58 迎え撃ちますわ
で、ヘイムで茶会を開きたいと。
ランチタイムが終わり、パティシエキッチンでケーキを焼いていると、
リナちゃんとソレイアちゃん、
そして西園寺さんが俺の所へやって来た。
開口一番、
「ヘイムでお茶会を開きたいの」
と言われた。
相変わらず直球だな、リナちゃん。
いきなり言われてもなぁ。
口ごもる俺を見て、リナちゃんとソレイアちゃんが顔を見合わせる。
そして二人は両手を胸の前で組み、上目遣いでこちらを見つめてきた。
「ちょっと、ソレイアさん、リナさん」
「理由を話さないと。困ってますわ。ドワ――」
「店主さんが」
今、ドワーフって言おうとしただろ。
俺はジト目で西園寺さんを見る。
「大丈夫」
「こうしてお願いしたら問題ない」
リナちゃんが自信満々に頷く。
「ほら、春香ちゃんもやって」
「目をウルウルさせるの」
「エマさんが、ちょろいって言ってたから」
「ねぇ春香ちゃん、ちょろいって何かな」
ソレイアちゃんまで、あの冥土に毒されている。
そして三人揃って目薬をさし、こちらを見つめてきた。
露骨だ。
露骨すぎる。
だが、効く。
だからやめろ。
「こら、何してるの」
助かった。
ハルヴィンダちゃんが止めてくれた。
「ちゃんと話しなさい」
「「「はーい」」」
それから改めて事情を聞いた。
どうやら三人のクラスに、アンリ先生の弟さんが編入してきたらしい。
その歓迎会をヘイムで開きたいとのことだった。
そうならそうと、最初から言ってくれればいいのに。
しかし、それで合点がいった。
最近アンリ先生、機嫌が悪いというか――いや、悪いというより余裕がない。
笑顔ではいるんだけど、目が笑っていない。
気付けば何かを考え込んでいるし、この前なんかリナちゃんとソレイアちゃんに、
「帝国学園で何かあったら、すぐに言うんじゃぞ」
「どんな些細なことでもな」
と、妙に気迫のこもった顔で言っていた。
そっか。
弟さんが編入してきたのか。
何か変な事をしないか。
ちゃんと馴染めるか。
心配していたんだな。
トール夫人もハーケン夫人も、最近のアンリ先生を心配そうに見ていた。
でも、いくら元先生とはいえ、人の家庭の事に口を出す訳にもいかない。
ミレディさんにそれとなく聞いても、
「私にも何もおっしゃってくれないのです」
と言っていたし。
腹心のミレディさんにも内緒とは。
これはもしかして隠れブラコンかな。
事前に知れて良かった。
下手にこのネタ出したら怒られる所だった。
よーし。
おっさんに任せとけ。
とは言っても、お茶会なんてどうすればいいのか解らん。
しかし今は強い味方がいる。
帝国学園の先生もいるし、
何よりトール夫人とハーケン夫人がいる。
隠居したとはいえ貴族だ。
お茶会の事は詳しいだろう。
そう思い、三人を連れて夫人達の所へ向かった。
幸い、まだ飲兵衛モードには入っていない。
「ごきげんよう。ご機嫌いかがですか」
三人が綺麗に挨拶をする。
おお。
流石だ。
小テスト満点組。
それに西園寺さん、公爵家令嬢なだけある。
とても優雅な挨拶だ。
……額に汗が浮かんでいるけど。
「はい、ごきげんよう」
「皆さん、ちゃんとできているわ」
トール夫人が微笑む。
しかし次の瞬間、
「でも西園寺さん、笑顔がぎこちないわよ。減点」
厳しい。
相変わらず厳しい。
その横でハーケン夫人が、
「ほら、お前達。これ位できるようにならんか」
と今日の生徒達へ声を掛けた。
今日の生徒は初期メンバーだ。
天宮さんは見事に挨拶をこなす。
それに釣られて他のメンバーも続くが――
男子生徒諸君。
普段サボってるな。
天宮さんの真似をしても、それ女性用の挨拶だから。
夫人達の目が怖い。
だが解るぞ。
諸君達の、
「普段との落差が凄すぎる」
という目。
普段の飲兵衛っぷりを見てたらそうなるよな。
だが夫人達の扇子に雷が走った気がしたので黙っておこう。
そして、改めて西園寺さんが事情を説明する。
だが、いつもなら我先にと嬉々として話し始める夫人達が、
今日は珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
その様子に、周囲にもなんとなく微妙な空気が流れる。
そこへ、飲兵衛親方達とアンリ先生、それにミレディさんがやって来た。
「なんじゃ、なんかあったのか、リナ。」
いつものように茶毛親方が気軽な調子で聞いてくる。
この人は空気が読めないのか、それとも心臓に毛が生えているのか。
でも今は助かった。
こういう時、誰かが口火を切ってくれないと話が進まない。
「あのね、今度新しく来たアレク君の歓迎会をしたいの。」
リナちゃんがそう答えると、その場にいた全員の視線がアンリ先生へ向いた。
「そうか、別に気にせんで良い。」
「気をつかわんでも良いぞ。」
だからアンリ先生。
その言葉は優しいのに、目が全然優しくないんだよ。
ほら、リナちゃん達が怯えてる。
俺の視線に気づいたのか、アンリ先生は目頭を押さえた。
「すまんな。ちょっと最近寝不足でな。」
そう言うと、リナちゃんとソレイアちゃんを抱き寄せる。
「すまんかったのう。」
安心したのか、二人もぎゅっと抱きつき返した。
本当に大丈夫なんだろうか。
弟さんの事だけじゃない気がする。
でもミレディさんにも話していないらしいし、
俺なんかが解決できる問題でもないだろう。
せめて話くらいなら聞くけど。
聞くだけなら。
しばらくして抱擁を解いたアンリ先生は、優しく二人に語りかける。
「ありがとうな。弟の事を考えてくれて。」
「もう止めはせん。」
そう言う顔は優しい。
けれど、どこか寂しそうだった。
そして二人もなかなか手を離そうとしない。
そんな空気を吹き飛ばすように赤毛親方が声を上げた。
「よしよし、茶会か。リナもソレイア嬢ちゃんも初めてじゃろう。」
「店主よ、派手に行くぞ。」
派手って。
茶会にそんな概念あるの?
俺が首を傾げていると、
「ほらほら店主、あそこじゃ。」
「一番奥のテラス席。あそこでやるんじゃ。」
「ほら、トレース。お主、今作っておる奴を出さんか。」
「リナとソレイア嬢ちゃんの晴れ舞台じゃぞ。」
「おお、あれか。見とれ見とれ。ほら皆こんか。」
そう言いながら飲兵衛親方達が先頭に立ち、俺達をテラス席へ案内する。
まあ確かにあそこは広い。
そして何より、テラスから見える庭園の景色が素晴らしい。
ヘイムの中でも屈指の特等席だ。
部屋に着くと、茶毛親方がアイテムボックスから大きなテーブルを取り出した。
思わず息を呑む。
「まだ未完成じゃが、本番までには仕上げるぞ。椅子も用意する。」
「で、いつじゃ。流石に明日明後日は無理じゃぞ。」
「そうじゃな。一週間は欲しいのう。」
これで未完成なのか。
派手に主張する訳でもない。
なのに、この部屋の雰囲気に自然に溶け込み、庭園とも見事に調和している。
職人ってすごいな。
むう。
これに負けない茶器なんてあるかな。
茶葉も、お菓子も考えないと。
そう思って冨樫さんを見る。
「頑張ってお菓子作りますね。」
冨樫さんは笑顔でそう言ってくれた。
助かる。
正直、まだ俺一人じゃここにふさわしいお菓子は作れない。
さて、夫人達に相談しようとした時だった。
「西園寺さん。この場にAクラスの方々もお呼びするのよね。」
トール夫人が静かに尋ねる。
「はい、トール夫人。その歓迎会とは別に、
そうしてアレク様との接点を作らないと大変な事に……」
そんなに人気あるんだ。
アンリ先生も美人だしな。
弟さんも似てるなら美少年なんだろう。
羨ましくなんかないからね。
……あれ?
そういえばおかしい。
いつもなら師匠のツッコミが入るのに。
ふと見ると、師匠はアンリ先生の頭の上でじっとしていた。
珍しく静かだ。
別に寂しくなんかないからね。
西園寺さんから事情を聞き終えたトール夫人は、教師の顔になった。
「一度には沢山は無理よ。何回かに分けなさい。」
「歓迎会だけど、Aクラスも呼ぶならBクラスもね。」
「それに残念ながら政治が絡みます。解りますね。」
先ほどまでの柔らかな表情は消えている。
厳しい。
本当に教師の顔だ。
「はい。」
西園寺さんも神妙な顔で頷いた。
政治か。
やっぱり貴族が絡むと大変なんだな。
気軽な歓迎会一つにも色々あるらしい。
「それに貴方とカスパール侯爵家令嬢とのやり取りも聞きました。」
「唯の茶会では済みません。」
「隙を見せれば、西園寺家が恥をかきますよ。」
「覚悟はいいですか。」
その言葉に西園寺さんは考え込む。
だが、やがて顔を上げた。
「はい、解っております。」
「西園寺春香、全力を持って迎え撃ちます。」
迎え撃つ。
まるで戦争みたいだな。
でも貴族にとってのお茶会は本当に戦場なのかもしれない。
「よろしい。その覚悟があるなら力を貸しましょう。」
「で、貴方はともかく他のクラスメイトはどこまでできるのです。」
「お茶会の礼儀作法は貴方だけじゃないのよ。」
「Bクラス全員がきちんとできないと駄目なの。」
その言葉に西園寺さんが固まった。
「ええと、高笑いなら完璧ですわ。」
さっきまでの勢いはどこへやら。
声が小さい。
高笑いって礼儀作法なのかな。
夫人達が同時にため息をついた。
その時だった。
「そう、それよ!」
鈴木さんの声が響き渡る。
「ダメでもいいじゃん。これから特訓よ。」
「マイ・フェア・レディよ!」
なんだそれ。
いや知ってるけど。
なんでその年で知ってるの。
俺より上の世代の作品だぞ。
「光源氏計画でござるか、鈴木氏。」
「違うわよ!」
鈴木さんは勢いよく否定すると、映画の内容を熱弁し始めた。
要するに。
礼儀作法のなっていない少女が立派な淑女になる話だ。
そして今回。
未熟だと思われているBクラスが、Aクラスを見返す物語になるのだと。
なんか皆に変なスイッチ入ってない?
大丈夫?
いや、俺もざまぁは見たいけどさ。
そんなこんなで話はまとまった。
開催は一週間後の昼。
茶毛親方がテーブルと椅子を完成させてから行う。
それまでBクラスは礼儀作法の特訓だ。
なぜか鈴木さん達六人も妙に気合いが入っている。
冨樫さんはともかく、他の五人は関係ないだろ。
「だってリアルざまぁみたいじゃん。」
そうですか。
早速次の日。
西園寺さんがカスパール侯爵家令嬢に話を持ちかけ、
歓迎会に招待することが決まった。
人数の関係上、アレク君を除いて各クラス十名ずつ。
Cクラスはどうするのかと思ったが、
まずはAクラスとの歓迎会を成功させてから考えるとのことだった。
茶器については、アンリ先生が家から持ってきてくださるらしい。
その事を告げに来たアンリ先生は、本当にお疲れモードだった。
目の下には薄っすら隈ができているし、
笑顔もどこか無理をしているように見える。
元気出して欲しいな。
「ゆっくり休んで下さい。」
そう言ったのだが、
「ああ……そうする。」
と力なく答えてくれただけだった。
本当に大丈夫だろうか。
俺は少し不安になった。
その後は、夫人達や冨樫さんと打ち合わせを重ねる。
出す紅茶。
出すお菓子。
席順。
当日の流れ。
お茶会の手伝いには侍女さん達も出してくれるらしい。
こういう時、本当にヘイムは人材が豊富だ。
そして巻き込まれたというか、Bクラスのみんなもやる気満々だった。
西園寺さんやリナちゃん、ソレイアちゃんを含めた最初の十名は、
早速ヘイムへ通い始める。
夫人達の指導は厳しい。
だが誰一人文句を言わなかった。
いつも見下してくるAクラスを見返したい。
それも理由の一つだろう。
だが、それ以上に。
いつも自分達を庇ってくれる西園寺さんの力になりたい。
偉ぶることなく普通に接してくれる彼女に恩返ししたい。
そんな思いがあるようだった。
それにアレク君をちゃんと歓迎したいらしい。
一度に全員を呼べない事を残念がる子までいた。
そこからは怒涛の日々だった。
夫人達は礼儀作法を教える。
冨樫さんはお菓子を試作する。
茶毛親方はテーブルと椅子を仕上げる。
侍女さん達は当日の動きを確認する。
そして子供達は必死に練習する。
皆、それぞれ出来ることを全力でやっていた。
そして本番前日。
遂に茶毛親方のテーブルと椅子が完成した。
完成品を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
見事だ。
派手さはない。
だが圧倒的に美しい。
ヘイムの庭園にも、テラス席にも自然に溶け込んでいる。
職人って凄いな。
その完成を記念して、
明日使う予定のケーキや紅茶を使ったリハーサルが行われる事になった。
参加者は子供達十名。
そしてAクラス役の大人達。
服も俺が用意した。
もちろんエマさんにアイアンクローを喰らいながらだ。
どうやら俺の服選びには色々問題があるらしい。
納得いかない。
そして始まるリハーサル。
空気は思った以上に重かった。
ピリピリしている。
子供達も緊張している。
沢山の大人達に囲まれ。
沢山の期待の視線を向けられ。
皆ガチガチだった。
本番で大丈夫かな。
さっきまで騒いでいた鈴木さんですら静かだ。
お茶会ってこんなに静かなものなのか。
そう思った時だった。
カチャ――ン。
一人の女の子がティーカップごと紅茶をこぼした。
空気が凍る。
誰かのため息が聞こえた。
その音が決定打になったのか。
女の子が泣き出した。
「ご、ごめんなさい……」
それにつられるように、他の子達の目にも涙が浮かぶ。
泣かなかったのは西園寺さんくらいだ。
その時。
俺は気付いてしまった。
盛り上がっていたのは俺達大人だけだったんだ。
子供達は。
西園寺さんの為に。
アレク君を歓迎する為に。
必死に頑張っていた。
大人でも嫌になるような指導に耐えてきた。
実際、良い機会だからと一緒に受けた
鈴木さんや松平君、佐々木君、斎藤君なんか途中で根を上げたくらいだ。
それを乗り越えたから。
頑張っていたから。
俺達は勝手に期待してしまった。
一週間でAクラスを唸らせる礼儀作法を身につけられると。
そんな訳ないのに。
勝手に盛り上がって。
勝手に期待して。
勝手に失望して。
その結果がこれだ。
俺達の方が間違っていたのかもしれない。
それなのに。
最初に泣き出した女の子が、涙を拭いながら立ち上がった。
「ごめんなさい、私のせいで。」
「もう一回頑張るから。」
そう言って、震える手でティーカップを持ち直そうとする。
健気だった。
あまりにも健気だった。
そして、その姿を見て他の子供達も立ち上がる。
「わたしも頑張る。」
「次は失敗しない。」
「もう一回やろう。」
皆、涙を浮かべながらも席へ戻ろうとする。
だけど。
一度切れた集中力は戻らない。
誰の目にも明らかだった。
これは駄目だ。
やめさせないと。
きっと、この場にいる大人全員がそう思った。
だが誰も動けない。
なんて声を掛ければいいのか解らない。
何を言えば、この子達を傷つけずに済むのか解らない。
ただ。
子供達の泣き声だけが静かなテラスに響いていた。
その時だった。
『まあまあ、そんなに泣いてどうしたの。』
『せっかくのおべべが台無しよ。』
後ろから。
とても明るく。
とても優しく。
そして、どこまでも慈悲深い声が聞こえた。
俺は思わず振り返る。
誰だ。
後ろには誰もいなかったはずだ。
そう思った次の瞬間。
一人の女性が俺の横を通り過ぎた。
ふわりと風が吹く。
女性は迷う事なく最初に泣いた女の子の前へ行き、その場に膝をつく。
そして優しく涙を拭ってあげた。
えっ。
なんで。
なんでいるの。
俺は知っている。
知っているどころじゃない。
絶対に忘れるはずがない。
この女性を。
なんでここにいるの。
『ほらほら、どうしたの。』
『お姉さんに話してごらんなさい。』
その声を聞いた途端。
不思議な事に子供達が泣き止んだ。
皆が女性を見る。
「お姉さん、だれ?」
『私?』
女性は少し考える素振りを見せてから微笑んだ。
『そうねぇ。』
『ただの通りすがりのお節介焼きのお姉さんよ。』
そう言って優しく笑う。
その笑顔を見た瞬間だった。
子供達が次々と女性の元へ集まる。
まるで母親の元へ駆け寄る子供のように。
「聞いて。」
「私ね。」
「失敗しちゃったの。」
「緊張して。」
皆が一斉に話し始める。
女性は急かさない。
遮らない。
一人ずつ。
ちゃんと目を見て。
ちゃんと話を聞いて。
ちゃんと答える。
それだけなのに。
さっきまで泣いていた子供達が笑顔になっていく。
まるで魔法だった。
いや。
本当に魔法なのかもしれない。
俺を含めて、大人達は誰一人動けなかった。
口を開けたまま固まっている者もいる。
それも当然だ。
だって皆知っているから。
この方が誰なのか。
ありえない。
そんな事があるはずがない。
そう思っているから。
師匠ですら固まっていた。
いつもなら何か言うはずなのに。
アンリ先生の頭の上で停止している。
完全に思考が止まっていた。
ふと気付く。
いつの間にか女性の後ろにブラスさんが立っていた。
静かに。
当然のように。
いやまあ。
確かにそうだろうけど。
ブラスさんだもんな。
むしろいなかった方がおかしいか。
でも今はそこじゃない。
そこじゃないんだ。
俺の頭の中では警報が鳴り響いていた。
なんで。
普通に。
子供達に混ざっているの。
なんで。
『じゃあ、みんなでもう一度。最初からやってみましょう。』
「でも……」
子供達は不安そうな顔で互いを見合わせる。
先程の失敗が頭から離れないのだろう。
そんな子供達に、お節介焼きのお姉さんは優しく微笑んだ。
『大丈夫よ。誰もね、最初から出来る人なんていないの。』
『何回も失敗して、何回も転んで、それで上達するのよ。』
その声は不思議と心に染み込んでくる。
子供達も少しずつ表情を和らげ、再び席へ戻っていった。
よし。
これで何とか――
そう思った瞬間。
お節介焼きのお姉さんが俺を見た。
いや。
睨んだ。
『まさか、この温い紅茶とお菓子で誤魔化すんじゃないでしょうね。』
その瞬間だった。
俺の本能が叫ぶ。
ヤバい。
ピーされる。
「イエス・マム!」
反射的に敬礼していた。
考えるより先に身体が動いた。
俺は全力でパティシエキッチンへ走る。
明日のために確保していたチートケーキを抱えて戻る。
後ろから冨樫さんの、
「それ明日の分ですー!」
という悲鳴が聞こえた。
ごめん。
本当にごめん。
でも俺、ピーされたくないの。
命には代えられない。
そして紅茶を淹れようとして気付く。
お手伝いの大人達。
まだ固まってる。
誰一人動いていない。
いや気持ちは解るよ。
解るけど今は手伝って。
俺一人じゃ無理だから。
そう思った時だった。
バタンと扉が開く。
「我がマスターに恥をかかせる訳にはいきませんので。」
キューブだ。
援軍だ。
助かった。
そして。
エマさん。
天宮さん。
その後ろに――
あれ?
増えてない?
顔も違う。
髪型も違う。
髪色も違う。
でも。
どう見ても同類だ。
赤。
緑。
青。
エマさん系統の冥土さんが増殖している。
なにそれ怖い。
いや。
今は追求するのは止めよう。
子供達が優先だ。
キューブ達は見事な連携で動き始める。
ケーキを並べ。
食器を整え。
紅茶を用意し。
あっという間にテーブルを仕上げていく。
凄い。
流石プロ。
俺も負けじと紅茶を淹れる。
思わずチートした。
仕方ない。
今日は許して欲しい。
そうして始まった二回目のリハーサルは。
先程とは別物だった。
お節介焼きのお姉さんは決して叱らない。
失敗しても怒らない。
途中で止めたりもしない。
最後までやらせる。
そして。
必ず褒める。
『上手よ。』
『頑張ったわね。』
『ほら、出来たでしょう?』
たったそれだけなのに。
子供達の顔がどんどん明るくなる。
笑顔になる。
先程まで泣いていたのが嘘みたいだ。
まるで本当の母親みたいだった。
慈悲深く。
温かく。
ただ優しく見守っている。
――でも。
俺は見てしまった。
キューブが紅茶を差し出した時だ。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
キューブとお節介焼きのお姉さんの目が合った。
睨み合った。
いや。
絶対に睨み合った。
その次の瞬間には何事も無かったように戻ったけど。
俺は見逃さなかった。
そして。
誰も気付いていないけど。
天井を見て欲しい。
いや見なくていい。
見たら混乱する。
なんで二人の影が殴り合いしているの。
さっきまで素手だったよね。
なんで剣が出てるの。
いつの間に武器持ったの。
下では優雅なお茶会。
上では謎の決闘。
子供達の笑い声が響く中。
天井の影だけが壮絶な戦いを繰り広げていた。
なんなの。
本当に。
なんなの。
そして。
和やかな雰囲気のままリハーサルは終了した。
『どう?』
『難しくないでしょう。』
『お茶会なんてね、貴方達くらいの年頃なら楽しくすればいいのよ。』
『大人の事情なんて放っておきなさい。』
子供達は顔を見合わせる。
「いいの?」
不安そうに聞く。
すると。
お節介焼きのお姉さんは笑った。
『いいのいいの。』
『何か言う人がいたら、お姉さんが叱ってあげるわ。』
その言葉に。
子供達は声を上げて笑った。
『これで、明日は大丈夫ね。さっきみたいに気楽にしなさい。』
お節介焼きのお姉さんがそう言うと、子供達は顔を見合わせた。
しかし――
「明日、自信ない。」
誰かがぽつりと呟く。
その言葉を皮切りに、他の子達も不安そうな顔になる。
さっきまで笑っていたのに。
やっぱり本番は別なのだろう。
Aクラスの貴族達。
歓迎会。
礼儀作法。
失敗したらどうしよう。
そんな気持ちが顔に出ている。
お節介焼きのお姉さんは少しだけ考え込んだ。
そして優しく笑う。
『そうねぇ。じゃあこうしましょう。』
子供達が一斉に顔を上げる。
『明日も見に来てあげるわ。』
『それなら大丈夫でしょう?』
『今日みたいに楽しくやるの。』
その瞬間だった。
「本当!?」
「明日も来てくれるの!?」
子供達の顔が一瞬で明るくなる。
さっきまでの不安が嘘みたいだ。
すごいな。
たった一言でここまで変わるのか。
『ええ、約束よ。』
『必ず来るわ。』
『だから今日はもうおしまい。』
そう言って、お節介焼きのお姉さんは手を叩く。
『自由にお菓子を食べなさい。』
『服を汚したら言うのよ。』
『ヘイムの人がすぐ綺麗にしてくれるから。』
その言葉に子供達は歓声を上げる。
先程まで泣いていたのが嘘みたいだ。
そして、お節介焼きのお姉さんは立ち上がった。
ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
嫌な予感がした。
もの凄く嫌な予感がした。
案の定だった。
俺の肩にぽんと手を置く。
『明日の準備、抜かりないように。』
『決戦よ。』
決戦。
いや。
ただのお茶会だよね?
なんでそんな物騒な単語が出てくるの?
俺が混乱している横で、お節介焼きのお姉さんはアンリ先生を見る。
アンリ先生も無言で見返している。
何その空気。
怖いんだけど。
そして最後に。
子供達へ向けて満面の笑みを浮かべた。
『じゃあ、また明日ね。』
その言葉を残し――
気付けば消えていた。
本当に。
来た時と同じように。
まるで最初からいなかったかのように。
残されたのは静寂だけ。
そして。
いつの間にか後ろにいたブラスさんが、静かに一礼した。
まるで当然のことのように。
いや。
絶対当然じゃないからね。
何だったの今。
明日も来るって言ったよね。
しかも決戦って言ったよね。
俺は子供達を見る。
みんな楽しそうにお菓子を食べている。
次にアンリ先生を見る。
相変わらずよく分からない顔をしている。
いや。
今日はもう何も分からない。
お茶会のはずだった。
それがいつの間にか決戦になっている。
そして、あのお節介焼きのお姉さんまで来る。
何が起きるんだ明日。
考えても分からない。
本当に分からない。
ただ一つだけ分かることがある。
明日のお菓子が無い。
さっき出した。
全部出した。
非常事態だったから仕方ない。
でも無いものは無い。
急いで作らないと。
エマさんの事とか。
増殖した冥土さん達の事とか。
キューブとお節介焼きのお姉さんの謎の決闘とか。
聞きたい事は山ほどある。
だけど今は時間がない。
確認している暇もない。
明日の準備が先だ。
俺がそんな事を考えている横で。
飲兵衛親方達が膝をついて泣いていた。
茶毛親方も。
赤毛親方も。
他にも何人か泣いている。
何なの。
今日は涙腺がおかしくなる日なの。
そんな中――
突然。
アンリ先生が笑い出した。
声を上げて。
腹の底から。
久しぶりに見る笑顔だった。
陽気で。
明るくて。
力強い。
いつものアンリ先生だ。
「そうか。」
「明日も来られるか。」
そう呟く声は、どこか震えていた。
そして。
アンリ先生は天を見上げる。
「我はここで、初めて心の底から祈るぞ。」
誰も口を挟まない。
飲兵衛親方達も。
夫人達も。
ミレディさんも。
ただ静かに聞いている。
「我は――戦争を止めてみせる。」
力強い宣言だった。
いや。
待て。
戦争?
明日のAクラスとのお茶会の事かな。
いや違う気がする。
でも分からない。
今日は本当に分からない事だらけだ。
ただ一つ言える事は。
アンリ先生が元気になった。
それだけで十分だ。
俺は肩をすくめる。
さて。
明日のお菓子をどうしよう。
流石に今日と同じ物は出せない。
新しい物を考えないと。
そう思いながら。
未だに収拾のつかない部屋を後にして。
俺はパティシエキッチンへ向かった。
師匠のニューワールド講座54
~アステリア帝国建国史編~
「師匠」
『なんです』
「戦争ですよ、戦争」
「本当に起こるんですか」
「怖いんですけど」
『さあ、どうでしょうね』
『帝国の状況は微妙ですし』
『隣国の動きも少し怪しいですからね』
『では』
『ここで少し』
『アステリア帝国についてお勉強しましょう』
「嫌な予感しかしない」
『元々アステリア帝国は』
『超帝国時代』
『西方辺境を守る一辺境伯領に過ぎませんでした』
『当時の役目は』
『西方防衛』
『そして他大陸からの侵略への備えです』
『超帝国の西側玄関口でしたからね』
「意外と重要な場所だったんだ」
『ええ』
『ですが』
『超帝国の後継者争いを発端とする』
『二百年戦争が始まります』
『当初』
『アステリア辺境伯家は中立でした』
『しかし』
『難民の流入』
『食料不足』
『魔物の活性化』
『邪神やトリックスターの暗躍』
『それらが重なり』
『周辺諸侯は次々に独立』
『戦乱の時代へ突入します』
『そして』
『西方諸侯の裏切りによって』
『アステリア辺境伯家も本格参戦を余儀なくされました』
「巻き込まれたのか」
『そうですね』
『その時』
『アステリア辺境伯家には盟友がいました』
『東方に存在した』
『ミョルニル王国です』
『共に超帝国から独立した国家ですね』
『両者は同盟を結び』
『戦乱の鎮圧へ乗り出します』
『まず南方』
『重要な貿易港を確保しようとしますが』
『当時の西園寺公国が条件付きで降伏』
『これによって』
『莫大な資産』
『食料』
『物流網』
『それらを手に入れました』
『続いて北方』
『現在では広大な穀倉地帯ですが』
『当時は農耕移行期の地域でした』
『そこを平定した事で』
『さらに食料基盤を確保します』
『そして』
『西方反乱を制圧した頃には』
『財力』
『兵力』
『食料』
『全てにおいて』
『大陸最強勢力となっていました』
「じゃあ天下統一目前だったんだ」
『誰もがそう思いました』
『このまま東方へ進軍し』
『大陸を統一する』
『そして平和が訪れる』
『そう思われていたのです』
「でも違った」
『ええ』
『ここで』
『ハシュバルト公爵家がやらかします』
「出た」
『当時の当主は』
『自分こそ超帝国正統後継者だと思っていたのでしょう』
『混乱を起こし』
『アステリア辺境伯家を乗っ取り』
『自らが覇者になるつもりだったのかもしれません』
『しかし結果は最悪でした』
『神々の監視』
『邪神やトリックスターの思惑』
『その全てをすり抜け』
『世界に穴を開けてしまったのです』
「うわぁ」
『そこから』
『異星からの侵略者が大量侵入』
『被害は想像を絶します』
『人も』
『街も』
『国家も』
『数え切れないほど失われました』
『そして戦いが終わった頃には』
『大陸統一どころではなくなっていたのです』
「それで今の帝国に」
『ええ』
『戦後』
『責任問題が発生しました』
『ミョルニル王国国王』
『アステリア辺境伯』
『双方が責任を押し付け合った結果』
『負けた方が皇帝になる事になりました』
「なんでそうなるの」
『知りません』
『戦後は皆疲れていたのでしょう』
「雑だなぁ」
『そして』
『敗者となったアステリア辺境伯』
『カール・デア・グローセ・ソルヴェイン・エーギル・アステリア』
『つまりアンリ先生のお祖父様ですね』
『彼が初代アステリア皇帝となりました』
「なんか納得いかない」
『歴史なんてそんなものです』
『ちなみに』
『世界に穴を開けた張本人のハシュバルト公爵は死亡』
『一族の大半も同じ運命を辿りました』
『唯一生き残った赤子が』
『現在のハシュバルト家の祖となります』
『赤子に罪はない』
『そう判断されたのですが』
『まあ』
『今となっては失敗でしたね』
『神殿に預けるか』
『平民として育てていれば』
『帝国の問題は半分くらい減っていたでしょう』
「辛辣だなぁ」
『事実ですから』
『その後も混乱は続きましたが』
『カール皇帝を始めとした英雄達によって』
『内乱は鎮圧され』
『ようやく平和が訪れます』
『それが現在のアステリア帝国です』
『もっとも』
『東方』
『南方』
『北方』
『西方』
『どこにも火種は残っていますけどね』
『ヴァルナさん』
『聞いてますか』
「ZZZ……」
『……』
『聞いてませんね』
『久しぶりに』
『師匠キィィィィック!!』
「ぎゃあああああっ!」
※アステリア帝国は約百年前に建国されました。
※火種はまだ残っています。
※師匠は歴史の授業が好きです。
※ヴァルナさんは途中で寝ました。
※だから蹴られました。
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




