15 雨の夜、差し出された一杯
最近、なにもかも上手くいかない。
最初は、再開発エリアだ。
二〇〇年戦争の傷跡――その再開発。
荒れ果てた帝都の一角が、少しずつ綺麗になっていく。
それ自体は悪い事じゃない。
けれど、その変化は、ハルヴィンダ達みたいな者には厳しかった。
両親が死んで、妹のリナと二人きりになった。
あの日、トレース親方は私達を引き取ると言ってくれた。
優しかった。
本当に優しかった。
でも、周囲の視線が耐えられなかった。
「かわいそうに」
「まだ子供なのに」
そんな同情の目。
悪意じゃない事くらい分かっている。
けれど、それでも気に入らなかった。
誇り高き狼族をなめるな。
私達は、自分達だけで生きていける。
そう意地を張った。
大事なリナの事を考えれば、なおさら。
……本当は、トレース親方の好意に甘えるのが正解だったのだろう。
でも受け入れられなかった。
仕事はすぐに見つかった。
スキル《超剛腕》のおかげだ。
重い荷物を軽々と持ち上げ、瓦礫を運ぶ。
単純な力仕事なら、誰にも負けなかった。
だが、その仕事も終わりつつあった。
瓦礫の撤去が終われば、次は建築作業が始まる。
建築は違う。
力だけでは駄目だ。
正確さと技術が求められる。
荷運びはできる。
だが、撤去作業ほど人手はいらない。
それに最近は、“重機”という魔動機まで導入され始めた。
人の力でやる仕事が減っていく。
少なくなった仕事は抽選制。
最近は、その抽選すら外れる事が増えていた。
帝都は広い。
再開発エリア以外にも、仕事自体はある。
けれど毎日、場所も内容も変わる。
朝から帝都中を駆け回り、へとへとになって帰る日々。
それでも。
家に帰って、リナの笑顔を見ると少しだけ救われた。
「おかえり、お姉ちゃん!」
その一言だけで、頑張れた。
だが、問題はそれだけじゃない。
もっと厄介なのがいた。
地上げ屋だ。
現在、帝都では再開発の影響で、あちこちの地区が注目され始めていた。
その混乱に乗じて、私腹を肥やそうとしている連中がいる。
背後には、悪徳商人と悪徳貴族。
帝都は治安が良い。
だからこそ、こういう連中は表立っては動かない。
巧妙に、静かに、合法の顔をして食い荒らしていく。
私達が住んでいる古い住宅地区も、その標的になった。
大通りから少し外れているが、立地は悪くない。
そこに店を建てたい商人がいるらしい。
近所の人達も、同じような噂を持っていた。
間違いない。
狙われている。
両親との思い出が残る家。
リナと二人で守ってきた場所。
渡してたまるか。
やれる事は全部やった。
役所にも訴えた。
だが、どこかで握りつぶされたらしい。
嫌がらせに来るチンピラ達を、近所総出で追い払った。
すると今度は、衛兵がやって来た。
「何もしていない者を集団で襲った」
そう言われ、逆にこちら側が捕まりそうになった。
貴族が裏で手を回している。
そうとしか思えなかった。
最後の頼みで、トレース親方にも相談した。
顔が広い親方なら、何とかしてくれるかもしれないと思った。
だが返ってきたのは、苦しそうな顔だった。
「証拠はあるのか」
「その商人や貴族が関わっとる、確かな証拠が」
動けば大事になる。
だからこそ、証拠なしでは動けない。
悔しかった。
証拠なんて、あれば苦労しない。
そして仲間達と話し合った結果――。
商人の屋敷に忍び込み、証拠を探す事になった。
噂の絶えない商人だった。
何か出るはずだ。
決行は、新月の夜。
その日。
私はリナを、トレース親方の奥さんに預けた。
「泊まり込みの仕事がある」
そう嘘をついて。
リナは不安そうだった。
でも私は笑った。
大丈夫。
お姉ちゃんに任せなさい。
何も問題ないから。
ちゃんとご飯食べて、寝て、学校行って、遊んでなさい。
そう言って頭を撫でた。
――失敗した。
家に戻ると、住宅地区は襲撃されていた。
チンピラだけじゃない。
貴族の私兵。
そして衛兵までいる。
私達の計画が漏れていた。
「商人の屋敷を襲撃する計画を立てている」
そう密告されたらしい。
向こう側に、見知った顔があった。
トマスだ。
商人の隣で、笑っていた。
裏切ったのか。
いや、最初から嵌めるつもりだったのかもしれない。
思えば、この計画を言い出したのも奴だった。
悔しい。
でも、今は逃げるしかなかった。
どれくらい歩いただろう。
気づけば夜になっていた。
激しい雨。
身体は冷え切っていた。
戻れない。
戻れば捕まる。
リナはトレース親方の所だ。
だから大丈夫なはず。
でも、会いに行けば迷惑がかかる。
行く場所もなく、私は建物の軒先に座り込んだ。
どうしてこうなった。
私達が何をした。
ただ、普通に生きたかっただけなのに。
雨音の中、私は空を見上げた。
『夜を司さどる』偉大なる夜の女王様。
どうか、せめてリナだけはお守り下さい。
その時だった。
ふと、頭を撫でられた気がした。
顔を上げる。
通りの向こうから、誰かが歩いてくる。
見覚えのある姿。
トレース親方達が入り浸っている、あの店の店長さんだった。
若い労働者達に、大盛の料理を安く食べさせてくれる変な人。
もう一度、あの料理食べたかったな。
リナにも食べさせてあげたかった。
でも駄目だ。
逃げないと。
ここで一緒にいる所を見られたら、この人にも迷惑がかかる。
立ち上がろうとした私の隣に、店長は何も言わず座った。
雨に濡れるのも気にせずに。
そして鞄から水筒とカップを取り出し、静かに紅茶を注ぐ。
差し出されたカップを、私は反射的に受け取っていた。
温かい。
ただ、それだけで涙が出そうになった。
店長は何も言わない。
ただ、「飲め」とでも言うように軽く頷いた。
紅茶が身体に染み込む。
冷え切った身体に。
張り詰めていた心に。
気づけば私は泣いていた。
子供みたいに。
みっともなく。
店長にしがみついて。
「お父さん……お母さん……」
「ごめんなさい……」
「リナを、一人に……」
止まらなかった。
そんな私の頭を、店長は優しく撫でてくれた。
大きな手だった。
昔、お父さんが撫でてくれたみたいな、温かい手。
どれくらい経っただろう。
ようやく落ち着いた頃。
店長は困ったように笑って言った。
「ねぇ、ハルヴィンダちゃん」
「おっさんの事、助けてくんない?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「いやさ、知ってると思うけど、おっさん一人で店切り盛りしてて」
「師匠は手伝ってくれないし、家政婦さんは“契約外です”って店ノータッチだし」
何を言ってるんだ、この人。
「毎日毎日、飲兵衛フォーの相手しなくちゃいけないし」
「最近は、配管工の人達とか商業ギルドの人まで押しかけてきてさ」
真剣なのか、冗談なのか分からない。
でも。
その言葉は、不思議なくらい心に染みた。
助けてやる、じゃない。
守ってやる、でもない。
助けてくれ。
そう言った。
対等に。
まるで、私が必要だと言うみたいに。
店長さんの後ろに、一瞬だけ見えた気がした。
『夜を司さどる』偉大なる夜の女王様の姿が。
「だからさ」
「お店の手伝い、してくれない?」
「せめてフロアやってくれる人が欲しいのよ」
「じゃないと、おっさん過労死する。うん、間違いなく」
どこかで、狼の遠吠えが聞こえた、これはあなた様のお導きですか
思わず笑ってしまった。
こんな状況なのに。
涙でぐしゃぐしゃなのに。
夜空を見上げる。
いつの間にか、雨は止んでいた。
雲がゆっくりと流れ、夜空が顔を出す。
やがて。
その隙間から、満月が姿を現した。
地上では。
一人の男と、一人の少女が言葉を交わしている。
ただ、それだけの光景。
けれど――
そのやり取りを。
静かに見下ろす“存在”があった。
夜を司る女神。
気まぐれか。
それとも、興味か。
その視線が、わずかに男へと向けられる。
そして――
微かに、笑った。
それは、祝福か。
あるいは――
別の何かか。
だが。
そのことに気づく者は、誰もいない。
ただ。
月の光だけが、変わらず二人を照らしていた。
師匠のニューワールド講座⑪
六大神編
「師匠、夜を司る女神様って誰ですか」
『この世界を牛耳る“ビッグシックス”の一柱です』
「言い方が軽い」
『では、簡単に説明しましょう』
『この世界には八百万の神々がいます』
『その中でも特に強い力を持ち』
『神々のまとめ役のような存在――』
『それが“六大神”です』
「オリンポス的なやつ?」
『だいたい合ってます』
『まずは――』
『“夜を司る女神”』
『“夜を司る女王”とも言われてます』
『主神にして双子神の片割れ』
『その名の通り夜を司ります』
「強そう」
『とても怖いです』
『何を考えているのか分かりません』
「一番関わりたくないタイプだ」
『次に――』
『“太陽神”』
『主神の双子神です』
『太陽と法と秩序を司る女神です』
「まともそう」
『頑固で融通が利きません』
「ダメだこっちも」
『“軍神”』
『戦と酒と芸術を司ります』
「多いな」
『アル中おやじです』
「急に親近感湧いた」
『“学問の神”』
『知識と発明を司ります』
「頼れそう」
『一度闇落ちしてから面倒くさいです』
「クセ強いなこの世界の神」
『“天秤の女神”』
『裁きと情報を司ります』
「まとも枠か?」
『会うたびに“儲かりまっか”と聞いてきます』
「商売神じゃねえか」
『そして――』
『“大地母神”』
『大地の恵みと、母と子の守護者』
『我らが偉大なる女神様です』
「出たな」
『誰が何と言おうと一番です』
『聞いていますか、ヴァルナさん』
「はいはい」
『女神様はですね――』
『その慈愛は深く』
『世界を包み込み』
『命を育み――』
「長くなるやつだこれ」
『――いかに素晴らしいかというとですね』
「はい終了ー!」
※本講座は一部、独断と偏見で構成されています
作者メモ
※本編のおまけ設定です。読み飛ばしても問題ありません。
※本編とは時空が違います。
※本編の都合により、設定が変わる事があります。




