33 増えるの悩みばかり
皆の前で店名“ヘイム”を発表して騒いだ次の日の朝――
飲兵衛親方達が、店の入り口正面に立派な看板を取り付けてくれた。
木目の美しい看板には、大きく力強い文字で、
『ヘイム』
と刻まれている。
それを見た瞬間、なんというか、胸の奥が熱くなった。
ああ、本当に店になったんだなと、感無量だった。
因みに、ムラマサ親方も、もれなく飲兵衛である。
晴れてエマさんと共に“飲兵衛シックス”へ昇格した。
……とはいえ、ムラマサ親方は夕方からしか飲まない。
日中はちゃんと仕事をしている。
なので、“飲兵衛親方達”というと、基本的には赤毛親方と茶毛親方の事だ。
朝やって来る若い労働者達も、何事かと足を止め、
「おお、遂に名前決まったか」
などと声を上げてはいたが、すぐに店内へ入り注文を始めた。
まあ、朝は忙しいからな。
仕事前だし、ゆっくり感慨に浸っている暇もないのだろう。
ランチタイムに来る帝国学園の生徒達など、もっと反応が薄い。
ちらりと見るだけで、後は普通に食事を始める。
……まあ、他人事なんだろう。
この辺りには他に食堂も少ないし、利用する側からすれば、店名を覚えなくても問題ないのかもしれない。
うちの面々も、看板を取り付けた初日こそ感慨深そうにしていたが、その日の夜にはいつも通りだった。
ちみっこ達が学校帰りに、
「ただいまー、ヘイム到着ー!」
と二、三日騒いでいた時が、一番輝いていた気がする。
今ではもう誰も言わない。
ちみっこ達も平常運転だ。
……もしかして、未だに高揚感が続いている俺がおかしいのか。
『まぁ、それだけ皆が受け入れて、普段の生活の一つになったという事で、いいじゃないですか。』
そう言いながら、師匠が俺の頭上でふよふよ浮きつつ指示を飛ばしてくる。
『さぁ、今日も新レシピの勉強ですよ。油断すると大怪我しますからね。』
そう、気を引き締めないと危険なのだ。
皆さん、“キッチンは戦場だ”という言葉を聞いた事があるだろう。
あれは普通、忙しさを表す比喩表現だ。
だが、ここは違う。
流石ファンタジーというか、文字通り“戦場”なのである。
初めて鳥の唐揚げを作った時など――
禁呪《油龍乱舞》を発動しやがった。
鳥の唐揚げの野郎。
危うく大火傷を負うところだったぞ。
どうやら、新レシピで高い熟練度やレベルを要求してくる料理ほど、
“お前の実力を見せてみろ”
“屈服させてみろ”
と言わんばかりに、少しでもミスすると襲い掛かってくる。
鮭の塩焼きで塩抜きを失敗した時など、奥義《甘塩口乱舞》とか言って、塩の塊が何個も俺の口に飛んできた。
歯が折れるだろうが。
ご飯に至っては、水加減を間違えると、
秘奥義《硬硬人形》
究極奥義《柔柔人形》
とか言ってゴーレムを召喚しやがる。
硬いのと柔らかいの、どっちかを食べたい時はどうしろと。
しかも何故か、ハンスさんには起こらない。
俺の時だけだ。
解せぬ。
さて、今日の新レシピは“チョコレートケーキ”。
なんか材料のカカオが、
“ビターを舐めんなよ”
と訳の分からないプレッシャーをかけてくる。
ふん、当たらなければどうという事はないのだよ。
俺はお前を倒し、師匠が手本で作ってくれたチョコレートケーキを食べて目を輝かせていた女性陣を取り戻すのだ。
ええい、チョコレートケーキとの対話はやめろ!
そんな戦場へ突貫する俺を、師匠が呆れた目で見ている。
要は、いつもと変わらない日々なのだ。
店に名前が付き、看板が付けられようと、今まで通り料理を作って、日々精進あるのみ。
ムラマサ親方の所で配管工ブラザーズが飛び回りながら図面を引こうが、
事務室から俺を呪うエルミナさんの声が聞こえようが、
関係ない。
そう、関係ない。
……チョコレートケーキ第一号は、エルミナさんに差し入れしておこう。
あと変わった事と言えば、最近、庭の花畑に小動物が来るようになった。
どこから来たのか知らないが、ウサギやリス、小鳥などがどんどん増えていく。
そしてそれに比例するように、庭も広くなっている気がするのは……気のせいかな。
放課後になると、ちみっこ達がその動物達と遊んでいる。
それ自体はいい。
だが最近、同級生なのだろう。帝国学園の制服を着た子供達まで連れて来るようになった。
うちの居住スペースに他人を入れるのはどうかと思ったが、
そこはキューブが上手くやるとの事なので任せた。
たまに金髪ドリルの子がいるが、気にしないでおく。
アンリ先生と鉢合わせした時は、その子が完全に固まっていた。
まあ、帝国学園の教授がいたらビックリするよな。
後でキューブに聞いたら、やはりちみっこ達のクラス唯一の貴族、公爵家の令嬢らしい。
だが、アンリ先生が問題ないと言うので黙っておく事にした。
高貴な方とは、できるだけ関わりたくない。
面倒なだけだ。
それに子供達には、子供達のコミュニティがある。
大人が無闇に入るもんじゃない。
だから俺は、天界へ出す甘味と一緒に、ちょっとチートした物を出してやる程度にしている。
これくらい、いいよね師匠。
『今のヴァルナさんの腕じゃ、その位しないと、リナとソレイアが恥を搔きますからね。』
だそうだ。
シクシク。
そして――ついにお酒解禁。
エルミナさんというか、商業ギルドから許可が下り、正式に酒を出せるようになった。
当然、夕方から限定だ。
朝やランチタイムは帝国学園の学生達も来るからな。
未成年は禁止である。
初日はかなり恐る恐るだった。
いきなりトラブルとか、本当に勘弁してほしい。
だが、今のうちの客層は基本的に再開発地区の労働者達だ。
立地的に、
東と南は再開発地区。
北側はほぼ帝国学園。
西側はホテル街と住宅街、その先に大通りと他の飲食店。
……微妙だ。
早く再開発が終わって、人通りが増えて欲しい。
しかし
フロアはともかく、キッチン事情は不安なのである。
そんな訳で初日の夜。
若い労働者達を中心に、次々と酒が注文された。
赤毛親方と茶毛親方が現場から連れて来て、
「今日は奢りじゃ!」
とやった結果である。
中には初めて酒を飲む者もいて、まさに大学のコンパみたいなノリだった。
……たぶん専門学校卒の俺には分からない世界だ。
酒類はムラマサ親方が、
「ワインはともかく、ビール系は任せておけ」
と言ってくれただけあり、在庫は潤沢だった。
しかし、この面子でワイン飲む人いるのだろうか。
皆、飲兵衛親方達と同じ人種にしか見えない。
ビール片手に、次から次へと料理を口へ放り込んでいく。
なあ、お前ら絶対味わってないだろ。
やはり量か。
『おかげで、味の未熟さが誤魔化せて良かったですね。』
師匠、だから傷口に塩を塗るのはやめて。
まあ、そのおかげで料理の注文はいつも以上に入る。
売上も増えるし、酒の匂いが苦手な俺としてはキッチンに籠る事になって、
ある意味助かっている。
だが、俺みたいに酒が飲めない人や、騒がしいのが苦手な人もいるはずだ。
分煙じゃないけど、何か考えるか――
そう思った瞬間、なんとなく店が動きそうな気配がしたので止めた。
今また拡張なんかしてみろ。
俺はピーされる。
ほら、聞こえないか。
事務室から俺を呪う声が。
エルミナさんの声が。
店も何か察したのか、止まってくれた気がする。
『なぜ、周りの人の事を察する事ができないのに、店の事は解るんですか。』
えっ。
俺、みんなの事解ってないの。
師匠、無言で答えないで。
俺、小心者なんだから。
KYとか思われたくないから。
『……』
『皆さん、優しい人ばかりで良かったですね。』
「・・・ TT」
結局、バーカウンター側と、そうでない側で席を分ける事にした。
酒を飲む人、飲まない人で自然に棲み分けしてもらう形だ。
そう言えば、タバコを吸う人ってあまり見ないな。
『チーター共の、数少ない功績の一つですね。分煙文化がしっかりしています。』
との事だった。
どうやら転移者達は若者が多く、タバコの煙や匂いを嫌ったらしい。
解るぞ。
俺も吸わないけど、昔、職場の隣席上司がチェーンスモーカーでな。
服や髪に匂いが染みついて、喫煙者としょっちゅう間違われた。
しかも、タバコを吸うと舌がおかしくなり、料理人にはNGと聞いた事もある。
うん。
キッチンの換気はしっかりして、煙が入らないようにしよう。
飲兵衛親方達も吸わないし助かった。
……しかし、ドワーフってパイプを咥えてるイメージだったんだけどな。意外だ。
そして今更だが、俺は重大な事に気づいた。
その日、俺が出前の注文を取ろうとした時だった。
若い労働者達が、
「えっ、なんで?」
みたいな顔をしたのだ。
ハルヴィンダちゃんまで、
「店長さん、今日は土曜日ですよ。今日と明日は現場お休みです。」
と言ってきた。
なんですと。
土曜日。日曜日。
そう言えば、リナちゃんやソレイアちゃんも学校がない日あったね。
何日かごとに、出前注文が入らない日もあったね。
俺、てっきり現場で別の物食べてるのかと思ってたよ。
しかし、その“土日”とはなんぞや。
この世界の一週間は、“月月火水木金金”ではなかったのか。
「そんな訳なかろう。お主、何を言っておるんじゃ。」
と、酒をかっくらいながら赤毛親方。
「どこの地獄じゃそこは。ちゃんと海軍も土日祝日あるぞ。まあ交代制じゃが、週休二日じゃ。」
茶毛親方まで、マジで心配そうな顔をしてくる。
えっ、でも毎日来てるじゃん、飲兵衛親方達。
「ワシ等は引退して、毎日が休みじゃからの。」
「そうじゃそうじゃ。土日祝日など関係ないわ。」
俺は静かにハルヴィンダちゃんを見る。
「アンリ先生やミレディさんも、“問題児は土日祝日関係なく問題起こす”って、休日出勤してました。」
続いてベルンさんを見る。
「まあ、あの方々程になると休みなんて無いからな。あっても纏めて取る。騎士団はちゃんと週休二日だ。休む時は休まないとな。」
「それに土日祝日は、家族連れが増えてたぞ、ヴァルナ殿。」
アンナさんを見る。
「休日手当は頂いてます。ここは姫様の実家より過酷ですね。」
セバスさんの方を見る。
「……」
黙々とグラスを磨いている。
後ろからハンスさんの声。
「俺は料理が毎日作れて嬉しいっすよ!」
……これは重大案件では。
みんな休みなく働いてる。
朝から晩まで。
これ、真っ黒ではないか。
『やだなぁヴァルナさん。飲食店なんか、年中休みなんてあるわけないじゃないですか。』
『ただでさえ、ギリギリ経営なのに。』
えっ、でも休みなしって、みんな倒れちゃうよ。
プライベートとか色々あるじゃん。
『でも、一人でも欠けたら回りませんよ。このお店。』
確かに。
不味い。
これ以上人を増やす余裕はない。
店よ、絶対大きくなるなよ。
振りじゃないからな。
皆、苦笑いしながら、
「もう少し店に余裕が出たら考えましょう」
と言ってくれた。
だがこれは、早急に何とかしないといけない問題だ。
また一つ、悩み事が増えた。
せめて休日手当でも――
そう思い、マルタさんの所へ相談に行くと。
涙目で、
「私、雇われてから一度も休日貰ってないんです。」
と訴えるエマさんがいた。
……いつもリビングでくつろいでるだろう、とは言えなかった。
仕事は完璧だからな。
師匠のニューワールド講座㉙
休日と社畜編
「師匠、大変です」
『なんですか』
「“月月火水木金金”って言ったら」
「皆から変な目で見られました」
『……』
『ああ』
『曜日説明してませんでしたね』
「そこ!?」
『安心してください』
『この世界も、日本と同じ七曜制です』
「同じなんだ」
『基本的に週休二日ですね』
「えっ」
『一般市民も』
『職人も』
『役人も』
『ちゃんと休みます』
「文明的!!」
『飲食店などサービス業も』
『シフト制や平日休みですね』
「じゃあ俺……」
『休み無しで働いてますね』
「うっ」
『流石ヴァルナさん』
『いつでも天界でやっていけますよ』
「褒めてないよね?」
『社畜の鏡です』
『再び天界に来た際には』
『地獄(天界)を紹介してあげましょう』
「嫌だよ!!」
『あそこは』
『休日なんてありませんから』
「ブラック企業より酷ぇ!!」
『しかし』
『他の皆さんまで』
『休み無しで働かせるのは感心しませんね』
「いや、でも店が……」
『皆さんは善良な一般人です』
『ヴァルナさんとは違うのですよ』
「扱い酷くない!?」
『天罰落ちますよ』
「師匠側からそれ言う!?」
『まったく』
『誰ですか』
『“月月火水木金金”なんて教えたのは』
『けしからんですね』
「あの師匠……」
『な・に・か?』
「目が怖い」
「でもアンリ先生やミレディさんも」
「休みなく働いてるじゃないですか」
『高貴な立場には』
『それに見合う働きがあります』
『国を動かす側に』
『休む暇などありません』
「うわぁ……」
『ここは平和な日本ではないのです』
『隣国問題』
『勇者問題』
『貴族問題』
『邪神問題』
『いつ何が起きてもおかしくありません』
「たしかに」
『ですので』
『あの二人』
『長期休暇など取れないのですよ』
「大変だなぁ……」
『ちなみに帝国の労働環境は』
『大体こんな感じです』
『帝国中枢』
『“休み? なにそれ”』
『貴族階級』
『権力闘争で忙しい』
『中級官僚』
『利権争いで忙しい』
『現場役人』
『しわ寄せで毎日残業』
『神殿関係』
『祭事で不定休』
「地獄では?」
『ですので』
『比較的まともに休めるのは』
『一般市民だったりします』
「なんかリアル!!」
『ちなみに』
『エルミナは完全に現場役人枠ですね』
「……あっ」
『毎日残業、お疲れ様です』
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




