6 モーニングまだ?
俺は今、絶望の底にいた。
それはもう、深い深い底だ。
目の前では、師匠が笑いながら教鞭を片手でぽんぽん叩いている。
その姿が、処刑人にしか見えない。
先ほど、《パン作成》スキルが2に上がった。
そりゃもう喜んだ。
生活魔術レベルが上がった時よりも喜んだ。
ついに修行の成果が出たのだと、ガッツポーズまでした。
しかし――現実は厳しかった。
俺の視界に浮かんでいる熟練度表示は、こうだ。
《パン作成2》 12/100000
≪クロワッサン≫ 1254/10000
《卵料理》 458/500
≪野菜サラダ≫ 487/600
≪コーンスープ≫ 648/1000
≪ソーセージ≫ 858/10000
≪コーヒー3≫ 349/100000
≪生活魔術≫
《洗浄2》 99/1000
「パン作成スキル3に上がるのに十万!?」
「桁が! 桁が違うんですけど!」
俺の叫びに、師匠は涼しい顔をしていた。
『何を言ってるんですか』
『才能ある人が、何年もかけてレベルを上げていくんですよ』
『わずか数か月で上がるなんて、指導した私に感謝していいレベルです』
そう。
引きこもりになって三か月。
朝から晩まで、ひたすら修行した。
今までの俺なら、間違いなく発狂していただろう。
だが――楽しかった。
今まで出来なかった事が出来る。
鑑定で自分を見ると、スキル熟練度が見える。
成長しているのが分かる。
これは、本当に大きかった。
努力が、数字で見える。
これはかなり精神的に支えになった。
ちなみに右の数字。
これは回数ではない。
大事なのは左側だ。
才能ある人だと、一つの作業でかなり増えるらしい。
逆に、才能がないと小数点以下しか増えない事もあるそうだ。
俺の場合は言うまい。
小数点ではなかった。
それだけ言っておこう。
あと、気づいたら≪コーヒー3≫というスキルが生えていた。
しかも最初からレベル3。
学生時代、喫茶店でマスターから直接習い、お客に出す事を許されていた経験が生きているらしい。
その他は駄目だった。
ちなみに、この事を師匠に告げた時。
なぜか舌打ちされた。
解せぬ。
しかもクロワッサンだけ別カテゴリーになっている。
同じパンじゃないのか聞いたら、かなりアバウトらしい。
スキル熟練度の右の目標数値も。
料理の区分も。
《卵料理》が俺の場合ひとつなのも、理由はよく分からないそうだ。
師匠は目をそらしながら、
『たぶん、世界の気分です』
と言った。
解せぬ。
そんなこんなで、毎日修行を続けた。
熟練度が上がってくると、一日に料理できる回数も増える。
その分、数値も上がりやすくなった。
時間的余裕も出てきた。
……その代わり、新レシピが追加された。
解せぬ。
そんなある日。
朝のパン作りが終わったあと、店の前の掃除を命じられた。
箒を持ちながら、俺は納得いかない顔をしていた。
《洗浄》の修行は、とりあえず終わった。
あとは日頃から使っていればいい。
そう言われたはずなのに。
なぜ掃除。
解せぬ。
そんな事を考えながら掃除していると、声をかけられた。
「のう、お主。ここに住んどるのか」
振り返る。
――ドワーフだ。
いかにも、
“はい、ドワーフです”
という感じの、赤毛と茶毛のドワーフが二人立っていた。
思わず目が輝く。
すると茶毛のドワーフが、俺の腹を見ながら言った。
「同族ではないのぉ」
ただのメタボです。
「まあ、よいわい」
なぜか一人で納得している。
「はい、そうですよ。数か月前から、ここに住んでます」
すると赤毛のドワーフが、嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか」
「で、聞きたいのじゃが――」
「ここで店でも開いとるのか?」
「毎朝通るたび、焼きたてパンの良い匂いがしてのぉ」
話を聞くと。
赤毛のドワーフは、
スミズル・エルドソン。
通称:ラウジ・スミズル。
“赤毛のスミズル”という意味らしい。
鍛冶職人。
茶毛のドワーフは、
トレースミズル・フィヤルソン。
通称:ブルーニ・トレース。
“茶毛のトレース”。
木工職人。
二人は同じ故郷の幼馴染で、帝都へ来て職人となり、“親方”を名乗る事を許されたらしい。
だが、
「いつまでも現場におっては若いもんが育たん」
と引退。
……したのはいいが、暇になったらしい。
今では毎日、再開発地区の現場へ遊びに行っているそうだ。
やめてあげなさい。
迷惑です。
そして毎朝、この店の前を通っていたらしい。
最近になって焼きたてパンの香りに気づき、気になっていた所へ、俺が掃除しているのを見つけて声をかけたそうだ。
話の途中で、二人のお腹が鳴った。
なので、
「素人料理で良ければ」
と誘い、中へ招き入れる。
ちなみに、横文字と人名を覚えるのが苦手な俺は、
「赤毛親方、茶毛親方って呼んでいいですか?」
と聞いた。
すると二人は一瞬ぽかんとした後、お互いの顔を見て大笑いした。
問題ないそうだ。
親方達曰く、パンの匂いだけではなく、
“大地の匂い”
がしたらしい。
中に入り、ぐるりと店内を見渡す二人。
そして目に入ったのは、店内の神棚に飾られた女神様の像だった。
そう。
俺が置いたのだ。
神棚と言っても、カウンター外側の上に、ちょうど良い板があったので神棚っぽくしてみただけだ。
この世界に連れて来てくれて。
店までくれて。
師匠まで付けてくれた。
感謝してもしきれない。
だから、つい日本にいた頃の風習で作ってしまった。
女神像は、時々見に来る神官のブラスさんに貰った。
笑いながら、ただでくれた。
その時の笑い方も変だったが、気にしない事にした。
そんな神棚を見て、二人はうんうん頷いている。
「わしらドワーフは、大地の民じゃからのう」
「『大地母神』様の信徒なんじゃ」
「そうじゃそうじゃ」
「しかも、なぜかとても良い大地の匂いを感じるぞい」
そう言って笑顔で一礼し、席に座る。
そして今度はキッチンを見た。
「ほほう、良いキッチンじゃのう」
「余程良い職人が作ったと見える」
「ふむふむ、機能美にあふれておる」
「使う者の事を、しっかり考えとる作りじゃ」
二人が褒めてくれる。
これはサービスせねば。
……とはいえ、出せるのは修行中の料理だけだ。
パン。
スクランブルエッグ。
ソーセージ。
野菜サラダ。
コーンスープ。
あとコーヒーくらい。
新レシピの野菜炒めは、組み合わせが悪そうなのでやめた。
二人は豪快に食べている。
見た目も職業も名前も、全てドワーフ。
もう感激で、俺の目はさらに輝いていたに違いない。
茶毛親方は、
「まずくはないが、普通に家庭の味じゃのう」
と言った。
赤毛親方は、
「気にするな主人」
「仲間内に振る舞うには十分じゃ」
「特にソーセージは酒に合いそうじゃ」
と言う。
出たよ。
お約束。
これだよこれ。
するとどこからともなく酒を取り出し、飲み始めた。
そしてそのまま、二人で酒盛りを始める。
やばい。
俺、お酒駄目なんだ。
匂いだけで酔いそう。
酒のつまみにソーセージを山盛り追加し、俺はキッチンへ下がった。
さて。
賑やかな二人を横目に、午前の修行を始めようとすると。
『ヴァルナさん』
『少し用事で出かけます』
『あとはお任せします』
師匠がそんな事を言い出した。
『それに、きちんとおもてなしするんですよ』
『ソーセージだけじゃ、お酒のあてになりませんからね』
『初めてのお客様ですよ』
そう言って、師匠はどこかへ飛んでいった。
……そうだ。
まだ修行中で開店もしていない。
だが、この店に迎える初めてのお客様だ。
確かにソーセージだけでは寂しい。
冷蔵庫を開け、中を見る。
しまった。
日本にいた頃、酒嫌いだった俺は、居酒屋などほとんど行った事がない。
せいぜい、上司に連れて行かれて愚痴を聞かされていたくらいだ。
何を出せばいいか分からん。
頭に浮かぶのは、
枝豆。
唐揚げ。
刺身盛り合わせ。
スキルが訴えてくる気がする。
“刺身はやめとけ”
“今のお前だと大惨事になる”
と。
なので、とりあえず枝豆と唐揚げにする。
するとレシピが頭に浮かぶ。
相変わらず便利だ。
枝豆の準備をしていると、
≪枝豆料理≫
というスキルが生えたのが分かった。
しかしレベル1。
出して大丈夫か?
素人レベルだったはずだ。
少し悩む。
だが先ほど、赤毛親方が言ってくれたではないか。
「気にするな主人」
なぜか。
あの二人なら、笑って許してくれる気がした。
枝豆は無難に作れた。
問題は唐揚げだった。
油が。
油が飛ぶ。
熱いんですけど。
どうやら下味用の液体が多かったらしい。
鶏肉を油に入れた瞬間。
禁呪《油龍乱舞》発動。
そんな文字が見えた気がした。
あれはもう攻撃だった。
そして死闘の末、唐揚げが完成する。
二人の親方に出すと、
「おうおう、気が利くのう」
「ソーセージだけじゃ、ちと寂しかったからのう」
「うむ、悪いが店主」
「ちと量が足りんのう」
「おかわりじゃ、ソーセージがもう無くなってしもうた」
「は、はいっ、すぐに次を用意します!」
俺は慌てて空いた皿を下げる。
枝豆。
唐揚げ。
ソーセージ。
ひたすら調理していると、ひらひらと紙が落ちてきた。
拾う。
『モーニングまだ?』
天界から催促が来た。
俺、一人なんですけど。
そこからは、ひたすら作った。
パンは焼き終わっていたが、他がまだだ。
卵料理。
スープ。
サラダ。
天界分を作りながら、親方二人の料理も作る。
ようやく落ち着いたかと思えば、また紙が落ちてくる。
『昼、から揚げ』
解せぬ。
追加注文来たよ。
しかも親方達も、
「店主、あてのお替りじゃ!」
「違うもん頼むぞ!」
「揚げ物が良いのう!」
揚げ物って何だよ。
頭に浮かぶのは、
トンカツ。
コロッケ。
アジフライ。
どれも高等料理だ。
作った事ないぞ。
するとまたレシピが浮かぶ。
これは試練か。
試練なのか。
さらに紙が舞う。
『僕、トンカツ』
『私、アジフライ』
『ミックスで』
ここは食堂じゃない。
(食堂です。by師匠)
解せぬ。
だが。
楽しそうに飲み食いしている親方達を見ていると、不思議と止める気にはならなかった。
俺は次々浮かぶレシピに従い、料理を作り始める。
……そういえば。
ドワーフが究極の飲兵衛種族設定なの、忘れてた。
あと天界。
晩飯って何だ。
そんなヴァルナのドタバタ劇を、クリスタルの山頂から眺めていた師匠は、小さく笑った。
『トレースミズル・フィヤルソン』
『木工、“山の子”』
『スミズル・エルドソン』
『鍛冶、“火の子”』
『……面白いのが、いきなり引っかかりましたね』
しかも二人とも、《ハイ(純血)・ドワーフ》。
師匠は楽しそうにくるりと回る。
『面白くなってきました』
『少し予定変更しましょう』
『前倒しですよ、ヴァルナさん』
その視線の先では、ヴァルナが唐揚げと格闘している。
『その程度で根を上げていては、やっていけませんよ』
師匠の笑みは、とても良い笑顔だった。
先生のニューワールド講座③
なぜチーターは嫌われるのか
「師匠って、転生者嫌いなんですか?」
『別に嫌いではありません』
即答だった。
「え?」
『良い転生者もいましたから』
人を救った者。
世界に貢献した者。
静かに生きた者。
よい刺激を残した者。
ちゃんといた。
『ただ』
師匠が目を細める。
『ごく少数です』
怖い。
________________________________________
この世界に創造神が降りて約三千年。
文明が芽吹いて約五百年。
国家が形になり始めた頃。
転生者・転移者は現れた。
多くは――
邪心や混乱の神から力を授かり、
好き勝手した。
『中には善意もあったでしょう』
「でも?」
『やりすぎた』
特に文明で。
________________________________________
『分かりやすく言いましょう』
師匠がどこからともなく自転車を出した。
「何であるの」
『例えです』
雑。
________________________________________
『これは自転車』
最初の発想があり、
改良があり、
失敗があり、
技術が積み重なり、
沢山の人の努力で今の形になった。
結晶。
「うん」
『ところが彼らは』
便利だから。
儲かるから。
と、
いきなり完成形を持ち込む。
「……あ」
『そうです』
________________________________________
本来あるはずだった
試行錯誤。
発明。
途中経過。
それが消える。
『起承転結で言えば』
『承と転が消える』
「物語として致命傷だな」
『文明でも同じです』
________________________________________
技術が育たない。
学問が育たない。
考える文化が育たない。
答えだけ先にある。
『それが歪みになる』
師匠の声は静かだった。
________________________________________
『例えば』
三百年前。
ある一族がいた。
財も人脈も何代も投じ、
ついにこの世界初の蒸気機関を作った。
粗削りだが、
この世界の人間が努力して生んだ発明。
「すごいじゃないですか」
『ええ』
『……三日前までは』
嫌な予感。
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発表三日前。
魔電力機関が発表された。
蒸気を飛ばし。
内燃機関も飛ばし。
いきなり電力。
「……ひどい」
『でしょう』
その一族は潰れた。
夢ごと。
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「それで?」
『闇落ちしました』
「誰が」
『色々』
雑。
『とにかく、その辺から更に歴史がろくでもなくなります』
「説明投げた」
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師匠がため息をつく。
『考え無しのチーターが嫌われる理由、分かりますか』
「工程を壊すから」
『そうです』
珍しく満足そうだった。
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「じゃあ、現代知識全部アウト?」
『違います』
師匠が指を立てる。
『積み重ねに乗せるなら文化になる』
『上から完成品を落とすと災害になる』
名言っぽい。
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「じゃあ俺の料理は?」
『既にある料理です』
「よかった」
『あなたは味で努力して下さい』
「そこは逃がさないのか」
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『だから』
師匠は笑う。
『私は転生者が嫌いなんじゃない』
『チーターが嫌いなんです』
「納得した」
________________________________________
『さて』
師匠が意味深に言う。
『今回召喚された勇者達は――どうでしょうね』
嫌な引きやめて。




