2 焚き火を出すはずだった
「知らない天井だ」
大地に寝転がったまま、俺が最初に見たのは、どこまでも青い空だった。
あの空の向こうには何があるんだろう。
宇宙か。
その先は銀河。
その先は――。
『やだなぁ、もうボケたんですか』
頭上から、呆れたような声が降ってきた。
『五十歳でボケるなんて。
女神様、私、案内役とは聞いてますけど、ボケ老人の世話なんて嫌ですよ。』
「ボケとらんわ! 天丼しとっただけです!」
つい怒鳴った。
だが、相手が女神様のお使い様だと思い出し、慌てて言葉を戻す。
あのお約束の落下を体験したあと、気づけば俺は大地に寝転がっていた。
ゆっくり体を起こす。
空気が美味い。
住んでいた所も田舎だったけど、ここは別格だ。
胸いっぱいに息を吸い込む。
もう一度、深呼吸。
『何してるんです?』
「いや、空気が美味しくて。これも頂いた料理スキルのおかげですか?」
『料理スキルにそんな効果はないかと。料理に関するなら、レベルが上がればあるかもしれませんが。』
お使い様は少し考えるようにふよふよ浮かぶ。
「多分、大気中のマナ濃度が多いからでは?」
おお、出た。
マナ。
ファンタジーのお約束だ。
「マナって、あれですよね。魔術を使う元になるやつ。アイスアローとか、あんな奴」
普通ここはファイヤーボールだろうって?
残念。
俺は氷属性が好きなのだ。
戦闘する気はないけど、一回くらいやってみたいよね。
か○は○波とか。
『そうですね。あながち間違いではありませんよ。』
『マナにエーテル、魔力に霊力に』
「えっ、そんなにあるんですか?」
『そうです。』
お使い様は、どこか疲れたようにため息をつく。
『色々あって系統がいっぱい出来てしまって、まとまりがないんですよ、この世界。』
なんか、すでに世界設定が面倒くさそうだ。
『そうそう、ヴァルナさん』
「はい」
『残念ながら、系統魔術の才能はないみたいですから、アイスアローなんて使えませんよ。』
「なんだと」
膝から崩れ落ちた。
地面に両手をつき、がっくり項垂れる俺に、さらに追い打ちが来る。
『あちゃぁ。他の系列も壊滅的ですねぇ。』
『頑張れば、生活魔術くらいは使えるかもしれませんが。』
がばっと顔を上げる。
生活魔術。
極めれば最強って話があるじゃないか。
『無理ですよー。』
即答だった。
『確かに生活魔術は便利で応用も効きますが、限界があります。』
『ベテラン主婦の方なんて、皆さんマスタークラスですよ。』
そんな。
俺は頭を抱えようとして――気づいた。
髪がある。
しかも、なんだこの量。
フサフサだ。
俺は震える手で頭を撫でた。
ある。
髪が、ある。
「女神様……!」
俺は涙しながら膝をつき、大地へ額をこすりつける勢いで感謝した。
五体投地だ。
土下座ではない。
感謝の五体投地だ。
『ほらほら、早く行きますよ。』
お使い様が呆れた声を出す。
『周りから変な人だと思われていますよ。』
そう言われて周りを見る。
道行く人達が、こちらを見ていた。
笑っている人。
笑いをこらえている人。
指をさしてくる子供。
その手を慌てて引く親。
我関せずと歩いていく人。
思ったより人通りが多い。
よく見ると、俺がいるのは広くてしっかり整備された街道だった。
しかも足元は――。
「……アスファルト?」
思わず呟く。
「あのぉ、これアスファルトですよね?」
『そうですよ。』
お使い様は当たり前のように答える。
『あれが大量生産されて道が整備されてから、流通の便がかなり良くなったみたいですよ。』
えっ。
アスファルトですよ。
アスファルト。
作り方も材料も知らないけど、イメージ的に日本でも文明開化以降のやつじゃないの?
俺が呆然としていると、後ろからブッブーと音がした。
慌てて道をあける。
危ない危ない。
思わず車にひかれる所だった。
……車?
く・る・ま?
『あれは魔動車ですね。』
お使い様が説明してくれる。
『二百年くらい前に開発されたんですが、規制が厳しくて、王侯貴族や軍、警察、消防、特別に許可された人しか乗れないんですよ。』
『発明した人が、たくさん走ると環境汚染の原因になるとか、人身事故が増えるとか言ったらしくて。』
『今では色々改善されて、排気ガスも出ませんし、対人障壁もついて、環境にも人にも優しい乗り物なんですけどね。』
『ただ、上流階級のステータスみたいになっていて、なかなか庶民の足にはならないんですよねぇ。』
「そ、そうなんですねぇ……」
すごいな異世界。
剣と魔術と、ちょっとした科学の世界って聞いてたけど。
ちょっとってなんだ。
『さぁ、行きますよ。』
お使い様が先導するように飛ぶ。
『目的の場所まで歩いて二日。ヴァルナさんだともう少しかかりそうですけど、途中で一泊して、明日の夕方までに着くよう行きますよ。』
『ハリーハリー。』
促されて歩き出す。
すごい。
腰が痛くない。
冬になると痛んでいた足首も。
痛みが酷かった肩こりもない。
ああ、女神様ありがとうございます。
歩きながら、ふと疑問が浮かぶ。
「そういえば、なぜこんな街道の真ん中に?」
「山中とかじゃなくて助かりますけど、同じ街道なら目的地に近くてもよかったのでは?」
『そうですねぇ。』
お使い様は少し上空で止まり、こちらを振り返る。
『いきなり目的地でもよかったんですが、ヴァルナさんにこの世界の常識を何も教えていませんでしたし。』
『いきなり目的地だと、トラブル間違いなしですよ。』
『色々レクチャーしながら移動するなら、この辺りが丁度良かったんです。』
なるほど。
確かに何も知らない。
お金の価値。
季節や暦。
今いる国。
向かう目的地。
何もかも。
「ママ~。あのおじちゃん、誰もいない所に話しかけてる。おかしい」
声のした方を振り返る。
小さな子供が、こちらを指さしていた。
「しっ。暖かくなってきたから、いるのよ。相手にしちゃいけません」
母親らしき女性が、慌てて子供の手を取って足早に去っていく。
「えっ、おじちゃんって俺?」
ああ。
五十だしな。
『余裕でおじちゃんですね。』
お使い様がさらりと言う。
『おっさん呼ばわりよりは良いかと。』
もしかしてこの方、傷口に塩をすり込むタイプですか。
「そんなことより、見えてないんですか?」
『そうですね』
お使い様はくるりと回る。
『余程の力がある人か、徳を積んだ人にしか見えないんですよ。』
『それ以外の人には、何もない所に話しかけている怪しい人に見えちゃいます。』
『気をつけないと、捕まっちゃいますよ。』
「はぁ……もう少し早く言って欲しかった」
『冗談はさておき、本当に気をつけてくださいね。』
お使い様の声が少し真面目になる。
『魔術使いや精霊魔術使いが、使い魔や精霊と話していると思われると厄介です。』
『魔術使いなら、使い魔を使って情報のやり取りをするスパイかもしれない。』
『精霊を従えていると思われれば、高位の精霊魔術使いとして囲い込み案件です。』
何それ怖い。
「スパイって、戦争でもしてるんですか?」
『いいえ。戦争は百年ほど前に終わりました。』
お使い様は淡々と言う。
『神々を巻き込んだ二百年戦争。』
「えっ、百年前?」
魔動車があるような世界で、神々を巻き込んだ戦争?
なんか急に神話みたいになったな。
『ああ、神話みたいなって顔してますけど。』
お使い様がこちらを見る。
『ヴァルナさんに解りやすく言うと、今この世界は、元いた世界でいう神話時代に当たります。』
『お会いしましたから解ると思いますが、神様は実在しますし、地上にも介入します。』
『大気も神秘に満ち溢れている。』
『おかげで魔術が使える。ね?』
ねって言われても。
「でも、魔動車とか、アスファルトで舗装された道路とか、近代の技術が」
『そう。それなんですよね。』
お使い様が急に不機嫌そうに揺れた。
『この世界、技術レベルがおかしくて。』
『おのれチーターどもめ。』
なんか聞いてはいけないワードが聞こえた気がする。
スルーだ。
スルー。
「よく解らないですけど、解りました」
「で、どうすればいいんですか。師匠」
「まだまだいっぱい教えて頂かないと」
『師匠?』
お使い様の動きが止まった。
「はい。教えを請うのですから」
「お名前を教えて頂けない以上、お呼びするのに何か呼称がないと」
『師匠……師匠かぁ』
なんか嬉しそうに飛び回っている。
『よろしい。私の事を師匠と呼びなさい。』
良かった。
機嫌が直ったみたいだ。
「で、実際の所どうすれば?」
『うーん。慣れれば念話で話せますけど、そんなにすぐは出来そうもないですね。』
『まぁ、おいおい頑張りましょう。』
おいおいって。
まあ出来ないものは仕方ない。
それから街道を歩きながら、色々教えてもらった。
一時間は六十分。
一日は二十四時間。
一週間は七日。
一月は三十日。
一年は十二か月で三百六十日。
ほぼ地球と同じだ。
公転とか自転とか、そういうのも地球に近いらしい。
暦に関しては、また頭が痛くなった。
先ほど出てきた二百年戦争。
その戦争の原因となった超帝国が関係しているらしい。
この惑星のほとんどを支配していた超帝国。
その初代皇帝が暦を決める時、故郷の暦を採用したそうだ。
つまり。
January。
February。
March。
そう、地球の英語だ。
超帝国が広がるにつれて世界中に広まり、今に至るらしい。
この話をした時、師匠はまた不機嫌になった。
太陽は一つ。
月も一つ。
ファンタジーの定番で複数あると思っていたが、太陽が二つもあると星は砂漠化するし、月が複数あると潮の満ち引きが変わって生態系がおかしくなるらしい。
地球やこの新世界みたいに、生命が生きていける惑星は貴重なのだそうだ。
大事にしないと。
貨幣単位は一G=一円。
もう言うまい。
これも超帝国絡みらしい。
そうこうしていると、太陽が真上に来た。
お腹が鳴る。
『では、お昼を取る前に、あと一つだけ。』
師匠が少し前方を示した。
『あれを見てください。』
指さされた先には、街道脇に時々見かけていたクリスタルの結晶があった。
大きさはさまざまだ。
小さな物はビー玉くらい。
大きな物は、ちょっとした物置くらいある。
俺はこの世界特有の岩か何かだと思っていた。
『あれは、先程から出ている二百年戦争の負の遺産です。』
師匠の声が、少しだけ重くなる。
『二百年戦争では、この世界の勢力が大きく三つに分かれて争いました。』
『この世界の生命を滅ぼし、全てを無に帰そうとする勢力』
『それに対抗する勢力』
『そして中立』
『最終的には中立勢力も参戦し、世界の生命は守られました。』
師匠はクリスタルの周囲をゆっくり飛ぶ。
『ですが、戦争末期には神々もそれぞれの勢力に加勢し、力を振るいました。』
『その時、神々の振るった力の残滓が、あれです。』
『戦争が終わった後、ああいうクリスタルの結晶として残りました。』
『小さい物はもう神力を失っていますが、山のように大きな物には、まだ神力が残っているんですよ。』
山のようなクリスタル。
そんなものもあるのか。
『神力が無くなっても、純粋な力の塊です。』
『最初は結界を張る時や、大掛かりな魔術を使う時に使われていました。』
『その後、研究が進み、先ほど見た魔動車のような物の動力源として使えるようになったんです。』
ほう。
すごいな。
さすが神話時代。
スケールが違う。
地球の石油みたいなものか。
師匠に案内され、近くにあった自分と同じくらいの大きさのクリスタルへ近づく。
「触っても?」
『大丈夫ですよ。』
『小さい物なんて、アクセサリーにもなっていますから。』
手を伸ばし、そっと触れる。
ひんやりしていて気持ちいい。
『さて、ここで実地授業です。』
師匠が俺の周りを回る。
『こちらへ来てください。』
連れて行かれたのは、街道から少し離れた場所。
クリスタルの結晶がちょうど目隠しになって、街道からは見えにくい位置だった。
『ちょうどお昼ですし、せっかくの料理スキルを使ってみましょう。』
おお。
遂にスキルだ。
魔術は使えないが、これぞ異世界の醍醐味。
やるぞ。
『料理スキルには色々ありますが、その一つに《料理場作成》というものがあります。』
師匠が説明を始める。
『簡単な焚き火から始まって、BBQ器具。極めれば、小さなキッチンくらい作成できます。』
すげぇ。
確かに便利だ。
……それ料理か?
まあいい。
火起こしとか大変だし、なんかチートっぽくて良い。
『初めてのスキル使用ですから、難しいかもしれません。』
『最初は私が誘導しますので、やってみましょう。』
そう言って、師匠が俺の頭の上に乗る。
以前なら薄毛を気にしていた。
だが今の俺は違う。
気にしない。
なにせフサフサだから。
そう。
フサフサ。
『いいですか。まずイメージです。』
『簡単な焚き火を頭に思い浮かべてください。』
フサフサな俺には、その程度簡単なのだ。
某狩りゲームの肉焼きをイメージする。
『いいですね。』
師匠の声が頭上から響く。
『では、手を前にかざしてぇ』
『ア・レ・キュイジーヌ(料理始め)』
それを聞いて、思わず笑ってしまった。
若い頃、テレビで見ていた料理人同士が一つの食材で腕を競う番組。
その司会者が言う、試合開始の合図じゃないか。
あっ。
なんか力が抜ける。
目の前に、何か見える。
あれ。
キッチンスタジアム?
夢だよな。
なんか意識が薄れてきた。
『なんで』
師匠の声が震える。
『なんで、こんな物ができるんですかぁぁぁ!』
慌てる師匠の前に現れたのは。
まさに、テレビで見ていたキッチンスタジアムだった。
『これ、スキルでも魔術でもない。』
師匠の声が裏返る。
『魔法だ。』
『女神様、チート与えてるじゃないですかぁぁぁ!』
大勢の人が行き交う街道の側に、突如現れた巨大な建造物。
何事かと人々が集まり始める中。
師匠の絶叫が、青空の下に響き渡るのであった。




