84 世界樹の雫
私は今、ヴァルナさんの身体の上で浮かび、
ライフサポートの術をかけ続けている。
回復ではなく、現状維持だ。
人として原型を留めているのが、不思議なほどのダメージだった。
身体中の血管や骨を始め、内臓も破裂している。
呼吸も、エマが持ってきた魔道具で何とかしているだけだ。
肺なんて、もう機能していないだろうに。
身体を回復しようにも、回復する速度よりも、
回復に耐えられず身体が壊れる方が早い。
もう意識もなく、痛みも感じていないだろう。
これは、もう死んでいる。
なんとかライフサポートの魔術で、私の奇跡で、
最後の灯を消えないようにしているだけ。
死んだ肉体から、魂が抜けないように留めているだけだ。
魔力の暴走。
オーバーロードだ。
人の身でありながら、莫大な魔力を、魔法を使った代償。
女神様の「健康な体」という加護がなければ、
それこそ跡形もなく弾け飛んでいただろう。
こんなことになるのなら、最初から話しておけばよかった。
沢山修行して、立派な魔法使いになれるように。
少しずつ心を、体を鍛えていこうと。
女神様から禁じられていたけれど、明かしてでも、
こんな無茶をさせないように言っておくべきだった。
私は、いつもそうだ。
守りたいものを守れない。
いつも後手後手に回ってしまう。
気づいた時には、手遅れなことばかりだ。
まだ人だった時、味方の裏切りに気づかなかった。
火の手が上がり始めて、初めて気づいた。
その後、必死に戦った。
あの町は、どうなったのだろう。
あの戦いで死んだ私には分からない。
天界に迎え入れられ、あの町は救われたと聞いたが、本当だろうか。
地上に降りることが許された後、立ち寄った町で、
私のことが壁画に描かれていた時は恥ずかしかった。
そんな偉業は成していない。
大勢の市民が犠牲になったはずだ。
その者達のことを思えば、称えられるようなことなどしていない。
今もそうだ。
魔王の分体が復活したのを感じる。
本当なら、私が戦わなければいけないのに。
世界より、ヴァルナさんを選んでしまった。
ヴァルナさんの魂をこの世に留めていられるのは私だけだと。
天界から今回の一件は手出し無用を厳命されていると言い訳して。
魔王の分体の影響でしょう。
世界樹の力が。
ヴァルナさんの生命力が弱っていく。
もう、持ちそうにありません。
私の力では、これが限界です。
それでも、私は力を込める。
ありったけの奇跡を使う。
そして、魔王の分体の気配が消えた。
ああ。
やってくれたのですね。
人の力だけで。
感謝します。
誇り高き人間達よ。
その後に現れた、巨大な力。
これは、ヴァルナさん。
でも、ヴァルナさんは目の前にいる。
今にも消えそうな魂と共に。
現れた力の正体を考える。
やがて一つの答えに辿り着くが、それはありえない。
神々は今回の一件、傍観を決め込んでいる。
女神様がご降臨したくても、天界と地上の出入り口は全て閉じられた。
それは、創造神といえども開けられない。
できるのは、この世界の実際の管理者たる主神。
『夜を司る女神』だけだ。
今回は、その主神自ら道を閉ざし、監視している。
私の存在と、地上を覗く泉以外、全てを。
主神よ。
貴方は人間に何をさせ、何を成し遂げさせようと言うのですか。
ヴァルナさんの生存を許さないのなら、なぜ私を遣わされたのですか。
夜風が流れてくる。
神殿の扉が開かれたのだろう。
アンリを始め、ヘイムの皆が入って来る。
皆、疲労困憊だ。
顔色も悪く、隣の者に支えられながら来る者もいる。
私は、皆を心配させないように、いつも通りの声で語りかける。
果たして、いつも通りの声が出ているだろうか。
『皆さん、ご苦労様でした。見えなくても感じていましたよ。』
『魔王退治、ご苦労様でした。』
『誇りなさい。もう神々の助けは必要ないのだと。』
『人の世の事は、人の手で。』
『これにまた、大きく近づきましたね。』
皆、複雑な顔をする。
そうでした。
まだ一部の人間しか知らないのでしたね。
天界への道が閉じられたことを。
大丈夫ですよ。
神々の力がなくても、世界樹がまだ七本あります。
この全てが何らかの理由で消える頃には、
地上の世界もある程度は修復されているでしょう。
今より厳しくとも、生きていけるくらいには。
皮肉にも、チーターが残した技術や知識が、貴方達を救うでしょう。
ですが、これ以上の転移者や転生者の召喚はやめなさい。
それを行うための神力は、もうそれほど地上に残されていません。
使えば使うほど神力は失われ、やがてこの世界から神秘は消えるでしょう。
剣と魔術と科学の世界ではなく、科学の世界になって。
神秘に頼った科学で、残り少ない資源を奪い合って滅びるか。
神秘に頼らない科学で生きていくか。
いずれ選択を迫られるでしょう。
信じていますよ。
魔王の分体を、人の知恵と力で倒した貴方達を。
私はそのままヴァルナさんに向き直り、奇跡を使い続ける。
私の力も、朝までか。
ヴァルナさん。
師匠の務めです。
短い間でしたが、楽しかったですよ。
師匠として、最後まで付き合います。
馬鹿弟子の不始末は、師匠の責任ですからね。
そんな私に、アンリを始め、皆が何があったのかを伝える。
そして、件の魔法使いに“世界樹の雫”を使えと言われたことも。
世界樹の雫ですか。
笑いがこみ上げてきます。
よりによって、世界樹の雫ですか。
世界樹の雫とは何か、アンリが聞いてくる。
私は力なく答える。
『世界樹の雫。そんな物ありませんよ。』
『天界にもありませんよ。そんな希少性が高い物。』
諦めか。
あまりの非現実性か。
唖然とする皆に、私は冷静に説明を始める。
世界樹の雫。
それは月夜の晩。
できれば満月に近ければ近いほど良いが、
とにかく夜のうちに月の魔力をたっぷり浴びた世界樹が、
夜明けの瞬間、世界樹の若葉を湿らす朝露。
日が昇る頃には消えてしまう。
その僅かな瞬間だけに現れる雫。
それが、世界樹の雫だと。
世界樹は世界を救うために。
そこに住む誰かを想い、救うために存在する。
その想いを若葉に乗せて、霧散する魔力を含んだ雫。
確かに世界樹は側にある。
私の奇跡も、ヴァルナさんの命も、夜明けまでは持つだろう。
だが、どうやってあんなに沢山ある葉の中から若葉を見つける。
見つけたとして、すぐに霧散してしまう物をどうやって、ヴァルナさんに使う。
霧散するまで、長くもっても精々十秒かそこらだ。
それに、見れば分かる。
世界樹の葉が、急激に枯れていっていることを。
私は、力なく答える。
なのに、私の言葉を聞いた皆が色めき立った。
「若葉じゃな。」
「皆、若葉を探せ。」
もうボロボロなのに、走り出す。
「灯りを。灯りを持ってこい。」
神殿を出て、世界樹の所へ行ったのであろう。
皆の声が聞こえる。
件の魔法使いの言葉を。
私の説明を信じ。
僅かな希望にすがり。
皆が必死で動いている。
ああ。
なんて、人間とは尊いのだろう。
平気で隣人を裏切り。
物を奪い、命を刈り取るのに。
その醜い人間が、
一人の人間を救うために、こんなにも一生懸命になれる。
その極端な二面性を持つ人間。
私は、どうすればいいのだろう。
奇跡とは、起こらないから奇跡なのだ。
神々が起こす奇跡も、あまりにも振るう力が巨大なため、そう見えるだけだ。
神々ですら、本当の奇跡は起こせない。
それから、どれくらい経ったのだろう。
ブラスが、
「失礼します。」
と声をかけ、ヴァルナさんを寝かせていたベッドごと運び出す。
私は黙って、ヴァルナさんの身体の上に浮かんだままついていく。
もう、呼吸の魔道具もしていない。
必要ない。
いや、無意味だからだ。
世界樹の雫が見つかり次第、
すぐにヴァルナさんへ使えるようにするためだろう。
世界樹の根元へと運ばれる。
見渡すと、ヘイムの皆が手に灯りを持って若葉を探している。
身の軽い者や魔術の使える者は、世界樹の上へ向かっている。
普段なら、世界樹に登るなどと怒る場面だ。
皆、探している。
徹夜して眠いだろうに、リナやソレイア、ちみっこ達も。
昨日会ったばかりの、雪原のフェンに住む一族も。
もう枯れて茶色になった葉をかき分けて、緑の葉を。
若葉を探している。
間もなく夜が明ける。
夜明け前の強い風が吹く。
世界樹が揺れ、葉が落ちる。
緑の葉などない。
ましてや若葉など。
それでも皆は探す。
だが、日が出てきた。
それを見た皆が集まってくる。
ヴァルナさんとの別れのためだ。
私も意識が遠くなる。
奇跡の使い過ぎだ。
長い眠りになるだろう。
せめて、ヴァルナさんの最期まで意識を保たなければ。
皆の泣き声が聞こえる。
昇り始めた朝日が、皆を、ヴァルナさんを照らす。
本当に私は無力だ。
ヴァルナさんだけではない。
ここにいる皆を。
皆の心も守れなかった。
そして見る。
アンリ。
ヴァルナさんの側で、手を握って泣いている。
ああ。
愛しき我が子孫よ。
私と同じで、アステリアの家にハイ・エルフとして生まれた娘よ。
そんな想いをさせたくなかった。
ハイ・エルフという重い宿命に生まれたそなたを、守ってやりたかった。
私のように、後悔の残る人生を歩んでほしくなかった。
その永い人生に、せめて同じ刻を生きる話し相手をと。
魔法使いを。
ヴァルナさんを紹介したかった。
ごめんなさい。
何もできない私をどうか――。
アンリの、アンリシアが流す涙が、太陽の光に反射して虹色に光る。
ああ。
そうか。
こういうことか。
私は、いつもの球体から人型になる。
普段はエネルギーの消費を抑えるために。
正体を隠すために、球体になっているが。
今からすることをするために、生前の姿へ戻る。
突如現れた私に、アンリが驚く。
「セレスティア様。」
やはり、この姿だと分かるか。
私は指でそっと、アンリの涙を掬う。
世界樹は世界を救うために。
そこに住む誰かを想い、救うために存在する。
その想いを若葉に乗せて、霧散する魔力を含んだ雫。
アンリ。
今を生きる最後のハイ・エルフ。
世界樹と共に生きる者。
世界樹の守護者。
世界樹の申し子。
別名、世界樹の若木。
そのそなたが、ヴァルナさんを想い、
月下の元、一晩中外でその身に月の魔力を浴びた。
そして今、夜明けと共に助けたいと願うその涙。
さあ、世界樹よ。
受け取れ。
世界樹の雫だ。
私はありったけの神力を込める。
自分の存在が消えてもいい。
世界樹に捧げる。
風よ、届けておくれ。
万物に宿る精霊よ。
どうか、ここにいる者の想いと共に。
輝く世界樹の雫。
それに共鳴するかのように、世界樹が虹色に光り輝く。
その光は天高く伸びる。
ああ、聞こえる。
天界への道が、扉が開く音が。
そして現れる。
『大地母神』様。
女神様はヴァルナさんの所で膝をつき、手を当てる。
『ごめんなさい。不甲斐なくて。』
女神様が泣いておられる。
違います。
不甲斐ないのは私です。
こんな簡単なことも分からなかった。
『God bless you』
女神様の声と共に、ヴァルナさんの身体と魂が光り輝く。
ああ。
ヴァルナさんの身体が、細胞から再生していく。
魔法使いとして耐えられる身体に。
光が消えたあと、相変わらず血まみれだが、胸が静かに動いている。
息をしている。
良かった。
助かった。
薄れる意識の中で、ヴァルナさんの無事を確認して安堵する。
『セレスティア、ご苦労様でした。今は眠りなさい。』
『あなたが目を覚ます頃には、この子も目を覚ますわ。』
そうですね。
少し休みます。
今回は疲れました。
本当に。
◇
すごい。
すごいやんか。
人間の力だけで、魔王の分体を封印して、天界への門まで開きおった。
やるやん、人間。
こりゃ本当に親離れの時期かぁ。
門が開いた途端に、大地のおかんは地上に行きおるし、
飲んだくれのガキはこれ幸いと国境の戦場に行きおった。
太陽はんも、さっそくあの老害に天罰食らわせてどっかに行った。
学問はんは、お気に入りを見つけたみたいや。
女王はんに、
『ねえ、あの子気に入ったよ。』
『称号も得てないのに、自力でブレイブハートを使うなんて。』
目を輝かせて、松平とかいう小僧を見ている。
『あの子、僕が見ていい。』
と、女王はんに、ねだっている。
『好きになさい。但し称号を与えてはいけませんよ。』
『はーーい。』
『なんか、気が合いそうなんだよね。』
そう言って、上機嫌で去っていく。
そやろうな。
趣味が似ている。
普段引きこもっているんやから、次の新刊早う書かんかい。
他の神々も去っていく。
邪神やトリックスターもや。
今回のことを何か利用できないか、早速考えていそうやな。
この場に残ったのは、わてと女王はんのみ。
わては女王はんを見る。
『何か。』
わての視線に気づいたのか、こちらを見てくる。
『いくつかな、疑問があるねん。』
女王はんは答えない。
まあいいわ。
勝手に喋らせてもらう。
『まず、太陽はんや。』
『太陽はんに、未来予知の権能なんかあらへん。』
『どうやって今回のことを知って、わてや学問はんに頼み事をしたんや。』
『どうして前もって、地上に神託を下したんや。』
女王はんは眉ひとつ動かさん。
『それに、あの治療薬や。』
『あれは、ヴァルナはんの治療薬やない。』
『魔王の分体が発した、負のオーラの治療薬や。』
『お陰で、負のオーラにやられたもんが助かってる。』
『これはいいねん。でも、あの治療薬のレシピ。』
『なんで、学問はんの神殿の書庫にあるねん。』
『あのレシピが書かれた書物。』
『何度も学問はんが、欲しいと女王はんにねだった物や。』
『誰が太陽はんに今回のことを教えて、書物を書庫に仕組んだんねん。』
女王はんを睨むが、ほんまにすました顔しおって。
何を考えているのか分からんわ。
『これが、最も大事や。』
『時渡の秘法。』
『わてらより上位の存在である邪神やトリックスターでも無理。』
『創造神ですら、そんな権能持ってないわ。』
わては礼儀もなしに、女王はんを指さす。
『未来視も時渡もできるのは唯一人。』
『中央から、実際にこの世界の管理調整を任されている、
女王はん。あんただけや。』
わての指摘に、女王はんが笑う。
『何を言うかと思えば。』
『あなたも見ていたでしょう。他の神々も。』
『ここにいて、何もしていなかった。見ていただけ。』
女王はんはため息をつく。
『くだらないことを言う暇があれば、仕事しなさい。』
『今回生まれた新しい魔族の対処や、
便乗した犯罪者など、沢山裁かなくてはいけないでしょう。』
そして背を向けて歩き出す。
数歩歩いた所で、女王はんが振り向いた。
『例え私が何かしたとして、それは今の私ではない。』
『もしかしたら、未来の私かもな。』
『私も忙しいのです。』
そう言って、今度こそ歩き出す。
その返答に、ため息をつく。
『やれやれ。結局、最初から最後まで、
女王はんの掌の上でみんな踊っておったんかい。』
わては苦笑いしか出てこなかった。
泉から見える世界樹。
青々とした緑の葉で全身を覆い、虹色の光を放っている。
その根元では、息を吹き返したヴァルナはんを囲んで、皆が喜んでいる。
まあ、良いか。
この光景に免じて黙っといてやるわ。
でも、ヴァルナはん。
これからが大変やで。
八人目の魔法使い。
その責は、とても重いでぇ。
精々、気張りや。
師匠のニューワールド講座 79
~時渡り秘法編~
師匠
『なんです。』
時渡り秘法とか、未来視ってできるのですか。
そんなのできたら無敵じゃないですか。
災害や失敗も先回りして回避できるし、
過去へ戻って歴史改変もできますよね。
『貴方は本当に馬鹿弟子ですねぇ。
そんな事をしたら、
皆が好き勝手に歴史をいじり始めて、
世界はめちゃくちゃになりますよ。
まあ、
神々がその気になれば、
平行世界への横の移動より、
時間という縦の移動の方が、
よほど簡単なんですけどね。』
えっ、できるんですか。
『できますよ。
だからこそ禁止されています。
確実に邪神やトリックスターが乱用しますからね。
そのため、
中央――
つまり、大元の大元である本社から、
全面禁止されています。
勝手に使えば、
即座に発覚。
その場で更迭です。』
厳しい……。
『本当に必要な時だけです。
その権能を預かる者が、
中央へ申請し、
許可が下りて初めて使用できます。』
なるほど。
でも、なんで創造神じゃなくて主神なんですか。
『現場で汗水流して、
世界の事を誰より知っている者と。
親の七光りで、
後方で引きこもっている者。
ヴァルナさんなら、
どちらに任せますか。』
……前者です。
『でしょう。
だいたい、
創造神に渡したら大変ですよ。
世界運営に失敗する度に、
「今期のノルマが!」
「中央の評価が!」
などと言って、
過去改変を乱発します。』
駄目じゃないですか。
『その点、
この世界の主神――
『夜を司る女神』は、
本当に優秀です。
邪神やトリックスターに振り回されても、
『軍神』の飲んだくれが失敗しても、
『太陽神』が暴走しても、
じっと耐えています。
伝家の宝刀である《時渡り秘法》で、
過去を書き換えたりはしません。』
そんなに我慢してるんだ。
『伝家の宝刀とは、
抜かないからこそ伝家の宝刀なのです。
抜きまくったら、
ただの恐怖の対象でしょう。
それに、
抜くなら相手に気付かれる前に、
一撃必殺。
そういう物です。』
なるほど。
『ですから、
邪神やトリックスターはもちろん、
アル中神、
暴走女神、
引きこもり神、
金儲け女神、
優しすぎる女神。
残念ながら、
あの方々には使わせられませんね。』
最後、ほぼ悪口なんだけど。
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




