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5 一万回パンを焼け

俺は今、こねている。

ひたすら、こねている。

汗が生地に入らないように気をつけながら、ひたすら生地をこねている。

外はまだ明けていない。

窓の向こうには、まだ月が出ていた。

パン作りに早起きは常識らしい。

腕が張ってきた。

肩も痛い。

腰もそろそろ危ない。


『そこ、手を抜かない』

『師匠キック』


厳しい叱責と共に、容赦ない鉄拳制裁が飛ぶ。

鬼だ。

鬼がいる。


事の発端は数週間前。

帝都に着いた日までさかのぼる。

『大地母神』神殿の神官であるブラスさんに案内され、たどり着いたのは、クリスタルの山の麓にある一軒の建物だった。

中は、カウンター席があるだけの小さな食堂。


ブラスさんは、そこを俺の店だと言った。

訳も分からないまま席に座らされ、この物件の譲渡契約書を渡される。

しかも、この食堂だけではない。

帝都の名物となっている、あのクリスタルの山ごとだ。

今現在、このクリスタルの山は『大地母神』神殿の管轄らしい。

なぜなら、この山は二百年戦争の末期、ここで女神様が大暴れした名残なのだそうだ。

なので、末端というか。

『大地母神』神殿に責任を押し付け……いや、責任を持って管理しているらしい。

食堂も元々は、山を管理するための兵士の詰所だったそうだ。


それが色々改装されて、観光案内所になって現在に至る。

そのうち、

“こんな大きなクリスタルの塊、誰にも利用できない”

という事になり、

さらに、このクリスタルの山。

登る事も出来ず。

消滅させる事も出来ず。

害もない。

だったら観光地にしよう、と。

観光地なら、軽く飯が食える所があってもいいよね、と。

そう考えていた所へ、料理スキル持ちで『大地母神』の案内役付きの俺が来たらしい。

渡りに船。

という事で、俺に預ける事になったそうだ。


そこに待ったをかけたのが師匠。

詳しくは教えてもらえないが、神殿の上層部と掛け合って、山ごと俺の物にしたらしい。

『大地母神』の眷属である師匠がいるのだから、『大地母神』が管理している事に変わりはない。

むしろ、この地の人が管理するより、天界の住人が管理する方が格が上がるだろう。

そういう理屈らしい。

俺の知らない所で、色々動いていたようだ。


さて。

そんな玉虫色どころか、虹色に怪しい物件を頂き、いきなり一国一城の主になった俺は、さっそく中を見学した。

入り口からすぐ、カウンターだけの店内。

そこに接するキッチン。

その奥に休憩スペースと事務室らしき場所。

そして――ありました。

お風呂。

しかも、でかい。

元兵士の詰所だけあって、一度に沢山入れるようになっていたのだろう。

風呂場は広く、浴室付き。

トイレも便器の数が多い。

二階にはリビングと複数の部屋。

えっ、広くない?

と思ったが、どうやら建物の半分以上がクリスタルの山に埋もれているらしい。

どう見ても、外から見た大きさと合わない。

最低限の家具は、明日以降に神殿から頂けるそうだ。


一通り見終わると、師匠に言われた。

寝る部屋。

使うなら風呂とトイレ。

そこに生活魔術《洗浄》を使うようにと。


『使って数をこなし、熟練度を上げないとレベルは上がりません』


どれくらいで上がるのか聞くと、それこそ才能次第と言われた。

師匠、俺に才能なしって言ってたよね。

しかも使い方も分からない。


『一度、料理スキルを使って感覚を覚えているでしょう』

『さぁ、綺麗になれってイメージしながら、力を振るってください』


何それ。

そんな説明にもなってないんですけど。

ためしに、綺麗になれとイメージして手を振る。

すると、綺麗になった。

正確には、汚れが一か所に集まっただけだ。

スキルや魔術が使える人は、自然と生活魔術を覚え、練習するらしい。

というより便利だから、普段から使っているうちに自然とレベルが上がるそうだ。

これは王侯貴族に仕える侍女やメイドさんの必須条件らしい。

初めての魔術に喜んだが、レベル一なので効果範囲も効果も小さい。


『数ですよ、数』


と叱責を受け、何度も繰り返し使わされた。

もうクタクタだ。

魔力切れとかないのかと思って聞いてみると、あると答えられた。

こんなに使えるから魔力量が凄いのかと思ったが、


『普通です』


と言われた。

師匠が、山のようにでかいクリスタル結晶と俺を、師匠自身を中継して繋げ、魔力を補給しているらしい。


『ヴァルナさん、もう五十で先短いんですから』

『のんきにやっていたら、あっという間に時間切れですよ』

『さっ、限られた時間で修行です』

『良かったですね。チートですよチート』

『魔力無限ですよ』

『ほらほら、ちゃんと調整して魔力を流してあげますから』


そこからは覚えていない。

気がついたら床に寝ており、朝になっていた。

改めて見ると、部屋全体が気持ち綺麗になっていた。


側に置かれていたリュックサックから水筒を取り出し、水を飲む。

そういえば、昨日はあれから晩飯も食わず、風呂にも入らず、そのまま寝てしまったんだ。

床で寝たせいで痛む体を動かし、師匠を探す。


「師匠、どこですかぁ」

『こっちですよー』


声のする方へ向かう。

そこにあったのは、綺麗になった風呂場だった。


『さすがに可哀そうだったので、お風呂場とトイレは綺麗にしてあげました』

『ほら、日本人はお風呂大好きでしょう』

『朝ごはん前に入ってください。においますよ』


最後の一言がなければ、感動だけで済んだのに。


『ほらほら、お風呂に入って朝ごはんを食べたら、生活魔術の練習の続きですよ』

『この家を、人が住めるようにしないと』

『ハリーハリー』


お風呂に入れる感動なのか。

死刑宣告なのか。

分からないまま、俺は涙しながら風呂に入った。

おかげで、備え付けられているシャンプーやボディソープが、日本で使っていたいつもの物だと気づかなかった。


宣告通り、朝ごはんの後は昨日の続き。

ひたすら《洗浄》の使用だった。

それは昼過ぎ、ブラスさんが家具を届けてくれるまで続いた。

俺が風呂場で吐いている間に、部屋へ運び込んでくれたらしい。

風呂場から出た時には、もう終わっていた。

お代は師匠が払ってくれていた。

先日の宿泊場で頂いたお金と、師匠に預かってもらっている初期資金でなんとかなったそうだ。


午後も引き続き修行。

自分が住む所くらい、自分で出来るようになれ。

ごもっともだった。

晩御飯を食べる気も起きず、風呂に入って就寝。

この時、俺は気づくべきだった。

タンスの中に、サイズぴったりの下着や、お気に入りの服が入っていた事に。



翌朝。

ベッドで寝られたおかげか、昨日よりは体がましだった。

昨日、晩飯を食べていないせいか、お腹が減っている。

朝飯を食べようとキッチンへ向かう。

そこには、昨日までのキッチンはなかった。

料理ドラマでしか見た事のない、立派なキッチンがあった。

そして、その前に師匠が浮かんでいた。

まるで自慢するかのように。


『ふふん、すごいでしょう』

『女神様の許可を頂き、力を振るいました』

『ヴァルナさんが料理スキルを極めるために、妥協は許しません』

『至高の技には、それに伴う至高の道具が必要です』

『先に道具を用意しました』

『あとは、あなたがそれに相応しい至高の技を身に着けるのです』

『さぁ、見るのです』

『ア・レ・キュイジーヌ』


師匠がいつもの掛け声を放つ。

その瞬間、冷蔵庫の扉が開いた。

食材が空を飛ぶ。

調理器具が自ら動き、料理を作り始める。

なんだこれは。

リズムに乗った調理器具が踊る。

包丁が跳ね、鍋が歌うように湯気を上げ、フライパンが舞う。

次々と料理が仕上がっていく。

まるで演劇を見ているようだった。

そして、師匠と俺の前に料理が並ぶ。

料理鑑定スキルが発動した。

見えた表示は――


『美味しいから黙って喰え』


それだけだった。


『さぁ、温かいうちに召し上がれ』


テーブルに並んだ朝食を見て、思わず息をのむ。

焼きたてのパンは、表面がこんがり狐色に焼けている。

割れば湯気とともに、小麦の甘い香りがふわりと立ちのぼった。

その香りだけで腹が鳴る。

隣には、黄金色に艶めくスクランブルエッグ。

とろりと半熟に仕上がり、まるで朝日をそのまま皿に乗せたようだ。

こんがり焼かれたソーセージは、皮がぱきっと張っている。

噛めば肉汁が弾けるのが、見なくても分かる。

彩り鮮やかな野菜サラダには、朝露を閉じ込めたような瑞々しさがある。

皿の上なのに、畑の生命力を感じる。

そして、湯気を立てるコーンスープ。

濃厚な甘い香りが立ちのぼり、見ているだけで身体の芯まで温まりそうだった。

パンの香りだけで腹が鳴り。

スープの湯気だけで疲れが抜けていく気がする。

ただの朝食のはずなのに。

そこに並んでいるのは――幸福そのものだった。


「これが……朝食?」


思わず漏らす。


『そうです』


師匠が、どこか誇らしげに言う。


『これが、あなたが目指す至高です』


その言葉に、思わず料理を見直した。

ただ美味そうなだけじゃない。

一品一品が完成している。

隙がない。


『これは料理スキルで作ったものです』

「スキルで……ここまで?」

『高レベル料理スキルとは、こういうものです』


さらりと言われる。

いや、さらりと言うことじゃない。


『料理とは、腹を満たすだけではありません』


師匠の声色が少し変わる。

いつもの軽さが消えていた。


『人を癒し、喜ばせ、生きる力を与えるものです』


師匠は静かにパンを指す。


『あなたは、これを目指すのです』


その言葉が、不思議なくらい胸に落ちた。

修行。

地獄の特訓。

正直、気が重かった。

だが――これに辿り着けるなら。

やる価値はある。

いや、やりたい。

そう思ってしまった。


「……いただきます」


パンをちぎって口に運ぶ。

その瞬間。


「……うまっ」


語彙が死んだ。


『まず一万回、パンを焼いてもらいます』

「前言撤回」


生活魔術修行地獄に続く、第二地獄はもう始まっていた。

目標は、先ほど食べた味を出せるようになる事。

これ、チートですよね。

食べた物の作り方が分かる。

師匠の指示に従い、一度作ってみる。

だが、レシピが分かるだけで、その通りに出来る訳ではない。

とても苦労した。

出来上がった物は全然違った。

見た目も悪い。

味も、不味くはない。

その程度だった。


『自分が使った物は、自分の手できちんと洗ってください』

『《洗浄》は禁止です』


生活魔術は禁止だった。

使った食器や道具は、これから長く使う相棒になる。

だから丁寧に、愛情を持って手入れしろとの事だった。

頭では分かる。

愛情の事はまだよく分からない。

なので、とにかく丁寧に洗った。


その後は、《洗浄》魔術の練習を兼ねて掃除。

さらに雑巾を持たされ、《洗浄》で綺麗に出来なかった所を手で掃除。

それで、その日は終わった。


次の日。

まだ日が昇る前に叩き起こされた。


『パン屋さんの朝は早いんですよ』

『起きた起きた』


そしてキッチンで、ひたすら生地をこねる。

延々と。

練り終わった生地を寝かせている間に、次の生地。

そしてガス抜き。

成形。

二次発酵。

最後に、立派なパン窯で焼く。

これを朝ごはんの時間まで繰り返す。

その後はスクランブルエッグだ。

これが思っていた以上に難しい。

熱の入れ方を間違うと、あっという間に卵が固まり、ふわとろ感が消える。

これが午前中いっぱい続く。

次はソーセージを一から作る。

燻製室があってびっくりした。

これもテレビでしか見た事がない。

夕方になると、コーンスープの仕込み。

下ごしらえをきちんとしないと、美味しくならないそうだ。

夜は美味しいサラダの作り方。

ただ野菜を切って盛るだけじゃないと怒られた。

トマト切るの難しい。

寝る前に生活魔術《洗浄》の練習。

風呂に入って就寝。

これの繰り返しだ。

毎日毎日。

なんだか、社会人なりたての頃、富士山の麓で受けた新人研修の洗脳を思い出す。

でも驚いたのが、師匠が


『どうせなら楽しく』


と言って、歌や音楽を流してくれる事だった。

これは助かった。

師匠の叱責と、たまに飛んでくる『師匠キック』だけでは、出来上がった料理は涙の味しかしなかっただろう。


そして、繰り返される練習。

使われる大量の素材と完成品。

どうなっているのかと言うと。

師匠が天界より素材を仕入れる。

俺が修行で作る。

完成品を天界に売る。

それで得たお金で、また素材を仕入れる。

最初は素材が無限湧きだと喜んだが、ちゃんとお金は取られていた。

天界の人達は食事を必要としない。

だが、趣味嗜好や気晴らしに食事を楽しむらしい。

ある日、届いた素材の上に

『まだまだですね』

と書かれた紙が貼ってあった時は、膝をついた。

師匠。

俺にも休み下さい。



《パン作成》 112/10000

《卵料理》 41/500

《生活魔術:洗浄》 99/100

上がりそうで上がらない。

ゲームより性格悪い。

今修行しているレシピが全部レベル二になったら、料理スキルもレベル二になるらしい。

そうなったら、自分で市場を回り、仕入れ先を探すように言われた。

その時までは外出はおろか、帝都観光もお預けらしい。

それからも、修行はひたすら続いた。

エンドレスで続いた。

異世界に来て、ブラック企業を超えるブラック店の店員になってしまった。


そして今。

俺はまた、生地をこねている。

ひたすら、こねている。

外はまだ暗い。

月が出ている。

腕が張る。

腰が痛い。

でも、昨日よりほんの少しだけ、生地の感触が分かる気がした。


『そこ、手が止まっていますよ』

『師匠キック』

「鬼だ……」


俺の呟きは、まだ夜明け前のキッチンに溶けていった。


《パン作成》 398/10000


まだ四割。

遠い。

その時。

師匠の声。


『ヴァルナさん』


嫌な予感。


『明日からクロワッサン追加です』


増えるのかよ。

異世界に来て――

ブラック企業を超えるブラック食堂の店員になってしまった。


師匠のニューワールド講座②

~魔術と魔法は違います~

『今日は重要です』

「毎回言ってる」

『今日は本当に重要です』

________________________________________

■魔術とは?

この世界で一般的なのは魔術。

世界の現象を

呪文、記号、文字式で組み、

再現・行使する技術。

『学問みたいなものです』

「アイスアローも?」

『魔術です』

夢ある。

________________________________________

■魔法とは?

師匠が珍しく少し間を置いた。

『……別格です』

魔法とは

法。

この世界の法則そのものに干渉し、

現象を書き換えるもの。

魔術が

仕組みを利用する技術なら

魔法は

仕組みを書き換える権能。

「ズルでは?」

『ズルです』

________________________________________

■今、魔法使いは七人

現在この世界で

魔法を使えるのは七人のみ。

「全員チート?」

『ええ』

ここで師匠が珍しく否定しない。

むしろ――

少し誇らしげだった。

「あれ、珍しく悪口じゃない」

『……あの方々は別です』

「珍しいな」

『例外もあります』

________________________________________

■昔はもっといた?

昔は精霊魔法を扱う者たちもいました。

ですが、もういません。

「じゃあ今の七人は伝説級?」

『そうですね』

少しだけ師匠の声が柔らかい。

……好意あるな、これ。

________________________________________

「じゃあ魔法ってすごいんだ」

『すごいですよ』

「チーターとは違う?」

『全然違います』

即答。

「チーターは嫌いなんだな」

『大嫌いです』

食い気味だった。

________________________________________

「違いは?」

師匠が言う。

『魔法使いは法と責任を知る者』

『チーターは好き勝手する者』

「ひどい分類」

『事実です』

________________________________________

「じゃあ俺には無縁だな」

師匠が少しだけ沈黙する。

『……そうとも限りませんが』

「え?」

『次です』

また意味深。

________________________________________

作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


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