44 勇者のバナナマフィン
阿鼻叫喚となった店内から、なんとか立ち直ったみんなだったが。
まだどこか引きつったような笑顔を浮かべながら、
それぞれ仕事へ戻っていく。
やはり、引退したとはいえ貴族が常駐するというのは、
それだけで大きなプレッシャーなのだろう。
日本育ちの俺には今ひとつ実感が湧かないが、あれか。
常に社長や役員が後ろで仕事を見ているような感じか。
確かに嫌だったな。
普通に仕事をしているだけなのに妙に緊張するし、
何もしないなら部屋に籠もっていてくれと何度思ったことか。
それに
この国は身分社会だしな。
何かあったら店主を呼べとか言われて、
そのままピーされたりするんかなぁ。
ああ、考えていたら俺まで鬱になってきた。
でも、転移勇者達の件もあるし。
何より、あんなに疲れたアンリ先生の苦労もある。
顔を潰す訳にはいかない。
店主として頑張るか。
はぁ……。
大の大人が未来ある子供達の前で、
いつまでも落ち込んでいる訳にもいかないしな。
「さっ、なんか予定外の事があったけど案内するよ」
そう言って、冨樫さんと鈴木さんを二階のパティシエキッチンへ案内する。
「なんか、めんどくさい事になってきたから辞めようかなぁ。
でも日本製使いたいしなぁ」
相変わらず正直な鈴木さんだ。
でもそういう事は、せめて後か心の中で言いなさい。
まあ、パティシエキッチンを案内すると言っても、
本物がどんなものか俺は知らない。
俺よりも実家がケーキ屋で、
ずっと手伝っていた冨樫さんの方が詳しいだろう。
案の定だった。
キッチンに入った途端、彼女の目つきが変わる。
設備を見て回り、棚を開け、器具を確認し。
まるで長年使い慣れた職場に戻ってきたみたいに自然だった。
俺なんかレシピが降りてくるまで何も解らなかったのに。
『成る程、日本でお店を手伝っていただけあって』
『ジョブは《パティシエ》、しかもLV4ですか』
『即戦力ですね。ちなみにヴァルナさんは』
まだ平均で2位です。
『乗っ取られるのも時間の問題ですね』
ガーン。
そんな効果音が聞こえそうな勢いでショックを受けていると、
「店長さん、少し触っていいですか」
冨樫さんが目を輝かせながら聞いてきた。
「ああ、いいよ。冷蔵庫の中の物も使っていいから」
その瞬間だった。
冨樫さんは迷いなく冷蔵庫を開き、材料を取り出し始めた。
手が止まらない。
迷いもない。
まるで体が覚えているかのような動きだった。
※素人な作者がネットで調べて簡略化しております。
間違っていたらごめんなさい。
冨樫さんはボウルにやわらかくしたバターと塩、砂糖を入れると、
ハンドミキサーを回し始めた。
機械音が小気味よく響く。
白っぽくなるまで空気を含ませながら混ぜるその手つきに迷いはない。
続いて、よく溶いた全卵を数回に分けて加える。
その都度、丁寧に。
均一になるまでしっかりと混ぜていく。
ホットケーキミックスを加えると、今度はゴムベラへ持ち替えた。
粉気がなくなるまで、切るように混ぜる。
そこへ牛乳と潰したバナナを加え、
生地がなめらかになるまで根気よく混ぜ続ける。
出来上がった生地を型へ均等に流し込み、最後に飾りのバナナを乗せる。
そしてオーブンへ。
180℃。
約二十分から二十五分。
俺達は自然と、その様子を見守っていた。
やがて甘い香りが漂い始める。
焼き上がった生地は綺麗な狐色に色づいていた。
竹串を刺して確認し、生地が付いてこない事を確かめる。
オーブンから取り出した後は軽くショックを与え、そのまま粗熱を取る。
スゴイ。
本当に流れるような作業だった。
迷いもない。
手が覚えているのだろう。
気付けば、あっという間に“バナナマフィン”が完成していた。
「焼きたて貰い。おっさん、紅茶」
早速鈴木さんが手を伸ばす。
まだ型に入ったままなのに。
「ダメだよ、恵子ちゃん。まだ粗熱が残ってるから」
「もう少し待って」
「それに久しぶりだから。上手く出来たかどうか」
そう言いながら、冨樫さんは使った道具を洗い始める。
その横顔は、さっきまでの沈んだ表情とは少し違って見えた。
俺は目をカッと開く。
《勇者のバナナマフィン》
ランク:A
――以下鑑定内容――
なんだこれは。
恐ろしい物が見えてしまった。
ランクAだと。
しかも効果が凄い。
『ほほう』
『これは私への挑戦と見ていいですね』
『いいでしょう。至高のマフィンを見せてあげましょう』
師匠に変なスイッチが入ってしまった。
師匠。
子供相手に大人げないですよ。
それにこれは、この世界で生きていこうと前向きに踏み出した結果なんですから。
『ええい、料理に前向きも後ろ向きもあるか』
『まだまだ下準備が甘い』
『空気の含ませ方が足らん』
誰か師匠を止めて。
『ならばヴァルナさん』
『馬鹿弟子として貴方も作るのです』
こっちに来たよ。
だから対抗してどうするんです。
『出たぞ、至高先生の難癖だ』
『誰か流派アルティメットを呼んでこい』
『久々の対決だ』
なんか天界が盛り上がっているが。
久々の出番でそれでいいのか。
「あの、店長さん」
「味見お願いしていいですか」
粗熱が取れたのか。
冨樫さんが一つ持ってきた。
後ろでは鈴木さんが既に食べていた。
「美味しい!」
「絶対おっさんのより美味しいって!」
ふっ。
俺はバナナマフィンを手に取った。
しばらく眺める。
そして一口。
さらに一口。
もう一口。
気付けば半分ほど消えていた。
『どうしたんですか』
『珍しく静かじゃないですか』
「師匠」
『なんですか』
「これはお菓子だ」
『ついにボケましたか』
「だけど、ただのお菓子じゃない」
再び一口。
バナナの香りが広がる。
甘い。
だが甘すぎない。
しっとりとした生地が舌の上でほどけていく。
「冨樫さんの技術は確かだ」
俺は頷く。
「焼き加減」
「生地の混ぜ方」
「材料の使い方」
「どれを取っても一流だ」
『で?』
師匠の声が氷点下になる。
「だけど、それだけじゃない」
「料理人なら誰でも美味い物は作れる」
『で?』
「しかしこれは違う」
俺は残ったマフィンを見る。
「この菓子には」
「作った者が今まで食べてきた物」
「過ごしてきた時間」
「帰りたかった場所」
「そういうものが詰まっている」
師匠が黙った。
俺は少し笑う。
「でも」
『……』
「なぜか懐かしい」
しばらく沈黙が流れた。
そして最後の一口を食べる。
「なるほど」
「これは今の俺には作れません」
『……』
「だから今回は」
「至高の負けでいいです」
『こっの馬鹿弟子がぁぁぁぁぁ!!』
『流派至高不敗は王者の味なんです!!』
『例え四方が燃え尽きようとも!!』
『美食を追求するんです!!』
『後で特訓です。レシピ“マフィン”がLV5になるまで、
みっちりと仕込んであげます。』
明鏡止水の心はないんですか、師匠には。
まあ、俺と師匠の馬鹿騒ぎは置いておこう。
ふと視線を向けると、冨樫さんがようやく肩の力を抜いたように微笑んでいた。
さっきまでどこか不安そうだった顔が、今は少しだけ晴れている。
どうやら、みんなの分も作ってくれているらしい。
時間もちょうどいい頃合いだ。
アンリ先生もそろそろ復活しているだろうし、みんなでおやつにしよう。
みんなを二階の喫茶スペースに集める。
おやつタイムだ。
店は現在休憩中。
焼きたてのバナナマフィンと紅茶の香りが部屋いっぱいに広がっている。
みんな嬉しそうにマフィンを手に取っていく。
ちみっこ達は特に夢中だ。
頬いっぱいに頬張りながら幸せそうにしている。
エルミナさんも、
「書類地獄には糖分が必要よ」
と、死んだような目のまま黙々と食べていた。
配管工ブラザーズ。
味わって食え。
一口で飲み込むんじゃない。
飲兵衛親方達は、
「マフィンには紅茶じゃのう」
と珍しくまともな事を言ったので紅茶を淹れてやったのに、
なぜ紅茶入りブランデーに進化させる。
意味が分からない。
エマさんに至っては、
「旦那様はもう試食されたのですよね」
と言いながら、俺の分まで食べている。
酷くない?
他のみんなも、それぞれ楽しそうにマフィンを味わっている。
そんな中、
ハルヴィンダちゃんが満面の笑みで言った。
「店長さん、いつもより美味しいです。」
「流石です。腕を上げられましたね。」
ピシッ。
俺は固まった。
違う。
今回は俺じゃない。
俺じゃないんだ。
そこへ少し遅れてアンリ先生とミレディさんが席につく。
「ほう、バナナマフィンか。どれ一つ」
アンリ先生は一口食べると、
「これは美味いのう」
と満足そうに頷いた。
するとハルヴィンダちゃんが嬉しそうに続ける。
「ですよね。これならきっと王侯貴族が来ても通じますよ。」
その一言で、
ベルンさん。
ハンスさん。
アンナさん。
セバスさん。
全員が同時に固まった。
「ええ、問題ないですね」
とはベルンさんの言葉だ。
だが顔は笑っていない。
動きを止めた俺達をよそに、おやつタイムは続く。
鈴木さんが、
「それ作ったのおっさんじゃなくて冨樫ちゃんだから」
と暴露した瞬間、
部屋中から驚きの声が上がった。
「すごーい!」
「本当に美味しい!」
「お店出せるんじゃない?」
次々に褒められ、
冨樫さんは真っ赤になって縮こまっている。
その隣で、
ハルヴィンダちゃん。
俺とバナナマフィンを見比べない。
お願いだから見比べない。
もういいから。
本当に。
その後、みんなが揃っている今のうちにと、アンリ先生が話を再開した。
転移勇者クラスの件。
スマホ充電の件。
アルバイトの件。
さらに、俺が了承するなら
治安維持のためにアンリ先生の家の警備員を何人か配置してくれるらしい。
すると、
「ねえ、アンリちゃん」
エルミナさんが死んだ魚のような目で手を挙げる。
「私の代わりは?」
「私、一応商業ギルド所属なんですけど。」
アンリ先生は、
「あー」
という顔をした。
完全に忘れていた顔である。
「そうじゃなぁ。」
「もう、そなたここに出張でいいじゃろ。」
「色々知っとるし、新しい奴に一から説明するのも面倒じゃ。」
エルミナさんはムンクの叫びになった。
ちみっこ達が大喜びで両脇に並ぶ。
「わあー!」
「こう?」
両手で頬を押さえて真似をし始める。
さらにその後ろでは、
配管工ブラザーズがなぜかハイタッチしていた。
今更だけど。
お前らも来るんかい。
しかしこれで俺としては助かる。
マジで書類地獄から解放されるかもしれない。
経費もかからない。
……食費は増えそうだが。
そして最後。
アンリ先生が何気なく、
「そういえば母上も来るからのう」
と授業参観の話をした瞬間だった。
生徒諸君。
事情を知る大人達。
そして事情を理解していないちみっこ達。
反応は見事に分かれた。
ミレディさんだけは、
「そうなりますよね」
という諦めの顔。
キューブとエマさんは黙々とマフィンを食べ続けている。
そして――
俺以外の全員が。
エルミナさんよろしく。
綺麗なムンクの叫び状態になった。
それ、
この店で流行っているのかな。
師匠のニューワールド講座㊵
流派至高不敗編
「師匠」
『なんですか』
「師匠がたまに言ってる」
「至高って何なんですか?」
『ふっ』
『ついに聞きましたね』
『そう――』
『我が名は』
『流派至高不敗の開祖』
『天界原 雄子』
『美味サークル創設者にして』
『至高の料理を求めし者』
『その人です』
「帰ります」
『待ちなさい』
『まだ名乗り終わってません』
「長いから!」
『流派至高不敗とは』
『私が長年の修行の末に辿り着いた』
『料理哲学です』
「料理哲学?」
『そう』
『この世は常に新たな美味に満ちている』
『腹の音は天を揺るがし』
『料理人はそれに応えねばならない』
『王者の味をもって』
『人々の空腹を鎮める』
『それが流派至高不敗』
「なんか格好良く聞こえるけど」
「絶対違うよね?」
『失礼な』
『天界では』
『美味サークル会員になる事が』
『一種のステータスなんですよ』
「そんな世界嫌だなぁ」
『しかし』
『最近は嘆かわしい』
『小手先の技術ばかり追い求め』
『料理の本質を見失った者達が』
『幅を利かせています』
「誰の事?」
『流派アルティメットです』
「絶対揉めるやつだ」
『映えるだけ』
『SNS受けするだけ』
『料理とは何かを理解していない』
『まったく嘆かわしい』
・・・
・・
・
「師匠」
『なんですか』
「それ以上は危ないのでやめましょう」
『むぅ』
『ですが』
『覚えておきなさい』
『いずれ』
『ヴァルナさんの前にも』
『流派アルティメットの刺客が現れるでしょう』
「来ないよ」
『四天王とか』
『十二神将とか』
「料理漫画じゃないんだよ!?」
『料理人の世界は戦場です』
『油断してはいけません』
「一番油断ならないの師匠だからね?」
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




