表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/82

22 俺の味

やったぞーーー!


俺はついに――


最強の盾と矛を手に入れた。


これで勝てる。


さぁ来い、エルミナさん!

……撃墜されました。

なぜこうなった。


それは、ベルンさん一家がこの店へやって来た日の夜まで遡る。

歓迎会も終わり、片付けも一段落した頃。

社員食堂では、大人達がこれからの話をしていた。

リナちゃんとソレイアちゃんは、仲良く二階で遊んでいる。

ハルヴィンダちゃんは、その様子を見に行っていて、

今ここにいるのは大人組だけだ。

俺はテーブルの上に、店の簡単な見取り図を広げながら、ベルンさんへ向き直った。


「ええと、改めてなんですけど……お願いしたいのは、店の用心棒ですね」

「酒を出すなら、絶対揉め事起きるだろうし」


するとベルンさんは腕を組み、


「まぁ、酒場なら避けて通れん話だな」


と苦笑した。

その瞬間だった。


「酒を出すのか!」

「ついにか!」


飲兵衛フォーが、一斉に食いついた。

赤毛親方など、椅子から半分立ち上がっている。


「持参せんで済むではないか!」

「ようやく店らしくなるのう!」


うるさい。

特に親方二人。


「ただし」


茶毛親方が、にやりと笑う。


「まずい酒は飲まんぞ」

「ワシ等ドワーフ族を満足させる物を出せ」


無茶言うな。


「仕入れ先とか、こっちは素人なんですけど……」


そう言うと、赤毛親方が酒瓶を揺らしながら笑った。


「安心せい」

「良い所を紹介してやる」

「まぁ――高いがな」


でしょうね。

でも正直助かる。

酒の仕入れなんて、まったく伝手がなかった。

お金の方は……多分なんとかなる。

帳簿つけてないから、正確には分からんけど。

だが、天界への料理納品が地味に大きい。

若い労働者達への料理は、ほぼサービス価格だ。

だが天界側は違う。

あいつら、きっちり適正価格払ってくる。

しかも量が量だ。


朝。

昼。

夜。

たまに夜食。


どれだけ作ったと思ってるんだ。

最近、腹はへこまないのに腕だけ筋肉ついてきた気がする。


『気のせいですね』


師匠が即座に切り捨てた。


『相変わらずメタボ体系です』


解せぬ。


そんな話をしていると。


「……帳簿、つけてないんですか?」


マルタさんが、静かに聞いてきた。

笑顔だった。

笑顔だったが――怖い。


「はい!」

「忙しくて!」

「どんぶり勘定です!」


笑って誤魔化す。

だが。

その場にいた全員が、


「あぁ……」


みたいな顔をした。


「我が、エルミナを紹介してやっただろう」


アンリ先生が呆れ顔で言う。


「いや、色々教えて頂いたんですけど」

「実行できるかは別問題で――痛い痛い痛い!」


酒瓶で手の甲をぐりぐりしないで。


その夜。

俺は翌日、マルタさんに金庫を見てもらう約束をして解散した。



そして翌朝。

不思議な事が起きた。

店の一階。

店舗スペース横の空き部屋が――

事務室になっていた。


机。

椅子。

書類棚。

新品の金庫。


全部生えてた。

もう驚かない。

いや驚け。

しかも店舗側も進化していた。

小さな食堂だったはずなのに、

今や完全にファミレスサイズである。

なんでやねん。


呆然とする俺をよそに、

マルタさんは当然のように事務長席へ座った。

似合いすぎる。


「では、金庫を」


そう言われ、

俺は今まで金庫代わりにしていた箱を渡す。

開く。

中には大量の金貨。

以上。


「……これだけですか?」


怖い。

前より怖い。

その時。

ぐいっと髪を引っ張られた。


「痛い!」


振り返ると師匠。

そして、視線で書類棚を指す。


「え?」


いつの間にか、ファイルが増えていた。

開いてみる。

……領収書。

しかも。

天界との食材取引や料理代の記録まである。

当然、取引先名は天界ではなく、架空店舗になっていたが。


「あるじゃないですか!」


マルタさんが安堵した顔になる。


「ですが、こんなに溜め込んでは駄目です!」

「毎日処理しないと!」


はい。

すみません。

どうやらマルタさん、

商家の出で、実家の帳簿も付けていたらしい。


来た。

来ました。

最強の矛ベルンさん。

最強の盾マルタさん。

これで勝てる。


「で、ヴァルナさん」


マルタさんが帳簿を閉じる。


「主人もまだ決めかねていますが」

「お給料は、どの程度を考えておられます?」


きた。

商家の娘。

しっかりしてる。

相場が分からない。

けれど、俺としては良心的な金額を提示したつもりだった。

……つもりだった。


「相場が分からないんです」


正直にそう言うと、マルタさんは静かに目を閉じた。

そして、深いため息を一つ。


「……なるほど」


怒鳴られなかった。

だが、その静けさが怖い。

マルタさんは机の上に紙を一枚広げると、ペンを取り、さらさらと数字を書き始めた。


「住み込み、食事付き。仕事内容は用心棒、配膳補助、店内整理。それに私の事務補佐分も含めるなら、本来はこの程度が最低ラインです」

「ほうほう」


頷く俺。

正直、半分くらい分からない。


「ただし、こちらは住む場所も食事も提供していただいています。ですので、当面は抑えた額でも構いません」

「いや、それは困ります」


思わず言った。

マルタさんが、少しだけ目を見開く。


「困る、ですか?」

「はい」


俺は腕を組み、必死に考える。

こういう交渉は苦手だ。

でも、ここは譲れない。


「ベルンさん達一家を受け入れるって決めた以上、ちゃんと働いてもらうなら、ちゃんと払いたいです」

「ですが、こちらは行く場所もない身です」


マルタさんの声は落ち着いていた。

落ち着いていたが、その奥に遠慮がある。


「住む場所、食事、仕事。それだけでも十分です」

「駄目です」


即答した。


「ソレイアちゃんの将来のためにも、ちゃんと貯金できた方がいいです」


その名前を出すと、マルタさんの手が止まった。

一瞬だけ、母親の顔になる。


「……それを言われると、弱いですね」


少しだけ笑った。

よし。

押せる。

ふっ。

これでベルンさん、逃がしませんよ。


後日、この金額でもエルミナさんには「安すぎます」と怒られた。

解せぬ。



まあ、店がファミレス化したとはいえ、お客様が一気に増えるわけではない。

朝は若い労働者達。

昼は配管工ブラザーズ。

本当に兄弟かは知らない。

夕方からは飲兵衛フォー。

今のところ、増えた席が全部埋まるような事はない。

ベルンさんも、マルタさんが経理として仕事を始めた事で腹をくくったのか、少しずつ配膳の仕事を手伝ってくれるようになった。

トレーを持つ手つきはぎこちない。

だが、客の流れを読む目は鋭い。

そして用心棒の方も、やってくれるそうだ。


「だがな」


ベルンさんは、バーカウンターを見ながら腕を組む。


「俺は酒は飲むが、客に出せるほど詳しくないぞ」


確かに。

店にいつの間にかできたバーカウンター。

冷えたエールだけでなく、カクテルとか色々出せそうな作りだ。

グラス棚。

酒瓶置き場。

樽を置くスペース。

なぜか氷まで作れそうな魔道具。

本当に何をさせたいのやら、この店は。


「従業員か」


アンリ先生が、椅子の背もたれに体を預けながら呆れ顔で言った。


「店主、お主、何のためにエルミナを紹介したと思っておる」

「え?」

「商業ギルド職員じゃぞ。紹介してもらえばよかろう」


あ。

その手があった。

アンリ先生は、少し考えるそぶりを見せる。

それから、酒杯を置き、立ち上がった。


「我が今から用事がある。ついでに言っておいてやる」


おお。

流石アンリ先生。

頼りになる。


「お願いします!」


素直に頭を下げる。

するとアンリ先生は、一瞬だけ固まった。

そして、なぜか楽しそうに笑う。


「店主」


肩に手を置かれる。


「少しは人を疑う事を覚えた方がいいぞ」

「俺だってもう五十ですよ」


胸を張る。


「沢山人見てきたし、アンリ先生は悪い人じゃないでしょ」


そう答えると、アンリ先生はさらに笑った。

今度は背中をばしばし叩かれる。

痛い。

解せぬ。




数日後。

エルミナさんが、一人の中年男性を連れてやって来た。

さあ来い。

あれから、マルタさんが頑張って帳簿を付けてくれた。

明らかに赤字経営ではある。

だが、女神様から頂いた初期費用を、俺の持ち出し資金として誤魔化した。

ちなみに二十年ローンらしい。

どこへ払うのかは知らない。


エルミナさんに帳簿を見せる。

俺は胸を張った。


「どうです!」


マルタさんという最強の盾がある。

これで少しは――


「こんなの当たり前です」


一刀両断。

俺の最強の盾がどこぞの竜の盾のごとく一瞬で砕かれた。

さらに、最強の矛であるベルンさんも、エルミナさん相手には何の役にも立たなかった。


ベルンさんはエルミナさんの書類束を見て、静かに目を逸らしていた。


「それと」


エルミナさんが、机の上に書類を置く。

厚い。

嫌な予感しかしない。


「お酒を出すなら申請書類を書き直しと言いましたよね」

「はい……」

「そして、アンリちゃんから従業員を紹介してほしいと聞きました」


エルミナさんは淡々と続ける。


「急ぎとの事でしたので、今回はゼバスさんに来ていただきました」


隣の中年男性が、柔らかく頭を下げる。

穏やかな雰囲気の人だ。

姿勢が綺麗で、指先まで無駄がない。


「ゼバスと申します。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ!」


いい人そうだ。


「はい、こちらが従業員紹介依頼の書類と、費用の請求書です」

エルミナさんが、追加で紙を置く。


えっ。

待って。

もう来てもらったゼバスさんには悪いけど、一択なの?

普通、複数人いて、面接とかして選ぶんじゃないの?

俺が顔に出していたのか、エルミナさんが眼鏡を押し上げる。


「ヴァルナさん、運がいいですね」

「はい?」

「ゼバスさんは長年、ある酒場でバーテンダーをしていて評判も良かった方です」


エルミナさんは、ゼバスさんの横顔をちらりと見る。


「ただ、その店の主人が息子の代に代わりまして」


少しだけ声を落とす。


「おっさんはいらん、と言われて解雇されたのです」


なんと。

そんな話を聞いたら断れないじゃないか。

分かるぞ。

俺もこの年で再就職決まらなかったからな。


「腕は確かですし、身元もしっかりしています」

「よろしくお願いします!」


即決だった。


エルミナさんに、お給料や待遇をどうすればいいか聞くと、また深いため息をつかれた。


「まったく」


書類を整えながら、じろりと見られる。


「その年になるまで、どうやって生きてきたのですか」

「よくお店を開こうと思いましたね」


相変わらず厳しい。

結局、住み込み、食事付き、給料ありで話がついた。

そんなやり取りをしている横で、ベルンさんとゼバスさんが目を合わせていた。

ベルンさんが、少し目を細める。


「あなたも大変だったんですね」

――おい、お前どう見ても帝国諜報員だろう。


ゼバスさんは、にこやかな笑みを崩さない。


「いえいえ。おかげで良いところを紹介していただけました」

――黙っていろ。ばらしたら許さんぞ。


きっと、こんな感じだ。

早速仲良くなってくれて嬉しい。


『本当に、日本とこちらが違うと分かっていませんね』

※ヴァルナさんは、副音声は聞こえていません。

by師匠



その後、ゼバスさんとも少し話した。

独身で荷物も少なく、すぐに来られるとの事。

お酒の仕入れが終わるまでは、店内の配膳も手伝ってくれるらしい。

とても温和で良い人だった。

また常識枠が増えた。

助かった。




その夜。

みんなが寝静まった頃。

俺は師匠に呼び出され、キッチンへ来ていた。

店内は静かだ。

昼間はあれだけ騒がしかったのに、

今は冷蔵庫代わりの魔道具の低い音だけが響いている。


『さて、ヴァルナさん』


ふよふよ浮かぶ師匠が、いつになく真面目な声を出した。


『今から、なんでもいいので料理を一品作ってください』


おっ。

たまには師匠らしい事をしてくれるのか。

そう思った瞬間。


『いつも師匠らしく尻拭いしてます』


即座に返された。

解せぬ。


俺は気を取り直し、中華鍋を手に取る。

作るのは《炒飯3》。

若い労働者達に人気の料理だ。

朝からあんな脂っこい物を、よく大量に食べられるなと思うが、

おかげでレベルは3まで上がった。


鍋を振る。

油の弾ける音。

卵の香り。

手は慣れている。

気づけば自然に動いていた。

完成した炒飯を皿へ盛り付け、

師匠の前へ置く。

師匠は一口だけ食べると、


「ふむ」


と小さく頷いた。

そして今度は、俺に食べるよう促す。

その時だった。


「素人料理にしては美味しいですね」


突然、横から声。


「ですが、自慢できるほどではありません」


うおっ。


エマさん、いつの間に。

しかも俺が食べる前に、皿ごと持っていった。

そして普通に食べ始める。


「やはり皆さん、量を目当てでは?」


そう言いながら、

普通に食べ続けている。

しかも止まらない。

あれ。

それ全部食べる勢いでは?


「旦那様」


エマさんは炒飯を頬張りながら、じろりとこちらを見る。


「こんな時間に食べると、ますますメタボになりますよ」


ひどい。


「そうならないよう、私が仕方なく食べているのです」


ああ、そうだった。

この人、食いしん坊キャラだった。

そんなやり取りを見ていた師匠が、

深々とため息をつく。


『……いいでしょう』

『第三者の方が客観的で分かりやすいですね』


そして、くるりとこちらへ向き直った。


『ヴァルナさん』

『気づいていますか?』

『《料理》のレベルが2になっている事を』

「えっ」


言われて、自分のスキル一覧を意識する。

ずらりと並ぶレシピ群。

見づらい。

整理したい。

でも多すぎる。

その中に――あった。


《料理2》


「本当だ!」


思わず声が出た。


「くぅぅぅぅ……ようやくか!」


全然上がらなかったんだ。

どうなる事かと思っていた。


『本当に』


師匠が呆れたように言う。


『全国の主婦に喧嘩を売るのが好きですね』


ぐさっ。


『主婦の皆さんは、毎日苦労して何年もかけてその域に達するのですよ』

『それを、半年やそこらでレベル2になるとか』

『怒られますよ?』


むう。

それを言われると反論できない。

だが俺だって、朝から晩まで料理してるんだ。


『その程度で調子に乗らない』


師匠の圧が強い。


『まぁいいでしょう』


そう言うと、師匠はにやりと笑った。


『さて――ここからチート祭りです』


不穏。


『ヴァルナさん、もう一度炒飯を作ってください』

『今度は、《料理》のレベルが2だと意識して、強く念じながら』


言われた通り、中華鍋を握る。


《料理2》

《料理2》


俺は料理レベル2なんだぞ、と意識しながら作る。


すると。

明らかに違った。

手が軽い。

鍋が振りやすい。

火加減が感覚で分かる。

食材を入れるタイミングも、

なぜか自然に理解できる。

そして――香り。

いつもより、食欲を刺激する匂いが立ち上る。

完成した炒飯を、師匠とエマさんへ出す。

俺も、中華鍋に残った分を少し食べてみた。


「……なんだこれ」


うまい。

今までより、明らかにうまい。

一流店とまでは言わない。

だが。

町中華の人気店レベルの味はする。

エマさんも、無言で食べ続けていた。

文句がない。

これは珍しい。

すると。

空になった皿を、すっと差し出してくる。


「おかわり」


早い。

おいおい二杯目だぞ。

大丈夫か。

慌ててもう一度作る。

今度は急いだ。

そして三杯目を出した瞬間。


「美味しくないです」


文句を言いながら、普通に食べている。

なんなんだこの人。


『急いで、《料理2》の事を忘れていましたね』


あ。

そっか。

いつも通り作ってた。


『種明かしをしましょう』


師匠が、教師みたいに偉そうに語り始める。


『《料理2》を意識して炒飯を作った時』


『《炒飯3》がブーストされ、《炒飯5》になったのです』


なんだと。


『この効果は、《料理》のレベルが上がるほど強くなります』


つまり。

《料理3》や《料理4》になれば――

来たぞ俺の時代!

これで料理の味が一気に上がる!

お客様も喜ぶ!

店も繁盛!

給料も払える!

チート万歳!

……ちーと。

そこで止まった。

あ。

そっか。

それは。

俺の味じゃない。

チートで底上げした、

インチキの味だ。


今だって。

赤毛親方。

茶毛親方。

アンリ先生。

ミレディさん。

若い労働者達。

配管工ブラザーズ。

みんな文句を言いながらも、

ちゃんと食べてくれてるじゃないか。

ハルヴィンダちゃんも。

リナちゃんも。


「カルラさんには負けるけど、温かい料理で好き」


そう言ってくれたじゃないか。

俺が毎日、何回も料理して。

レシピレベルを上げて。

努力して積み上げた味を。


『……分かってくれて助かります』


師匠が珍しく真面目な声を出す。


『チート万歳とか』

『俺の時代来たぜとか言い出したら』

『その頭の毛、全部むしり取るところでしたよ』


やめて。

そこだけは勘弁して。

横でエマさんが、


「ぶーぶー」


言っている。

さらに天界から紙が乱舞した。


『チート飯万歳』

『上手い飯よこせ』

『上げて落とすの反則』


相変わらずである。


『やれやれ』


師匠は呆れたように肩を竦める。


『まぁ、力のコントロールの修行もあります』

『天界への料理は、《料理2》を使って作りましょう』

『味が上がる分、値段も上がりますからね』


すると今度は。


『横暴だ』

『安月給』

『給料前』


紙がさらに荒れ狂う。


『こちらのお客様には、今まで通り出すのです』

『オンオフをきちんと切り替えられるように、特訓ですよ』


確かに制御できないと危ないか。


『あと』


師匠がこちらを見る。


『もう一つ、スキルが生えてませんか?』


もう一度、一覧を確認する。

レシピが多くて本当に見づらい。


『あなたが普段から整理整頓できないからです』


しくしく。

あった。


《料理器具召喚》


これだ。


『それです』


師匠が頷く。


『さぁ試してみましょう』


『初めてですから、トングとか菜箸とか簡単な物で』


俺は言われた通り、意識を集中する。

来い。

その瞬間。

ぐらり、と世界が揺れた。


「っ……!?」


体から何かが、ごっそり抜けていく感覚。

目の前が暗くなる。

膝が崩れる。


『ヴァルナさん!?』


師匠の慌てた声。

倒れそうになる体を、

誰かが支えてくれた。


「あっ……エマさん、ありがとう」


しばらくして、ようやく視界が戻る。

目の前には、激おこの師匠。


『何をやってるんですか!』


怖い。


『たかがトングと菜箸をお取り寄せするだけで、意識を失いかけるとか!』

『どれだけ軟弱なんですか!』


料理台を見る。

ちゃんと、トングと菜箸が置かれていた。

《料理器具召喚》って、こんなにヤバいのか。

毎回これなら使えないぞ。


『ちなみに』


師匠が説明を続ける。


『《料理器具お取り寄せ》の性能は、《料理》レベルに連動します』

『ですので、独立したレベルはありません』

『料理レベルが上がれば、もっと楽に色々取り寄せられるようになります』


そっか。

これにはレベルないのか。

スキルを確認する。

《料理器具お取り寄せ》……。

あれ?

今、召喚じゃなかったっけ。

勘違いかな。


「旦那様」


エマさんが、にこりと笑う。


「支えて差し上げたのですから」


嫌な予感。


「私の食事も、ブースト版でお願いします」


ぶれないなぁ、この人。

その時。

エマさんが、ふと虚空を見た。


「……おかしいですね」


小さく呟く。


「確かに召喚されたはずですが、いませんねぇ」


その言葉の意味を、俺は理解できなかった。




クリスタルの山から、かなり離れた場所。

月も出ない、新月の夜。

闇の中。

何者かが、クリスタルの山を見上げていた。


「やれやれ」


どこか困ったような声。


「せっかくマスターに呼んで頂いたのに」


ゆっくりと、山を見つめる。


「御身の傍へ出られないとは」


その声には、微かな笑みが混じっていた。


「あの場所、厄介な加護に守られてますねぇ」


風が吹く。

黒い外套が揺れる。


「……どうしましょうか」


新月の夜。

何者かが、静かに呟いた。


師匠のニューワールド講座⑱

飲食店経営の現実編


「……あれ?」

「師匠が泣いてる」

「どうしたんですか」

『……ヴァルナさん』

『私は、間違っていました』

「重っ!?」

『先ほど、テレビを見て思ったのです』

「テレビあるんだ」

『細かいことは気にしない』

「気になるわ」

『見てください、この料理人を』

『たった一人で』

『イタリア料理店を切り盛りし』

『朝から晩まで走り回り』

『お客様のために』

『少しでも美味しい料理を出そうと努力している』

『休みの日すら仕込み』

『動画で勉強』

『日々進化』

『素晴らしい』

「めちゃくちゃ影響受けてる」

『それに比べて――』

『なんですかヴァルナさん』

『余裕ありますね?』

「は?」

『素人なのに』

『のほほんとしています』

「いやいやいや!!」

「俺だって朝から晩まで――」

『黙らっしゃい』

「理不尽!!」

『しかも』

『ハルヴィンダ』

『ベルンハルト』

『経理にマルタ』

『今回、セバズまで増えました』

「増えたなぁ……」

『どうやら』

『私の教育が甘かったようです』

「嫌な予感しかしない」

『本来なら』

『この広さの店舗』

『フロアに、あと一人』

『キッチンにも、あと一人必要です』

「ほら見ろ!!」

『ですが』

『駄目です』

「なんで!?」

『甘えが生まれます』

「ブラック!!」

『きりきり働きなさい』

「飲食業界の闇が見える!!」

『安心してください』

『倒れる前に回復魔術をかけます』

「そういう問題じゃねぇ!!」




作者メモ

※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。

※本編とは時空が違います。

※本編の都合により、設定が変わる事があります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ