70 救えない現実
睨み合う二人。
ハルヴィンダちゃんと謎の人物。
相手も深くフードを被り、その表情はまったく見えない。
先程の声からして女性だろうか。
レイピアを静かに構え、子供を背に庇いながら、こちらを鋭く威嚇してくる。
子供を庇い?
そうか、この人はハルヴィンダちゃんやセバスさんと同じだ。
子供達を守ろうとしている。
それを理解した瞬間、俺はゆっくりと立ち上がった。
「待って、ハルヴィンダちゃん。悪いのは俺だ。」
そう言って渋るセバスさんの手を軽く押さえ、前へと歩み出る。
「店長さん、危険です。この人、強者の臭いがします。」
警告してくれるハルヴィンダちゃん。
なんか、あの決闘騒ぎから完全にバトルキャラになってない。
「いいんだ、ハルヴィンダちゃん。あの子の頭を撫でたのは俺なんだ。
多分、あの人達にとっては大変失礼な事だったんだよ。」
そして俺は、レイピアを構えた女性へ向かって、ゆっくりと頭を下げた。
「悪かった。」
一拍置いてから言葉を続ける。
「美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて、つい頭を撫でてしまったんだ。
本当に申し訳ない。」
「店長さん……」
ハルヴィンダちゃんの不安そうな声だけが響く。
その場を静かな沈黙が包んだ。
やがて――。
「本当だよ、族長。」
最初に口を開いたのは、あの子供だった。
「この人、僕たちにご飯を売ってくれたんだ。」
「売っちゃいけないのに、荷物を軽くしたいからって。」
「嘘ついて売ってくれたんだよ。これ、美味しいよ。」
その言葉に続くように、他の子供達も次々と口を開く。
「そうか……」
女性が静かに呟く。
「顔を上げてくれ。」
その声に顔を上げると、女性は静かにレイピアを鞘へ納めた。
「すまんな。うちの者が世話になったのに。」
「つい、過剰反応をしてしまった。」
「我らも訳ありでな。……すまなかった。」
そう言うと、一団をゆっくり見渡す。
「行くぞ、お前たち。目立ち過ぎだ。」
最後にハルヴィンダちゃんへ視線を向け、
「良き目をしている。我らが姉妹よ。」
そう言い残し、踵を返して歩き始める。
それに続き、フードを被った大人達も静かに歩き出した。
子供達を中心に囲み、守るように。
去り際、子供達だけはこちらへ小さく手を振ってくれる。
俺も思わず手を振り返した。
やがて一団は、まだ撤去されていない建物の陰へと消えていった。
「ふうぅ……。」
怖かった。
本当に、一時はどうなる事かと思った。
「ありがとう。」
ハルヴィンダちゃん。
セバスさん。
守ってくれて。
改めて二人へ礼を言う。
しかし、トール夫人やハーケン夫人の言う通りだな。
無知は危険だ。
頭を撫でただけで、これだ。
種族や民族が違えば、何が礼儀で何が無礼なのか解ったものじゃない。
これからは、本当に気を付けないと。
そう思わずため息をついた。
「あの人、私と同じ『夜を司る女神』様の信徒でした。」
グレートアックスを納めながら、ハルヴィンダちゃんが呟く。
「首から『夜を司る女神』様のアミュレットを下げていました。」
「もしかして……。」
そんな俺達へ。
「災難だったな、店長さんよ。」
常連客が声を掛けてきた。
「あいつらもよ、別に悪気がある訳じゃないんだ。」
「しいて言うなら、俺達かな。悪いのは。」
そう言って、フードの一団が消えた方角を見つめる。
「あいつらさ、多分"ダーク"の称号持ち達だと思うんだ。」
"ダーク"の称号。
邪神やトリックスターの信者となり悪事を働いた者――"魔族"。
その"魔族"を親や先祖に持つ者達。
かつて"魔族"は世界と『太陽神』の怒りを買った。
その時の呪いで、末代まで続く呪いを刻まれた。
しかし、その後。
己の過ちに気付いた『太陽神』は、すぐさま呪いを解いた。
それでも、その呪いに便乗した邪神やトリックスターによって、
一つだけ枷が残された。
額へ刻まれる刻印。
『魔族』であるという証。
本人達は何もしていない。
ただ、魔族の血を引く家に生まれただけ。
それだけで世間から迫害され、
『世界の敵』と呼ばれてきた。
神々の度重なる神託によって、
その認識は否定され、迫害や差別は以前より減った。
だが、完全になくなった訳ではない。
今なお、生まれながらに世界の敵だと信じる者もいる。
当然、何もしていない彼ら彼女らは世を恨んだ。
この刻印を与えた『太陽神』を恨んだ。
そして、本物の魔族へと堕ちる者も現れる。
悪循環だった。
ここにいる人達も、それは理解している。
『太陽神』の過ち。
そして、それに漬け込んだ邪神やトリックスターの仕業である事も。
解っていても、つい身構えてしまう。
魔族予備軍として。
そして今の帝国では、裏で魔族達が明らかに暗躍している。
差別はしたくない。
でも、その中に本物の魔族がいるかもしれない。
そんな不安が、誰の心にもあるのだ。
成る程。
だから、ああやってフードで顔を隠しているのか。
額の刻印を見られたくない為に。
「それだけじゃないんだ。」
常連客は言いにくそうに口を開いた。
「最近揉めてるんだ。」
「再開発してるだろう、ここ。」
「古い建物や壊れた建物を全部壊して、新しくしようって。」
「あいつらだけじゃなく、
ここに住んでた住人全員に立ち退きを求めて揉めてさ。」
「犯罪者もいたし、ここに愛着を持ってた人もいた。」
「犯罪者は牢屋行き。地元民も最終的には渋々立ち退く。」
「でも、あいつらには行く場所がないのさ。」
「みんな警戒して、受け入れてくれる所なんてありゃしない。」
「一人二人ならともかく、かなりの人数がいるからな。」
そう言って、バツが悪そうに頭を掻く。
「そんなんでよ、みんなあまり関わりたくないんだ。」
「俺もしがない日雇いだからよ。何もしてやれないし。」
そう言い残し、現場へ戻って行った。
そっか……。
神々の力の影響か。
確かに、この間『大地母神』様のお陰で、とりあえず内乱は止まった。
しかし、ここでは『太陽神』様の過去の過ちによって、今も苦しむ人達がいる。
『そうですね。だから本当は神々は、
人間の世界へあまり干渉してはいけないのですよ。』
『その力の大きさと影響力のせいで。』
頭上で師匠が神妙に呟く。
「あっ、師匠。どこに行っていたのですか。」
「さっき怖かったですよ。」
『何、情けない声を出しているんですか。』
『ずっといましたよ。ちゃんと防御の奇跡も使って守ってあげてました。』
『だから、あの族長とやらも、すぐヴァルナさんを突き飛ばしたでしょう。』
そうなのか。
ありがとう、師匠。
『やれやれです。』
『いい加減、身の守り方も覚えないと、一人で街も歩けませんよ。』
『いかがわしい店まで、ついて行ってあげませんからね。』
誰が行くか。
もうおっさんなの。
俺は紳士なの。
『どうだか。男って、いつまでも獣らしいですし。』
そんなくだらないやり取りをしながら片付けを終え、
俺と師匠の外出は終わった。
ヘイムに戻り、出前の後片付けを終えると、そのままキッチンへ入る。
厨房では、すでに夕食の仕込みが始まっていた。
「どうだった店主さん。息抜きできたかい。」
手を動かしながらハンスさんが笑って声を掛けてくれる。
俺は手を洗いながら、今日あった出来事を最初から最後まで話した。
すると、キッチンのみんなも手を止めこそしないものの、複雑そうな表情になる。
「それは災難というか……難しい問題だよな。」
「差別するつもりはないけどよ。」
「あれじゃ、どう見てもあいつらが被害者だ。」
「でも最近の魔族の暗躍を聞いていると、つい身構えてしまうんだよな。」
「せめて顔見知りなら問題ないんだけど。」
「初めて会う奴だと、俺も身構えてしまうっすよ。」
ハンスさんの言葉に、誰も反論できず、静かに頷いていた。
その日の晩御飯の席でも、皆の反応はほとんど同じだった。
「せめてフードでも脱いでくれれば判別つくんじゃがのう。」
アンリ先生が腕を組みながら呟く。
すると、ミレディさんが静かに首を振った。
「姫様。その判別方法を知っているのは、
帝国学園を卒業した者や神殿の者達だけです。」
「一般の方々は知りません。」
ミレディさんの説明によると。
同じ額の刻印でも、本当の魔族の刻印は淡く光るらしい。
一方、魔族ではないダークの称号持ちの刻印は、ただ刻まれているだけ。
見分け方を知っていれば違いは分かる。
しかし、知らなければ全て同じにしか見えない。
「そうじゃったな。」
アンリ先生は苦い顔をする。
「もっと国民に徹底させんと。」
「このまま国が荒れたら、魔族狩りになるぞ。」
その一言に食堂の空気が重くなった。
俺の頭に浮かぶのは。
あの、美味しそうにドネルサンドを食べてくれた子供達。
あの笑顔だった。
「師匠……どうにかならないのですか。」
俺は思わず小さく呟く。
すると師匠は珍しく少し寂しそうな声で答えた。
『こればっかりは、どうにもなりません。』
『神々も神託という形で手を打ちました。』
『刻印も消そうとしました。』
『ですが、魔族という存在がいる限り、世界そのものが許しません。』
『神話の時代が終わり、人間の世界になったとしても、それは続くでしょうね。』
『しかも、この世界は科学が発達しながらも神秘と共存しています。』
『神秘そのものを否定して救われる未来は、恐らく来ないでしょう。』
その声は、どこか諦めにも似ていた。
『『太陽神』も深く反省し、今も保護に努めています。』
『ですが、原因の一つである『太陽神』の保護など受け入れません。』
『あの者達は、『夜を司る女神』の言葉しか信じませんから。』
『夜を司る女神』。
主神であり、『太陽神』様の双子神。
迫害されるダークの称号持ち達を夜の闇で匿い、安全な場所へ逃がした神。
望む者は、
この世界のどこかに存在するという"夜の世界"へ導いたとも言われている。
師匠曰く。
主神らしく。
『太陽神』様より厳しく。
『大地母神』様より慈悲深く。
『学問の神』様より思慮深く。
『軍神』様より喧嘩が強く。
『天秤の女神』様より全てを見通している。
何を考えているのか分からない、とても恐ろしい女神様らしい。
結局。
その話題に、俺達が答えを出せるはずもなかった。
せめて。
あの子供達だけでも、戦乱に巻き込まれませんように。
そう願う事しかできなかった。
そうして、いつもの日々が戻ってくる。
帝都は収穫祭へ向け、日に日に活気づいていった。
各地から届く豊作の知らせ。
広い国土を持つ帝国では、毎年どこかが豊作なら、どこかは不作になる。
それが当たり前だった。
しかし今年は違う。
帝国全土が豊作。
『大地母神』様のお墨付き通り、本当に豊作になっていた。
さらに、その女神様が収穫祭へご降臨されるという噂。
一生に一度どころか、人類史に残る収穫祭になる。
誰もがそう信じ、祭りへ向けて動いていた。
まるで、水面下で進む帝位継承争いや、不穏な空気を忘れようとするかのように。
だが、その裏では。
各勢力が動き。
魔族もまた、水面下で動いていた。
そして少しずつ。
俺も。
ヘイムも。
その渦へ巻き込まれていく。
それは、そんなある日の事だった。
出前から戻ったハルヴィンダちゃんが、息を切らしながら厨房へ飛び込んで来る。
「店長さん、大変です!」
その様子に、店内の空気が一瞬で張り詰めた。
話を聞くと。
俺と師匠が出前へ付いて行った日から。
ハルヴィンダちゃんは、あのフードの一団と時々話をしていたらしい。
同じ『夜を司る女神』様の信徒として。
弁当は売れない。
だから俺が練習で大量に作ったお菓子を子供達と一緒に食べながら、
少しずつ仲良くなっていたという。
そんな中。
進む再開発。
とうとうフードの一団が住む建物にも、取り壊しの日が来た。
当然、揉める。
最初は口論だった。
だが。
工事担当者の一人が言ってしまったらしい。
「魔族もどき。」
その一言は。
彼らにとって最大の禁句だった。
好きでそう生まれた訳じゃない。
生まれは誰にも選べない。
だからこそ。
現場は一触即発となる。
立ち退きの話は消え。
謝罪を求める場へ変わってしまった。
だが、その工事担当者も貴族出身の平民。
プライドだけは高かった。
まずいと思いながらも引けず、次々と暴言を吐いてしまったらしい。
さすがに現場も危険だと思い、上へ報告した。
しかし。
上が下した判断は最悪だった。
「これを機に一気に解体工事を進めろ。」
どうせ立ち退きでは揉める。
なら、揉めたついでに終わらせてしまえ。
そんな判断だった。
当然、現場は大混乱。
「いくら何でも強引過ぎる。」
そう止める者も現れ。
今では。
フードの一団。
工事を強行する者達。
それを止める者達。
三つ巴で睨み合っているらしい。
話を聞き終え。
トール夫人もハーケン夫人も静かに首を振った。
「どうしようもありません。」
本来なら。
帝国政府が介入し。
暴言を吐いた者へ謝罪を命じ。
別の住居を用意する。
それが正しい手順。
だが。
フードの一団は帝国政府の援助を受けない。
なぜなら。
アステリア帝国へ帝権を授けたのは『太陽神』。
つまり彼らからすれば。
帝国政府は『太陽神』の手先なのだ。
その施しだけは受けない。
だから。
ダークの称号持ちは流浪の民となる。
定住したくても受け入れられない。
「援助を断ったのだから仕方ない。」
そう言う者もいる。
しかし、それは違う。
彼らにとって、それは最後の誇りなのだ。
『太陽神』の手先の施しなど受けるものか。
国の法律は守る。
誰にも迷惑を掛けない。
自分達の力だけで生きる。
それが彼らの生き様だった。
もちろん。
それだけで生きられるほど世界は甘くない。
だから神殿の保護を受けながら。
貧しくても。
迷惑を掛けないよう。
身を隠して暮らしてきた。
それを今回。
再開発が掘り起こしてしまった。
帝国政府が介入しても。
結局、再開発は止まらない。
いずれ建物は壊される。
介入できるのは神殿だけ。
だが。
すでに『夜を司る女神』の神殿を始め
各神殿も動いている。
病人。
老人。
子供。
その保護で手一杯。
あそこへ残っているのは、自力で生きられる者達だけ。
恐らく神官達も仲裁へ向かっている。
だが。
それは時間稼ぎにしかならない。
結局、立ち退かなければならない。
もう受け入れ先もない。
流浪の旅へ出るしかない。
しかも。
今は収穫祭を前に各勢力が動き。
魔族も暗躍している。
そんな中で。
ダークの称号持ちの集団が移動したら。
問題しか起きない。
下手をすれば。
無実の罪で拘束されるかもしれない。
俺の頭に浮かぶ。
あの子供達。
美味しそうにドネルサンドを頬張り。
帰り際、小さく手を振ってくれた。
あの笑顔。
「ねぇ、師匠。」
「女神様。」
「アンリ先生が内乱を止めたように……。」
「何とかならないのですか。」
俺は自然と社員食堂に置かれた女神像へ目を向けた。
静かな食堂。
誰もいない。
それなのに。
胸へ直接響くような声が聞こえた気がした。
『人の世の事は、人の手で。』
師匠でもない。
『大地母神』様でもない。
厳しく。
それでいて、どこまでも慈愛を感じさせる女性の声だった。
その一言だけが。
いつまでも俺の胸へ残り続けた。
師匠のニューワールド講座 66
~夜の世界編~
師匠。
『なんです。』
本編に出てきた
夜の世界って何ですか。
『うーーん。』
『簡単に言えば、天界ですね。』
『正確には』
『"夜を司る女神"の管轄する領域です。』
『死者の国ではありませんよ。』
『主神にだけ許された特別な領域です。』
『例えるなら……』
『社員寮でしょうか。』
社員寮?
『ええ。』
『行き場を失ったダークの称号持ちを保護して』
『衣食住を与え』
『天界の職員として雇用する。』
『そんな場所ですね。』
なるほど。
『ですが、それにも限界があります。』
『社員寮にも定員がありますし』
『他部署へ異動させようにも受け入れ人数には限界があります。』
大変なんだ。
『特に』
『"太陽神"の部署だけは』
『全力で拒否しましたね。』
えっ。
『会っても挨拶しません。』
『無視です。無視。』
師匠……
『まあ』
『事情が事情ですから。』
『他部署の神々も見て見ぬふり。』
『邪神やトリックスターは指を差して笑っていますし。』
『当の"太陽神"も』
『自分がやらかした事は理解しています。』
『ですが頑固ですからね。』
『何事も無かったように振る舞っています。』
なんとも気まずい……
『しかも』
『ダークの称号持ちは今も生まれています。』
『会社だって無限に社員を雇える訳ではありません。』
じゃあ、どうするんです?
『簡単ですよ。』
『第2事業部総出で』
『第1事業部を潰せばいいのです。』
えっ。
『ラグナロクです。』
『最終神々戦争でもいいです。』
『全員叩きのめして』
『本社へ送り返しましょう。』
『その方が早いです。』
『世界も平和になります。』
『ダークの称号問題も解決です。』
……。
うん。
それが一番早そうですね。
『ではヴァルナさん。』
『準備はいいですか?』
えっ。
『"大地母神"様に直訴しに行きますよ。』
ちょっと待ってください!
俺まで行くんですか!?
『当然です。』
『言い出しっぺは責任を取るものですよ。』
やっぱり嫌です!
『却下です。』
『さあ、天界行きですよ。』
その後、ヴァルナの悲鳴は夜空の彼方まで響き渡ったという。
『もちろん冗談ですよ。』
『本当にやったら、創造神から始末書どころでは済みません。』
『……まあ、毎回会議では誰かが言い出すんですけどね。』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




