16 正座と狼と、家族のかたち
正座――諸説あるが。
神仏を拝む時や、征夷大将軍へ拝謁する際の姿勢が起源とも言われている。
しかし俺に言わせれば違う。
あれは拷問だ。
一時的に血流を阻害し、足を痺れさせ、その状態で指などでつつく事によって精神を破壊する高度な苦行。
そして今、俺はその拷問を受けていた。
あの後。
冷え切った身体が紅茶で温まったからか。
雨の中を傘もささず歩き続けた疲れからか。
ハルヴィンダちゃんは、俺の腕の中で眠ってしまった。
慌てた。
いや本当に慌てた。
茶毛親方の家を知らない。
なら店に連れて行くしかない。
俺はハルヴィンダちゃんを抱え、雨の中を全力で走った。
……女性を抱えるなんて人生初だった。
焦る。
めちゃくちゃ焦る。
断じて変な気は起こしていない。
俺はボン・キュッ・ボンのお姉さん派だ。
こんな状況で、うら若き乙女に手を出すほど腐ってはいない。
紳士なのだ。
そんな事を、まるで「変な真似したら噛み殺すぞ」と言わんばかりに付いてくる巨大な狼へ、心の中で必死に言い訳しながら走った。
メタボにはつらい。
ようやく店へ辿り着き、生活スペースへ飛び込む。
エマさんの事は秘密。
だが今はそれどころじゃない。
ハルヴィンダちゃんの方が優先だ。
「エマさぁぁぁん! ヘルプ、ヘルプ!」
「ハルヴィンダちゃん、お風呂入れて! 着替えさせて! 寝かせて!」
扉を開けると、まるで来る事を分かっていたかのようにエマさんが待っていた。
無言でハルヴィンダちゃんを受け取る。
そして一言。
「旦那様にしては上出来でしたね」
「手を出してたら、捥いでるところでした」
そう言い残し、ハルヴィンダちゃんを抱えて浴場へ向かっていく。
……あのね。
みんな俺をどんな目で見てるの。
そして、未だハルヴィンダちゃんを探しているであろう親方達へ、無事を知らせようと外へ出ようとした時だった。
ずっと付いてきていた狼が、一声鳴く。
その瞬間。
まるで最初から存在しなかったかのように姿を消した。
『どうやら、《夜を司る女王》の眷属ですね』
『ハルヴィンダが無事にこの店へ入った事を確認し、そのまま親方達へ伝えに行ったのでしょう』
『良かったですね。本当に手を出していたら』
そう言いながら、師匠が首を親指で横切る仕草をしているように見えた。
だから俺は紳士なんです!
そんな度胸があるなら、今までに一人や二人――。
『で、どうするんです』
師匠の声が急に真面目になる。
『別にハルヴィンダを助けた事を責めている訳ではありません』
『むしろ、そこは褒めてあげましょう』
『しかし』
『居住スペースへ入れるとは何事ですか』
『しかもエマと会わせるとか』
『言いましたよね。“内緒”だと』
そこからだった。
関係ない事まで含めた説教が始まった。
五十のおっさんには辛い。
本当に辛い。
でもね師匠。
赤毛親方も、茶毛親方も。
アンリ先生も、ミレディさんも。
きっと大丈夫な気がするんだ。
根拠はない。
でもあの人達、たぶん全部知っても「ふーん」で済ませそうなんだ。
飲兵衛フォーだし。
『きぃぃぃぃ!』
『そんな事、言われなくても分かっていますよ!』
『この馬鹿弟子がぁぁぁ!』
痺れて動けない俺の足を、師匠がつんつんつついてくる。
やめて。
ヘルプ・ミー。
◇ ◇ ◇
……うかつじゃった。
まさか、ここまで早く事態が動くとは。
噂は聞いておった。
情報も集めようとしておった。
じゃが、間に合わなんだ。
相手は悪徳商人だけではない。
背後におるのは、黒い噂の絶えぬ貴族。
何度も帝国政府の調査を受けながら、証拠一つ出させなんだ怪物じゃ。
うかつに動けば危険。
そう、ハル嬢にも伝えたばかりじゃったのに。
トレースは重い足を動かしながら、自嘲気味に笑う。
親方だの何だの持ち上げられ。
いい気になっておった罰かのう。
大事な弟子の忘れ形見。
守ってやる事もできんとは。
足が重い。
昔はもっと速く、もっと長く動けたはずなのに。
動け。
動かんか。
そんな時だった。
最近スミズルの奴と見つけた、おかしな店の事を思い出す。
料理の味は、まだまだ。
じゃが、妙に居心地が良い。
『大地母神』様の加護を受けた店。
『大地母神』様の御使い様がおる店。
そして何より――。
店主が、妙に普通じゃった。
ワシ等の正体を知らん。
アンリシア第一皇女の事すら知らんかった。
第一皇女じゃぞ?
帝国民なら子供でも知っとるわ。
じゃが、そのお陰で。
ワシ等は“ただの飲兵衛”でいられた。
店主め。
ワシ等の事を「飲兵衛フォー」と呼びおって。
帝都民が聞いたら腰抜かすぞ。
下手すれば不敬罪じゃ。
……まぁ、その時はカウンター席におる『大地母神』様の高位神官が動きそうじゃがの。
居心地の良さに浸りすぎたか。
この件が終わったら、少し鍛え直すかのう。
さて。
どうしてやろうか。
ワシ等の可愛い孫娘に手ぇ出したんじゃ。
ただでは済まさんぞ。
《夜を司る女王》からの信託を受けた親方達は、ヴァルナの店へと急行する。
そして店へ飛び込み、そこで見たものは――。
床に転がり、一人悶絶しているヴァルナだった。
◇ ◇ ◇
ようやく師匠の拷問が終わり、落ち着いた俺が見たのは。
皆の“変態を見る目”だった。
解せぬ。
「ハルヴィンダちゃんは大丈夫だから!」
「今、うちの家政婦さんがお風呂に入れて寝かせてるから!」
親方達怖い。
その目、普通に人殺せそう。
後ろのお弟子さん達まで怖い。
……いやでも。
ハルヴィンダちゃん、愛されてるなぁ。
「今日はもう遅いし、寝てるから」
「明日、改めてね」
「リナちゃんも心配してるだろうし、明日連れて来てあげて」
「大丈夫。ここ、出入り口ここしかないから。悪党なんて通さないよ」
今にも奥へ突撃しそうな親方達を必死で止める。
すると赤毛親方が、神棚の方をちらりと見た後。
「トレース。店主の言う通りじゃ」
「もう寝とる子を起こすのも可哀想じゃろう」
「お主は一度家へ戻れ。リナを安心させてやれ」
「そして明日、連れて来い」
「ワシがここに残っとる」
「アリ一匹通さん」
そう言って、どこからともなく巨大なバトルアックスを取り出した。
……ねぇ。
この世界の人達って、みんなアイテムボックス持ってんの?
なんでそんなポンポン武器出てくるの?
俺なんてリュックだぞ、ただのリュック。
そして赤毛親方は皆を追い出した後、居住スペース前へ椅子を持っていき、そこへ座る。
バトルアックスを膝に置いて。
……えっ。
俺も入っちゃ駄目なの?
俺の家なんだけど。
その後。
雨で濡れた身体をキッチンの火で温めようとして、
『師匠キィィィィック!』
された。
◇ ◇ ◇
《洗浄》で無理やり服を乾かし、店の長椅子で寝た俺。
今日は休業だ。
絶対、そんな暇ない。
『本日、私用のため休業』
そう看板を出し、朝食の準備を始める。
起きたハルヴィンダちゃんに、温かい物を食べさせてあげよう。
そう思っていたら。
いつもの時間にアンリ先生とミレディさんが来た。
もう説明する気力もない。
三人分の朝食をカウンターへ。
親方にも出す。
ハルヴィンダちゃんが起きたら、エマさんが知らせてくれるだろう。
そして食事が終わる頃。
店の扉が開いた。
茶毛親方。
その隣には、ドワーフ族の女性。
奥さんだろうか。
そして二人の間に――。
小さな女の子。
ハルヴィンダちゃんをそのまま小さくしたような子だった。
この子がリナちゃんか。
不安そうに女性の服を掴み、目を潤ませている。
……いかん。
世のお父さん達は、こういう気持ちなのか。
この子は誰にもやらん。
欲しかったら俺を倒していけ。
……って、何考えてるんだ俺は。
『おおロリっ娘』
『可愛い』
『ケモ耳』
天界。
今シリアスだって分かってる?
紙が乱舞する。
そして突然、紙吹雪が止まり。
一枚だけ、ひらりと落ちた。
『変態どもは締めときました by ケモ耳ロリッ娘愛好女子一同』
いや、あんたらの方が怖いんだが。
さて、行くか。
赤毛親方にどいてもらい、戸を開ける。
エマさん、ごめん。
でも大丈夫。
この人達は、なんとかなる。
たぶん。
最悪、師匠が。
そうして七人を居住スペースへ案内した。
「エマさーん。どこですかー? 二階かな?」
飲兵衛フォーが、かなりキョロキョロしている。
そんなに珍しいかなぁ。
まぁ、表から見えるよりかなり広いし。
時々勝手に内装変わるけど。
二階へ上がると、部屋の前にエマさんが立っていた。
その瞬間。
親方達とアンリ先生が、一瞬だけ止まった気がした。
……大丈夫だよね?
部屋を開ける。
ベッドの上で、ハルヴィンダちゃんが半身を起こしていた。
良かった。
元気そうだ。
その瞬間、リナちゃんが飛び出す。
「おねぇちゃぁぁぁん!」
ハルヴィンダちゃんへ抱きつき、大声で泣き出した。
「ごめんね……!」
「ごめんねリナ……!」
「ごめんねぇ……!」
……折角の再会だ。
そっとしておこう。
涙ぐむ親方達を、二階リビングへ案内する。
飲み物でも出そうと一階へ降りると。
「旦那様」
「私を売りましたね?」
笑顔で恐ろしい事を言うエマさん。
「きっと私は見世物にされ、実験動物として、あんな事やこんな事を」
いや、笑顔で言われても困るんですが。
「大丈夫ですよ」
「名付けをして頂いて、格も上がっておりますし」
「そう簡単には気づかれません」
「……まぁ、何人かは気づいてるみたいですが」
そう言って、紅茶を持って上へ向かう。
……エマさん。
お茶出しとかできたんだ。
リビングでは、今後についての話し合いが始まっていた。
ここへ匿う事。
姉妹は引き離さない事。
相手は悪徳商人と貴族。
油断できない事。
親方達が既に動いている事。
しばらく姉妹を外へ出さない事。
怪しい者が来ないよう、親方達が今まで通り入り浸る事。
そして。
茶毛親方が俺を見る。
夜はどうするんじゃ、と。
だが、その瞬間。
後ろでエマさんが腕まくりした。
茶毛親方は大きくため息をつき、静かに座り直した。
……何を察したの。
その後。
ハルヴィンダちゃんとリナちゃんが部屋から出てきて、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい……」
「皆さまに、ご迷惑を……」
「ございまいちぇん」
リナちゃんまで、一生懸命頭を下げた。
……駄目だ。
世のお父さん達の気持ちが分かる。
可愛い。
二人をソファへ座らせ、改めて話をする。
そして俺は、ハルヴィンダちゃんへ頭を下げた。
「落ち着いたらさ」
「この店、助けてくれない?」
「もう本当に、一人で回すの無理なのよ」
「気合じゃどうにもならんのよ」
「物量(お客様)には、物量(店員)で対抗しないと」
「だからお願い」
「住む所も食事も出すし、お給料もちゃんと払うから」
すると。
なぜか親方達と奥さんが労働条件を詰め始めた。
待って。
なんで圧迫面接みたいになってるの。
助けて師匠。
『ふぅ、やれやれ』
それだけ!?
アンリ先生とミレディさんは、なにやらハルヴィンダちゃんと話している。
そして条件がまとまり。
「これでどうかな?」
と聞くと。
「えっ……こんなに頂けるんですか?」
「しかも、ここに住めて……食事まで……?」
ハルヴィンダちゃんが目を丸くする。
いや、普通だと思うけど。
週休二日とかは、まだ無理だけど。
将来、店員増えたら何とかするから。
リナちゃんとの時間も大事だし。
するとハルヴィンダちゃんは、少し俯いた。
「でも……住んでた場所のみんなが、どうなったかも分からないのに……私だけ……」
「ああ、それは親方達が動いてるから」
「今、お弟子さん達が情報集めてるみたいだし」
「だからしばらく安全優先ね」
「服とか必要な物は、茶毛親方の奥さんが用意してくれるみたいだから」
「リナちゃんも、それでいい?」
そう聞くと。
リナちゃんは小さく頷き。
「おねぇちゃんと一緒なら、どこでもいい」
「それに、ここ妖精さんいるし」
……えっ。
師匠のニューワールド講座⑫
貴族階級編
「今日は貴族の話です」
『急に重いですね』
「ファンタジーおなじみの特権階級だな」
『ええ、この世界にも当然存在します』
『現在の階級は』
『かつて存在した“超帝国”時代に再編されたものです』
「またチーターか」
『初代皇帝とその取り巻きが』
『既存の貴族制度をまとめて作り直しました』
「だいたい元凶そいつらじゃねえか」
『では、上から見ていきましょう』
『皇帝・王』
『国家の頂点です』
「まあそこは分かる」
『神々から“帝権神授”や“王権神授”を受け』
『諸侯を束ね、国を治めます』
「ちゃんと神様絡んでるんだな」
『ちなみに』
『帝国は絶対帝政』
『王国は封建制です』
「そこ違うのか」
『なお、超帝国初代皇帝は』
『神々に嫌われていました』
「え?」
『破壊神から帝権を授かっています』
「やばいやつじゃん!!」
『次に――』
『大公爵』
『皇帝や王の兄弟姉妹に与えられる爵位です』
「特別枠か」
『一代限りで、次代は侯爵に落ちます』
「現実的だな」
『公爵』
『征服された国の元王族です』
「うわ重い」
『名誉職に近く、重要職には基本つけません』
「冷遇されてるな」
『ただし優秀か馬鹿かの両極端で』
『どちらも、なぜか暗躍と保身は得意で』
『最近は普通に登用されています』
「扱い雑だなこの世界」
『侯爵』
『元皇族や大功績者に与えられる一代爵位です』
「成り上がり枠か」
『領地なしも多いですね』
「肩書きだけかよ」
『辺境伯・魔法伯』
「来た、強そう」
『独自の軍を持ち』
『国境防衛を担う実力派です』
「主人公ポジじゃん」
『軍事費で財政は常にカツカツです』
「現実きたな」
『宮廷貴族とは仲が悪いです』
「お約束」
『魔法伯は特例です』
『世界に七人しかいない魔法使いです』
「はいチート」
『自治権・軍事権など』
『ほぼ好き放題できます』
「国家じゃん」
『伯爵』
『地方のまとめ役です』
「中間管理職だな」
『子爵・男爵の上に立ちます』
『ここまでが王家と婚姻可能ラインです』
「急に現実的」
『子爵』
『地方領主や宮廷貴族が多い階級です』
「嫌な予感する」
『だいたい悪役はここです』
「知ってた!!」
『領地がない者は』
『政治や商人と癒着して生きます』
「完全にそれだ」
『男爵』
『小規模領主です』
「一番リアルっぽい」
『義務が軽く』
『商売で成功する者も多いです』
「ピンキリ枠だな」
『準男爵』
『一代限りの名誉爵位です』
「元貴族ですってやつか」
『頑張れば男爵に昇格できます』
「救済枠だな」
『騎士爵』
「来た現場」
『実力主義です』
『平民でもなれます』
「いいじゃん」
『ただし』
『礼儀作法も必須です』
「一気にハードル上がった」
『粗暴な者はなれません』
「現実厳しい」
『なお』
『なぜか男性限定です』
「なんで?」
『それは――』
『また今度にしましょう』
「絶対ろくでもない理由だろ」
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




