。
「本当は、『太陽神』様の怒りを買って、天罰を喰らったからじゃ。」
ムラマサ親方が、いかにも内緒話といった調子で声を落とす。
なんでも、魔王退治の時に何かやらかしたらしい。
このことは秘密らしいが、証人が沢山いたため、
すでに尾ひれ背びれがついて、帝都中へ知れ渡っているとのことだった。
魔王退治の時の醜態。
そして、その後に受けた天罰。
それによって、力を全て剝奪されたらしい。
帝国政府も噂を明確には否定していない。
その代わり、魔王退治の英雄達を大々的に持ち上げ、
収穫祭で行われるイベントの数々を宣伝して、
話題を逸らそうとしているようだった。
「店主が回復して、キッチンに立てば、嫌でも話が入ってくるぞ。」
「楽しみにしとけ。」
「店の舞台では、もう吟遊詩人が魔王退治の話を唄っておる。」
ムラマサ親方は上機嫌で続ける。
「世界樹の誕生から、魔王復活。」
「そして魔王退治に、魔法使いの降臨。」
「劇団も、ぜひ伝説の場で演劇をさせてくれと、
エルミナ達に詰め寄っておるわ。」
絶対に嫌だ。
俺の店を勝手に劇場にしないで。
店の舞台ってなに。
いつの間にそんなの出来たの。
そんな俺の内心など知らず、ムラマサ親方は楽しそうに笑い続ける。
「ワシも少し考えておってな。」
「今度グスタン親方が来たら、相談しようと思っておるのじゃが。」
「店主よ。」
「畑を作っても良いかのう。」
畑。
急に現実的な話になった。
「あの広い土地に、ブドウ畑と水田を作ってのう。」
「側に酒造所を作り、オリジナルの酒でも造りたいんじゃ。」
「雪原のフェンに住む一族にも話したら、興味を持ってくれる者がおってのう。」
「ただ飯は気に入らんから、酒造りを手伝わせてくれとな。」
ムラマサ親方は、期待に満ちた目で俺を見る。
「どうじゃ。」
どうじゃと言われても。
あの広い土地って、どこよ。
俺の知らない間に、俺の周りで話だけがどんどん大きくなっている。
そこからも、ムラマサ親方の話は続いた。
一面に広がるブドウ畑。
黄金色に輝く水田。
その側に建つ酒造所。
茶の元になるチャノキや、アッサムの木も植えないかと、楽しそうに語る。
夢はどんどん膨らんでいく。
さらに、先ほどの帝国の話も続く。
先帝が引退し、皇帝陛下の一元政治になったお陰で、
これまでの矛盾や混乱は減りつつあるらしい。
英雄皇帝の時代から、現実路線の皇帝の時代へ。
二代目であるルートヴィヒ皇帝陛下自身も建国の英雄の一人であり、
表立って文句を言う者はいない。
これを機に、ハーケン夫人の父親でもある筆頭魔術師長が、
その座をハーケン夫人の子である現ガイアースブルク侯爵へ譲り渡したそうだ。
一見すると、筆頭魔術師長の地位を血のつながりで渡したようにも見える。
だが、新しい筆頭魔術師長は、元々次席魔術師長だったらしい。
腕も人格も問題ないとのことだ。
元筆頭魔術師長は、帝国学園の学園長の職に専念すると言っているらしい。
だが、本音は帝国学園の目と鼻の先に現れた世界樹へ興味津々で、
近くで研究したいだけだと、ハーケン夫人が愚痴っていたそうだ。
それ以外にも、ムラマサ親方は色々と話していた。
けれど、もう覚えていない。
痛み止めの影響だろうか。
また、強い眠気が襲ってきたからだ。
ムラマサ親方の声が、少しずつ遠くなっていく。
さて。
次に目を覚ました時。
俺は、どちらにいるのだろう。
この、素敵で楽しい世界か。
それとも。
不採用通知を受けて、不貞寝した世界か。
師匠のニューワールド講座 80
~胡蝶の夢編~
師匠
『なんです。』
俺、本編で変な事言ってますけど……。
これ、夢オチなんですか。
『どうでしょうか。
有名な胡蝶の夢に似ていますね。
夢を見ている自分が本当なのか。
夢の中の自分が本当なのか。
どちらが現実で、
どちらが夢なのか。』
『もしかすると、
大勢の転移者や転生者達も、
死の間際に、
都合の良い夢を見ているだけなのかもしれません。』
えっ……。
『考えてもみなさい。
現実世界で努力もしていない者が、
異世界へ行き、
例えチートを授かったとしても、
そんな簡単に上手くいくでしょうか。
成功するのは、
努力を重ねながらも運に恵まれなかった人。
あるいは、
元々努力を惜しまない人でしょう。
それ以外で上手くいっている者は、
本当に世界を壊しかねないほどのチートを授かり、
好き勝手に振る舞い、
運良く最後まで生き残ったか。
あるいは――
誰かの掌の上で踊っているだけでしょうね。』
なんか耳が痛いです……。
『ですが、
一つだけ覚えておきなさい。
輪廻転生が本当にあるのなら、
好き勝手をして得た幸運の代償は、
一体誰が支払うのでしょう。
来世かもしれません。
来々世かもしれません。
あるいは、
もっと大きな代償かもしれません。』
『努力すれば必ず報われる。
そんな綺麗事は言いません。
世の中は、
そんな都合良くできていませんから。
ずるをした者が得をする事もあります。
ですが、
必ず誰かが見ています。
その者が積み重ねた行いは、
良い事も、
悪い事も、
いつか必ず自分へ返ってきます。』
じゃあ……。
俺はどうなんでしょう。
『さて、
ヴァルナさんはどうでしょうね。
これは、
死の間際に見ている都合の良い夢なのか。
現実から逃げ続けた果てに見ている幻想なのか。
それとも、
本当に転移者として、
この世界で生きているのか。』
『ですが……
どれでも良いのではありませんか。
ヴァルナさんが、
最後に
「良い人生だった」
と胸を張って言えるのなら。』
『そんな人は、
きっと多くはありません。
だからこそ、
もし次に目を覚ました時、
まだヘイムにいるのなら。
その時、
どう生きたいのか。
ゆっくり考えて歩みなさい。』
『どの道を選んだとしても、
私は師匠として、
最後まで見届けますから。』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




